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2004年12月29日水曜日

強い心・弱い心

●「もっと、強い心になりたい」
●「自分の心は、なんでこんなに弱いのだろう・・・」

私たちは、悩み苦しんでいるときに、こんなフレーズを思い浮かべることは多いと思います。

でも、あたかも解決の目標を示しているように錯覚させてしまうこのフレーズが、自分を苦しめてしまう原因なのだと、私は思います。

このことを考えるに当たっては、まず、「どうして、そう感じてしまうのだろう?」という自分の背景を理解することは、とても大切なことだと思います。

ポイントは、自分の大切なものまで譲らなければ(否定しなければ)適応できないほどの厳しい環境が、そこにあるということに気づくことが大切だということです。

つまり、自分が弱いのではなく、環境が厳しすぎるのです。

「幸せに暮らしたい」と願う大切な心が同じようにあるだけで、それ以上何も差は無いのだと思います。

心に「弱い」も「強い」も無いのです!

ある状況を認識するとき、客観的に把握するという面もありますが、心象風景として、その人固有の認識をする部分の方が大きいような気がします。

プラス思考・マイナス思考の例えで、次のような話は、しばしば耳にすると思います。

 ■ 客観的事実 コップに半分の水が入っている
 □ 認識1    コップに、半分しか水が入っていない
 □ 認識2    コップに、半分も水が入っている

今回はあまり詳しく説明しませんが、「認識1」と「認識2」の違いは、「経験の記憶」の差によって生じると思っています。

私は、プラス思考・マイナス思考という言葉はあまり好きではないのですが、仮に、あなたが自分のことを「マイナス思考」だと考えているならば、そう判断する記憶つまり、厳しい経験をすることが多かったということだと思います。

そして、過去の記憶の調整をすれば、現在の心象風景も良いものへと変わっていくように思います。

もしあなたが

●「もっと、強い心になりたい」
●「自分の心は、なんでこんなに弱いのだろう・・・」

と思っているならば、これまでかなり自分に厳しく頑張ってきた人に違いありません。

だから、もう、それ以上、強くならなくても大丈夫なのです。

『過去の自分の厳しい状況に気づき、そんな中でも自分なりに頑張ってきた自分を認めること』は、きっと、『今の自分の状況が過去の厳しかった状況の延長ではないことに気づき、あなたらしく生きることの助けになる』と思います。

何かを感じて頂けたらと思います。

【つづく】

2004年12月28日火曜日

多くの人と接すること

自分に独特な「他人の言葉や行動、出来事に対する習慣的な反応」に気づき始めたら、多くの人たちと接することは、きっと、何かの助けになると思います。

私は、「他人の為に生きよう」と決意して初めたボランティア相談員になるための研修活動のおかげで、私は多くの人たち(仲間)と、密に接する機会に恵まれました。もしかしたら、「ボランティア」ということで、優しい人たちが集まっていたという面があったのかもしれません。

その頃の私は、「自分なんて価値が無い・・・」というようないじけた気持ちの真っ只中に居たので、他人と関わりたい反面、怖くて人から遠ざかりたいという複雑な心境でした。でも、ボランティア相談員を目指す人たちは、そんな私をいつも「仲間」として暖かく受け入れてくれました。

始めの頃は、「受け入れてくれている」という事実が理解できずに、何の根拠も無いのだけれど「自分はここに居てはダメなんだ」というような漠然とし た気持ちでいっぱいでした。たぶん、「受け入れてもらえること」が異常だと感じていたから、普通に戻れば、「やっぱり、受け入れてもらえない」というよう な感覚があったような気がします。

いつもなら、きっと、この漠然とした嫌な感覚に耐えられず、そこから逃げていたかもしれないのですが、「自分が生きていくための最後の決断」によって臨んでいる私には、もう後がありませんでした。そして、それは、今から思えば、私にとって、とても幸運だったことのように思えます。

誰でも、今までと違う状況に出会うと戸惑います。それは、自分にとって良いことであっても、同じような気がします。例えば、いつも怒ってばかりいる 親から、ニコニコしながら褒められると、「きっと、何か下心があるかもしれない」と思ってしまうのと似ていると思います。でも、それに慣れて、それが当た り前のことになれば、違和感無く受け入れることが出来るようになると思います。

私も、少しの期間を必要としましたが、だんだんと人の温かさを、「嬉しい」と素直に受け入れることが出来るようになっていきました。

《まとめ》
●あることに対して、不快の2つの感覚があるとき、快の感覚に目を向けることは、とても大切な事のような気がします。
不快の感覚が、根拠の無い漠然としたものならば、快の感覚を感じることに慣れるに連れて次第に薄らいでいくように思います。
自分が快を感じる場面を貪欲に求めようとすることは、その手助けをしてくれるかもしれません。
●そんな中で、多くの人と触れ合うことは、多くの価値観と触れ合うことと同じだと思います。多くの価値観に触れることは、自分を苦しめる無意識のこだわりに気づき、それから開放されることを手伝ってくれるような気がします。(ただ、本音を隠した表面的なかかわりの中では、それは難しいかもしれません・・・)

※心理カウンセリングも、その手伝いをしてくれると思います。もしかしたら、日常にそれを求めるよりも、まずカウンセリングの場にそれを求める方が、「実はとっつき易い」ということに、あなたは気づいているのかもしれないと思います。

健忘録:そのうち書いて見たいと思うタイトル
『本音を話す為に』、『「身体的練習」と「心理的練習」の目標設定の違いについて』、『漠然とした「嫌な感覚」について』

2004年12月16日木曜日

どんな状態だったかというと・・・(その3)

言葉で表現することが苦手な人は、症状問題行動が表れやすい傾向があるという見方があります。

しかし、当時の私は「心理の世界」と無縁でした。また、症状による苦しみの真っ只中にいた私には、『この症状こそが問題だ』という問題意識は、実に正しい認識のように思えて、「自分の心に目を向けてみよう・・・」なんて考えは、微塵も起こりませんでした。

ですが、今から当時を振り返ると、当時の自分の気持ちを理解できそうな気がしています。

会社では、仲良くしてくれる人は、たくさん居て、楽しく過ごせていたという面はあったと思います。
でも心のどこかに、「自分なんて、しょうもない存在だ・・・」って感じがいつも付きまとっていたように思います。だから、人と接するとき、「自分のことを、面白い人だと思ってもらえるだろうか?」という不安があって、人と会う前には、それが試されるテストを受けるような、嫌な感覚を感じることが多かったような気がします。「人は恋しいのだけれども、その感覚は耐え難い」、それが正確な説明のような気がします。表現を変えると、人に近づこうとすると、人からではなくその感覚から逃げたくなり、人から離れると寂しさに押しつぶされそうになるとういような、どちらに行くことも出来ない解決不能と感じられる状態に陥ってしまっていたということになると思います。

そして、たぶん、それを解決する為に無理やり考え出した方程式が、関西出身の私の中では、『面白い』 = 『価値がある』というものだったような気がします。

ちなみに、この等式には、人それぞれ違いがあって、
例えば、
・過去に、認められることが多かったこと
・最近、たまたま認められたこと
・世の中で認められていると感じていることや「流行」
・たまたま、思いついたこと
などなど、いろいろなきっかけがあるように思います。

※このあたりのことは、別の機会に詳しく書いてみようと思っています

その方程式の左辺を成立させなければ、自分の存在価値はなくなってしまう、つまり、その頃の私にとっては、「死」を意味していたと思います。そのくらい、その方程式を成立させることは、私にとって危機迫るものだったのです。

しかし、「死」というものを現実に選ぶことは、やはり恐怖でした。「生きることは苦しく、死ぬことは怖い」、そんな気持ちの中で、TOMの心の歴史【開放編】の最初の「開放」へのきっかけの中で書いた、「他人の為に生きよう」という決断をしたのでした。
『「開放」へのきっかけ』の中で、私は、その決断のことを「寂しい決断」と表現したのですが、その言葉を使った気持ちが、今、分かったような気がしています。それは、「生きたまま死ぬ」為の決断だったのかもしれません。

TOMの心の歴史【どん底編】・・・【完】

《補足》
しつこいようですが、私がこんな事を書いているのは、こんな私でも、普通の状態になれたのだから、(もしあなたが、同じように苦しんでいるとしたら)、「きっと、私も大丈夫!」という希望を持っていただく助けになることを願っているからです。

2004年12月14日火曜日

どんな状態だったかというと・・・(その2)

それまでは、スポーツしたり、お酒を飲んで騒いだりすることが好きだったので、『心臓病?』という不安に、私の楽しみの全てを取り上げられてしまったような気がしました。

気持ちの変化が先か、体調の変化が先かということは、今から考えると、「やっぱり、気持ちが参っていたんだろうなぁ~」っていう風にも考えられるのですが、当時は、体調のことにしか焦点が向いていなかったような気がします。
そして、「体調が良くなったら、また、前のように楽しく過ごせるのに・・・」なんて考えて、体調がよくならない現実によって、ますます気持ちが沈んでいきました。

そうしているうちに、症状も網の目のように広がっていってしまいました。運動をしたり、緊張したり、お酒を飲んだりすると、確実に不整脈が起こるよ うになって、喫茶店や飲み屋などに入れなくなったり、通勤の電車に乗るのも、パニックになるかもしれないという不安との戦いで、とても辛い思いをしまし た。
安静にしていると、頻脈になることが多く、歩くことすら怖くて部屋の中を這いずり回っていたこともありました。運動してもダメ、安静にしていてもダメで、「一体どうすればいいんだろう・・・」って、とてもさびしい気持ちになったことを思い出します。

辛かったり苦しかったりしたエピソードを書こうと思えば、いろいろあるのですが、ここで詳しく思い出して文章にするのは気が重く面倒な感じがするので、省略します。

そんな状況の中、前回書いた「気合いで治す」という誓いのもと、会社ではとても元気に振る舞っていたら、『Mr.スマイル』みたいなキャンペーンで、表彰されてしまいました。不思議なものです。(苦笑)

今回は、症状のことを中心に書きましたが、次回は、気持ちの部分について、少し思い出す作業をしてみたいと思います。

【つづく】

《補足》
再確認ですが、私がこんな事を書いているのは、
こんな私でも、普通の状態になれたのだから、(もしあなたが、同じように苦しんでいるとしたら)、「きっと、あなたも大丈夫になれる!」
ということを信じるお役に立てることを願っているからです。

2004年12月5日日曜日

お兄ちゃん、お姉ちゃん

2人以上の兄弟のときに、例えば、「お兄ちゃんだから、我慢しなさい」って、言ってしまいがちではないでしょうか?

「お兄ちゃんだから我慢しなさい」と同じような感じで、「お兄ちゃんなんだから、年下の子には優しくしてあげないとダメでしょ!」とかいう言葉も、言ってしまいがちかもしれません。たぶん、他にもよく似た言葉は、たくさんあるような気がします。

でも、当たり前のように使ってしまいがちな言葉なのだけれども、言われた方にとっては、「なんで、お兄ちゃんだったら、我慢しないといけないの?」「なんで、お兄ちゃんは、年下の子に優しくしないといけないの?」・・・、「なんで、なんで???」って気持ちになるような、とても不思議な言葉なんだろうと思います。

たまたま、ほんの数年この世に早く生まれてきただけなのに、その人生のはじまりの時期から、『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』という役割を負わなければならないというのは、なんだか酷な感じがしませんか?

その言葉の持つ本当の意味は、
・親が考える『兄弟』という人間関係を自分の子供たちに演じさせようとしたり、
・親が子育てのわずらわしさから開放されたい
から言っているに過ぎないのかもしれないと思ったりします。

【例】
お兄ちゃんを我慢させることによって、弟が泣いてわずらわしい状態から、親が解放されたい。

だから、自分の子供に接するときは、「お兄ちゃんだから」という言葉は使わないようにしていこうと思っています。その言葉を使わないことは、「お兄ちゃんだから」という言葉の影に隠れてしまいがちな、親にとっての本当の理由に気づくことが多くなるような気がします。そして、それを、説明してあげる方が、納得感があるのかもしれません。そうすると、今まで『命令』していたことが、『依頼』の形式に変化するかもしれません。

【例】
弟が泣いてかわいそうに思うから、お兄ちゃんに少し我慢して欲しいと思うんだけど、協力してくれる?
(この時、お兄ちゃんの拒否権を尊重することが大事だと思います。もし拒否されたら、一緒にどうするか考えてみるのも一つの方法かもしれません。)

また、「お兄ちゃんだから」とお兄ちゃんだけに課しがちなことは、お兄ちゃんにも、弟にも、親にも・・・みんなに対等に課されることとして扱っていきたいと思っています。

子供の悩みへの対応

自分の子供が、何かに悩んでいることに気づいたとき、あなたは、どちらに目が向きがちですか?

①子供が直面している問題の解決方法
②悩んでいる子供自身の気持ち

①に目が向いてしまうことも多いかもしれません。そして、「~~したらいいんじゃない」とか「~~しなさい」とか、「そんなこと、あなたが悩まなくても良いんじゃないの!?」とかアドバイスをしたり、或いは、解決方法が分からなくて一緒に悩みこんでしまったりすることはあるかもしれません。

でも、前回『親の喜び・子の喜び』の章で書いたことと同じように、やっぱり、子供の気持ちが疎かにしてしまっている部分があるような気がします。

だから、子供が直面している問題の解決よりも、子供が、そのことを、どのように感じ、どのように考え、どのように悩んでしまっているのかという気持ちを理解しようとする方が大切かもしれないと思います。それは、その時々にふさわしい言葉を教えてくれるかもしれませんし、子供が「自分自身の気持ちを理解してもらえた」と感じられたことで、悩みの重要な部分が解決してしまうこともあるかもしれないと思います。

親の喜び・子の喜び

普通の人間関係でもそうですが、大人が子供と関わるときに、特に大切だと感じて、気をつけようと思っていることを、少し書いてみたいと思います。

例えば、子供が学校のテストで90点をとって来たとします。
あなただったら、その答案用紙を見て、どのように声をかけてあげますか?

①90点とれて、よかったね!
②100点とれなくて、残念だったね!

この2つの例の、どちらが正しいとか間違っているとかいうことは、今の段階では言えないと思います。もし、言ってしまったとしたら、それは、親の一方的な気持ちだけで反応してしまっていることの方が多いような気がします。

では、その時々においての、その子供にふさわしい言葉の違いは、何から生じるのでしょう?
例えば、その子供が80点を目標に頑張っていたか、100点を絶対に取ろうと思っていたのかによるかもしれません。80点を目標にしていたものの、テスト を受けた実感としては100点がとれるかもしれないと楽しみに思っていたかもしれません。また、毎回、100点をとらなければならないような気がして、と てもプレッシャーを感じて過ごしているのかもしれません。

つまり、その子に気持ちを聞いてみないと、何と声をかけて良いのか分からないというのが、本当のところかもしれないと思います。

子供に、「90点とって、どんな感じ?」と聞いてみて、「嬉しい」と言えば「よかったね!」と声をかけ、「悔しい」と言えば「残念だったね・・・」と声をかけることのような気がします。そして、私も、それが自然に出来るように努力していきたいと思っています。

2004年12月2日木曜日

普通ではなかった家庭

前回にも少し書きましたが、
誰でも子供の頃は、自分の家庭に不満があったとしても、そんな不満も含めて、家庭での全てのことを「当たり前」のこととして受け入れているように思います。

友達の家に遊びに行ったとき、その家のルールが自分の家庭のルールとは違うことに、違和感を感じたりすることがあるかもしれません。それは、そんな「当たり前」が原因だったのかもしれません。

今回は、私が、子供の頃に「普通」と思っていた家庭が、今から振り返ると「普通ではなかった」と思えることと、それに関連したことを書いてみたいと思います。

私はこの章を、自分の過去に悩みの原因を求めている人が、
○自分がおかれていた環境にあったかもしれない「歪み」に気づくこと
○「そんな中で、そうせざるを得なかった過去の自分自身」を理解してあげること
の助けになることを願って書いています。

私の中での始めての父親の記憶は、幼稚園に入る頃のものです。
夜に家で父親が廊下を歩いていたのを見て、「このおじさんは、誰?」と思ったところから始まります。(たぶん、それまではあまり家には居なかったのだと思 います。)始まるといっても、その後も関わった記憶は無く、母親に、「おぉ~い、めし」「おぉ~い、お茶」「おぉ~い、風呂」など用を言いつけて、用が済 むと自分の部屋に入って、ひたすらに本を読むといった感じでした。だから、「おぉ~い」「おぉ~い」と言う人だと思っていたような気がします。また、関わ りが無いので、同じ空間で一緒に居るときは、どうすごして良いのか分からず、とても居心地が悪かったように思います。
母親は、自分の思い描く通りに私に関わろうとしました。言い方を変えれば、「自分の思い通りにしたかった」という表現になるのかもしれません。「幼稚園に 行くのがイヤだ!」といった時に、湯のみを思いっきり投げつけられた記憶があります。言葉を普通に話せるようになった頃だと思うのですが、話したくて一生 懸命に話していると、「うるさいから黙りなさい」と怒って聴かないくせに、自分が話したいことは一方的に機嫌良く話し続けるようなところもありました。
父親と母親のコミュニケーションは、ほとんど無くて、家族みんなで楽しかったという記憶もありません。母親は、父親には不満を言わずに、私にばかり父親の愚痴を言っていたような気がします。

ここまで書いて、「全部、幼稚園の頃の記憶だな」って、今、改めて興味深いことだと思っています。書こうと思えば、いつまでも書けそうな気持ちになってきましたが、ここで少しまとめおきたいと思います。

【私にとって普通だったこと】
・父親は、用事以外はあまりしゃべらない。
・父親が家に居ると居心地が悪いけど、その居心地の悪さに、耐えなければならない
・自分の思っていることは話してはならないが、母親の話すことは、いつまでも黙って(笑いながら)聴かなければならない

【補足】
家庭の雰囲気に強力に支配された状態で長く過ごすと、【私にとって普通だったこと】の中の対象を示す言葉(父親、母親など)や時と場所などを示す言葉があいまいになってしまい、その人の世界観と感じてしまうことになってしまいそうな気がしています。

  《例》  生きづらさを感じたときは、ただそれに耐えなければならない

そんな雰囲気の中ですら、「父親と母親は、自分にとって絶対的な大切な存在」という感覚は持っていたような気がします。そして、今から思えば、私は、父親にもっと構って欲しかっただろうし、母親や父親に自分の気持ちをいろいろと聴いて欲しかったろうと思います。

この「自分にとって普通だったこと」あたりのことを、交流分析(TA)では、幼児決断と呼んでいるような気がします。でも、私の中では、決断と呼ぶのはあまりにも酷な気がしています。それよりは、家庭での父親と母親の演出によって「そう思わさせられてしまった」といった方がシックリくるような気がしています。表現を変えれば、「暗示にかかってしまった」といえるのではないかと思います。(家庭で出来てしまった「こころの傷」に催眠療法が有効なのも、理解できるような気がします)

【補足】
仮に、「決断」していたとしても、それは、そこに生きたコミュニケーションが無かった為に、「そう決断せざるを得なかった」という表現の方が正しいような気がします。

今の自分が、【自分にとって普通だったこと】に気づくことは、今の自分には、そこから抜け出す能力があるということに気づくきっかけになるかもしれないと思います。

【つづく】

健忘録:そのうち書いて見たいと思うタイトル
『魔法の言葉』、『思春期について』、『家庭のはじまり』、『生きたコミュニケーションとは』

2004年12月1日水曜日

自分を責めてしまう

「なぜか分からないけど、自分を責めてしまってつらい・・・」

もし、そんな感じがあるとしたら、これから書くことは、何かの助けになるかもしれないと思います。

「自分を責める」って、具体的にはどんなことかを、少し考えてみたいと思います。
始めに、私が考える「自分を責める」という言葉の定義を書きます。

「自分を責める」という言葉の定義

それぞれの人が「当たり前だ」と考えている環境に、適応しようとすること

「責める」ではなく、「適用しようとしている」と表現すると、少し出口が見えそうな予感を感じませんか?つまり、「環境が変われば、実は既に適用している状態なのかもしれない」ということです。先を続けます。

「自分を責めてしまっている」ときは、例えば、次のようなことが、頭の中をグルグルまわってしまっている状態だと思います。
●~でない自分はダメだ、~であるようにならなければならない・・・。
●~できない自分はダメだ、~できるようにならなければならない・・・。
●~と感じてしまう自分はダメだ、~と感じないようにならなければならない・・・。
●~と思ってしまう自分はダメだ、~と思わないようにならなければならない・・・。

そして、次の言葉で締めくくってしまうこともあるかもしれません。

こんなことを考えてしまう自分はダメだ。
こんな事を考えないようにならなければならない・・・。

このように考えてしまうと、「とてもじゃないけど、今の状態からは、抜け出せない」というような気持ちにさせられてしまって、かなりキツイと思います。だから、最後の言葉を思い浮かべる前に、次のようなことを考えてみると、何かの助けになるかもしれないと思います。

ここで、少し唐突な質問をしてみたいと思います。
◆ あなたは、空を飛ぶことは出来ません。その事によって、「空を飛べるようにならなければならない」と考えますか?

たぶん、答えは、『No』だと思います。
「出来ない」という意味では、同じことなのに、この差はどうして生じてしまうのでしょう?
それは、「そのことは当たり前だ」と思える雰囲気の違いによるのだと思います。

例えば、
●医者の家に生まれた人の中には、親の期待によって「医者にならなければならない」という状況に置かれてしまっている人はいるかもしれません。
●近所の友達がみんな、アンパンマンのぬいぐるみを持っていたら、アンパンマンのぬいぐるみを持っていない自分が惨めに思えたかもしれません。

でも、親の期待が無ければ、小さい頃からあこがれていた電車の運転手になったかもしれません。サッカーが流行っていたら、アンパンマンではなく、サッカーボールが欲しいと思ったかもしれません。つまり、自分が置かれている環境(時代や関わる人)が作り出す雰囲気によって、人それぞれの「当たり前のこと」が違ってくるということだろうと思います。
そして、あなたは、あなたの置かれている環境(置かれていた環境)が作った雰囲気の中で、それが「当たり前のこと」と感じさせられてしまっているのだろうと思います。つまり、「現実」というよりは、「イメージしている世界」に、大きく影響されてしまうように思います。

だから、「自分を責めてしまうこと」を止めるためには、


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">「自分自身を見つめる」のではなく、「自分が置かれている(置かれていた)環境を理解しようとする」ことが、きっと、そのイメージをあなたの生きやすいものへと変化させる助けになるような気がします。

そして、「あぁ~、そのような状況だったら、自分がそう思ってしまっていたのも無理はないよなぁ~。そんな状況で、今まで、よく頑張ったなぁ~。ありがとう。」と、自分自身に心から言ってあげることが出来るようになることは、もしかしたら、忘れかけていた本当の自分の気持ちに気づくことにもつながっていくかもしれないと思います。

次回は、『強い心・弱い心』というタイトルで書こうと思います。 『価値観の多様化と心への影響』という内容も、そのうち書いてみたいと思います。
【つづく】