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2010年1月26日火曜日

心の苦しさから抜け出せない状態は、マラソンに例えると分かりやすい

フル・マラソンで42.195キロに挑戦することを想像してみて下さい。


トレーニングを積んだトップレベルの選手は、一般の人たちに比べたら随分速く走っているように感じますが、スタート直後から本人にとっての全力疾走をしていないことは想像できます。


生まれつきの身体的優位性はあるかもしれませんが、それに加えてトレーニングによって体を地道に鍛えています。

そんな鍛えた身体を基に、走るペース配分を考え、途中で水分や栄養を補充しながら、その時の自分の状態でのベストを引き出すことにチャレンジします。


そんなトップランナーが万全の準備を整えて臨むマラソン大会で、何の準備もしていない素人ランナーが、1位を目指して走り出すとどうなるかを、ちょっと想像してみます。


素人ランナーは、初めのうちは、もしかしたらトップランナーと同じペースで走れるかもしれません。

でも、500メートルも走れば、きっとクタクタになって、先には進めない状態になってしまうのではないかと思います。


素人ランナーが動けないでいると、トップランナーとの差は、どんどん広がっていきます。

そんなとき焦った素人ランナーが、「スタートのときは、あんなに快調に走れたのだから、やる気を出せば、また、同じように走れるはずだ!」と考えます。
(普通は、このようには考えませんが…(苦笑))

そして、気力を振り絞ってあの時のように全力で走り出しますが、やっぱり直ぐに動けなくなってしまいます。


それでも、「あのときは走れたのだから、また、あのときのように走れるはずだ」とこだわれば、最後は、マラソンを棄権せざるを得ない状況になってしまうでしょう。



この例で登場した素人ランナーが、このような結末を迎えてしまうことは容易に想像できます。心の苦しさから抜け出せなくなってしまっているときも、この素人ランナーと同じような状況に陥っているのです。


全力で頑張ってきた結果、もう頑張れなくなってしまったのに、「あの頃のように頑張れるようになりたい」と、また全力で頑張ろうとしてしまうのです。

その結果は、当然、頑張れなくなってしまうことは予想できると思います。



このような「走り出したら動けなくなる」、「頑張ろうとしたら頑張れなくなる」というような同じ過ちを、いつまでも繰り返さないためには、次の2つの事実に気付くことが大切です。

  • あの頃の自分は全力で走っていた(頑張っていた)
  • 全力で走ってきたら(頑張り過ぎたら)疲れてしまった

この2つに気付くと、心を休めたり体を休めたり栄養を補給したりできるようになります。

そして、その時々の自分の状態に合わせた走り方をしたり、心身への手当てをしたりしながら、日々生活すれば、人生というマラソンを自分らしく完走できるようになるのです。



最後にトレーニングの話です。

マラソンのトップランナーは、マラソンに備えて、様々なトレーニングをします。

同じように、人生というマラソンを走るにあたってトレーニングをするとしたら、どんなものがあるのでしょう?

たぶん、それは『心の苦しさを回復させるトレーニング(弱音を吐くトレーニング)だと思います。

これが身につけば、適当なところで旨く手を抜いたり心身を休息させたりということも、適切にできるようになるはずです。


    【参考】

2010年1月19日火曜日

気付かないうちに心が受けているもう一つのダメージ

心に苦しさを抱えているとき、その原因として真っ先に意識が向くのが、トラウマになりそうな出来事や、現在の人間関係、直面している問題などです。


これは、ボクシングで例えると、ストレート・パンチのような感じです。

ストレート・パンチを受けた直後、顔面に激しい痛みを感じたとしたら、その痛みの原因は、直前に受けたストレート・パンチだと考えて、まず間違いありません。


これらが原因であるときの対処は、このブログやピュアハート・カウンセリングのサイトなどで何度も説明してきました。

簡単に書くと、誰かに苦しい気持ちを話して聴いてもらったり、誰かに見守られながらスッキリするまで泣いたりすれば心は楽になるということです。


ところが、ストレート・パンチとは異なり、ボディーブローのように、あまり意識されないうちにジワジワと心にダメージを与えるものがあります。

しかも、それは致命的なダメージです。


ただ、致命的といっても、そこから抜け出すことができないという訳ではありません。

それに気付けば、きっと、抜け出せるでしょう。



では、何が致命的なのでしょうか?



それは、

『自分がボディーブローでダメージを受けた状態になっていることに、自分では気付けない

ということです。


そんな心に効いてしまうボディーブローについて説明するのが、今回の目的です。


どんなことに?どうして気付けなくなるの?


次に、「どんなことに気付けなくなってしまうのか」、「なぜ気付けなくなっているのか」を、例で説明します。
(例は、細部は正確ではないかもしれませんが、雰囲気を理解して頂ければと思います。)


例えば、学校から帰ってきて、いつまでも遊んでばかりいる子供に、親が見兼ねて「宿題したの?」と声をかけるのはありがちな風景です。

普通に考えれば、この質問は、「まだしてない」か「もうした」と答えれば、一連のやりとりが終了するものです。

だだ、このとき、親が心で「早く宿題をさせなければならない」と思っていたら、状況は変わってきます。

「まだしてない」と答えれば、「早くしなさい!」と叱られるのは目に見えています。

最悪の場合、「どうして、まだやってないの?!」という難問が親から示され、その返答次第では、ますます親に追い詰められていくことになってしまいます。


「あとでやる」という返答で許してもらえる可能性も低いところがありますが、この場合、許される可能性の高い回答の選択肢は、
  • 「もうやった」
  • 「これからやる」
  • 「今やろうと思ってた」
に近い言葉しか残されていません。

そこで、結局、子供は、「親の思っている行動を、親の思ったタイミングでやるしかない状況」に追い詰められてしまいます。
(「今やろうと思っていた」は子供の精一杯の反抗だといえるところがあります。)


そんな親とのやり取りを日常的に繰り返していると、子供の意識の中に「宿題したの?」という言葉は「宿題をしなさい!」という意味として定着し、「宿題したの?」と親から言われれば「これからやる」とか「今やろうと思ってたのに!」といった感じに応答するようになります。


※この辺のことは、以前の投稿 『子供を叱るときに、「何してるの!?」は、やめた方がいいかな…』 でも解説していますので、参考にして下さい。



さて、この例の何が問題だと思いますか?



それは、言葉の形式 に  がついてしまうこと です。



つまり、単純に「○○したの?」と質問されても、「○○しなさい!」と言われたように聞こえてしまうようになるのです。

言葉の意味を自動的に変換するフィルターが出来上がってしまいます。

そして、それは、親の言葉だけではなく、親以外の言葉も変換してしまうのです。


フィルターによって起こることを例で説明します。


フィルターを身につけてしまったAさんは、Bさんの「○○したの?」という質問に対して、本当はやりたいと思っていないのに「今からするよ」といった返答をしてしまいがちになります。


そう答えられたBさんは、「そうか、Aさんは、それを今からやろうと思っていたんだ」と単純に理解します。

一方、Aさんは「ほんとうはやりたくないのに、やらなければならなくされた。」と感じてしまいます。


AさんもBさんも、お互いの気持ちを理解していないところで、コミュニケーションが行われてしまう状況になってしまうのです。

このときBさんは、Aさんがそのように感じているなどと想像できるはずがありません。

また、Aさんも、自分の中で「言葉の意味の置き換え」が起こっているなどとは夢にも思いません。

つまり、その事実に誰も気付けない奇妙な状態が繰り広げられるのです。


そして、Aさんは、自分の意識できないところで、得体の知れない力に何かをさせられているように感じる苦しさのタネを一つ抱えて生きていくことになるのです。

また、他の人が、Aさんの本当の気持ちに容易には触れさせないようにする城壁のように立ちはだかるのです。


このようなやり取りは、初めのうちは穏やかな雰囲気の中で行われますが、お互いに気持ちが通じ合わないことがAさんとBさんの人間関係にボディーブローのようにダメージを与え、やがて人間関係がギクシャクしていきます。

また、Aさんは、そのような人間関係を繰り返すうちに、人とのコミュニケーションが苦手になっていってしまうこともあります。


このようなことが生じる仕組みは、精神分析の投影・転移という考え方によって理解できます。


もし、興味がある方は、ピュアハート・カウンセリングのサイトで詳しく説明していますのでご参照下さい。


普通、このような状態を、お互いが、『相手の性格(人格という言葉に近い意味で)に問題によって生じる』と認識します。

客観的には、どちらかというと、Aさんの性格が原因だと思われます。

しかし、それは、Aさんという存在が問題なわけではありません。

真の問題点は次の2つです。

  • Aさんが持っている言葉を変換するフィルター
  • Aさんが言葉を変換するフィルターを通してやり取りをしていることに、お互いが気付けないこと
誰の心にも悪意はないのです。


環境・状況・状態への意味づけ


意味づけが起こるのは、言葉や文章形式だけではありません。


例えば…

子供が、急いでやらなければならないことが無く、何もないときにのんびり(ダラダラ)しているときに、「勉強しなさい」とか「ダラダラしてないで、○○しなさい」と直接的に言ったり、「何してるの?」「することないの?」とか言われ続けていると、そんな状況自分の状態に色がついてしまいます


何もすることがなかったり、のんびりしたりしていると、「何かしろ、何かしろ」というメッセージが投げ掛けられているように感じるようになるのです。

幻聴とは違います。「何だか、落ち着かない」とか「何かをしないといけない感じがする」といった感覚になるということです。

そして、その感覚は、大人になっても付きまといます。



また、子供の頃につらい気持ちを我慢する毎日を過ごしていると、
  • 自分が存在する空間(つまり、この世界全体)は自分を苦しめるもの
  • 生きることは苦しいこと
といった感覚を身につけて、それに支配されてしまう恐れがあります。


最後に

このように言葉・状況・対象物などへの意味づけは、心を苦しくさせ、それに気付かないため解決が難しいところがあります。

その意味づけは、まるで放射性物質を飲み込んでしまったかのように、自分の内側からダメージを与え続けます。

しかし、飲み込んでしまった、放射線物質を吐き出す方法はあります。


この苦しい状態を抜け出すためには、まず、自分にあるパターンに気付こうとすることが大切です。
  • 自分がとりがちな言葉への反応パターン
  • 状況によってとりがちな行動パターン

そんなパターンに気付いたら、
  • もし、投影・転移から解放されたとしたら、その言葉や状況にはどのような意味があるのだろう?
  • もし、投影・転移から解放されたとしたら、自分はどのようにするのだろう?
と考える余地が生まれます。


そして、強く意識して、自分を変えようとしなくても、これらの問いを意識するだけで、次第に、それらの支配から解放されていきます。

心に苦しさがある場合は、それにともなって苦しさも小さくなってくるはずです。


また、子育てにおいては、親は子供に裏のある言葉は避け、直接的な表現をすることを心がけることが大切だと考えます。

ただ、直接的な言葉を使っても、状況や状態への意味づけを回避することはできないということは理解しておかなければなりません。

子供との関わりを、このように複雑に考えると、子供と関われなくなってしまいます。


そこで、最後に、普通に使う言葉で締め括っておきます。

  • 子供に、親の考えばかりを押し付けない
  • 子供の言い分も、しっかりと聴いてあげること