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2005年9月15日木曜日

自分が変わる ? 相手が変わる ?

人間関係の悩みについて考える時に、

「相手を変える事が難しいから、まず、自分が変わらなければならない」

というようなフレーズを、しばしば、耳にしたことがあるのではないかと思います。


この意味は、実は、2つあると考えています。

その事について、今回は、ご説明しようと思います。



(その1)因果の法則

原因を追究しようとすると、「まず、思い当たること」が原因のように思えてしまいます。

ところが、その原因も、実は、「その前に起こった他の原因の結果に 過ぎない」という側面を持っています。

そして、その原因の原因は・・・・、というように延々とさかのぼってしまい、何かを『真の原因』として切り出すこと は、不可能に近いのです。

そこで、原因の追究を止めて、その因果の法則から抜け出そうとする試みが、「相手を変えようとせずに、自分が変わる」ということ の意味するところだろうと思います。

つまり、「自分が変わらなければならない」ではなく、「自分が変わるところから始めてみる」という手法について言っているのだろうと思います。

自分が変わった事が原因となって、その後に起こる結果も、これまでのパターンとは変わり始める。

つまり、短い期間だけ、過去から続いていた悪い因果を断ち切る努力をすれば、特に自分が変わったり、他人が変わったりしなくても、お互いにとって良い結果が自然に得られるサイクルに移行していくということなのだろうと思います。



(その2)「自分も、相手も、変わらなくて良い」ということを受け入れることができるように変わる
この内容を、正確にお伝えすることはとても難しいと感じているのですが、何かが伝わる事を願って説明をさせて頂きます。

(その1)で説明させていただいたことが、「相手を変えようとせずに、自分が変わる」の真の意味だと私は認識しているのですが、誤って、次のような意味に捉えてしまう人は多いような気がします。

■自分の悪いところを見つけて、それを直すこと

■相手が変わらないから、自分が我慢できるようになること

そう考えてしまうと、苦しい気持ちになってしまう事は多いかもしれないと思います。

詳しい説明はここでは省きますが、相手の人に悪意が無いとしたら、この世界には、「自分も、相手も、変わらなくて良い」ということが真実としてあると思っています。

つまり、
「相手が変わらない = 自分が変わらなければならない」

とか、

「自分が正しい = 相手が変わらなければならない」

などというような二元論的な結論は、本当の答えではないということです。


相手を責めるのは間違っています。

そして、また、自分を責めるのも間違っているのです。

それでは、誰が、変われと言っているのでしょう? 

何が、変われと言っているのでしょう?

それは、あなたではありません。


でも、その答えは、あなたの中にあるのです。


その答えに気付く事によって、一つの価値観の縛りから開放されていくきっかけになるのだろうと思います。

何かを感じていただければと思います。

【補足】

悪意についてですが、それが、真の悪意かどうかは、判断が難しいところだとは思います。

悪意と感じられることの大部分は、そこに隠されている本当の気持ちを正直に表現すれば、相手に悪意を感じさせずに済むような事のような気がしています。


■本当の気持ちを素直に表現する

■表現された素直な気持ちは、どれもが、大切に扱われるに値するものとして受けとめる


これが、社会の共通認識になった時、みんなが幸せになれる社会になるのかもしれません。

2005年9月11日日曜日

ふと気付いたこと

今朝5時ごろに、内容はさっぱり覚えていないのですが、

何かの夢を見ていて、目が覚めました。


そして、何となく自分の過去を振り返っていました。

たぶん、そんな気分にさせる夢だったのだろうと思います。


「20代の時は、本当に辛かったなぁ~」

「あんなに、辛かったのに、良く頑張ったよなぁ~~」

「もっと、早く、誰かに相談していたら良かったのになぁ~」


そんな事を、ボーっと思っていて、自分の中での一つの核心に気が付きました。


もしかしたら、今、何かに苦しんでいる人にも、

参考になるかもしれないと思うので、忘れないうちに書いておこうと思います。



・自分が本当に苦しい時には、誰も、助けてくれない。

・苦しみの原因を解決する事は出来ない。


そんな事を、過去の経験から、

無意識に固く信じていたということに、気が付きました。


そう信じていると、苦しいと感じたときには、

自分ひとりで、ただ、耐えるしかありません。


私は、小さい頃から、ずっと、苦しいときは、

決まって、何 も言えないような気分を感じ、

何も言えないような気分を感じるから、

何も言えずに、ただ、耐えていたような気がします。


(今なら、過去のいろいろな場面 で、「どのように助けて欲しかったのか」を、その頃の私の代わりに言うことが出来ると思います。)


でも、耐えているだけでは、

運が良ければ、周りの状況の変化によって、楽になることは、あるかも知れませんが、

周りの状況の変化によって、また、苦しくなってしまいます。


(一緒にいる相手によって、自分が変わってしまうというのも、同様の状態かもしれません。)


『気分』、それは、過去の経験によって学習したことを、

効率良く行う為の、人間の一つの能力だと考えています。


でも、学習した事は、学習した環境でしか役に立たないのです。


私の場合、恐らく、ずっと小さい頃に、「助けて欲しい」と言った時に、

助けようとしてもらえなかったり、逆に、怒られたりしたのだろうと思います。

 だから、「助けて欲しい」と言ったり、感じたりすることで、

辛い思いをしなくても良いように、その『気分』が、私を守ってくれていたのだろうと思います。


そして、そのことによって、「助けて欲しい」という気持ちが、

ほんとうに長い間、無意味に封印されてしまっていたのです。


理由も分からず、「生きることが辛い」に似た感覚があるとき、そんな封印は必ず存在しています。


でも、その封印は、必ず、はずす事が出来ます。


だから、苦しみから抜け出せないでいる人は、次の言葉は真実だと受け止めてください。


●助けて欲しいと言えば、助けてくれる人は、必ずいます

●苦しみの原因は、必ず、解決する事が出来ます

●だから、必ず、苦しみから解放されます

あんなに辛く苦しい状態から抜け出した男が言うんだから、間違いありません。

これだけは、固く信じてください。

絶対に、信じてください。

それを、信じて、それからどうするのか。


そのヒントが、このブログの中に書いているつもりですし、

これからも、書いていきたいと思っています。