新しい記事は新ブログに投稿しています。



2009年10月30日金曜日

子供に『友達』という言葉をあまり刷り込まない方が良いと思うのです…

ここしばらく、自分の子供を通して、幼稚園や小学校の教育の一端を感じているのですが、その中で、「ちょっと、それはどうかな?」と思っていることが一つあるので、それを書きます。

それは、『友達』という言葉を子供に刷り込み過ぎるのではないか? ということです。
  • 友達たくさん作ろうね!
  • 友達たくさん出来ると良いね!
  • 友達たくさん出来た?
  • 友達いるの?
  • 友達いないの?
  • 友達できた?
  • ○○ちゃんとは、友達なの?
  • 誰と友達かな?
  • ○○ちゃんと、友達になってはいけません。
  • ○○ちゃんの友達は誰?
このようなことを、小さい頃にあまり刷り込み過ぎると、ボクシングでボディーブローが試合後半に効いてくるように、青年期以降の人間関係に大きく影響してしまうと考えています。

存在しないものが実体化した亡霊

例えば、次の問題を考えてみて下さい。

【問題】
  1. あなたが友達と思っている人が、あなたの友達であることを証明しなさい。
  2. あなたが友達関係であると思っているAさんとBさんの関係において、AさんがBさんの友達であることを証明しなさい。また、BさんがAさんの友達であることを証明しなさい。
実は、これらは決して証明できないことなのです。

理由を簡単に説明すると、次のような感じです。

※この部分は、旨く説明出来ていないかもしれませんので、サラッと読み飛ばして頂ければと思います…。
友達というものに実態はありません。作り出されたただの概念に過ぎません。
例えば、私が『ことかぶろ』という概念を作り出したとします。そして、「あなたは『ことかぶろ』ですか?」と問うた時、その本当の意味は、私にしか分かりません。
友達という言葉も同じで、その本当の意味は、その言葉を使うそれぞれの人の中にある、つまりその人の主観を表わす言葉なのですが、多くの人はそのことに気付いていません。(自分にとっての意味は、後述する『友達という言葉に棲みついた亡霊から離れる』をお読みになればご理解頂けると思います。最終的には、「自分が友達だと思えば友達だ」ということになります。)

今の日本では、概念である友達という言葉が、あまりにも一般に浸透してしまったために、日本人のほとんどが、友達があたかも存在しているかのような感覚に陥っていますが、これは、実態のない概念が浸透し過ぎたことによって実体化してしまった亡霊でしかないのです。

このような人の主観や言葉に宿った亡霊の存在を、客観的に証明することなど出来るはずはないのです。

言葉に棲みつく亡霊が現実を覆い隠す

さて、ここで、心が苦しくなった時のことを想像してみて下さい。

心が苦しくなってしまったとき、次のようなことを考えることがあると思います。
  • 自分には友達はいるだろうか?
  • 自分には友達が少ない… 
  • 自分には、悩みを打ち明けられる友達がいない…

しかし、これらはいかにも哲学的な問いかけであり、哲学者でもなければ答えを見つけることの出来ない問いかけです。

それは、前の説明をお読み頂ければ何となく理解して頂けると思います。


そして、哲学的なことを真剣に考えるのは苦しいことです。


ですから、心が苦しいときに、友達について云々するような哲学的な思考に陥ってしまうと、もともとの心の苦しさに加えて、哲学的な命題に取り組む思考の苦しさが加わってしまいます。

しかも、その哲学的な問いには答えは出てこないのです。


つまり、自分の気持ちを打ち明けたかっただけなのに、友達ということを真剣に考えてしまうとそこで停滞が発生してしまい、その先にある本来の目的「打ち明ける」には進めなくなってしまうのです。


『心が苦しいときに、自動的にこのような哲学的な悩みを付加してしてしまう心のシステム』を作ってしまうのが子供の頃の友達という言葉の過度な刷り込みだと考えています。

友達という言葉に棲みついた亡霊から離れる


心が苦しくて誰かに悩みを打ち明けたいときに必要なのは友達という亡霊ではなく、自分が望んでいる特徴を持つです。


例えば、次のような感じです。
  • 話を聴いてくれる人
  • 話しやすいと感じる人
  • 叱咤激励しない人
  • 相槌が心地良い人
  • 大袈裟にリアクションをしてくれる人
  • 静かに聴いてくれる人
  • 活発な人
  • 物静かな人
  • 自分の類似する経験を話したがらない人
  • 自分の『悩み解決法』を押し付けたがらない人
  • 「強くなれ」、「ポジティブシンキングで頑張れ」などといい加減な励ましをしない人
  • 話を聴いてもらうと、なぜか、ほっとする人
  • 秘密を守ってくれる人
  • (知り合いには話しにくいので)日常生活で直接的な関わりの無い人
  • 男の人/女の人
  • 自分より若い人/自分と同世代の人/自分よりも年配の人
  • 自分の求める専門知識を持った人/逆に、その専門知識を持っていない人…
  • 隣に○○さん
まだまだ、考え付くと思います。


どうです?

友達という言葉の呪縛から解放されるだけで、相談相手となり得る人は無限に広がり始めそうじゃありませんか?!

子供の逆洗脳

ブラジルだったでしょうか(スペイン語圏かな…)、アミーゴ(友達)って言葉を、「知り合い(目と目が合ったら知り合い)は、みんな友達」というように使っていると聞いたことがあるのですが、日本語の友達もそのような位置づけに変えていけば良いと思います。


我が家では、うちの子供たちが使う友達という言葉に亡霊を宿さないように、子供たちが使う言葉に亡霊を感じた時は、次のような言葉で言い直し、逆洗脳で対処しようとしています。


もう少し説明すると、誰にでも友達という言葉を付けて呼ぶようにしています。
  • よく話す友達
  • よく遊ぶ友達
  • たまに遊ぶ友達
  • まだ遊んだことのない友達
  • 今度遊んでみたい友達
  • あまり遊びたくない友達
  • あまり話したことのない友達
  • まだ話したことのない友達
  • 話しにくい友達
  • 話したくない友達
  • 聞きたくない話をする友達
  • 一緒に帰る友達
  • 放課後、家に遊びに行ったりすることのある友達
  • 顔を見たことあるけど、話したことはない友達
  • 意地悪な友達
これもいくらでも浮かぶと思います。


子供を逆洗脳する時は、例えば、友達とケンカして「もう、○○君は友達じゃない」と言ったら、「そうか、○○君は絶対に遊びたくない友達なんだね」って感じです。


こうするとみんなが友達ですから、友達かどうかには意識が向かずに、その人との関係性・状態に意識が向きやすくなると考えています。


この対処の結果、私の子供たちと周りの子供たちが使う友達という言葉のニュアンスが、日本人とブラジル人ほどのギャップが生じても良いと思っています。

そうすれば、将来、悩みを打ち明けるとき、悩みを話すために特別な友達を探す必要はなくなると考えるからです。
(悩みを相談する前段階での、無駄な停滞は発生しなくなります。)


ということは、哲学的な余計な苦しさを負う必要もなくなります。

その時の悩みを打ち明けるにふさわしい特徴を持っている人を効率的に探し出し、悩みを早い時期に相談できるようになると考えています。

つまり、悩みを一人で抱え込む期間が短くなるのです。



また、そこまで期待できるのかどうかは分かりませんが、ついでに書くと…

このように認識すると、ある人物全体を漠然と否定したり、逆に、ある人物全体を漠然と肯定したりし難くなるのではないかと思います。

例えば、ちょっと嫌なところがあるからといって、その人との関係を全く断ってしまう必要性は無くなります。

その嫌なところは、その人の一つの側面であると認識し、それ以外の側面を肯定しながら、うまく付き合っていくことにつながるのではないかと想像しています。

このように、友達という言葉に宿る亡霊を追い払うだけで、悩みを一人で抱え込んでしまう人は、きっと減っていくだろうと考えています。

補足

友達という人間関係を気付くための障壁への配慮の他に、子供に「つらい気持ちを話しにくい」という感覚を植えつけないための工夫も、合わせて施す必要があると考えています。

そして、それは、そうかそうかムーブメントで排除出来ると考えています。

余談

余談ですが、いじめという言葉も、実際には存在しないただの亡霊だと考えることが出来ます。
そこにあるのは、例えば、
  • 嫌なことをしてくる子供
  • 嫌なことに耐える時間
  • そのあとのつらい気持ちを孤独に耐える時間
  • 一人で過ごす孤独な時間
  • やりたいことをさせてもらえないつらさ
  • 好きでもないことをさせられるつらさ
  • 優しくしてくれる人がいないという事実
  • 人より劣ると感じるつらさ
  • 馬鹿にされるつらさ
  • 出来なかった悔しさ
  • 苦しい気持ちなのに、誰も助けてくれない時間
  • 「助けて!」と言いたいけど言えなくて困っている時間
  • 「助けて!」って言ったのに、助けてもらえなかったつらさ
  • 「やめて!」って言ってもやめてもらえなかったときのつらさ 
  • 嫌な出来事の後のつらさを、ひとり抱えて過ごす苦しい時間
  • 自分が悪いと自分を責めて苦しい時間
  • 自分が弱いと自分を責めて苦しい時間
  • 学校に行きたくないのに行かなければならないつらさ
  • つらい気持ちのまま学校まで歩いていく時間
  • 学校から帰っても、家の人につらい気持ちを聞いてもらえない事情
  • その気持ちを部屋で孤独に耐えるつらい時間
  • 夜寝るとき、明日になったらまた学校に行かなければならないと思うつらさ
といった細かな事実、もしくはそれらの積み上げです。

それをいじめという言葉で一括りにしてしまうから、その本質が分からずに、「いじめがあった」「いじめがなかった」といった不毛の議論に陥ってしまうのだと考えています。

教育の現場とは違い、現場を管轄する上位の組織では、そんな個別の事情に意識が向き難い分、いじめという亡霊が強く見えてしまうのだろうと思います。

しかし、一人ひとりを取り巻く個別の事情を見ずに、いじめという亡霊に対処しようとしても、何の解決にもならないと思います。



その他にも、亡霊が棲みついている言葉は沢山あると思います。

言葉が漠然と持つニュアンスに惑わされずに、本質を見誤らないようにすることが大切です。

2009年10月27日火曜日

酒井法子さんの裁判中の様子から感じたこと

ワイドショーやニュースからの情報しかないのですが、そこから感じたことを少し書きます。
(「罪を犯した(法律を破った)」ということに関することは裁判に任せるとして、それ以外のことを書きます。)


テレビで、次のような情報が伝えられました。
(何となく覚えている感じで書きますので、内容は正確ではありません。)
酒井法子さんが所属していた事務所の社長が「芸能人としての契約は切れても、中学生のころから面倒をみている彼女との情を断つことは出来ません」と証言台で話したのを、酒井さんは、大粒の涙を洋服の胸の部分がベトベトになるほど流した。

その涙の種類が、「反省の涙」ではなく、「愛を感じた涙」だったとしたら、酒井さんはもう大丈夫だろうなと思いました。


そして、たぶん、それは後者の涙だったのだろうと想像しています。


なぜ、大丈夫だろうと思うのかというと、裁判の中でのそんな出来事は、カウンセリングや催眠療法の中で、様々な依存症に苦しむ人が、依存症のである心の苦しみから解放されるときの様子や状況とほぼ同じだと感じたからです。


酒井さんが社長のその言葉を聞いたとき、酒井さんが幼い頃からずっと追い求めてきたものを正に手に入れた瞬間だったのではないかと想像しています。


できることなら、泣いている酒井さんに対して、「社長さん、あんな風に思ってくれていたんだね、良かったね、良かったね…。」といった声掛けをして背中をさすってくれる人がいれば完璧だったと思うのですが…。
(目的が裁判なので仕方ありませんが…。)


今後は、マスコミが好き勝手なことを言って彼女を追い詰めるようなことをせずに、また、周りの人が暖かい目で見守ってあげれば、きっと大丈夫だろうと思います。


依存症に対する私の考え方は、次のページを参考にして下さい。


【参考】 ピュアハート・カウンセリング:症状のもう一つの説明 > 依存症

2009年10月25日日曜日

子供を叱るときに、「何してるの!?」は、やめた方がいいかな…

これから書くことは、あんまり深刻に考えずに、何となく知っておいて頂ければと思います。


例えば、親が子供に「宿題をしなさい」と言ったのに、いつまでも遊び続けているようなとき、「何しているの!?」と質問形式で声高に叱りつけるのはやめた方が良いかな…。
(そのような時に、叱ること是非はありますが、それは脇に置いておいて下さい。)


このような時に親が言う「何をしているの!?」の裏には、「宿題をしなさい」という結論が隠されています。


親のこの質問だか何だかわからない「何をしているの!?」という言葉に対して、子供はどのように対処するのがベストだと思いますか?

子供は、下手に「遊んでいるの…」答えてしまっては、多くの場合「宿題しろっていったのに、何で宿題をしないで遊んでいるの!!」といった言葉で責め立てられることになってしまいます。

ですから、このような時、子供は「本当のことは言ってはいけない…」という気持ちになってしまいます。


では、嘘を言えば良いのでしょうか?


まぁ、子供が、そんな時に親を丸めこむような適当な嘘は思いつけないでしょうし、そんないい加減なことを言ってしまっは、嘘がバレて親の感情を逆なでしてしまう確率が高まってしまいます。


そのような事情によって、子供は黙り込むことしか道が無くなってしまいます。

しかし、そこで子供が黙っていると、親から「何をしているのってきいているのよ!どうして答えないの!?」といった答えが返ってきます。

これまた、事実を答えればひどい目に合うかもしれない質問です。

子供は、やっぱり、黙るしか道は無くなってしまうのです。


このような状況は、人が自分の本当の気持ちを言えなくなってしまう理由の一つだと考えています。

ですから、子供がそのような経験をする頻度は、極力少なくした方が良いと考えます。

そのためには、宿題をせずに遊んでいる子供に対しては、「何をしているの!?」ではなく、やっぱり、「宿題をしなさい!!」と叱る方が好ましいです。


もし、間違えて「何をしているの!?」と言ってしまって、そのことに気付いたら、間違って質問をしてしてしまった責任をとる覚悟を決めて下さい。

といっても、それは、そんなに難しいことではありません。

子供から帰ってくる答えが「遊んでる」でも、「そうか、遊んでいるんだね」と冷静に受けとめ、その後の会話も冷静にこなし、決してキレないようにすることです。


でも、そんな面倒な小芝居をするよりは、「宿題をしなさい!」と怒鳴る方が楽だと思います。


もし、叱り過ぎて子供がションボリとしてしまった時は、夫婦の相方に「そうかそうか、怒られてつらかったね…」と気持ちを聴いてもらえるように段取れば、子供の心に傷を植えつけることになならないと考えています。

【補足】 
子供の『「何をしているの!?」という質問に黙ってしまう』という反応は、小学校入学前までには、親との関わりの中で習慣化してしまうと考えています。一度『黙ってしまう』という反応の習慣が身に付くと、それを取り除くことは、とても根気強い対応が必要になるだろうと想像しています。(親の気付きや変化は大前提です。)

2009年10月22日木曜日

「イジメがあったか、無かったか?」よりも重要なこと・・・

2日ほど前だったでしょうか、夕方のテレビの報道ワイドショーで、生徒が試験中に校舎から飛び降りたことが報道されていました。


その時、学校の関係者のインタビューが流れたのですが、その言葉に少し違和感を感じました。


テレビ局の編集のせいかもしれないのですが、誰から聞かれたわけでもないのに、一番初めに口から出のが「イジメがあったという事実は確認できておりません」といった言葉だったと記憶しています。


つまり、「いじめは無かった」ということを主張したのです。


いじめが社会問題化されてしまっているので、学校関係者がこのような反応をしてしまうのは、仕方ないところもありますが、いじめがあったか無かったかということよりも、もっと重要なことがあると考えています。


以降は、一般論として話を続けます。


もっと重要なこととは、

『心に苦しみを抱えている人を、そのままに放置してしまっている事実があったかどうか』

ということです。


特に、長期間に渡って心に苦しみを抱えてしまっているときは、その人を、
  • 暗いやつ
  • 変な奴
  • 変わったやつ
  • とっつきにくいやつ
  • おとなしいやつ
  • 面白くないやつ
  • いつも一人でいるやつ
  • 友達の居ないやつ
など「自分たちとは異なる人」といったニュアンスをもつ修飾語を用いて、そのような雰囲気を持つ人を区別し、その人に近寄らなくなってしまいがちです。

その結果、そんな子供は、苦しさの中に孤独なまま放置されてしまうのです。


それは、その子と関わる同級生などの子供たちだけの問題ではありません。

先生たち、両親をも含む、その子供に関わる全ての人、そして社会に対しても言えることだと考えています。


いじめとか、成績が悪いとか、嫌な出来事があったとかいったことではなく、『孤独が人を死に追い詰めてしまうのです。


いじめの発生状況を調査したり統計を取ったりしているようですが、そうではなく、孤独の発生状況を調査すると何かが見えてくるだろうと思います。
(そんな調査をする前に、子供たちを孤独な状況しないようにする方が労力が少なくて済むような気がしますが…。)


ニュースなどで同様の事件に触れるときは、

「その子供は孤独な状況に陥っていたのではないだろうか?」
(それは物理的な状況のこともありますし、心理的な状況のこともあります。 )

そんな視点で見てみて欲しいと思います。そして、これは大人に対しても言えることなのです。

 「彼は(彼女は)、孤独な状況に陥っていたのではないだろうか?」


『孤独』が人を死に追い詰めてしまいます。

だからもう、「変なやつ」とか「暗いやつ」とか思わないであげて下さい。


苦しみを抱えている人の心と触れ合うのは難しいところがあるかもしれませんが、少なくとも暖かい気持ちで見守っていてあげることは出来ると思うのです。

行動をエスカレートさせてしまうことを防ぎ、本当の望みに気付く方法

今回は、コア・トランスフォーメーションのまとめとして、その考え方の日常生活への応用について説明します。


コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本でしたが、同様の手順を意識の世界で行っても大きな意味があると考えています。


例えば、次のようなことを考えてしまうことがあるかもしれません。
  • 「もし、自分がお金持ちだったら、幸せだったのに…」
  • 「もっと、勉強が出来れば、学校が楽しいのに…」
  • 「もっと、顔立ちが整っていれば、人生は良いものになったのに…」
  • 「もし、学校がなかったら、自由に生きられるのに…」
  • 「あいつさえ居なくなれば、こんなに苦しまなくても済むのに…」

これらはあたかも本当の解決と思えるのですが、感情や心の苦しさを抱えたままの思考で導き出されている場合は、誤りの解決(偽解決)である可能性が高いのです。

偽解決の詳細は、『カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ:Lesson 8 なぜ、人は心の苦しさの原因を見誤るのか?』を参考にして下さい。


例えば、「お金がないから幸せじゃないんだ」と考えているところを想像してみて下さい。

そのように考えた人は、「お金持ちになったら幸せになれる」と思ってその考えに沿った行動するようになります。
(人によっては、「お金持ちになんかなれない」と諦めて、それを求めるような行動をしないこともありますが、「お金持ちになったら幸せになれる」ということを意識していれば同じです。)


しかし、そんな気持ちとは裏腹の「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」という言葉を、誰もが一度は聞いたことはあると思います。

  • お金持ちになったら、本当に幸せになれるのだろうか?
  • でも、それが本当に求めていた答えかどうかは、お金持ちになってみないと分からない…。

人生の早い時期に、運良くお金持ちになれる人もいますが、多くの人は、その実現に人生の大部分を費やしてしまったり、人生の大部分を費やしたとしても実現できない人も多いはずです。


そんな状況の中で、必死に頑張ってお金持ちになった時、自分の口から出る言葉が、先ほどの「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」だったとしたら、長い月日をそのために費やした意味は一体何だったのでしょう?


そんな事態に陥らないように、コア・トランスフォーメーションの考え方を活用するのです。


コア・トランスフォーメーションの手順の活用

冒頭でも述べましたが、コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本ですが、同じようなことを意識的に行うのです。

  • 結果を得るためのプロセス(手段や経緯)を省略し、結果をイメージの中で体験する
    (例えばマラソンの選手が行うイメージトレーニングで、「自分が一位でゴールするシーンを何度もイメージする」ということと、似ているところがあります。)

そして、イメージの中で結果を十分体験した後で
  • 別の望みが浮かぶようなら、それは本当の望みではない
  • 別の望みが浮かんだとき、その結果を十分に体験し、別の望みが浮かぶかどうかを確認する。
  • その確認を繰り返せば、やがて、別の望みが浮かばなくなる
  • 別の望みが浮かばなくなったとき、それが、本当の望みである

前の例では、イメージの中で、お金持ちになり、「お金持ちになったらできるのに…」と思っていたことを十分にやって、やった結果の感覚を感じ取ろうとしてみます。


そこで、満たされた気持ちになるなら、「お金持ちになる」というものが本当に望んでいたことだということになります。

もし、そこで何か物足りないようなものを感じれば、「お金持ちになる」ということは本当の望みではなかったということになります。
(このように突き詰めていけば、例えば、「誰かと仲良くしたい」ということが本当の望みだったりすることもあります。)

【補足】
このとき、「もっと、お金持ちになる」「もっともっとお金持ちになる」というようなことを考えるのは、本当の望みを感じようとすることからの逃げです。 
偽解決は、それを実現できたとしても、満足することが出来ないので、その手段や目標をエスカレートさせてしまいます。 
逆に、エスカレートしていくような望みや願望は偽解決だと言っても過言ではないと考えています。 
また、そこで何をしたら良いか分からないような場合も、本当の望みではなかったと考えられます。

このようにその手段や過程を省略し、イメージの中で結果を体験するということは、自分の心と真剣に向き合うことにつながり、その繰り返しの中で、「お金持ちになる」以外のこれで十分だと思える望みにたどり着きます。
(その望みは、自分も他人も決して傷つけたり、何かを壊したりはしません。)


本当の望みに気付けば、それ以上の望みは不要となり、「もっと、もっと!」という感覚("more more"の状態)から解放され、望みや願望をエスカレートさせる必要も無くなります。


これは「何かに執着してしまった心が、その執着から解放され、本来の望みに向かうようになる」と表現することもできます。

一般的な思考では、自分の執着に気付き、そこから解放されるのはかなり難しいところがあるのでずが、このやり方はその助けになると思います。


そんな流れの中で、最終的に到達する本当の望みは、本来のコア・トランスフォーメーションによるものと近いニュアンスをもつところに納まるだろうと考えています。

  • ただ在ること
  • 内なる安らぎ
  • あるがままで大丈夫だという感覚
  • 宇宙との一体感 

日常生活の中で、これらの言葉をどのように解釈すれば良いか分かりにくいかもしれませんが、大まかには、「人とつながっていたい」、「人の中で安心でいたい」といったことだと理解すれば良いと思います。


「つながり」について、最近、ある結論を得ましたので、近々、ブログでご紹介するつもりです。

【補足】 
可愛がっていた飼い犬が死んだとき、「飼い犬が生き返る」ことが本当の望みだという気持ちはとてもよく理解できます。 
しかし、この手法では、それは本当の望みとしては扱いません。 
本当の望みは、『現実の世界で、実際に実現可能な事柄』でなければなりません。

2009年10月20日火曜日

コア・トランスフォーメーションについて

前回に引き続き、コア・トランスフォーメーションのポイントについて説明します。

前回の投稿『コア・トランスフォーメーションのことを説明する前に … 意識の構造と催眠療法』での説明も参考にしながら読んで下さい。


まず、コア・トランスフォーメーションと似ている催眠療法の流れを挙げます。
  • 心の苦しさ(例えば、胸の苦しさ、言葉の言い難さ、気持ちの重さ・・・)に気付く
  • 気付いたそれらを、一人の人のように位置付ける ※以降、「擬人化した存在」と記述
  • イメージの中で、擬人化した存在とのコミュニケーションを試みる
  • 現在の自分擬人化した存在 と会話によって、過去に封じ込めてしまった感情を吐き出させる
  •  溜め込んでいた感情を吐き出すと、自己意識本当の自分 との間に作られていた障壁が取り除かれる
  • 障壁が取り除かれた結果、自己意識本当の自分 との間の結びつきが自然に強まり、自分らしい行動ができるようになる

催眠療法を実際にやってみた人しか分からないと思いますが、催眠状態では擬人化した存在と本当に会話ができたりします。


前置きが長くなりましたが、コア・トランスフォーメーションの説明に入ります。


コア・トランスフォーメーション

私は、前回の投稿で説明したように、「本当の自分というものがありそうだ」と何となく感じていたのですが、それを前面に出したアプローチはしてきませんでした。


その理由は、本当の自分自己意識 の間にある障壁さえ取り除かれれば、本当の自分を特別に意識しなくても、本当の自分に沿った行動が自然に起こせるようになると考えているからです。


一方、コア・トランスフォーメーションは、この本当の自分を意識するよう組み立てられています。


ここでコア・トランスフォーメーションの特徴的な考え方を挙げてみます。

※冒頭の部分で説明した擬人化した存在という言葉で表現したニュアンスを、コア・トランスフォーメーションでは、パート(部分)と呼んでいます。

  • パートは、本当の自分の望みを感じ取り、自己意識に代わってそれを実現しようとしてくれている
  • 心の苦しさ、身体感覚、感情、体の動き(動作・行動)など人のあらゆる活動・反応・感覚は、パートとして扱うことができる
  • つまり、 心の苦しさ、身体感覚、感情、体の動き(動作・行動)など人のあらゆる活動・反応・感覚は、本当の自分の望みを実現するために生じている
  • そんなパートの中には、何らかの事情で、望みそのものではなく「望みを実現するための手段(プロセス)」にこだわってしまって、本当の自分の望んでいることを忘れてしまっているものがある
  • パートが本当の望みに気付けば、自己意識はパートのこだわりから解放され、本来の自分の望みに沿った行動を行うことが出来るようになる
  • プロセスを省略しても、パートは無意識の世界の中で、望みが叶ったときの状態を体験できる
そんな感じです。


次に、 実際にコア・トランスフォーメーションを行うときのポイントを挙げます。
  • 質問に対する答えを探す全てのプロセスは、自己意識とは関係なく、無意識の世界の中で自動的に行われると考える
  •  初めに確認する質問 : 「あなたは、それによって私に何を与えようとしてくれているのですか?」
  • 繰り返す基本の質問 : 「それによって得られた状態を十分に感じる体験をした後で、それよりも、もっと手に入れたい大切なものは何ですか?」
  • 質問の後、その状態のままに自己を放置して浮かび上がってくる答えを待つ(答えを思考によって導き出そうしない)
  • 浮かび上がってくる答えは言葉だけとは限らない(言葉、イメージ、感情、感覚、動作 …)
  • 「望みが叶った状態の体験」と「望みの再確認」を繰り返す
  • その作業を繰り返していると、やがて、他の望みが想起されない状態に至る(真の望みにたどり着く)
  • その結果、本当の自分の望みを自己意識が認識するに至る

ほとんどの場合、たどり着く望みは、おおよそ次の5つのいずれかに当てはまると紹介されています。
(この到達するものは、コア・ステートと呼ばれます。)
  • ただ在ること
  • 内なる安らぎ
  • あるがままで大丈夫だという感覚
  • 宇宙との一体感


そして、コア・ステートにたどり着いたとき、
  • 既にそれを無意識の中で十分に感じているので、現実の世界の中で、必要以上に求める必要はなくなる
  • とても安心な気持ちの中で、自分らしく自然に生きていけるようになる
らしいのです。


これらのことは、催眠療法に長く関わっている人は、何となく納得できる部分は多いと思います。

もし興味を持たれて、正確なことをもっと詳しくお知りになられたい場合は、今回ご紹介している本がお勧めです。


コア・トランスフォーメーションでは一連の過程を無意識に委ねましたが、『プロセスを省略し、まず結果を体験する』という考え方は、意識の中でも活用できます。



それは、次回の投稿で説明します。

日常生活の中で、それに近い状態になる方法

コア・トランスフォーメーションでなくても、普通の生活の中で普通に安心を感じる方法があります。
それは、
  • 苦しい時は、安心な人に見守られながら、スッキリするまで泣く
  • 嬉しいときは、安心な誰かに共に喜んでもらう
ということです。


詳しいことは、ピュアハート・カウンセリング関連サイトや出版物を参考して下さい。


余談:神秘体験・光体験・悟り…

ここからは余談です。

コア・ステートにたどり着いたとき(本当の自分の望みを自己意識が認識した時)に、非常に興味深い体験をするようなのです。

私は、今のところ、それを体験するには至っていませんが、紹介した本の中には書かれていますし、実際にそれを体験した人も、そのようなことを言っていました。

それは、俗に言われている神秘体験・光体験と言われているような体験のようなのです。

また、座禅をしていて「悟りを得た」と感じるときの体験も、同じ体験であるようなのです。

以前、実際に光体験や神秘体験をした人から話を聞いていたことがあったり、インターネット上でも様々な情報を検索することが出来るので、「そんな体験があるらしい」ということは何となく知っていました。

ただ、選ばれた人(霊感があるとか、修行を積んだとか…)でないと体験出来ないのだろうと思っていました。

しかし、コア・トランスフォーメーションの手順を踏めば、誰でもそれを体験できるらしいのです・・・。

きっと、関心がある人には、非常に興味深い話だと思います。

まっ、体験できなかったとしても、あまり神秘体験や悟りなどにはこだわり過ぎない方が良いかなって思います。

興味本位でやる分には問題ないと思いますが・・・。


求めているのは、悟りや神秘体験などではなく、自然で楽な自分な訳ですから…。

2009年10月19日月曜日

軽いタッチで、金魚のちょっとしたフンを、ちょっと吸いだす装置

今回は、心理ではなく、ちょっと、趣味がらみのことを・・・。

水槽を眺めながら、「あのフンを、ちょっと取り除きたいんだけど、水換えをするのは面倒だし・・・、まっ、いいか・・・」とスッキリしない気持ちのまま放置することってありませんか?

そんなあなたに朗報です!

っていうか、そんな私に朗報で、嬉しさのあまり、そんな皆さんにも教えてあげようとブログに投稿しています。(笑)

画期的な装置が完成しました!

装置といっても、手作りのとても簡単なものです。

もしかしたら、同様のものが売られているかも知れませんが、自分で作ればかなり安くつくと思います。


材料はペットボトルとビニールチューブだけ。


作り方は、ペットボトルに、ビニールチューブよりも少し小さめの穴を2つあけます。

次に、ビニールチューブを短いものと長いものを別々の穴に差し込みます。これだけ。


「簡単じゃないかぁ~!?」


チューブの長い方を水槽に入れ、短い方に口を付け息を吸いこむと、金魚のフンを口の中に吸い込むことなく、ペットボトルに吸いだすことができます。

「軽い気持ちで、金魚のフンをちょっと吸い出したい!」、そんな気持ちを満足させてくれる一品です。

心の苦しさとタバコ(特に、メンソール)

コア・トランスフォーメーションの続きは、現在作成中ですのでもう少しお待ち下さい。


今回は、心の苦しさとタバコの関係を少し書いてみたいと思います。


一般的に、「タバコには常習性があり、ニコチン中毒(依存症)になることがある」といわれています。

また、情報の出所は覚えていないのですが、「ニコチン依存症になると、心が苦しくなりやすい」という話もあるようです。


タバコをやめようとすると、タバコをやめようとするとき、「タバコをやめる苦しさ」と闘わなければならないようなところがあります。

そして、その原因は、一般的には、ニコチン中毒から離脱する際の禁断症状だと言われています。


しかし、個人的には、ちょっと違う理解をしています。


タバコ依存症を、私なりに説明すると、
  • 「心が苦しい」という感覚を「タバコが吸いたいと感じている」ということにして、心の苦しさをタバコを吸うことでやり過ごしている

ですから、タバコを止められない人が、タバコを止められない本当の原因は、心の苦しさにあるのだと考えています。

禁断症状を乗り越えた後でも、再度、依存行動を再発してしまう理由も、この心の苦しさが解消されていないことによるのです。

この説明は、タバコ以外の依存症にも当てはまると考えています。

(詳しいことは、心の苦しさに関する考え方 で説明していますので、参考にしてみて下さい。)


メンソールタバコの吸い過ぎに注意!?

ここからが、今回お伝えしたかったことになります。

メンソールのタバコは、吸うとスッキリするところがあると思いますが、次に当てはまる人は、逆に、「心が苦しいという感覚」を強めてしまっているかもしれません。

  • メンソール系のタバコを吸っていて、一日に吸う本数が多めだと思っている人

当てはまるときは、試しに1日、タバコを同じ強さの、メンソールではない銘柄に変えてみると、気持ちが少し楽になるかもしれません。


その根拠は?

すみません、私の経験則だけです(苦笑)

2009年10月16日金曜日

コア・トランスフォーメーションのことを説明する前に … 意識の構造と催眠療法

最近、コア・トランスフォーメーションというちょっとユニークな心理療法に出合いました。


コア・トランスフォーメーションのことを詳しく知ろうと思って本を探したのですが、私が見つけられたのは、この一冊だけでした。

読んでいて、不規則に同じような内容が繰り返されるように感じて混乱するところもあったのですが、本全体としては、とても分かり易かったと思います。


ただ、この本をいきなり読むと、胡散臭いと感じてしまう人は多いだろうと想像しています。

でも、私は、結構すんなり受け入れられるものでした。

それは、たぶん、これまで催眠療法に長く関わってきたことが影響しているのだと思います。


そこで、今回は、コア・トランスフォーメーションの説明に先だって、まず、意識や催眠療法に関連したことを説明したいと思います。


次の図は、私がこれまでカウンセリングや催眠療法を通してイメージしている心に関わる構造(意識と無意識など)を図にしたものです。

詳しく掘り下げて書こうとすると少し違ってくる部分があるかもしれませんが、ザックリ書くとこんな感じです。)


ポイント

この図のポイントを説明します。

まず、少し見づらいのですが、下部の赤い部分が本当の自分で、上部の赤い部分が自己意識です。

どうして、自分がこのように2つに分かれるのかは不思議なのですが、どうもこのようになっているように思えるのです。

次に、行動は次の4つに分類されるということもポイントとなります。
  • 本能的な行動
  • 自然な行動
  • 学習した行動
  • コントロールされた行動

これらの行動は、次のような流れをたどると考えています。

  • 赤ちゃんの頃は、本能的な行動が中心となる
  • 幼児期に入り行動力が身に付くにつれて、自然な行動が増えてくる
  • 子供の自然な行動に対して、親のしつけや感情的な反応によって、その環境や状況で好ましい行動を条件反射として身につけ、学習した行動が加わる
  • 少年期や青年期にかけて、思考の発達や知識や社会常識の蓄積にともなって、コントロールされた行動が加わる

ただ、全ての行動がこのような流れで変化するというわけではなく、成人後も、これらの行動は混在しています。

ただ、その混在の具合(比率)は、人それぞれの生育環境によって違いが生じると考えています。


図中の『黒いハートマーク』は、トラウマと呼ばれているものです。


これには、悪いものだけでなく、良いものも含まれます。

例えば、犬にかまれた経験が犬嫌いにつながるといったことだけでなく、テストで良い点をとると親が褒めてくれるから勉強が好きといったものも、図中の黒いハートマークが表わしていることです。

(通常は、好ましい予感を伴うことは問題視しませんからトラウマとは表現せず、嫌な予感を伴うものに限ってトラウマと表現されるところがあります。)


人は、これらの行動のうち学習された行動をしている時、自然な行動とのギャップに心の苦しさを感じます。

また、この学習された行動自然な行動を、何らかの理由でコントロールされた行動に移行させなければならないと感じてそのように努力している時、やはり、心の苦しさを感じます。

催眠療法

暗示
学習された行動には、多くの場合、その行動を妥当なものだと自分に信じ込ませる(自己に暗示をかける)ために、その人にとっては論理立っている価値観(こだわり)のようなものを併せ持っていることが多くあります。


一般の人が催眠療法と聞くと、まず、思い浮かべるのは「この価値観という暗示を、別の暗示で覆い隠すことで、行動を変容させることができる」といったイメージではないでしょうか。


例えば、「犬が怖い」と思っている人に「犬は安全だ」と暗示するような感じです。

確かにそのような方法もありますし、実践されることも多いかもしれません。

ただ、これでは、黒いハートを白く塗り替えるというよりは、もともとの黒いハートマークに白いカバーで覆うのと近いところがあり、時間経過に伴って、白いカバーが薄れて中の黒が浮き出てくることもあります。

詳細の説明は省きますが、私は、この方法は、あまりお薦めしていません。

感情処理
次に、イメージするのは、たまにテレビとかで見かけることがあるのですが、トラウマの原因となっている感情を吐き出すということです。

「犬が恐い」という人を例えば退行催眠によって当時の気持ちを蘇らせて、その時発散できなかった気持ちを「怖かったよーーっ!!」などと泣きじゃくりながら、気持ちをスッキリするまで吐き出すのです。


他にも方法がありますが、そんな中で、この黒いハートマークを一人の人として対峙する方法があります。

催眠状態の中で、現在の自分とその黒いハートマークの人と、会話できたりします。最終的には、当時吐き出せなかった感情を吐き出してスッキリするということで、一連の催眠療法が終わる流れになることが多いです。


そして、この感情の吐き出しによって、黒いハートマークは消滅し、学習された行動からも解放され、自分で行動をコントロールできるようになります。


それに伴って、心に居座っていた学習した行動を引き起こすための苦しさからも解放されます。


※黒いハートマークを人として扱うイメージは、ピュアハート・カウンセリングのサイトのボクと君の仲直り  ~ いつもボクを守ってくれている君 ~ が参考になると思います。



ただ、社会の常識や思い込みなどには、相変わらず行動は左右されてしまうので、トラウマから解放された後の行動の全てが、自然な行動であるとは限りません。


本当の自分自己意識の間にある障壁が外れて、自然な行動に一歩近づくのは確かです。

この手法で行われていることは、本当の自分自己意識とを直接的につなごうとしていると考えることもできます。

まとめ

  • 自分のある部分(感情や感覚や行動・・・)を一人の人的な扱いをする
  • 『本当の自分』と『自己意識』をつなぐ

この2つを何となく知っておくと、コア・トランスフォーメーションを理解しようとする助けになると思います。


次回、コア・トランスフォーメーションに関することを説明します。


【補足】

ちなみに、本当の問題は、「なぜ、苦しい経験をトラウマにしてしまったのか?」ということです。

それを予防したり解決したりできるのが、そうかそうかムーブメントです。

当方のホームページ(http://www.pureheart-counseling.com/)や、拙著『あなたにもある心を回復する機能』をお読み頂けると、心の苦しさの本当の原因と解決策をご理解頂けると思います。

2009年10月14日水曜日

茂木健一郎 脳科学

ヨタ話ですので、適当な感じで読んで下さい。

ブログのタイトルに興味をそそられてしまった人は、多いのではないでしょうか?

私の中にもこのキーワードはインプットされていて、
  • 茂木健一郎氏が実際にどのような主張をされているのか?
  • 脳科学とは具体的には何なのか?
を詳しく知りたいと常々思っています。

(その1) 「脳にいいこと」だけをやりなさい!

そんな時、書店で、茂木健一郎氏の名前を見かけて、つい買ってしまったのが、初めに紹介する『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』です。

本を読み進めていくうちにようやく気付いたのですが、茂木健一郎氏や脳科学とは一切関係ないと言って良い内容でした。

ただ、別の得ることがあり、この本を読んで良かったとは思っています。

詳しいことは、このブログの読むカウンセリング: 書籍『脳にいいことだけをやりなさい!』の紹介:で述べていますのでそちらを参考にして下さい。

(その2) 目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!

その後、しばらくして、また、本屋で茂木健一郎氏の名前と写真、更に、『脳科学』という言葉が前面に押し出された本があったので、懲りずに、また、つい買ってしまったのが、次に紹介する『目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!』です。

結果から書くと、この本も茂木健一郎氏が書いたものではなく、富永裕久氏(サイエンスライター)が書いた本でした。

内容は、脳の各部位の機能やそれらと障害や状態などとの関わりが分かりやすく説明されていて、読んで良かったと思っています。


ただ、「『脳科学』というインパクトのある言葉が表現する世界を垣間見ることができた」という感覚は得られませんでした。

もしかしたら、『脳科学』という言葉は、『脳科学』という幻想を抱かせ、ブームを巻き起こすために作られた無意味な言葉なのかもしれないと、ちょっと思いはじめています。


まぁ、それはともかく、私には、第一章『脳と意識』がとても面白かったです。

理系(数学や物理的)の表現が連発なので、理解しようとするとくじけてしまう恐れが大ですが、何となく読んでその進歩的は雰囲気を味わうには、とても良かったです。
(たぶん、私は、書かれていることの半分も理解できていないと思います。。。ただ、難しいのは第一章だけで、第二章以降はとても分かりやすく書かれています。)


著者は、この第一章では、 思考意識自己意識(自分を自分と認識する自己) を混乱して説明されているように感じましたが、自己意識について説明されているのだろうと認識して読み進めました。


その中でも刺激的だったのは、ゲーテルの2つの不完全性定理が紹介されている部分です。
  • 第一不完全性定理:いかなる算術の公理系にも証明できない定理がある
  • 第二不完全性定理:数学には矛盾がなければ数学はその矛盾を証明することはできない

つまり「正しい数学の体系を作ることはできず、しかも、数学に矛盾がないことを証明するのは無理だと証明された」と説明されています。


「数学者って難しいことを考えているのだな」と感心しながら読み進めているうちに、不完全性定理の説明が、『「意識を理解しようとする人類の試み」は最後には避けられない矛盾を持っている』という理解に私を導いてくれました。


私が考えたことを少し紹介します。


仮に、将来のどこかで自己意識のメカニズムが解明されたとします。

解明されたということは、
  • 人が科学を駆使して自己意識というものを発生させることができ、
  • しかも、このとき発生する自己意識をコントロールできるようになる
と理解して先を読み進めて下さい。


例えば、「アインシュタイン」の自己意識をそこに発生させることも可能だということになるという感じです。

他人の自己意識を発生させることを考えているうちは問題ないのですが、次のような場合、大きな矛盾が生じます。

自分自身の自己意識をそこに発生させようとした場合です。

もし、自分自身の自己意識を発生させることができてしまったとします。

すると、次の2人の自分が存在することになってしまいます。

  • 自己意識を発生させようとした自分
  • そんな自分によって自己意識を生じさせられた自分

さて、このとき、どちらの自分が、本当の自分なのでしょうか?

これは、論理的には証明できないのですが、直観的にはもう一人の自分という自己意識を作ることは不可能だと思えます。

つまり、仮に人類の科学が進歩して自己意識を芽生えさせることができるようになったとしても、人の力ではコントロールできないところで自己意識は発生するということになるのだろうと想像できるのです。


以前、私は、心の動きをコンピュータ処理に置き換えることができないかと考えたことがありました。


【参考】ピュアハート・カウンセリング:心のコンピュータ処理的な理解


この時も、自己意識というものが心の中に取り込むことができずに困ってしまいました。

結局、今のところ、私の中では『心と自己意識は別物だ』という結論になっています。



ついでに、他にも気になることを大雑把に書いておきます。
  • なぜ、自分は自分であり続けるのか?
    どうして、途中で、他人と入れ替わってしまうことがないのか?
  • 医学が進歩して、脳を他人と入れ替えることができたとき、自己意識も入れ替わるのか?
    もし、記憶だけが入れ替わって、自己意識は入れ替わらなかったとしたら、本人も含めてその事実を認知することができるのか?
  • クローン人間ができたとき、そこに生じる自己意識は誰か?クローンに遺伝子を提供した人と異なるとしたら、そこに生じる自己意識はどこからやってきたのか?(一卵性双生児のことを考えると、それは、クローンに遺伝子を提供した人ではないと想像できる)
  • 今はそのような認知は無いが、人の想像力の限界は、人は自分が存在するということから類推して、「生物には自己意識がある」というところまで。将来、人と同様の学習が可能なロボットが作られたとき、仮に、そのロボットに自己意識があったとしても、そのロボットに自己意識があるかどうかを本当に知ることができるのはロボットだけ。しかし、人類は、そのロボットが伝えるその認識を信頼して良いかを判断することはできない。

スピリチュアルなことは良く分からないのですが、自己意識の方は、いくら科学が進歩したとしても人類の力ではどうしようもなく、宿るか宿らないかというところに任せるしかないのだろうという気がします。




紹介した『目からウロコの脳科学』を読んで、以前買ったけど途中でくじけて読めなかった本に再チャレンジしてみようかという気持ちになりかけてのですが、この投稿を書いていて、どうでもよくなってしまいました。


自己意識への空想はこれでとりあえず終りにして、私の意識を普通の心の働きへと戻したいと思います。


以上、ヨタ話でした。


まっ、最後にまとめると、茂木健一郎氏が執筆した本は、細心の注意を払わないと買えないということですね!(苦笑)

2009年10月4日日曜日

近々のブログ記事投稿予定

ブログ記事、投稿しようしようと思うのですが、

ちょっと、書きたいことが頭の中でごちゃごちゃになってしまっているので、

整理の意味で、予定の一覧を書いてみます・・・

(自分用のメモです。)

  1. 薬物依存症と依存症について
  2. 人は「心と心のつながり」に関係することに感動する
  3. 「つながり」感を得るための偽解決が、認められること、受け入れられること、受け入れること・・・
    「つながり」感を得たいと思うことの正体は?
  4. コア・トランスフォーメーションに関連して
  5. NHK番組 ハートをつなごう 「今夜はもっとつながりたい(1)(2)」を見て
    出演者:内藤大助 サンプラザ中野くん 安倍なつみ 精神科医
  6. 脳科学関連の本を読んだ感想(意識の話題をピックアップ)
  7. 心の苦しさを簡単に説明すると・・・(感覚・感情->思考->行動->回復 のサイクルが滞っている)
  8. リストカット・過食嘔吐その他、子供の悩みに対処できなくて困っている親御さんへ
  9. クローズアップ現代「希望を科学する」を見て
他にもありそうな気がするけどとりあえずこんなものかなぁ・・・。


4番目の「コア・トランスフォーメーションに関連して」は、

Mさんと約束した内容なので、最優先で対応したいのですが、

書きたいと思った時の気分に合わせて投稿していきたいので、

遅くなるかも・・・

(Mさん、気長に待ってて下さいね)


また、全部書けるかどうか分かりませんので悪しからず・・・(^_^;)

2009年10月1日木曜日

自殺対策 ・・・ ネーミングに工夫を!

もし、商売をしていて、死に筋商品の不良在庫を大量に抱えてしまって、それを処分したいとき、どのような文言でアピールするでしょうか?


恐らく、死に筋商品不良在庫一掃セールとはしないはずです。

例えば、商品入れ替えセールとか在庫一掃セールとか新旧商品交代セールとかいうように、消費者に対して悪い印象をあまり与えず、そして、嘘をつくこともなく、うまく購買意欲を駆り立たせるような言葉を真剣に考えるのではないでしょうか?

そして、その考え抜いたキャッチフレーズを使用して広告やPOPなどで消費者にアピールするだろうと思います。


つまり、商売人が期待する行動を、消費者に引き起こす効果が高いと思われる言葉を使ってアピールするということです。



ここからが本題になります。


最近、自殺対策自殺防止という言葉をよく耳にするようになりました。

10年以上も自殺者が3万人を超え続ける現在、これらの言葉は「当たり前のこと」「必要なこと」として受け入れられています。


しかし、冒頭の説明と照らし合わせると、「自殺対策」「自殺防止」といった言葉を使って社会に訴えかけることには違和感を感じます。


これらの言葉が期待していることは、社会問題の解決という立場で「自殺しない」「自殺させない」ということになるのかもしれません。

しかし、それは追い詰められてそうせざるを得なくなってしまった人にとっては、何の救いも感じることのできない言葉だと思うのです。


「生きろ!」「(本当は)生きたい!」という気持ちに訴えかける力が弱いと感じるのです。


ですから、そんな気持ちを伝えたり、呼び起こしたりすることができるネーミングに変える方が良いと思います。


例えばですが、
  • 心の苦しさを楽にする手段の周知徹底対策
  • 一人で抱え込み追い詰められることを防止する対策

とかいうようなネーミングに・・・。
(センスのある人が真剣に考えれば、もっと良い名称を付けられると思います。)


そうすると、「心を楽にする方法ってあるんだな・・・」、「一人で抱え込むから追い詰められるのか・・・」というように心の苦しみへの正しい対処があることを連想することにつながり、その具体的な対策と相まって、やがて、追い詰められる人、自殺しようとする人は減っていくのだと思います。


ところが現在のように、自殺対策・自殺防止といった言葉を何度も繰り返していると、「心の苦しさの解決には自殺という手段がある」と暗示しているのと同じ意味を持ってしまうところがあるのです。


次に、そう考える理由を簡単に説明します。


苦しい気持ちに追い詰められてしまった人は、その解決策を渇望しています。

心の苦しさから抜け出したくてワラにもすがりたい心境です。

そんな時に、その心境に近い雰囲気を持つ解決方法が意識の中に飛び込んでくると、それを自分にとっての唯一の解決策だと思い込んでしまいやすいところがあるのです。


そのあたりの詳しい説明は、次のページを参考にして下さい。

  【参考】 罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか?


そして、メディアなどから「自殺」という言葉を繰り返し繰り返し聞かされていると、「苦しさに耐えられなくなった人は自殺するしかないんだ」と認識してしまい、それを解決策に執着してしまうと、そう行動しなければならない心理に追い込まれていってしまうのです。

(自殺に限らず、最近多発する様々な犯罪なども、出口の見えない苦しさの中で、誤った解決策に巡り合ってしまい、それに執着してしまうことによって起こるのだと考えています。)


しかし、真実は違います。

現実に直面している様々な事情によって心が苦しい状態に追い込まれていても、心の苦しさを解消する方法はあります

そして、心の苦しさの解消は、さまざまな事情の解決とは関係の無いところで実現できるのです。


その考え方については、次のブログで順を追って紹介していますのでご参照ください。

  【参考】 カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ



メディアが、そのような性質を持つ言葉を、無自覚に何度も繰り返し伝えることは、それらの流れを強化してしまうのです。



現在は、インターネットの普及に伴って、能動的な姿勢になれば、その具体的な手段を容易に知ることができる環境が整ってしまっています。


世の中からそういった類の情報を抹消する以外に、能動的に情報を探す人がそれにたどり着くことを食い止める方法はありませんが、受動的な人に、能動的な行動を起こすきっかけとなるような情報を知らせるのは極力避けるべきだと考えます。



次のような情報が自殺対策支援センターライフリンクのサイトに掲載されていますが、これも同様の考えによるのだと思います。参考のため引用しておきます。
「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)

※昨年9月10日にライフリンクが主催した「『世界自殺予防デー』緊急フォーラム」配布資料から抜粋

1)やるべきこと
・自殺に代わる手段(alternative)を強調する。
・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について記述する。

2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。

○日本における自殺報道の現状
・個々の自殺の手段を詳細に報じる傾向
 例:X-Japanヒデ氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺についての報道
→新しい自殺手段が入手可能であることを大々的に宣伝してないか?
→模倣自殺(ウェルテル効果)
・自殺を考慮中の人が読者に多数いることを前提とした報道がなされていない。
→そのような人々をサポートするメッセージ等がセットで紹介されていない。
   (例:相談機関連絡先)

《 中 略 》

※以上、反町吉秀氏(現・青森県東地方健康福祉こどもセンター保健部東地方保健所 保健医長)による



少し話がそれますが、2008年は硫化水素を用いる方法で、1000人以上が命を絶ちました。

通常、死に結びつくような行為をする時は、もの凄い恐怖を感じるだろうと想像します。

普通、恐怖は、その行為を思いとどまらせるように働きます。

しかし、「硫化水素を発生させる」方法は、その行為が「薬品を混ぜる」という恐怖を生じさせ難いものだったので、多くの人が行為を遂行してしまったのだろうと想像しています。

結果、本当なら、生きるところに踏みとどまれたかもしれない多くの人まで、死に追いやってしまったのだと思います。


これは、「硫化水素自殺」という言葉を知ってしまったが故の悲劇だと思います。

そして、そんな言葉を、テレビや新聞やインターネットのWebサイトなど手段を用いて、ニュースとして大衆に知らせてしまったのがマスコミのしたことなのです。

また、一昨日だったと思うのですが、夕食時のテレビの報道番組で、「富士山樹海における自殺」の特集をしていました。

これは度々繰り返される企画です。

今回の番組は、一応、自殺を食い止めようと頑張っておられる団体の活動の紹介で締め括られていましたが、これも、「富士山樹海で自殺する」という方法を世に知らしめているという意味合いを含んでしまっているのです。


詳細は省きますが、
  • 無差別殺人、猟奇殺人、人間関係のもつれなどによる殺人などの報道
  • 凶悪シーン・暴力シーンを含むサスペンスドラマ

といったものも、解決を求めて苦しんでいる人に、誤った解決方法を示し、彼らをその解決策に執着させてしまう恐れがあります。



ちょっと、話が広がり過ぎてしまいましたが、最後にまとめます。


【まとめ】

世の中に何らかの言葉を広めようとする場合、又は、広めてしまうような行為をしようとしている時は、これらのことを踏まえて、言葉の選択には細心の注意を払うことが大切だと考えます。



【心の苦しさを根本的に解決できる唯一の方法】


最後に繰り返しますが、心の苦しさを解決する方法は、次の2つです。

  • 誰かにつらい気持ちを話すこと
  • 誰かに見守られながら、スッキリするまで泣くこと

これは、催眠療法を繰り返し実施することによって辿り着いた結論です。

催眠療法など受けなくても、ただ、この2つをするだけで、催眠療法の後に得られるスッキリとした楽な気持ちを取り戻すことができるのです。


直面している問題の解決は、そのあとでもできるのです。

そして、心をスッキリさせてから考えれば、それまでは思いつかなかったような、もっと良い解決策も考え付くものなのです。