新しい記事は新ブログに投稿しています。



2006年6月19日月曜日

トイレット・トレーニング

「トイレット・トレーニング」という言葉から伝わってくるニュアンスから、

■トイレができるようになるためには、それ相当の訓練が必要

と思っていたが、

実際にその場面に立ち会ってみると、

そんなに難しいものではなかった。


オムツが取れたのは、3歳6ヶ月くらいの頃。


もともと、

■できるようになったらできるのだから、焦ってトイレのしつけはしない

というスタンスで眺めていたので、

標準よりは遅いのではないかと思うが、

標準を調べる事もしていないので良く分からない。


で、色々な話が理解できるようになってきたし、

また、行動能力も上がってきたように思ったので、


『お前も、もう、トイレでおしっこやウンチをしようと思ったら、お父ちゃんやお母ちゃんと同じようにできるんやで。だから、もし、やる気になったら、やるようにしたらいい』

という話をするようにした。


そして、トイレでしなくても、別にそれも当たり前という感じの関わりを続けていると、

ある日突然、トイレでするといって、トイレでおしっこをする事が出来た。


できるようになった喜びを、お父ちゃんもお母ちゃんも一緒に大喜びした。


ストレスの無いままにオムツが外れた感じ。


それは、突然訪れた


慌てて3年保育の幼稚園に行かせなかったのも、

トレーニングを焦らずに済んだ要因かもしれない。


弟は、たぶん、兄の様子を見ているから、

そのうち、勝手にできるようになるだろうと思うので、これまた、気楽に対処できそうだ(^o^)丿


そうそう、それ以来、約3ヶ月、未だに1度も寝しょん便ををしていない。


お父ちゃんの記憶では、

自分の小さい頃は、マメに、寝しょん便をしていたような感触があるのに・・・。


その記憶は、寝しょん便の頻度は小さくても、

その時 のショックがとても大きかったので、

そんな記憶になって残ったのかもしれないなぁ~、

なんて、ちょっと想像してみた。(^_^;)



2006年6月16日金曜日

子守唄

お前たちをあやすためにお父ちゃんが選んだ子守唄は「七つの子」だった。

今日は、その理由でも書いておこうと思う。


メロディー的には「ゆりかごの唄」が好きなのだけれど、おとうちゃんの子守唄からは落選!


「七つの子」当選の理由は?!


歌詞の中に、「可愛い」という言葉が沢山あったこと。


「丸い目をした・・・」ってとこも、

「可愛い目をした・・・」って言い換えて、

『可愛い可愛い』と散々言って、

お前らの頭を撫ぜ倒した後に、

「いい子だよ」って締めくくれる感じが、

お父ちゃんがお前たちの事を可愛いと思う気持ちにピッタリだった。


1番をエンドレスで何回も何回も聞かされたお前らは、

大きくなっても、この歌を聴いたら懐かしく感じるはず!

でも、お前らがいくら「可愛い目をしたいい子だよ」と主張しても、本当の歌詞は、やっぱり、「丸い目をしたいい子だよ」なんだよ(^_^;)

2006年6月3日土曜日

ボッコちゃん

ボッコちゃん

これは、おとうちゃんが、

本が好きになるきっかけとなった本だ。


ショートショートというジャンルで、

短い文章(短いものは1ページ、長くても数ページで話が完結する)の中にメッセージや驚きなどが込められていて、

しばらくの間ショートショートの本を読みあさった。


ちょっと、毛色が違うが、


ゴールデンラッキー―完全版 (上) 
ゴールデンラッキー―完全版 (中) 
GOLDEN LUCKY 下 完全版―1994-1996 

は、興味深い漫画だった。

これが、禅の公案への興味につながったのかも知れない。

ショートショート、ゴールデン・ラッキー、

公案は、おっ父ちゃんの中では同じジャンルだ。

人生を楽しむ為に

世の中って、その時々において、色々な事が「つじつまが合っている」っていうか、「論理立っている」と思えるような状態になっていることがほとんど だと思う。そして、同じ社会に生きている人のほとんどは、その論理を正しい事として受け入れていることが多い。でも、そのように受けとめてしまうと、 ちょっと、つまらないと思う。

人間というものは、どうも、「つじつまが合わない」とか「論理立っていない」などといった状態が苦手なようで、その時々の知識に基づいて、体系だっ た論理を作ってしまう。そして、体系だっているから、その論理のおかしなところには、なかなか気付く事が出来なくなってしまう。
これは、社会の常識に限らず、学問などありとあらゆる事に当てはまると思っている。

もちろん、結構正しいことも多いかもしれない。でも、世の中が信じていることを全て正しいとしてしまうと、それで終わってしまう。

『お前たちにとってどうでも良いこと』については、過去の人々が苦労してつじつまを合わせたことに従う方が楽だから、それに従った方が良いと思う。でも、自分たちが興味があることについては、『きっと、そこには、まだ真実が隠されている』と考えて向き合うと、お前たちの目に映る景色は、きっと、新鮮なものであり続けるだろうと思う。

お父ちゃんの場合は、特に、自然科学系の常識に隠れてそうな真実をあれこれと考えている時が、とても楽しい時間だった。

空想した中でも、『蟻は個体を越えて記憶を伝達しているのかもしれない』という考えは面白いと思っているのだけれど、お前たちの時代の科学ではどんな風だ?(今はまだ、記憶は個体に属するという考えが一般的なようなのだが・・・)