新しい記事は新ブログに投稿しています。



2006年12月5日火曜日

いじめ対策費を補正予算計上へ 24時間電話相談を

安倍晋三首相と伊吹文明文部科学相とが会談し、

いじめ問題を踏まえ平成18年度補正予算に対策費を盛り込むことにしたという。

いじめを受けた子どもや保護者から法務局や教育委員会、警察への相談電話について、24時間受け付け態勢を整備する。
【詳細記事】
いじめ対策費を補正予算計上へ 24時間電話相談を|政策|政治|Sankei WEB
恐らく、相談内容は集計され、有識者によって分析され対策が検討されて、

指示される事になるのだろう・・・。

映画『踊る大走査線』での「事件は現場で起きているんだ」というセリフが、

ふと頭に浮かんだ。

最近の傾向

カウンセラーやカウンセリングという言葉を、

心の問題や社会が受け入れられないことを解決する魔法であるかのような文脈で

使う傾向があるように感じている。

井上校長は「外部カウンセラーを通じて児童からさらに詳しく話を聞き、再発防止に努めたい」としている。 
【詳細記事】
[学校いじめ調査せず 田川の小6胴上げ遊び 母親の相談“放置”] / 社会 / 西日本新聞
学校は関係児童らにいじめの有無を尋ねるアンケートやカウンセリングなどを実施。事故はその直後に起きた。
【詳細記事】
カウンセリング直後に事故 男児が脳挫傷の小学校 [CHUNICHI WEB PRESS]

特に、最近、いじめ問題などで焦点が当たっているスクールカウンセラーは、

周囲が『面倒なところはカウンセリングが解決してくれるだろう』と魔法のように期待していること全てを引き受けていては、

今の社会のそんな魔法が解けたとき、

全ての責任を負わされることにならないかと心配でならない。

2006年11月29日水曜日

自殺する女性15万人、家庭内暴力が原因(中国)

中国の情報で、日本と人口は大きく違うのだが、その数の多さに驚いた

「中国で自殺する女性は年平均で15.7万人に達しており、家庭内暴力が最大の原因だ」
【詳細情報】
自殺する女性15万人、家庭内暴力が原因 2006/11/28(火) 18:52:34 [中国情報局]


MSペイントだけで信じられない絵を描く男

心理とは関係なのですが、感動したのでご紹介

とにかくリンク先のページを見てみて下さい!

MSペイントだけで信じられない絵を描く男 | p o p * p o p

いじめについて(その2)

『「いじめ」について(その1)』の続きです。

1).なぜ、親しみを持てない相手を排除しようとするのか?

これは、基本的には、「ストレスを感じたときに、それにどのように対応するのか」ということと同じように思います。

自分の心に意識が向けば、「自分はどうしてこんな事がイヤなのだろう!」「どうして、自分は我慢できないのだろう!」と自分を責める事になりがちです。

自分以外に意識が向けば、問題と認識する人を変えようとしたり、その人を排除しようとするしか、そのストレスに対処する方法はありません。

ここでは詳しくは説明しませんが、これは、神経症や恐怖症に陥る心理に似ています。


そこには、『自分の考えや気持ちを強く主張するしか解決する手段は無かった』という事情があるのだろうと考えています。


このような心理のとき、周りの力関係によっては、「変なやつ」というレッテルを貼られて、いついじめられる側に変わってもおかしく無い状況であるかもしれません。

「仲間」という集団によって「強者」の立場が形成されていた場合、その役割の変化は、割合容易に生じるのかもしれません。

人間関係に影響が大きそうな体力饒舌などの個人の能力によって「強者」の立場を維持できる人がいじめを行っていた場合は、役割の変化は起き難いかも知れませんが、学校という枠を離れて社会に出たときに、自然に生じる孤独といういじめによって、行き詰ってしまうのかもしれません。



2).どうして、誰からも親しみをもたれないようになってしまうのか?

おかしなことに興味を持っていても、それを相手に伝え、また、相手の興味を受け入れたりするようなコミュニケーションが出来ている場合は、「変わったやつ」と呼ばれても、そこには親しみのニアンスが含まれている場合がほとんどだと思います。

しかし、自分の考えや気持ち表明することが無いと、対する人にとっては、何を考えているのか分からない「変わったやつ」になってしまい、親しみをもってもらうことは難しいことが多いような気がします。

そこには、『自分の主張を飲み込むしか解決する道は無かった』という事情があるのだろうと考えています。

何も表現できなくなってしまい、その結果、その心境が、おどおどした態度として、表現されてしまうのかもしれません。

また、何も表現できなくなるほど追い詰められていない場合でも、とりあえず、ニコニコしたり笑ったりするしか出来なくなってしまっていることもあるかもしれません。

しかし、いつも愛想良く笑っていても、「何を考えているのか分からないらない」とレッテルを貼られてしまってもおかしくない微妙なラインで、一人孤独に戦っているような状態に置かれているのかもしれません。

いじめる側にも、いじめられる側にも、「自分の気持ちを普通に表現しても、相手に伝わらなかった」という事情があったということでは、心に持つ傷は同じなのだろうと思います。


私は、「いじめをなくす」というスローガンに、違和感を感じています。

安直に「いじめをなくせ」ということは、「嫌いな人を好きになれ」とか「つらくてもつらいと感じるな」と言っているのと同じことだと思います。

でも、苦手な人は苦手だし、つらいときはつらいのです。

それを言わさないようにするということは、彼らがそうなってしまった原因の『素直な気持ちを受けとめてもらえなかった』という環境を強化するだけだと思うのです。

仮に、学校生活において、「いじめ」と分類される行為をリストアップし、それらの行為を禁止したとしても、それらは自分の気持ちを偽って行動させる事でしかありません。

たとえそれが実現しても、本音の無いところの猿芝居をしながら学生生活を送ることになるだろうと思います。

社会に出たあと、そんな猿芝居を続けられるわけはありません。

「親しみを感じない人」との人間関係は避けて通るわけにはいきません。

学校は、社会の縮図です。色々な人がいて、そのために、色々な人間関係の中での出来事が起こるのです。

ですから、学校生活は、社会に出てからの人間関係予行演習になると思います。

学校での生活では、本当に多くの人間関係にさらされ、様々な出来事を経験することが出来ます。

もしかしたら、社会に出てから経験するほとんどのパターンを経験することができるのかもしれません。

ですから、そこで起きる出来事を防止するのでは、予行演習にならないと思います。

どんなつらいことが起こっても、そこから心が救われる練習をするのが、学校生活の本当の意味なのかもしれないと思います。

そして、学校生活の予行演習が家庭です。

どんなつらいことが起こっても、そこから心が救われるという経験をすることが大切だと思うのです。

『心が救われる』、それは、一人きりで我慢したり、一人きりで頑張ることではないと思います。


【ヒント】

「おもちゃは買わない」と約束した自分の子供が、おもちゃ屋の前でダダをこねて泣いてしまったら、みなさんは、どうしますか?

子供におもちゃを買ってあげますか?

おもちゃを買ってあげずに我慢させますか?

たぶん、正しい対応はそのいずれでもないのだろうと思います。

みなさん、ここで一旦立ち止まって、「心が救われる」とはどういうことかを、ゆっくりと考えてみませんか?

※詳しいことは、「心のマニュアル」の説明を参考にしてみて下さい。(長くて、読み難いですが(^_^;))


現在の社会の論調のままに対策を進めていけば、学生のためのいじめ禁止法ができるかもしれません。

しかし、そのような対処では、新たな歪を子供社会に生じさせるかもしれませんし、たとえ子供のうちは上手く規制できたとしても、そこでひたすら我慢を強いられていた子供たちが社会に出たとき、大人社会のいじめがより深刻な問題になりそうな気がしてなりません。

挙句には、「大人の為のいじめ禁止法」などを作るようなことになってしまうかもしれませんし、実は、既に、もう、その兆候は現れていると感じます。

法律で、行動だけでなく、気持ちまでが規制される世の中になってしまうのではないかと、本当に心配です。

2006年11月28日火曜日

いじめについて(その1)

これから書くことは、一つの仮説に過ぎず、「いじめ」の全てがこのように説明できると言っているのではないことをご理解頂いたうえでお読みください。

いじめについて考えることはとても難しいところがあります。

その理由は、いじめを定義することがとても難しいからです。


一般的に使われている「いじめ」という言葉を主語にして話をすると、その実体を曖昧にしたまま議論が進んでしまいがちになり、そこで目に付く「弱者と強者」という関係性ばかりに着目した議論に陥ってしまいがちなような気がします。

そこで、まず、「いじめ」という言葉を、排除する事を試みてみます。

いじめとは、単純に場合分けすると、次の4つの場合が考えられます。


受ける側の主観
働きかける側の主観
備考
(1) いじめられていないと感じること いじめていないと感じること  
(2) いじめられていないと感じること いじめていると感じること (注1)
(3) いじめられていると感じること いじめていないと感じること  
(4) いじめられていると感じること いじめていると感じること


実際の場面で(2)の状況があるのかどうかは分かりませんが、仮にあっても、本人が苦しくは無いので、特に考えなくても良いかもしれません。
(ただ、本人が「つらい」ということに気付いていないだけの場合も多いような気がします。(注1))

(注1)
本当は苦しいのに、苦しくないことにして、立ち向かっている場合があります。

それには、苦しくないことにしなければやって来れなかった事情があるので、自分が苦しいと感じていることに気付けず、成人した後に、神経症やうつなどの状態に陥って、ようやく気付くようなことが多いと感じています。

苦しい事に気付いた時の衝撃は大きいことが多いので、一人で解決しようとせずに、迷わず、他の人の力を借りようとした方が良いと思います。

ですから、一括りに表現してしまっている「いじめ」は、実は(3)か(4)の状況に区別できることを、まず、理解しておくことが大切です。

ただ、この表では、まだ、「いじめ」という概念から離れていないので、「いじめ」という言葉を、他の言葉で表現しようとしてみます。

この表を、「いじめられていると感じる」「いじめられていないと感じる」かという違いは、受ける側の人が「つらい/イヤだ」と感じるとき、そのような気持ちにつながった行為のことを、受ける側にとって「いじめ」と表現していると解釈してみます。

また、「いじめていると感じる」「いじめていないと感じる」という働きかける側の感覚については、相手に対して「親しみの感覚」があるかどうかによって区別できると考えてみます。


受ける側の主観
働きかける側の主観
(1) つらくない/イヤじゃない 親しみの感覚がある
(2) つらくない/イヤじゃない 親しみの感覚が無い
(3) つらい/イヤ 親しみの感覚がある
(4) つらい/イヤ 親しみの感覚が無い

このように表現してみると、「いじめ」という共通認識できる行為があるという雰囲気から離れて、個人個人の気持ちに焦点を当てて考えられるようになってくると思います。

(3)の場合、「いじめを無くす」為には、次のことをどのように実現するのかを、当事者同士が話し合えば、対処できそうな気がします。
  • 相手がどのように感じているのかを知る。
  • もし、その相手が「つらいと感じている」ということを知ったとき、その相手につらい思いをさせることは繰り返さないようにする
この場合の解決は、受ける側が「つらい」と感じていることを相手に伝える事から始まるということを念のために書き添えておきます。

しかし、(4)の場合は、更に掘り下げて考える必要があります。

相手に親しみの感情をもてないときに、人は、どのように対処する場合があるかというと、次の2通りが考えられると思います。

a).特に関わろうとしない

b).相手を排除しようとする

a).の場合は、一見、特に問題は無さそうなのですが、「受ける側の人」が、誰からも親しみを持たれなかった時に、孤立してしまう(ネグレクト)状況を生み出してしまう恐れがあり、その結果、辛く感じてしまうので、これもいわゆる「いじめ」状況を作り出してしまいます。

そこで、次の2つのことを理解することが大切だと考えています。


1).なぜ、親しみを持てない相手を排除しようとするのか?

2).どうして、誰からも親しみをもたれないようになってしまうのか?


この 1).と 2).を考えていくと、「いじめられる側」だけでなく、「いじめる側」の心も救われる必要性が浮かび上がってきます。

詳しくは、次の『「いじめ」について(その2)』で説明します。

2006年11月24日金曜日

タイの僧侶がペニス切断、医師による再接着を拒否

煩悩をすべて断ち切ったというタイの僧侶の行動に関する記事
この僧侶は、瞑想中に勃起したことが切断の理由とした上で、煩悩をすべて断ち切ったのだから再接着の必要はないと話したという。
【詳細記事】
タイの僧侶がペニス切断、医師による再接着を拒否 | エンタテインメント | Reuters.co.jp
さて、この僧侶を今も悩ませている煩悩がある。

それは何か?

2006年11月23日木曜日

DV被害者の自立支援へ 政府の再チャレンジ総合プラン

「再チャレンジ支援総合プラン(仮称)」に関する記事
パートナーによる暴力(ドメスティック・バイオレンス、DV)の被害者を、支援対象として明記する方針を固めた。「女性の再チャレンジ」の一環として位置づけ、積極的な就労支援などで自立を支援していく考えだ。
【詳細記事】
asahi.com:DV被害者の自立支援へ 政府の再チャレンジ総合プラン - 社会
この記事を読んで、DVのことではなく、一般的な事として、思ったことを少し書かせて頂く。

勉強不足で詳細は知らないのだが、「再チャレンジ支援総合プラン」について何となく感じていることなのだが、

・この時代の社会が「悪」と定義したこと(人)によってダメージを受けた人を救済することに主眼を置いている

・そして、「悪」に分類に属されたこと(人)は、これからも「悪」であり続けるという前提は変わらない
というようなことを言っているような気がする。

もちろん、「弱い人を救済する」ということはとても大切なことだと思う。

しかし、

・「悪」の心が救われて「善」の心に変わり、再出発する

そんな再チャレンジが無ければ、被害者救済の仕組みをいくら整えても、弱者や被害者に該当する人が入れ替わるだけで、誰かが辛い思いをするという繰り返しは何も変わらないのではないだろうか・・・。

おばちゃんら1万人対象に値切り行動調査 大阪の学生

東京・池袋で9月下旬行われた、ブランドのかばんなどの中古品市で、関西の大学生が店を回り、来場者に値切り行動のアンケートを行ったという記事

asahi.com:おばちゃんら1万人対象に値切り行動調査 大阪の学生 - 暮らし

関西人としての私の感覚だが、『値切る』というのは、一つの目標ではあるのだが、それは、『きっかけ』にすぎないような気がする。店員が持っている興味深い話を引き出し、買い物が完了するまでにどれだけ笑えたかの方が大切なように感じる。

だから、関西の人は、値切ったときに、店員との何の会話もなく1分で原価割れまで値引いてもらっても、ガッカリして、その店には、たぶん、必要が無いときには行かないのかもしれない、或いは、その商品は買わないのかもしれないとさえ思う。

みんなに聞いたわけではないので、当てにならない私の勝手な想像にすぎないなのだが、関西の人の買い物のパターンには、欲しいものを買う時に値切るという以外に、
・用も無く店に立ち寄り、
・買う気も無いのに話すきっかけの為に値切ってみて、
・楽しい時間を過ごせたら、
・買う気が無かったものをつい買ってしまう
というもので、そこには文化的な雰囲気があるのではないかと思う。

記事のアンケート結果の数値にも、そんなことが表れているような気がした。

これを読まれた関西出身の方、どう思われますか?

2006年11月19日日曜日

虐待 繰り返さないために

子供を虐待する親の心理に関する記事

 「おむつはずしに失敗した」「冷蔵庫を勝手に開けて盗み食いした」「うそをついた」……。子どもに傷を負わせ、時には死に至らしめてしまった保護者の言葉が明らかになると、「なぜ、そんなことで?」と問いたくなる人は多いのではないか。
【詳細記事】
「こども←→おとな」[虐待 繰り返さないために](2) 追い詰める「小さなこと」 : ニュース:育児ネット:教育 子育て : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

記事を読んで、孤独な子育てによって、知らず知らずのうちに、『普通』との戦いに追い詰められてしまうのかもしれないと、涙が出そうになった。一人きりで頑張りすぎないで、つらい気持ちを分かってくれそうな、誰かと話して!

自己を「意識」するロボット、米大学で開発

自己を「意識」するロボットを米大学で開発したという記事
関節に内蔵されたセンサーを使って自分の動きを観察し、内蔵コンピュータで自己概念――あるいは、少なくとも物理的な構造の概念――を作り出すロボットを作成した。
【詳細記事】
ITmedia News:自己を「意識」するロボット、米大学で開発
もし、ロボットが自己を主張するようになった時、

心の有無を確かめる事はできず、

ややこしいことになるのかもしれない。


仮に、それが本当の心だった としても、

人が心を作ったのではなく、

そこに心が芽生えたということなのだろうと思う。


人が誤った万能感に支配される日が来ない事を祈る。

2006年11月15日水曜日

いじめ、テレビやゲーム漬けが影響か 京大など調査

いじめ、テレビやゲーム漬けが影響している可能性があるという記事
1日のテレビ視聴が1時間以内の子に比べ、4時間以上の子がいじめをした経験は、高校男子で1.2倍、同女子で1.4倍多かった。ゲームの時間や携帯電話のメール交換頻度でも同じ傾向が出た。
「テレビやゲーム漬けの状態が攻撃性を育て、人間的なつながりの薄さが精神的不安定を引き起こすことで、いじめが生まれる可能性があるのではないか」と分 析。「学校や保護者が加害者と被害者の意見に耳を傾け、テレビ、ゲームに触れる際のルールづくりが必要だ」と話している。
【詳細記事】
asahi.com: いじめ、テレビやゲーム漬けが影響か 京大など調査 - 関西
直感でしかないが、個人的には、テレビやゲームは、コミュニケーションが苦手な子供たちの逃げ場としての役割を果たしているような気している。

もし、何の解決も無いままに、それらを取り上げてしまうと、逃げ場を失った子供たちは、孤独感に打ちのめされたり、無防備な状態でコミュニケーションにさらされ、いじめなど人間関係の問題が増大しそうで心配だ。

人の行動や考えは自然だ。現状の様々な要因によって、今の考えや行動につながるのだろうと思う。

だから、行動や考えを制限したところで、要因が変化しなければ、そこには新たなストレスの蓄積が起こるだけなのかもしれない。

『いじめ』に焦点を当てれば、テレビやゲームは、その要因と考えられなくもない。

しかし、「テレビやゲームに多くの時間を費やす」ということに焦点を当てれば、また、別の要因が浮かび上がってくるのではないだろうか。

今の子供たちには、遊びたいと思ったときに、公園や空き地に行ったら、いつでも誰かが遊んでいるという環境があるだろうか?

遊びの無い空間で、情報 や知識を会話によって共有することでは、心のコミュニケーションにはつながらないような気がする。

今の子供たちには、ゆとりをもって勉強することではな く、無心にみんなで遊べる時間や空間と、そこでの様々な体験が必要なのかもしれない。

ダイエットのカギは「潜在意識」

「ダイエットのカギは、潜在意識の仕掛けを理解することだ」という記事
CNN.co.jp : ダイエットのカギは「潜在意識」と 米研究者が新著 - サイエンス
人は、自分が食べた食物の分量を、

自分の胃の満腹感よりも、

ビジュアルなどのイメージによる情報を重視して把握する場合がある

ということのようだ。

ウリ銀行「友人の多い人を採用します」

これからの韓国社会では、学歴よりも、仕事に対する能力や情熱がより重視されていくだろうという記事
「交友関係や先輩・後輩関係の円満な人は営業成績もよいことから、このような評価を導入することにした」
【詳細記事】
【ニュースブログ】ウリ銀行「友人の多い人を採用します」 朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
社会には、実情やなぜか出来上がってしまった雰囲気がある。

その実情や雰囲気を認識せずに、

日本のように、教育に対する理念だけで改革を行おうとしても、

社会と教育は乖離し、結局、社会に合った教育に戻っていくだけなのかもしれない。


教育を改革するのではなく、社会が変われば、

それにつられて教育は自然に変わっていくのかもしれない・・・、


そんなことを感じた。

2006年11月11日土曜日

神への挑戦?英研究機関がDNA操作でヒトと牛のハイブリッド児の生成認可を政府に申請

英研究機関がDNA操作でヒトと牛の合いの子を作りたいと言っているという記事

同研究所ではヒトのDNAを牛の卵子に組み込むことによってヒトと牛の両方の遺伝的性質を持つ胚を生成。この遺伝子操作によって作られた胚をパーキンソン病やアルツハイマー病の研究に利用したいとしている。
【詳細記事】
Technobahn - その他: 神への挑戦?英研究機関がDNA操作でヒトと牛のハイブリッド児の生成認可を政府に申請

心理関連の話題ではないのだが、ちょっと感じるものがある・・・。

心の病、先生に広がる(大阪府)

大阪府教委は「休職を繰り返す教員は大きな課題」との認識し、その対応を検討しているという記事
府教委によると、保護者対応や学級運営の難しさなどで「心の病」になる教員は年々増加。病状の改善が困難な場合は退職勧奨や分限免職も含めた対応をとる一方で、職場復帰の支援プログラムを今年度中に策定する考えを示した。
【詳細記事】
Sankei Web > 大阪 > 心の病、先生に広がる 府教委(11/10 07:45)
現代社会は、個々に事情を理解するより、

ひとくくりの『分類』にまとめて、その分類に対して、対策をとりたがる。


しかし、問題は、それに関わる個々の当事者達の間にあり、

解決もまた当事者達の間でしか起こりえないのではないのだろうか。


教育委員会に限らず、組織においては、

管理部門が『分析』という名のもとに問題を作り出す。


だが、当事者不在の実体のない『分類』について、

問題や 原因を考えたところで、意味があるのかは疑わしい。


しかし、問題や原因は結論付けられ、その対策が指示され、

現場はそれを受け入れざるを得ない。


そして、 現場で解決したい事、解決できる事は後回しになる。


組織が出来た時点で、このような状況が生じるのは必然なのかもしれない。



『管理部門が、それを現場に任せらず管理したくなる理由』、

それは管理部門の抱える悩みから生じるのかもしれない。


そんな状況の中で、社会復帰の為に苦しい中頑張ろうとしている人たちの希望が、

また一つ、奪われてしまう・・・。

2006年11月10日金曜日

ウニ:遺伝子数、ヒトとほぼ同じ 欧米研究チームが解明

全く違うと思っていたウ二とヒトの遺伝子が、わりと近いという記事があった。
 ウニのゲノム(全遺伝情報)の解読を、欧米の研究チームが完了。遺伝子数はヒトとほぼ同じ2万3000個で、遺伝子の70%がヒトと共通していた。研究チームは「遺伝子レベルでは、ハエや線虫に比べヒトに近い。
 解読によると、ゲノムの大きさを示す塩基数は8億1400万対でヒトの4分の1。チンパンジーとヒトは99%の遺伝子が共通しているが、ハエとヒトは40%。
 ウニは、せきつい動物と共通する祖先から5億2000万年前に分かれたと推定されていて、また、生物の発生過程などを調べる実験によく利用される。
ウニ:遺伝子数、ヒトとほぼ同じ 欧米研究チームが解明-科学:MSN毎日インタラクティブ
マクロで似ていたり、ミクロで似ていたり・・・。

「何をもって、何が似ているとするのか?」と考えると、

ちょっと、楽しくなった記事でした。

2006年11月9日木曜日

足立区の学力テストによる予算配分、撤回へ

『学力テストの成績などに応じて小中学校に配分する予算の一部に差をつける方針』を撤回することになったということだが、まだ、お名残惜しいらしい?
今後は、予算配分に差をつける項目の一部として、テスト成績の前年度からの伸び率を加味する方針
【詳細記事】
Sankei Web > 社会 > 足立区の学力テストによる予算配分、撤回へ 苦情多く(11/08 23:40)
当初の方針の是非はともかく、

本当に価値があると思うのなら、

100件程度の苦情で、

すぐに方針を変更するというのも、どうかと思う。

改めて注目浴びる奇抜なアイデア=地球温暖化防止で

心理とは関係無い記事なのだが・・・

昨今のメンタル的な課題に対する取り組み方と、

構図がとても似ていると感じたので、

ちょっとご紹介

地球温暖化防止対策として、直径約2000キロの超巨大な反射鏡を、地球と太陽の間(地球から約150万キロ)に浮かべ、地球に到達する太陽エネルギーを2%減らすという案。
実現には約3兆ドル(約355兆円)と試算。米航空宇宙局(NASA)の先端構想研究所(NIAC)はこの案をより詳細なものにしてほしいと依頼したという。
【詳細記事】
改めて注目浴びる奇抜なアイデア=地球温暖化防止で(時事通信) - goo ニュース

2006年11月8日水曜日

太陽の状態をリアルタイムに知ることができる

太陽の状況をリアルタイムで見られるらしい。

http://sunearth.gsfc.nasa.gov/sunearthday/media_viewer/flash.html

【詳しい記事はこちら】
リアルタイムに太陽の状態を知るフリーソフト「Solar Weather Browser」 - GIGAZINE

「見てどうするの?」と言われればそれまでなのだが、何だか楽しい!

2006年のしし座流星群

アッシャー博士の論文によれば・・・

2006年のしし座流星群は世界時4時45分に流星雨になる可能性がある

と述べているような気がする・・・。

(英語が苦手なもんで(苦笑))

http://www.arm.ac.uk/leonid/dust2006.html

確かな事は分からないが、

きっと、世界時はグリニッジ標準時とほぼ等しいだろうから、

日本では、昼の13:45。


もし、派手な流星があれば、

昼間でも流れ星を見られることもあるらしいが、

流星予報に誤差があることを祈って、

前夜・後夜の夜空を、少し見上げてみるかぁ~


小惑星、2029年に地球3万kmに接近・衝突の可能性

2029年に、小惑星が地球に接近するという記事

小惑星は「Apofiz-99942」と呼ばれているもので、2029年4月13日に約200年ぶりに地球に最接近し、多数の通信衛星や観測衛星が存在している地球から3~4万kmの離れたいわゆる「静止軌道」を通過すると述べた。
Technobahn - 自然環境: 小惑星「Apofiz-99942」、2029年に地球3万kmの距離に最接近・衝突の可能性も

放物線を描いて飛び去るか、

地球の衛星になるのか、

それとも地球に落下するのか・・・

「あかり」第一回目の全天観測完了間近

衛星「あかり」が11月初旬の時点で、

ほぼ計画通り全天の約70%についてデータ収集を完了する見込みという記事


銀河の生い立ちに迫る ―大マゼラン星雲の赤外線画像―
「あかり」第一回目の全天観測完了間近


「あかり」:ASTRO-F衛星を搭載したM-Vロケット8号機は2006年2月22日6時28分(日本標準時)に内之浦宇宙空間観測所から打上げられたASTRO-F衛星

文科省に『いじめ自殺予告』 小中校で確認急ぐ

文科省に届いた『いじめ自殺予告』手紙への対応に関する記事
いじめ自殺を予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、投函(とうかん)先の可能性を指摘された豊島区内の小中学校では七 日、該当するいじめがないかなどの確認に追われた。「学校で自殺する」と手紙に書かれている十一日は土曜だが、同区教委は、校長らが学校に待機して連絡態 勢を確保するよう各校に指示した。
【詳細記事】
文科省に『いじめ自殺予告』 小中校で確認急ぐ 東京新聞

今回の文部科学省の対応によって、

今後、殺到するかもしれない同種の手紙にどう対応するかという、

悩みを抱えた事になるのだろう。


この件に、どのように対応するのかは非常に難しいと思う。

しかし、今回の一連の対応は、

もしかしたら、大人の論理でしかないのかもしれない・・・。


こんな大騒ぎになってしまって、

助けを求めた子供の気持ちが、

更に追い詰められてしまはないことを祈る。

第一次反抗期

第一次反抗期って、こういうことだったのかぁ~と実感しています。

4歳になった悠太に、

「何で、何も言うことをきかないの!」

ここ2・3日、おとうちゃんとおかあちゃんのイライラは最高調。


どうしたもんかと、少し冷静になって考えてみた。

そして、分かったような気がした。

子供は成長している。

そして、成長しようとしている。

でも、親の心には、過去の子供の様子が浮かぶ。

だから、出来ないだろうと思い子供の行動を止めさせようとする。

子供の為だと思い込んでいる。


でも、子供は、成長しているから、

今やっていることを続ければ、

できるかもしれないと思うし、できるようになりたいと思う。


出来なかった頃の子供を見るのではなく、

出来るようになった子供を見るようにすれば、

親の心は穏やかになるのかもしれない。


また、『出来るようになった子供』、

それは、親ができた方が良いと思うことができるようになった姿ではなく、

子供ができるようになろうとしていることが、できるようになった姿なのだろう。


そうしていると、「できるようになった/ならない」という観点から離れて、

「できるようになろうとしている」という姿勢を

そのまま見れるようになるのかもしれない。


子供の『第一次反抗期』というよりは、

親の『第一次子供受容試練期』と言う方が、近いのかも(苦笑)





2006年11月7日火曜日

亀田興毅 ブログ:いじめ問題。

表現は荒っぽいが、彼は正しいことを言っているように感じた

亀田興毅 ブログ:いじめ問題。

小中学校予算に学力テストの結果を反映…東京・足立区

心理とは関係無いが・・・

テストの平均点などから各校を4段階に分類し、各校の独自の取り組みに支出する「特色づくり予算」の配分を、1校あたり500~200万円と格差をつける。
【詳細記事】
小中学校予算に学力テストの結果を反映…東京・足立区 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

みなさんはどう感じますか?

2006年11月4日土曜日

ビデオ映像の手ぶれで50人以上が不調

手ぶれのビデオを見ていたら全校生徒約500人中約100人が気分が悪くなったという記事
体育館で映像を鑑賞していた女子生徒100人近くが吐き気などの体調不良を訴えた。うち13人が市内などの病院に搬送され、4人が入院した。いずれも症状は軽いという。
【詳細記事】
女子校で生徒100人体調不良 - 社会ニュース : nikkansports.com

普通だたら、

嫌だったら見ない様にして

悪化を予防できたのかもしれない。



しかし、『学校での行事』ということによって、

自分の意志で自分の行動をコントロールできなくされてしまう

ところがあるのかもしれない・・・。

憂うつな月曜日は、3人に1人が二日酔いのまま出勤!

これは、たぶんイギリスでの調査結果の記事
月曜日は仕事が始まる新たな週の初日であるというストレスから憂うつ感を招きやすく、二日酔いのまま出勤したことがあると認める人は全体の3人に1人であることが調査の結果明らかになった。
【詳細記事】
11/1憂うつな月曜日は、3人に1人が二日酔いのまま出勤! Internet Journey

月曜日の出勤は誰にとっても苦手な事なのかもしれない。


もし、月曜日の出勤前に嫌な気分になったら、

その嫌な気分を責めずに、

とりあえず「やっぱり、行きたくなくなるよなぁ~」

と受容するところから始めてみると良いのかも知れない。

善悪の判断、「鉄腕アトム」の悩みと同じかも。

現代社会の、ある側面からの考察
マニュアル社会となり、全てがコンピュータで管理される社会になって来て、その正否が整合性のみで求められると、この裁量 の部分で、「予期せぬこと」については、「全てエラー」処理させるプログラムしかないのが現実である。この話、実は際限ない広がりを持ってしまう。人の心 をもった鉄腕アトムの悩みである。
【詳細記事】
livedoor ニュース - 善悪の判断、「鉄腕アトム」の悩みと同じかも。

現代の社会が、

『エラー処理を画一化する方向に動いている』

という解釈は、

すごく納得感があった。

業務提携音声認識技術と感情解析技術を連携

コールセンター業務において、

顧客・オペレータ(従業員)両者の会話から生じるストレス減少等、

メンタル面でのサポート

を図るシステムを提供するというプレスリリース
<「音声認識技術+感情解析技術」の主な特徴>
1)顧客とオペレータの会話を分析・抽出します。
?電話応対の音声を、音声認識でテキスト化し、単語単位で感情解析を行います。テキスト化された発話に感情情報を数値化して付加し、会話における感情を分 析することができます。例えば、顧客満足度の観点から、注目度の高いキーワードやクレームでの出現率の高いキーワード等を自動に抽出し、分析することも可 能となります。
?数値化された感情を分析することで、クレームを受けてストレスを感じているオペレータ、または、顧客にストレスを感じさせるような対応を調べる事が可能 です。 前者の場合、オペレータにメンタルケアをする事で離職率の防止に、後者の場合、顧客とのトラブル、企業イメージ低下防止に役立ちます。
2)電話応対において、あらかじめ登録されたNGワード、必須ワード、注目ワード等をリアルタイムに検出可能です。取得したキーワードはFAQ検索、通話検索、入力支援等、様々な形でオペレータ業務を支援します。
  
注)解説
※1 録音した通話をテキスト化AmiVoice® CallScriber
コールセンタの通話録音装置で録音された、顧客とオペレータの会話を音声認識します。ビジネスチャンスの宝庫である顧客との通話をスピーディーにテキスト化します。
※2 電話オペレータを素早くアシストAmiVoice® Assist
電話対応中のオペレータの発話を認識し、関連する情報を能動的に提示します。パソコン操作せずに、オペレータにとって今知りたいFAQなどがすぐに分かるため、つねにスムーズで適切な情報提供が可能です。顧客満足度の向上に貢献します。
※3 感情解析システム「コミュニケータプラス®」
コミュニケータプラスは、感情解析技術を用いて会話音声を数学的に解析し、快・不快という話者の感情の数値化可視化をおこなうシステムソフトウェア。客観 的且つ定量的なデータを導入企業に提供し、顧客満足度向上を目指す企業のコールセンタに、新たな顧客満足度測定の尺度を提供します。
【プレスリリース全体】
株 式会社アドバンスト・メディア アドバンスト・メディアとメッセージワンがコールセンタ向けソリューション事業で業務提携音声認識技術と感情解析技術を連 携させたソリューションを共同開発~顧客とオペレータの会話を数値化し分析、顧客満足度・オペレータ対応の向上を支援~
みなさんは、どのように感じるだろうか?

2006年10月27日金曜日

ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち

自分の心の内をブログやSNS等で表現することは、

表現はおかしいかもしれないが

『あたりまえ』のようになってきている。


しかし、実名でブログ等を公開していると、

本人に思わぬ試練が降り注ぐ事も増えてきそうな感じだ。


個人の日記として軽い気持ちで書き込んだ『ちょっといけない内容』に反応した人が、

それに関わる企業にクレームを入れたり、

ただ静かに読んで欲しかっただけのプライバシーがネット上で広められてしまったり・・・。


そんな中、次のような記事を見かけたので紹介します。

企業の人事担当者は最近、Googleで学生の情報を検索しているという。
【詳細内容】
ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち : ITmediaニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

いじめ教師は免職処分も・都が通達

東京都は27日教職員の処分の対象となる行動に

「児童・生徒へのいじめ」

を加えたという

都教育庁によると、いじめを処分の基準として明文化するのは全国でも例がないという
【詳細記事】
いじめ教師は免職処分も・都が通達 NIKKEI NET:社会 ニュース

私観ですが、「いじめ」は主観の部分と客観の部分があるので、

今後、いろいろと難しい問題が出てきそうな気がします・・・。

2006年10月25日水曜日

マスコミの「福岡のいじめ自殺」報道について

この件に関するマスコミの報道の仕方に、

マスコミの問題点が如実に現れているような気がします。


「教師がいじめのきっかけを作った」という仮説が原因分析の結論のように報じられ、

それが自殺の「真の原因」であるかのごとく印象付けられているよ うに思います。


そして、その説に、キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちが喰らいつき、

その教師を批判するコメントを沢山耳にしました。


しか し、彼らのコメントは、個々の出来事などの真実を追求することなく、

また、深く考えることなく、雰囲気や一般論だけで語っているに過ぎません。


しかし、 キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちの同じようなコメントを繰り返し聞いていると、それが真実であるような錯覚に陥りかけてしまいます。


今回お伝えしたい事は、「その真実は何か?」ということではありません。


マスコミは、「いじめ、いじめ」と「いじめ」が根本原因だと主張し、

また、そのきっかけを作ったとされてしまった教師を責め立てます。


しかし、マスコミがやっている事は、いじめ以外の何ものでもありません。


彼らは、この矛盾に気付いていないのです。


彼らは、もし、自殺の原因を作ったとされる教師が自殺をしてしまったら、

どのように責任をとるつもりで言葉を発しているのでしょう?


まず、キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちは、

その自らの責任を明言してから、コメントするべきだと思います。


今回の出来事に限らず、何かの問題が起これば、

その当事者同士がとことん本音で話し合い、お互いを理解し合えれば、

真実へ近づき、そして、問題のある部分は解決していくのではないかと思います。


しかし、現代においては、このことが軽視され、

当事者よりも当事者以外が騒ぎすぎる為、

当事者以外が納得することに重きが置かれがちです。


そして、当事者 以外を納得させる為に、

次々と規則を作り、解決したかのごとく体裁を整えて、

『対策を施した』という念仏を唱えるのです。


その結果、タブーが出来てしまい、

本当のことが言えない雰囲気だけが次々に残って、

本音は封印されてしまいます。


関係ないかも知れませんが、

次の記事は、報道の自由を声高に叫ぶマスコミが、

自らを不自由にしていく今の状況も反映しているのかもしれません・・・。

【抜粋】
日本については、記者クラブの存在とナショナリズムの高揚を順位低下の理由として指摘した。
【詳細記事】
報道の自由…北朝鮮5年連続最下位、日本は51位

本音が言えなくなっていく社会、

これが日本社会の現状ではないかと思います。


我々が直面しているこの事態は、

悩みを抱え込んだり神経症やうつに陥ってしまう人々が、

子供の頃に親元で経験することと非常に似ているような気がします。



【関連するかどうか分からないけど、ちょっと気になっている本】
電通の正体―マスコミ最大のタブー

2006年10月18日水曜日

いじめ・自殺報道について

マスコミの情報を鵜呑みにする前に、

我々は、ことの本質を理解するために、

まず、個人個人が、一度、静かに考えてみる必要があると思う。


今回書く内容は、筋が通っているのか通っていないのか良く分からない文章になってしまいそうだが、何かのきっかけになればと思う。


話は違うが、『分べん中意識不明:18病院が受け入れ拒否…出産…死亡』のような事態が起こった。

これに対して、ある方は、次のように説明をされている。
【抜粋】
《前略》
また受け入れ病院には非常に重い十字架が架せられています。最近の医療では不十分な体制で受け入れる事も非難される時代になっています。義侠心を出して手 薄な体制で引き受け、結果として不幸な転帰を取った時には「引き受けた方が悪い」と非難の的になります。「なぜもっと万全の体制の医療機関に送らなかった のか」の厳しい批判です。批判は単なる言葉だけの問題ではありません。莫大な賠償金付きの訴訟が待っています。訴訟が起されればマスコミからのリンチのよ うな社会的制裁が待っています。そんなものを受ければ病院の存亡に関わる事態になりかねませんし、担当した医師は医師生命を断たれてしまいます。
《後略》
【詳細記事】
新小児科医のつぶやき - その日が来たか・・・

さて、「いじめ自殺」関して語るにあたっては、

タブーがあると考えている。


マスコミが、そのタブーに触れる勇気を持てないのは仕方がないところもあるが、

勇気が持てないことを棚上げして(というか、自覚できずに)、タブーの番人として居座ろうとし続けているということを、

我々はしっかりと認識しておく必要があるのではないかと思う。



このことを理解していない限り、マスコミからの情報だけでは、

我々は真実にたどり着く事は決してないだろう。



なぜなら、タブーの役割は、真実を覆い隠すことなのだから・・・。


2006年10月15日日曜日

キレる心「指導に限界」

少年少女の『キレる』がエスカレートして、

事件に至ってしまう状況に関する記事があった。


キレる心「指導に限界」 中日新聞 社会


記事の中で次のような非行心理学者のコメントが紹介されていた。


専門家がバックアップできるシステムや施設を考えていかなければ、暴行事件は全国どこの施設でも起こり得る話ですよ

子供の心を扱う専門家の先生たちは、

このコメントをどのように受けとめるのだろうか・・・。

50代が「孫」を代理出産、実母が代理母に

子供が生めなくなってしまった自分の娘の代わりに、

その母親が、娘夫婦の体外受精卵を受胎し、

孫を出産したというニュースがあった。


【詳細記事】
asahi.com:50代が「孫」を代理出産、実母が代理母に 国内初 - 暮らし

母、娘、孫をはじめ、取り巻く親族達の今の気持ち、

そして、これからの気持ちの変化が気になるところだ。

【抜粋要約】
生まれた子供は、遺伝上は娘の子供だが、出産という行為からみれば娘の兄弟(姉妹)にあたり、家族関係の形成の難しさも予想される。
【詳細記事】
50代母、30代娘の卵子で「孫」を代理出産…国内初 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

2006年10月14日土曜日

アカハラ

「アカデミック・ハラスメント(アカハラ)」に関する記事が紹介されていた。


大学などの教育・研究の場で、

自分の権力を背景に、

学生や教員に対して嫌がらせをすることを指すらしい。

【紹介記事】
『アカハラ』深刻 (東京新聞 社会)
もう少し、詳しく表現してみると、次のようになると思う。

大学などの教育・研究の場で、

■権威者が自分の権力を背景に、学生や教員に対して、相手が不快に感じる行為をすること

或いは、

■学生や教員が、『権威者が、その権力を背景に、自分に対して、自分が不快に感じる行為を意図して行っている』と感じること



そして、この2つが必ずしも一致する訳ではないことが、

厄介なところなのかもしれない。

2006年10月13日金曜日

クローン猫売れず、廃業へ 米企業「毛の模様が違う」

心理とはあまり関係ないが、

興味深かったのでちょっとご紹介。

【詳細記事】
asahi.com:クローン猫売れず、廃業へ 米企業「毛の模様が違う」 - 国際

敗因の重要な部分は、

  • 高価だったこと
  • 同じDNAによって生まれたクローン猫でも、体の毛の模様が同じにならなかったこと
と分析しているようだ。


でも、本当の敗因は、

クローン猫に、亡くした愛猫と同じ心同じ記憶を持たせられなかったからなのだろうな・・・」、

そんなことを感じた。



それが亡くした猫ではないと気付いた飼い主は

どのような気持ちになり、どのような行動をとるのだろうか?


今回の試みは2匹の販売にとどまって良かったのかも知れない。


もし、安価で沢山販売されていたら、

『クローン捨て猫』が社会問題になっていたかも・・・。


もし、これが人間に適応されることになったら、

『クローン孤児』が社会問題になるかもしれない。


2006年8月6日日曜日

自殺予防教育

自殺防止教育を本格化させるという記事を読みました。

 ■自殺予防教育を本格化 文科省、月内にも研究会

簡単に書くと、

自殺対策基本法 (平成18年 6月21日 公布)を受けて、文部科学省が、本格的に動き出す

という内容です。


この記事を読んで、少し違和感を覚えました。

死にたいほど苦しい気持ちにさせた挙句に、

『死なないことを強要する環境を整えようとしている』ように思えたからです。


どうも、『自殺はいけない』ということに意識が向きすぎているように思います。


「自殺は良い」と言っているのではありません。


「自殺を考えるほど、苦しい気持ちにさせない」というように、

『心の苦しみ』を主とした対策を考えた方が良いのではないか

と思っているということです。


この心の苦しみを、社会的な問題意識に基づいて切り出して、

個別に対策しようとしてしまうと、心の苦しみという ものが分からなくなってしまうように思います。

(ニート対策、少子化対策、児童虐待対策、ドメスティックバイオレンス対策、不登校対策、社会的引きこもり 対策、いじめ対策、うつ病対策・・・、これら先も、学者・評論家・役人が問題と認識したことに対し、次から次へと新しい対策をしていかなければならなくな るように思えるのです。)


この『その時々に気になる事を切り出して、

問題化していく傾向』は、人が悩みの渦に巻き込まれてしまった状態に酷似しています。


日本は、今、「人の心が理解できない」という大きな悩みの中にあるということなのかもしれません。



【自殺予防関連の政府系ページ】

「自殺予防に向けての提言」(平成14年12月 厚生労働省 自殺防止対策有識者懇談会)

自殺対策基本法案 議案審議情報 (平成18年 6月21日 公布)

自殺予防対策支援ページ(国立精神・神経センター 精神保健研究所)

2006年7月26日水曜日

メルマガ編集後記【No.0008】

自分の考えや感情ばかりを強く主張する人と

時間や空間をともにする割合が多いとき、

距離感をもって関わろうとしても、

その状況に現実として巻き込まれているわけですから、

やっぱり、心は疲れます。


心が疲れたと感じたら、安心できると思える相手と、

ゆっくり関わってもらって、

疲れた心を大丈夫にしてもらおうとする事を、

忘れないようにして下さい。

2006年7月14日金曜日

きちんと挨拶してたら危ない!?

未成年による理解し難い事件が起きた時、

ニュースの報道などで、その子を知る人たちの口から『きちんと挨拶をする子だったのに・・・』というコメントがなされることがとても多いと感じています。


これは、昔から、事件が起こるたびに繰り返されてきたコメントです。

このことについて、少し考えてみたいと思います。


【後記】

書いているうちに、少し大げさになってしまった感があります。^_^;


挨拶のことだけで、子供たちの状態の全てをいうことは出来ません。

しかし、この文章が、子供たちの心を考えるきっかけになればと思います。


これは、私の勝手な想像なのですが、

始めの頃は、恐らく、『きちんと挨拶する』ということは、明るい印象を与える事が多いため、その印象と事件とのギャップを表した言葉だったのだろうと思います。


しかし、未成年が事件を起こす度に、この言葉を聞かされていると、

■『きちんと挨拶する』と『犯罪を起こさない』ということは、結びつかない

ということに、みなさんは薄々は気付いているのではないかと思います。


しかし、それでも、事件が起こるたびに、

今でも、マスコミは、同様のコメントの報道が繰り返されています。


これは、マスコミの報道を繰り返し聞かされているうちに、みんなが次のような状態に陥ってしまったのではないかと考える事も出来ます。

・本当に、『きちんと挨拶する子は犯罪を起こさない』と認識してしまった


しかし、そう考えると現実と認識が乖離してしまいます。


だから、どちらかというと、

・そのようなインタビューでは、とりあえず、そのように答えるもの


という感じに、特に自分の気持ちの無いところで答えている、

つまり、建て前しか話していないと考えた方が、私には理解できるような感じがしています。


そん な言葉なのに、マスコミは、それを本音として取り上げ、

そして議論を持ちかけているような気がします。

(また、別の見方として、マスコミが、人々に、心に もない言葉を言わせているといえる側面もあるかもしれません。)


これらのことから、それを本音として議論したところで何も解明されないのは、

当然のことと理解できるような気がしています。

(事態は、より深刻化しているような感じさえします。)


きちんと挨拶する』と『犯罪を起こさない』ということは、結びつかない

この現実を受けとめて、そのようなコメントはもうしない、

そのようなコメントはもう報道しないということが、

まず、必要な気がします。
 
 
で、ようやく、本題に入ります。


■ きちんと挨拶できる

■ 自然に挨拶できる


この違いを感じることが大切だと思っています。

きちんと』というところは、

しつけや教育で何とでもなるところです。


そして、『きちんと挨拶する』には、

『人はきちんと挨拶するもの』という決まりごとに、その子は縛られている雰囲気があり、

そして、それは、その子ががその他の決まりごとにも縛られてしまっていることを窺わせているような気がします。


自分の気持ちを大切にするよりも、

それらの決まりごとを守らなければならない世界の中で生きているかもしれないということです。


自然に』とは、
  • 元気な時は元気に挨拶をし、
  • 弱っている時は力なく挨拶し、
  • 挨拶したくない時は挨拶しない
というような感じで、本人の気持ちと一致した雰囲気の中で行われる感じです。

詳しい説明は省きますが、

これは、人間に対して親近感信頼感を感じていなければできない事だろうと思います。
 
 
 
いつもいつも、きちんと元気良く挨拶するなんて、とても不自然なことなのです。
 
 
 
  • 親が「きちんと元気良く挨拶しなさい」としつけるから、落ち込んでいる時も無理をして元気に挨拶をしなければならず、
  • 近所の人が「あの子は挨拶ができる/出来ない」と評価する雰囲気を作るから、落ち込んでいる時も無理をして元気に挨拶をしなければならない

そんな雰囲気の中では、子供たちは「落ち込んではいけない」という気持ちにさせられてしまうのではないかと思います。

そして、落ち込む時には 一人っきりになるしか道が無くなり、一人ぼっちで耐え、自分自身を責め、そして、犯罪を犯したり、自殺をしたりするような状態にまで追い込んでしまうので はないかと思います。


また、このように身に付けた『一人で悩みを抱えてしまう雰囲気』は、

社会に出た後でも、いつまでも、心の爆弾として、

その人を苦しめるようになる恐れさえ あるのかもしれないと思っています。


毎年3万人を上回る自殺者がでるという現実も、

そんな事が影響しているのかもしれないと感じたりもします・・・。

  • この子は無理をしているのではないのだろうか?
  • この子は無理をしていたのではないのだろうか?
今の時代は、子供たちをそんな視点で見守ってあげることが、

一番必要なのではないかと感じています。


2006年7月10日月曜日

心のマニュアルを公開しました

心や悩みに関する現時点の私の理解を「心のマニュアル」という形で体系立ててまとめてみました。

ピュアハートカウンセリングのホームページでご紹介していますので、興味のある方はご覧下さい。

■ 心のマニュアル



【概要】

■悩み解決マニュアル(1)

1.原因を求める方向性
2.幸せの方程式
3.悩みから必ず解放される
4.「悩みの構造」と「悩み」
5.悩みの解決を妨げるもの
6.解決の方向性の違い
7.自分自身について知る
8.コミュニケーションの回路
9.本当の解決について
10.これからの過ごし方
11.最後の壁


■悩み解決マニュアル(2)

悩み解決マニュアル(1)の補足説明です

■子育てマニュアル(1)

1.人間観のベース
2.コミュニケーション
3.感情や感覚と向き合う能力
4.様々な状態
5.最後に


■子育てマニュアル(2)

子育てマニュアル(1)の補足説明ですく

2006年6月19日月曜日

トイレット・トレーニング

「トイレット・トレーニング」という言葉から伝わってくるニュアンスから、

■トイレができるようになるためには、それ相当の訓練が必要

と思っていたが、

実際にその場面に立ち会ってみると、

そんなに難しいものではなかった。


オムツが取れたのは、3歳6ヶ月くらいの頃。


もともと、

■できるようになったらできるのだから、焦ってトイレのしつけはしない

というスタンスで眺めていたので、

標準よりは遅いのではないかと思うが、

標準を調べる事もしていないので良く分からない。


で、色々な話が理解できるようになってきたし、

また、行動能力も上がってきたように思ったので、


『お前も、もう、トイレでおしっこやウンチをしようと思ったら、お父ちゃんやお母ちゃんと同じようにできるんやで。だから、もし、やる気になったら、やるようにしたらいい』

という話をするようにした。


そして、トイレでしなくても、別にそれも当たり前という感じの関わりを続けていると、

ある日突然、トイレでするといって、トイレでおしっこをする事が出来た。


できるようになった喜びを、お父ちゃんもお母ちゃんも一緒に大喜びした。


ストレスの無いままにオムツが外れた感じ。


それは、突然訪れた


慌てて3年保育の幼稚園に行かせなかったのも、

トレーニングを焦らずに済んだ要因かもしれない。


弟は、たぶん、兄の様子を見ているから、

そのうち、勝手にできるようになるだろうと思うので、これまた、気楽に対処できそうだ(^o^)丿


そうそう、それ以来、約3ヶ月、未だに1度も寝しょん便ををしていない。


お父ちゃんの記憶では、

自分の小さい頃は、マメに、寝しょん便をしていたような感触があるのに・・・。


その記憶は、寝しょん便の頻度は小さくても、

その時 のショックがとても大きかったので、

そんな記憶になって残ったのかもしれないなぁ~、

なんて、ちょっと想像してみた。(^_^;)



2006年6月16日金曜日

子守唄

お前たちをあやすためにお父ちゃんが選んだ子守唄は「七つの子」だった。

今日は、その理由でも書いておこうと思う。


メロディー的には「ゆりかごの唄」が好きなのだけれど、おとうちゃんの子守唄からは落選!


「七つの子」当選の理由は?!


歌詞の中に、「可愛い」という言葉が沢山あったこと。


「丸い目をした・・・」ってとこも、

「可愛い目をした・・・」って言い換えて、

『可愛い可愛い』と散々言って、

お前らの頭を撫ぜ倒した後に、

「いい子だよ」って締めくくれる感じが、

お父ちゃんがお前たちの事を可愛いと思う気持ちにピッタリだった。


1番をエンドレスで何回も何回も聞かされたお前らは、

大きくなっても、この歌を聴いたら懐かしく感じるはず!

でも、お前らがいくら「可愛い目をしたいい子だよ」と主張しても、本当の歌詞は、やっぱり、「丸い目をしたいい子だよ」なんだよ(^_^;)

2006年6月3日土曜日

ボッコちゃん

ボッコちゃん

これは、おとうちゃんが、

本が好きになるきっかけとなった本だ。


ショートショートというジャンルで、

短い文章(短いものは1ページ、長くても数ページで話が完結する)の中にメッセージや驚きなどが込められていて、

しばらくの間ショートショートの本を読みあさった。


ちょっと、毛色が違うが、


ゴールデンラッキー―完全版 (上) 
ゴールデンラッキー―完全版 (中) 
GOLDEN LUCKY 下 完全版―1994-1996 

は、興味深い漫画だった。

これが、禅の公案への興味につながったのかも知れない。

ショートショート、ゴールデン・ラッキー、

公案は、おっ父ちゃんの中では同じジャンルだ。

人生を楽しむ為に

世の中って、その時々において、色々な事が「つじつまが合っている」っていうか、「論理立っている」と思えるような状態になっていることがほとんど だと思う。そして、同じ社会に生きている人のほとんどは、その論理を正しい事として受け入れていることが多い。でも、そのように受けとめてしまうと、 ちょっと、つまらないと思う。

人間というものは、どうも、「つじつまが合わない」とか「論理立っていない」などといった状態が苦手なようで、その時々の知識に基づいて、体系だっ た論理を作ってしまう。そして、体系だっているから、その論理のおかしなところには、なかなか気付く事が出来なくなってしまう。
これは、社会の常識に限らず、学問などありとあらゆる事に当てはまると思っている。

もちろん、結構正しいことも多いかもしれない。でも、世の中が信じていることを全て正しいとしてしまうと、それで終わってしまう。

『お前たちにとってどうでも良いこと』については、過去の人々が苦労してつじつまを合わせたことに従う方が楽だから、それに従った方が良いと思う。でも、自分たちが興味があることについては、『きっと、そこには、まだ真実が隠されている』と考えて向き合うと、お前たちの目に映る景色は、きっと、新鮮なものであり続けるだろうと思う。

お父ちゃんの場合は、特に、自然科学系の常識に隠れてそうな真実をあれこれと考えている時が、とても楽しい時間だった。

空想した中でも、『蟻は個体を越えて記憶を伝達しているのかもしれない』という考えは面白いと思っているのだけれど、お前たちの時代の科学ではどんな風だ?(今はまだ、記憶は個体に属するという考えが一般的なようなのだが・・・)

2006年5月31日水曜日

メルマガ編集後記【No.0007】

メルマガでは、

良いこと・悪いこと

という対極のところを例にご説明しましたが、

その中間の状態も存在します。


その中間の状態の究極が、何も起こらない・平凡といった状態です。

(この文章を書きながら、良いこと・悪いことが両極なのに、その間の状態にも究極があるのだと、ちょっと不思議さを感じています。)


もともと、私たちの日常は平凡なものです。

そして、平凡なことは、本来、私たちにとって、心地良いものだったのだろうと思います。

平凡の中で穏やかに過ごすことは、心と体の休息につながると考えるからです。


現代社会においては、向上心・成長というものがキーワードとして、人々の脳裏に焼きつけてしまうような雰囲気が あります。


これらは絶対的な価値観ではなく、時代の流れの中、

たまたま、現代において注目されている価値観なのですが、

私たちは特に意識していなければ、 その雰囲気に巻き込まれてしまいます。


ですから、現代に生きる誰もが、きっと、本人の意識とは関係なく、

日々向上を続けようとしているところがあるのでは ないかと想像しています。


このような背景の為に、現代社会においては、

私たちは、休息するということを強く意識しなければ、

休息がとれることは少ないのだろうと思います。


日 本の文化なのかもしれませんが、

心の疲れの部分については、精神論で片付けようとしてしまう傾向があるので、

特に、休息を意識することが必要だと思いま す。


次のような言葉は、休息を妨げる言葉だと考えています。

・興味が無い

・面白いと思わない

・趣味が無い

・やる気が無い

このように認識する事自体が既に間違っていて、

■平凡の中で平凡に過ごす事をしていれば、ある日突然、それらは自分の中に自然に生じてくる
というのが正しい認識だと考えています。

どうして、

・興味が無いとだめなのですか?

・面白いと思わないとだめなのですか?

・趣味が無いとダメなのですか?

・やる気が無いとダメなのですか?


これは、「ある」ということを意識しすぎるから、

「ない」ということが気になってしまっている状態なのです。


このことに関する詳しい説明は、別の機会にしたいと思います。


今回のメルマガの内容も参考にしてみて下さい。


余談ですが、「日本人の精神論」、「日本の文化」、「日本文化の崩壊と西洋文化の侵食化」くらいのキーワードから考えていくと、現代の日本人の心の中で起きている事について説明できるのかもしれないと思いますが、面倒なので考えません^_^;

まず、自信を持ちなさい

知識や経験ということでは、

大人と比べれば、比較にならない。

だから、大いに勉強しなさい。

沢山のことを経験しなさい。

このことは、「優秀である」とか、

誰かと比べて劣っている」などというような土俵で考えるのではなく、

ただ純粋に、自分の心を豊かにするということだけを意識しなさい


今回、お前たちに伝えようとしている自信とは、

知識とか経験の量によって裏付けされなければならないような事ではありません。


大人と子供とでは大きな違いがる。


しかも、ただ、子供というだけで、

既にどんな大人よりも優れている事があると思っている。


それは、純粋に望んでいるということ。

(言い方を変えれば、「諦めているものが少ない」ということ。)


大人になれば、色々な経験を繰り返したり、知識や情報が蓄積される事によって、

できること/できないことという区別が出来ていく。


でも、これらは、知識によって吸収すべきものではないと思っている。


出来ないと思っている人のやり方では、

出来なかったかもしれないけれど、違うやり方をすればできることも多いはずだから・・・。


大人の言うことは、一つの情報として知っておくことは大切なことです。


でも、できること/できないことの区別は、実際に経験することで、

自分が判断していきなさい。


そして、そんな経験をしていけるように、

お前たちの純粋に望む心に自信をもって、純粋さを大切にしながら生きていって欲しい。


大人には、できることは多いけど、

出来ないと決めてしまったことも、また、いっぱいある。


それは、お父ちゃんもお母ちゃんも同じだ。


言い訳ではなく、それが、当たり前のことだということを、きちんと理解して欲しい。


当然、お父ちゃんもお母ちゃんも感情を持っているのだから、

時には、自分ができないとかダメだとか思い込んでしまったことを、

強くお前たちに主張するときがあるかもしれない。


お父ちゃんを含め、どんな大人でも、お前たちと同じ、

ただの人間だ。これまで色々な経験をしながら生きてきたのだから、

当たり前のことなんだよ。お前たちにとっては迷惑な大人の主張は多いかもしれないけれど、

それらはみんな、

自分の経験に基づいて、相手のことをただ心配しているだけ

ということは覚えておきなさい。


そして、最終的には、ものごとの価値は、

自分自身がきちんと決めていきなさい。


その決断を尊重していけるように、

お父ちゃんも心の修行を続けていくんで、よろしくな!

2006年5月30日火曜日

塩狩峠

塩狩峠

これは、お父ちゃんが、

まだ、本に親しんでいなかった高校生の頃に、

同級生の女の子に勧められて読んだ本だ。


読書は、『感想文の宿題の為に読む』と いうイメージしかなく、

苦痛以外の何ものでもなかった頃なのに、

2日位で一気に読んでしまった。

「本を読むくらいで、こんなに泣けるものなのか・・・」、

そんな経験をさせてくれた本だ。


まぁ~、これも中高生の頃に、読んでおいて損は無いと思うよ。

2006年5月29日月曜日

次郎物語

次郎物語〈上〉 次郎物語〈中〉 次郎物語〈下〉


これは、中学生の頃だったと思うのだが、

大阪のおじいちゃんが、お父ちゃんに「面白いから是非読みなさい」

と薦めてくれた本だ。


当時、お父ちゃんは、

読書という事にはまだ目覚めていなかったので、

自分が読んで面白かったかどうかという記憶は、

残念ながら残っていないけれど、

高校の時に、「すごく面白い!」と言いながら読んでいた同じ合唱部だった同級生の吉田君の笑顔は、今も思い出すことができる。


中高生の頃には、まぁ~、読んでみなさい。

2006年5月27日土曜日

子供たちへ

今、お父ちゃんは40才、もう少しで41才になろうとしている。


感覚的には、ついこの前まで20才だったような気がするのに、

あの頃すごく『おじさん』だと感じていた人たちの年代に自分がなっていることが、

とて も不思議だ。


そして、若い頃は、人の死に関するニュースなどを見たとき、

40才前であれば、「死ぬには早すぎる」、

40才過ぎであれば「死ぬこともあるの だろう」と何となく区別があったように思う。


そして、今、私は「死ぬこともあるだろう」という感覚の年代に突入した。



お前たちの成長に寄り添いながら、

お父ちゃんが感動したことや、学んだことを教えてあげたいと思っているのだが、

それが困難にならないとも限らないという危機感を感じたのが、

このブログを始めた動機だ。


どのような内容になっていくのかは予想がつかないが、

そんな思いで、これからこのブログを書き綴っていこうと思う。


まっ、何事も無ければ、お前たちが成人するまでは、

このブログのことは、ヒミツにしておこうと思う。


そして、そうできることを願っていながら、初回の書き込みを終えることにする。

2006年4月22日土曜日

心が満たされる

「心が満たされる」というと、

良いイメージのことが起こった結果、心が満たされる

と考えてしまいがちだと思います。


しかし、良いことを求めてそれが実現できたとしても、

心が満たされない感覚が解決しない事があります。


そのことについて、考えてみたいと思います。


ここで、ちょっと、次のように考えてみて下さい。

■心が満たされるとは、自分の感情が済むこと

・嬉しい時は、とことん喜び

・悲しい時は、とことん悲しむ


しかし、一人で、それをやるのは少し難しい事かもしれません。

「とことん」にたどり着く前に、途中で止めてしまいがちになるような気がします。

ですから、それを達成する為には、他の人にそれを見守ってもらおうとする事が助けになると思います。

そうやって、自分の感情を済ますことが出来た時、

それが「ネガティブな感情」とか「ポジティブな感情」とかの区別に関係無く、

心は満たされたと感じることができるのではないかと思います。


■ポジティブな感情で心を満たす事ができる

■ネガティブな感情でも心を満たす事ができる



そういうことのような気がします。

2006年4月15日土曜日

メルマガ編集後記【No.0006】

今回のメルマガの内容は、私が悩みの核心だと考えている部分です。


・感情・感覚とは、誰にとっても、心地良いものばかりではありません。

・ネガティブな感情や感覚が生じるのはをいけないことではありません。

・ネガティブな感情や感覚を感じれば、当然、心を疲労してしまいます。

・心が疲れたら、当然、前に進み難くなります。

・だから、疲れた心は、まず、癒さなければならないのです。


そんな事をメルマガでお伝え出来ていればと願っています。


最後に、強い心・弱い心という言葉に関する誤解を解いておきたいと思います。

そこにネガティブな感情を『感じる/感じない』という違いがあるわけではありません。


・強い心とは、ネガティブな感情を感じた心を癒してくれる環境がある。

・弱い心とは、ネガティブな感情を感じた心を癒してくれる環境が、まだ、見つかっていない。


その違いだろうと思っています。

つまり、心の違いではなく、自分が今限定してしいる環境や人間関係に違いがあると考えています。


・疲れた心は、どのようにしたら癒されると思いますか?

・疲れた心は、どのようにしてもらったら癒されると思いますか?


それを具体的に考え、それを求めようとすることが、

幸せを手に入れるための第一歩なのかもしれません。

2006年2月24日金曜日

メルマガ編集後記【No.0005】

座禅で、『公案』について考える時、

私が「公案の答えだ!」と考えて、

それを私が通っていたお寺の老師に投げかけると、

次のような言葉をしばしば私に返してくれました。


■公案は、月の方向を示す指でしかない。あなたは、なぜ、指の方ばかりを見るのですか?月の方を向かなければ、月は見えないのですよ。


(公案については、カウンセラーの座禅体験記を見て頂ければ、私が月ではなく指を見てあれこれ言っている雰囲気を何となく感じることが出来ると思うので、ここでは詳しい説明は省きます。)


今回のメルマガは、悩みこんでいるときは、逆に、


■月の方ばかり見て、指がどちらを指しているかを見られなくなってしまった状態


というところをテーマにしています。


なぜ、月ばかりを見てしまうようになるのでしょうか?

◇~~の為に、暗いのがダメだから明るくなろう!


はじめは、指が指すものを手に入る為に立てた仮説くらいの、割り合い軽めのものだっただろうと思います。

でも、自分のネガティブな感情(悲しい、辛 い、苦しい・・・など)にフタをし続けているうちに、

『執着』に似た感覚が芽生え、

そして、そのフタがいつも自分の心にあることで、芽生えたその感覚を大 きく育ててしまうから、

「自分の指が今どこを指しているのか」に

意識が向かなくなってしまうのかもしれないと思うのです。


だから、何よりも先に、まず、


・自分が泣きたいことに気付いてあげましょう。そして、

・泣きたい時には、自分の為に、ちゃんと泣いてあげましょう

・自分が嬉しいことに気付いてあげましょう。そして、

・嬉しい時には、自分の為に、ちゃんと喜んであげましょう

2006年2月11日土曜日

ありがとう

牛丼が大好きなあなたは、

その日の昼間に、牛丼をお腹いっぱいに食べました。


「しばらく、牛丼は見たくない・・・」


その日の晩、あなたの恋人が、

牛丼好きのあなたが喜ぶ様子を思い浮かべながら、

牛丼をおみやげに買ってきてくれました。


あなたは、どうしますか?


a.喜んで食べる(振りをする)

b.私を喜ばせようと思って、牛丼を買ってくれたことは嬉しいと伝える。でも、今、牛丼は食べたくない理由も伝える。

c.牛丼を買ってきたことに不満を言う(不満に思う)


この例では、どの答えを選べば良さそうかということは分かり易いのかもしれませんが、

普段の生活の中では、もっと分かり難い形で、

同じような問いかけが繰り返されているのです。


日頃の生活で、不平不満が多いときは、

もしかしたら、無意識に、「c」の答えを選び続けているのかもしれません。


そんな時は、すぐに答えを出さずに、

「ありがとう」と言える部分がないかを、

ちょっと、ゆっくり考えてみると良いかも知れません。


何がありがたいか分からない時は、

とりあえず、「ありがとう」と言ってみるのも一つの方法かもしれません。


「ありがとう」は、きっと、あなたの心を暖かくつつんでいってくれるだろうと思います。

2006年1月17日火曜日

メルマガ編集後記【No.0004】

今回のメルマガの内容を、簡単に説明すると

『普通』とは『慣れている』

ということです。


右利きの人が、左手でお箸を持つと、違和感を感じます。

逆も、同じです。


同じように、例えば、小さい頃に、親から「お前はダメだ!」と言われ続けると、

大人になった後でも、「君は素晴らしい!」と褒めてもらえても、ウソ 臭く聞こえてしまうのです。


逆に、「お前はダメだ!」と言われると、

「この人は、本当の事を言ってくれている」というように、

その人が誠実であるかのよう な錯覚すら感じてしまうことがあります。


ですから、恋愛などで

1.第一印象的な部分で、人の好き嫌いを決めてしまう傾向がある

2.加えて、そのように選んだ人との人間関係で苦しい思いをしてしまうことが多い

というような傾向があるとしたら、

まず、自分の背景を理解しようとする事は大切かもしれません。


自分の背景を理解する事は、自分自身に優しくしてあげる事に、

きっとつながると信じています。

メルマガ編集後記【No.0003】

何かに深く悩んでいて、

色々な気持ちを整理しながら、

何かを隔てる基準について色々と考えていく中で、

悩みからの出口が近づいてくると、何らかの基準を設けて


■ 『悩んでいる』  <--> 『悩んでいない』


という区別をしていることに気付くかも知れません。



ここのところの微妙なニュアンスを、

簡単な文章でお伝えするのは難しいのですが、

『自分は、悩んでいない状態ではない』と思うから、

悩んでいる状態になってしまいます。



『悩み』というところから解放された自由な自分になる(戻る)ということは、

『悩んでいる状態』と『悩んでいない状態』という区別が取り払われて、

それらが一つになるということなのかもしれません。


よく分からないかもしれませんが、何かを感じて頂ければと思います。

(機会があれば、もう少し、詳しく説明してみたいと思います。)