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2005年4月29日金曜日

他人に厳しく、自分に甘い、は・・・・ウソ

不平不満を話す中で、

「あの人は、『他人に厳しく自分に甘い』」

という言葉を、口にしたり、耳にしたりすることはあると思います。

でも、その言葉は、真実を語れていないような気がします。


そんな話を、もう少し詳しく聴いてみると、

雰囲気としては、次のような文脈になっていることがとても多いと思います。


Bさんが言いました。
だって、Aさんは私に、「時間を守りなさい!」ってうるさく言うくせに、自分はどうなのよ!この前、「自分の机を綺麗にしてね」って頼んだのに、相変わらず汚いままじゃないの!

この文章を何度か読んでみると、

●Aさんは、『時間を守る』ということを大切に考えている

●Bさんは、『整理整頓』ということを大切に考えている


ということに気が付くと思います。


つまり、それぞれが大切だと思っていること(大切にしている価値観)は違うという事になります。



Bさんが、Aさんの視点に立って、Aさんの行動を見たとき

・Aさん自身が時間にとても厳しく行動している

ということに気が付くと思います。


逆に、Bさんが、Bさんの視点に立って、Aさんを見たとき

・Bさんがそのことにルーズだ

と感じる以外に、

・実は、Aさんがそのことを疎かにしたとしても、同じように寛大な対応をとっていた

ということに気付くのではないかと思います。


でも、Bさんは、そんな時、自分で自分自身を戒めているので、Aさんがそのことに対して寛大であることに気付けないのではないかと思います。


だから、『他人に厳しく自分に甘い』という言葉には、今ここで、ガセビアの沼(?)にでも沈んでもらってはどうかと思います。

「他人に厳しく自分に厳しい」、そして「自分に甘く他人に甘い」

この言葉を頭の片隅にでも留めておくことは、

今まで受け入れることが出来なかった色々なことの意味を、

理解することを手伝ってくれるかもしれません。


【補足】
「相手が他人に厳しく要求している」とあなたが感じること

それをゆっくり見つめてみると、相手の苦しみを理解することを手伝ってくれるかもしれません。


あなたが、他人に対して苛立ちを感じたり、厳しくしてしまうこと

それをゆっくり見つめてみると、自分自身の苦しみの理由に気付き、そこから開放されることを手伝ってくれるかもしれません。


2005年4月21日木曜日

相手の気持ちを読むことの弊害

例え話です。

AさんとBさんがテーブルに座っていました。

テーブルには、あんぱんがひとつ

AさんはBさんに言いました


【パターン1】 このあんぱん、食べたい?

【パターン2】 私、このあんぱん、食べたい。



パターン1は、相手の気持ちを読もうとする部分が大きく、

パターン2は、自分の気持ちを相手に伝えようとする部分が大きい

と思います


パターン1で対応すると、相手を混乱させてしまう場合があると思います。

先に書いた例では、それほど混乱はないと思いますが、このパターンを多く使う傾向があると、時に、

●私、このあんぱん食べなくても大丈夫だよ

といった類のことを言ってしまうことにもつながるように思います。


このとき、もし、Bさんが全く違うことを考えていたとしたら、

「『あんぱん食べなくても大丈夫』ってどういうこと?」

というような感じに、混乱してしまうだろうと思います。


そして、Bさんは、混乱の中で色々と考えて、

Aさんが「自分があんぱんを食べたいと思っている」という自分の気持ちを読んでそう言った

ということを理解します。


つまり、Bさんも、自分の気持ちではなく、『Aさんが読んだBさんの気持ち』を意識しなければならない状態になってしまいます。


その結果、AさんとBさんの間には『幻のBさん』が介在することになってしまいます。

そして、それは、極端な表現をすると、本当のBさんの気持ちは無視されることになってしまうのです。

だから、何かを質問しようとしたり、何かを言おうとしているときに、そこに相手への気遣いがあると感じたら、本当の自分の気持ちが隠れているかもしれないと考えてみることは大切かもしれません。


そして、その本当の気持ちを表現することは、『幻のBさん』を追い出すことを助けてくれるかもしれません。

◆私、あんぱんが食べたいのだけど、あなたは、どう?

◆私、あんぱんが食べたいのだけど、1つしかないから、あなたの分がないと思って困ってる
の・・・。あなた食べたい?

そんなことを素直に表現して相手に伝えることは、あんぱんを2人で半分ずつ食べて、2人ともおいしい思いをすることにつながるのかもしれないと思います。

もし、あなたが、誰かと上手くコミュニケーションがとれないと感じているとしたら、あなたの周りにも、『幻のBさん』がいて、あなたたちの邪魔をしているのかもしれません!?

相手に何かを言った時、相手から「どうして?」という言葉が返ってきたとき、『幻のBさん』があなたの本当の気持ちを隠してしまっているのかもしれません・・・。

2005年4月8日金曜日

ため息のススメ

ため息』というと、

何となく「必要の無いもの」というようなイメージをもたれる方は多いのではないでしょうか?


でも、催眠療法と長く関わっていて、『ため息』の役割が、

ようやく理解できたような気がしています。


催眠状態で自分の中にある「好ましくない感覚」を吐き出すイメージをしながら、

深呼吸を繰り返していくと、

次第に嫌な感覚は薄らいで、リラックスした状態になることができます。



この事実をもとに、『ため息』のことを考えたとき、

我々が意識していなくても、

催眠療法の一つとして行うリラクゼーションと同じ役割を果たしているように思えてくるのです。


人間に限らず、動物の色々な行動は、

無意味に思えても、恐らく何らかの意味があるのだろうと思います。


そして、それは、何らかの欲求を満たす行動体の状態を調整する行動だけでなく、

心の状態を調整する行動も身に着けているということかもしれません。


だから、「疲れたなぁ~」とか「気が重いなぁ~」とか「怒りの感情」など、

色々な心に抱えておくことが苦しいような感情があるときは、

催眠状態であるかどうかには関係なく、『ため息』をつくことは、

きっと、心を穏やかにすることを助けてくれるのではないかと思います。


そして、無意識ではなく、意識して行うことが大事だと感じています。


また、毎日の習慣として、朝の10分、お昼の10分、寝る前の10分、

例えば座禅のポーズでもとって、嫌な感覚を吐き出すイメージをしながら、

ゆっくりと呼吸を繰り返す(意識して『ため息』つく)ことは、

リラックスを身に着けて、本当の自分に戻ることを手伝ってくれるかもしれません。


《ちなみに、私は、これを第2段階の座禅だと思っています。》

2005年4月5日火曜日

記憶について(寝言につき注意!)

『記憶』というものについて、私の今までの知識を総動員して、考えてみたいと思います。

半分以上、私の寝言のような内容です。興味がありそうだったら、学問的な裏づけはない事を了解した上で、適当に流し読みしてみて下さい。

普通に『記憶』というと、覚えている経験や知識のことを指していると思います。

そして、時にそれは、思い出せなくなったりすることもあります。

そういう類のものを『記憶』と呼んでいます。


そして、『記憶』はそれぞれの人に固有のものという考えも、当たり前のように受け入れられているように思います。


そう考えることによって、私たちは、次のようなことを暗黙のうちに受け入れてしまっているところがあります。


(1)記憶は、世代をまたがない

(2)記憶は、個体をまたがない


人間にとっては、当たり前と考えられていることなので、まず、人間以外について考えてみる方が分かり易いかもしれません。


(1)世代をまたぐ記憶

1つの細胞が、細胞分裂を繰り返して、動物や植物の形になることも、その種(しゅ)を保存する為の記憶、つまり、世代をまたぐ記憶の一つのような気がしますが、ここで注目したいのは、行動など、『普通は、文化として継承するもの』と人間が考えていることに関わる記憶です。


一般的に良く知られている例では、『ミツバチの8の字ダンス』があげられると思います。


言語を用いて説明するわけではないのに、ミツバチたちはそのダンスを見て、花がどこに咲いているかを、伝え、そして、理解することが出来ます。


「鳥がたまごを温める」、「蚊が水たまりにたまごを生む」など、他にも色々な行動が、文化としてではなく伝えられている事実を、たくさん知っていると思います。


これは、記憶が世代個体をまたがって伝わっていると認識しても良いのだろうと思います。

この類の記憶を、人間は、『本能』と呼んでいるのだと思いますが、表現を変えれば、『世代をまたぐ記憶』と呼ぶことも出来ると思います。


(2)個体をまたぐ記憶

15年ほど前に、当時暮らしていたアパートの自分の部屋に、アリの行列が出来てしまったことがありました。

排除することが忍びなくて放置した結果、1週間にわたってアリの行列を観察することになってしまいました(苦笑)。

その間、アリの行列に対して色々な働きかけなどしながら観察を続け、「アリは記憶を共有しているのではないか」という認識に至りました。

詳しいこと はここでは述べませんが、●認知、●誤認(思い違い/勘違い)、●忘却、と思われる現象が、アリの行列全体の動きとして観察されたと私は考えています。

当時、私が調べたところによると、「行動フェロモンによってアリがコントロールされている」という見方が一般的だったようですが、私個人としては、記憶を共有する機能を持っていると考えた方が理解し易い感じがしています。

(現在の最新の学問はどのような認識になっているかは、興味はあるのですが確かめるには至っていません・・・)


(1)(2)の記憶の前に、(0)『種が種である為の記憶』というものもあります。


これは、卵子と精子が出会って、1つの細胞が分裂して脳や色々な臓器や手足を形成して、人間や犬などの個体としての形を再現したりするような記憶です。


そして、最後に、一般的に『記憶』として認識されている後天的な経験や学習によって得られる(4)いわゆる記憶が加わえたものが、記憶の全体象だと理解できるのではないかと思っています。


我々人類の生活に最も影響するのは、「(4)いわゆる記憶」であることは経験的に明らかなことだと思います。


しかし、これらの記憶が複雑に絡み合って、自分の住む世界を認識すると考えたることも出来るかもしれないとも思います。


また、「前世の記憶を持つ人がいる」ということは、

先祖の記憶が、DNAなどを媒体として伝わる部分があるかもしれないと考えた時、自分の前世と錯誤してしまうような、自分の祖先が体験によって得た記憶も持ち合わせている

と説明できる部分もあるのかもしれないと想像しています。


集合無意識と呼ばれるものも、この種の記憶に属するのではないかもしれません。


※ここでの話には、『魂(たましい)』の領域のことには一切触れていません。


そちらの方は、「私の人生の終わりまでに、ヒントくらいはつかめればよいのに・・」と願っているのですが・・・。

もし、『魂の領域』があるとしたら、これらの記憶とは切り離されたところにあるのだろうと想像しています。

魂の世界にアクセスすることが出来る人もいるようなので、地球外の生命についてのお話や、その人の世界観/宇宙観など、いろいろな事を教えてもらえる機会が持てればよいのにと願っています。


【ご注意:ここから先は、もっと、寝言です!^_^;】

クローン人間という存在も、近い将来実現させてしまいそうな勢いがありますが、このように考えると、クローンとして生み出された人間の脳に、その種(タネ)となる細胞を提供した人の記憶のある部分が展開されてしまうことがあるかもしれません。

そして、その記憶をうまく扱えずに、行き詰まってしまう事になるかもしれないと想像しています。

人間が、いろいろな事を分かったように錯覚して、自然の中で傲慢な振る舞いを続けていくと、この複雑な宇宙のしくみと辻褄を合わせることが出来なくなって、とんでもないことになるのではないかと、とても心配です。


うまくまとまったかどうかは不明ですが、今回は、ここで終わりにさせて頂きます。


【最後まで、読んで下さった方へ】


私の寝言にここまで付き合ってくださって、ありがとうございました。!