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2005年2月16日水曜日

罠(わな)

「罠(わな)」というと、そこに悪意が含まれるような印象を与えるかもしれませんが、これから述べる「罠」には悪意はありません。

でも、悪意が無いからそれ気付き難く、余計に性質(たち)が悪いのです・・・。

それぞれの家庭には、それぞれの家庭の罠があると思うので、それを考えることは、これを読まれている皆さんにお任せすることにして、それを考える参考になればと、私の家庭に仕掛けられていた罠をひとつ紹介したいと思います。


【例(私の場合)】

私の母親は、「疲れた」とか「しんどい」とかいう言葉を、よく私の前で、口にしていました。

小さい頃の私は、そう言われると、「何かしなければならないのかなぁ~」って気持ちになって、「何か手伝おうか?」とか「ボクがやろうか?」とかいう事を言っていました。

でも、今から考えると、何をして良いか分からなかったり、どうしたら良いのか分からなかったり、本当はしたくないという気持ちになって困っていたような気がします。

で、私が言葉では、「手伝おうか?」と言うものの、実際には動かない私を、私の母親は「手伝う気も無いのに言うな!」と責め、責められた私は、それができない自分が悪いのだと、自分自身を責めたのでした。


簡単に表現すると、「言いたくないことを言わされて、それを言うと責められる」という罠にはまっていたということだと思います。

もし今の自分がその場面に戻ることができたら、たぶん、心にも無いことを言わないでいられたり、言ったとしても、その後責められたら、「心にも無いことを言わせないで欲しい」と言えるような気がします。

母親(父親)に父親(母親)の愚痴を聴かされ続けると、父親(母親)が悪い人のように思えてしまったりするのも、そんな罠の一つかもしれません。

「私が、お母さん(お父さん)を守ってあげるから」というような事を思っているときも、罠にはまっているのかもしれません。

他にも色々とあると思います。

ほんの一例ですが、もし、あなたがお父さんのことを嫌いだと思っているとき、次のようなことを考えてみるのは何かの役に立つかもしれません。


○『「この人は、お父さんのことを嫌いと思っている」とあなたが感じている人』が、あなたの近くにいますか?

○本当は、あなたはお父さんとどうしたいのですか?(お父さんにどうしてもらいたいのですか?)



自分に仕掛けられたそんな罠に気付くことは、自分の本当の気持ちに気がついたり、自分の本当の気持ちを大切にするにはどうしたら良いのかを考え始めるきっかけになるかもしれないと思います。

2005年2月8日火曜日

魔法の言葉

私の上に、長い間覆いかぶさっていた言葉があります。

「おまえは、カホゴだから・・・」

この文章は、私の母親がよく口にした言葉なのですが、

私は母親の使う小バカにした文脈から、「自分は、カホ子(かほご)という普通ではない人間なんだ」と、長い間思い込まされていました。


その言葉に疑問を持ったのが、中学生の頃だったと思います。


色々な言葉に出会っていく中で、世の中に存在する「カホゴ」という言葉は、「過保護」であるという事に気付いたからです。


「過保護」にされた対象は幼かった頃の私かもしれませんが、その行為の主語は『母親』です。


でも、その当の母親が、「過保護」という言葉を使って、自分が過保護の対象としている私を責めていたのです。


つまり、いわれの無い罪を、着せられ続けていたのです。中学生になって、ようやく私は、その矛盾に気付き、指摘することができて、「自分はカホ子なんだ・・・」と思わされていた魔法の言葉の攻撃からは開放されたのでした。


「カホゴ」という言葉によって、私に伝わってきたニュアンスは、「お前は、普通ではないダメな人間なんだ」というものだったような気がします


そして、そのニュアンスを長い間受け続けることによって、『自分は出来損ないの人間なんだ・・・』と思い込まされてしまったような気がします。


その身についてしまった『漠然とした「自分は出来損ない・・・」という雰囲気』によって、時には「生きていてはいけないのかもしれない」と生きていることから逃げたくなるほど、私に重くのしかかり、その後も、私を長い間苦しめたように思います。


また、当時の母親は、私の事を自慢に思っていたらしく、「お前はできる子だ」と、よく言っていたように思います。


人格を否定され、肯定という形で親の期待を押し付けられ、本当は、かなり混乱してしんどかったろうと思います。


でも、幼かった頃の私は、そんなことに気付きませんでした。「自分はできる子なんだ」と、これまた信じ込み、一生懸命に勉強し、母親を満足させ続けていたような気がします。


今の私には、母親に悪意が無かったことは、理解できます。


でも、悪意の無い言葉に、深く傷つけられていたことも、また、確かなことです。


【まとめ】

子供を評価したり決め付けたりするような言葉は、それが良い評価でも、悪い評価でも、子供の自由を奪ってしまうことにつながってしまうかも知れません。


そして、子供の心に、その子の人生において長く重くのしかかる傷を残してしまうのかもしれません。


例えば、「エリート意識」などというものも、もしかしたら、そんな傷の一つかもしれません・・・。


親がしなければならないこと

それは、子供を評価することではなく、

その時その時の子供を受けとめる(受容する)、言葉方法を探そうとすることなのかもしれません。