新しい記事は新ブログに投稿しています。



2005年6月7日火曜日

子供の感情への対応

例えば、小さな子供が、お菓子を食べたがっている時、

親は、その日はお菓子を食べ過ぎているので、もう与えない方が良いと考えていたとします。




子供:お菓子が食べたい!


親 :今日は、もう、たくさん食べたから、あげられないのよ
   また、明日にしましょうね!




こんな会話で、納得する子供は恐らくいないのではないかと思います。そして、はじめのうちは、静かに言い聞かせようとすることができていても、泣き叫んで親の思い通りにならない子供にうんざりしてしまうことは多いのではないかと思います。


そんな時の親の対応として、大きく次の4つが考えられるように思います。


①怒鳴って、威圧することによって、子供を押さえつけようとする

②根負けして、お菓子を与える

③お互いの合意を取り付け、お菓子を少しだけ与える

③子供の感情を受け止める


①や②は、子供の気持ち、或いは、親の気持ちのどちらかが大切にされないので、良い解決方法ではないと思います。

(この辺のことは、別の機会に、じっくりとご説明したいと考えています。)


③は親の気持ちと子供の気持ちの両方が少しずつ大切にされるので、良い解決方法の一つではあると思いますが、小さい子供が相手だと、はじめの「少しだけでいい」という約束はどこかに行ってしまい、再び泣き叫び始めることも多いかもしれません。


④は、ちょっと良さそうなのですが、親の「自分の思い通りにさせたい」という気持ちが強いと、なかなか難しいことなのかもしれないと思います。


そんな時、次のように考えると、子供の感情を受け止めることがしやすくなるのではないかと考えるようになりました。



子供は、泣き叫ぶことで、自分の思い通りにしようとしているのではなく、自分の思い通りにならないことを、我慢しようとしている

(大人の感覚に、「我慢とは、黙って耐えること」というものがあるので、子供が泣き叫ぶ様子を、「我慢している」とは、なかなか思えないのだろうと思います。)


そう考えると、子供が「お菓子が食べたいーーっ!!」と泣け叫んでいても、

その子供を抱き上げて、

「そうだね、お菓子が食べたいのを我慢するのが辛いんだね、ヨシヨシ」

というように、子供の気持ちが収まるまで、

付き合ってあげやすくなるのではないかと思います。


と考えるようになった後で、少し困ってしまったことがありました。


それは、子供と一緒に歩いていて、子供が歩くのがイヤになり、

「抱っこしてく れ!」と泣き出したことです。


私は、腰が痛かったので、抱っこして歩きたくなくて、長い間、

子供を抱っこしないで泣かせてしまいました。


そして、結局、 抱っこして歩いて帰る事になったのですが、

これも後から考えると、抱っこして「歩きたくない」という気持ちを受け止めてあげて、

その後で、子供に歩いてく れるように頼んだら良かったのかもしれないと思いました。


これは、「抱っこ=抱っこして歩く」という感覚が私の中にあったことが、

子供の感情を受け止めて あげることの妨げになってしまったような気がします。


もし、子供が、ただ、「抱っこして欲しい」と、泣き叫んだら、「文句を言わずに、ただ、抱っこしてあげる」、それが、親の責任かもしれません。


(そんなことを考えながら、しばらく、過ごしてみようと思っています^_^;)

2005年6月1日水曜日

子育ての目標に関連して

前回の『子育ての目標』に関連して、

理解できそうなことを、少し書いてみたいと思います。

前回が予防の話としたら、今回はリカバリーの話です。


心が自立した状態だと、もし、何かを失敗したとしても、

・自分のあの時の感覚や感情が良くなかったのかもしれない

・自分のあの考え方が良くなかったのかもしれない

・自分のあの行動が良くなかったのかもしれない

というように、自分を振り返ることは、

きっと、より良い自分へと変化していくことを手伝ってくれるような気がします。


ところが、心が自立していない(自立させてもらえない)と、

自分が定まらない為に、過去の色々な経験を肥やしにして、


・自分を変えようとしても、変える基になる自分がないような感じがして

・変えたくても変えることができないから苦しくなって


どうしたら良いかが分からず、苦し紛れに、自分そのものが悪いというような結論を出さざるを得ない心境に追いやってしまうのかもしれないと思います。


また、そんなところから生じた「自分は変わらなければならない」という漠然とした感覚は、その人はもともと悪くないということを考えると、解決するものが無いのに、解決したい感覚だけ持っているという事になるのだろうと思います。

だから、今までと同じような、何かを解決しようとする取り組みを続けていては、そこから抜け出すことは難しいと言えるのかもしれません。


そこで、自分の根本を定めるということから、始めようとすることが必要だと考えています。

そして、その一歩として、自分の感覚や感情を心底信じること、特に、それがネガティブな感情であったとしても、その感情を信じ、きちんと向き合うことが大切なのだと思います。


例えば、「友達が妬ましい」と感じたとしても、「妬ましいなんて感じる自分はなんて心が狭いんだ・・・」と考えてしまっては、本当の気持ちを心の奥底へと追いやってしまいます。

「友達が妬ましい」、それは自分にとって確かな事なのです。


そんな自分の感情や感覚を、自分の中心にしっかりと据えて、「どうして、妬ましいと感じるのだろう???」と素直な気持ちで向き合えば、「自分も褒めてもらいたかったのに、友達だけが褒められて悔しかった」などというように、自分の「~して欲しくない」「~したくない」とか、もっと進んで、「~して欲しい」「~したい」という本当の気持と、きっと、出会うことが出来るだろうと私は信じています。


そして、出会えた自分の本当の気持ちを大切にする為に、自分に出来ることは何なのだろう?と考え始めた時、それは、幸せの世界を歩き始めた時なのかもしれません。

子育ての目標

子育ての目標に、

『社会で自立できる大人に育てること』

という気持ちを持たれている親御さんは多いと思います。


でも、『社会で自立する』って立派なスローガンを掲げてしまうと、

いざ、それを具体的に実践しようとした時に、

「それって、いったい、どんなことなのだろう???」

と困ってしまうことも多いのではないでしょうか?


そう考えてみると、「子育ての迷い」というのは、自分の子供に対する迷いではなく、実は、『社会で自立する』という言葉に対する自分自身の迷いであるのかもしれません。


『自立』という漠然とした言葉の呪縛から離れる為には、

まず、「心の自立」という部分を押さえておくことが大切だと考えています。

「心の自立」ということについては、

心理に関する話しの中で、しばしば出てくるので、一度は、聞いた事があるかもしれません。

【心の自立】
次の3つに責任を持てる状態を「自立している」と表現されることが多いです。
1.自分の感覚や感情 2.自分の思考  3.自分の行動

これだけでは、分かり難いと思うので、少し例を書いてみます。


○友達と喧嘩して、自分はスッキリしているにも関わらず、親が勝手に憤慨して友達の家に怒鳴り込んでしまっても、子供はそんな親の行動に責任は取れません。

(でも、結果として、友達からは、その責任を問われることになったりします。)


○友達と喧嘩して気持ちが治まらず、友達の家に怒鳴り込もうと考えていた時に、親が先に怒鳴り込んでしまっては、自分がした事にならず、やっぱりスッキリしません。

○大工さんになりたいと考えているのに、親の考えを押し付けられて大学に行っても、そこでの色々な出来事の責任は自分ではなく親にあるように思えてしまうかもしれません。



まとめると、「感覚や感情」、「思考」、「行動」の3つの内の、いずれか一つでも、他の人にとられてしまうと、心に満たされないような感覚や、誰かにコン トロールされているような感覚が残ってしまうのだろうと思います。

そして、そんな経験を繰り返していると、

そんな感覚は、世界観としてその人に大きくのし かかるようになり、


・自分の人生は、自分の力ではどうすることも出来ない

・自分の力では幸せになれない


という世界に自分自身を追いやってしまうようになるかもしれません。

そして、自分が幸せになれないと感じていると、

心の中は、「社会的な自立」どころの騒ぎではなくなって、

もしかしたら、「生きるか死ぬか」に匹敵するほどの悩みになってしまうかもしれません。


逆に、「自分の力で幸せになれそうな予感」さえあれば、

親がとやかく言わなくても、

子供は勝手に社会的に自立していくのではないかと思います。



最後に、3通りに書き方をして、終わりにしたいと思います。

【親が避けた方が良いと思われること】

1.子供の代わりに感じない/子供の感情や感覚を否定しない

2.子供の代わりに考えない/親の考えを押し付けない

3.子供の代わりに行動しない/行動できるチャンスを奪わない


【親にとっての心得】

1.子供が感じられるように助けようとする

2.子供が考えられるように助けようとする

3.子供が行動できるように助けようとする


簡単に言うと

親は、自分の感情や感覚や考えなどを押し付けずに、子供が必要とするときに、子供の話を、共感しながらじっくりと聴き、子供が自ら行動するところまで、ゆっくりと見守ってあげる

これに尽きるのではないかと、私は考えています。


【子供の心への影響】

1.親が子供の代わりに感じること

・自分は何かを感じていても、その感覚や感情を具体的に理解しようとせずに、他の人が何かを感じることを期待するようになることにつながるかもしれません。

・自分の感情や感覚よりも、相手の感情や感覚に目が向いてしまいがちになって、他人の感情や感覚ばかりを想像する(気にする)ようになるかもしれません。

・その結果、自分の感情や感覚を感じ難くなり、「自分自身が確かなものではない」という感覚を持つことにつながるかもしれません。


2.親が子供の代わりに考えること

・自分の気持ちを、自分が伝えようとしなくても、他人が勝手に汲みとって、考えてくれるということを期待するようになるかもしれません。

・自分の考えではなく、相手の考えを想像するようになるかもしれません。

・「考えても仕方がない」という「漠然とした諦めの感覚」をいつも身にまとってしまうことにつながるかもしれません。


3.親が子供の代わりに行動すること

・自分の気持ちや考えは、自分が伝えようとしなくても、他人が勝手に汲みとって行動してくれるということを期待するようになるかもしれません。

・「自分の力ではどうすることも出来ない」という無力感のような感覚につながり、自分で行動し難くなってしまうかもしれません。



これらによって、  

『子供』  ⇔ (子供が想像した相手) ⇔ 『相手』  

という構図を作ってしまうことがあります。


もう少し説明すると、

子供は、子供が想像した相手と対話している』、

相手は、子供が想像した自分自身と対話している(他者を通じた自問自答)』

ということになるのだと思います。


その結果、「本当の気持ち」と「本当の気持ち」の交流が阻害され、コミュニケーション不全の状態に陥ってしまうのです


これが、人間関係の悩み、或いは、人生の悩みの始まりの部分ではないかと、

私は考えています。


次回も、子育てに関連して、

「子供の感情への対応」という事について書いてみたいと思っています。