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2004年12月2日木曜日

普通ではなかった家庭

前回にも少し書きましたが、
誰でも子供の頃は、自分の家庭に不満があったとしても、そんな不満も含めて、家庭での全てのことを「当たり前」のこととして受け入れているように思います。

友達の家に遊びに行ったとき、その家のルールが自分の家庭のルールとは違うことに、違和感を感じたりすることがあるかもしれません。それは、そんな「当たり前」が原因だったのかもしれません。

今回は、私が、子供の頃に「普通」と思っていた家庭が、今から振り返ると「普通ではなかった」と思えることと、それに関連したことを書いてみたいと思います。

私はこの章を、自分の過去に悩みの原因を求めている人が、
○自分がおかれていた環境にあったかもしれない「歪み」に気づくこと
○「そんな中で、そうせざるを得なかった過去の自分自身」を理解してあげること
の助けになることを願って書いています。

私の中での始めての父親の記憶は、幼稚園に入る頃のものです。
夜に家で父親が廊下を歩いていたのを見て、「このおじさんは、誰?」と思ったところから始まります。(たぶん、それまではあまり家には居なかったのだと思 います。)始まるといっても、その後も関わった記憶は無く、母親に、「おぉ~い、めし」「おぉ~い、お茶」「おぉ~い、風呂」など用を言いつけて、用が済 むと自分の部屋に入って、ひたすらに本を読むといった感じでした。だから、「おぉ~い」「おぉ~い」と言う人だと思っていたような気がします。また、関わ りが無いので、同じ空間で一緒に居るときは、どうすごして良いのか分からず、とても居心地が悪かったように思います。
母親は、自分の思い描く通りに私に関わろうとしました。言い方を変えれば、「自分の思い通りにしたかった」という表現になるのかもしれません。「幼稚園に 行くのがイヤだ!」といった時に、湯のみを思いっきり投げつけられた記憶があります。言葉を普通に話せるようになった頃だと思うのですが、話したくて一生 懸命に話していると、「うるさいから黙りなさい」と怒って聴かないくせに、自分が話したいことは一方的に機嫌良く話し続けるようなところもありました。
父親と母親のコミュニケーションは、ほとんど無くて、家族みんなで楽しかったという記憶もありません。母親は、父親には不満を言わずに、私にばかり父親の愚痴を言っていたような気がします。

ここまで書いて、「全部、幼稚園の頃の記憶だな」って、今、改めて興味深いことだと思っています。書こうと思えば、いつまでも書けそうな気持ちになってきましたが、ここで少しまとめおきたいと思います。

【私にとって普通だったこと】
・父親は、用事以外はあまりしゃべらない。
・父親が家に居ると居心地が悪いけど、その居心地の悪さに、耐えなければならない
・自分の思っていることは話してはならないが、母親の話すことは、いつまでも黙って(笑いながら)聴かなければならない

【補足】
家庭の雰囲気に強力に支配された状態で長く過ごすと、【私にとって普通だったこと】の中の対象を示す言葉(父親、母親など)や時と場所などを示す言葉があいまいになってしまい、その人の世界観と感じてしまうことになってしまいそうな気がしています。

  《例》  生きづらさを感じたときは、ただそれに耐えなければならない

そんな雰囲気の中ですら、「父親と母親は、自分にとって絶対的な大切な存在」という感覚は持っていたような気がします。そして、今から思えば、私は、父親にもっと構って欲しかっただろうし、母親や父親に自分の気持ちをいろいろと聴いて欲しかったろうと思います。

この「自分にとって普通だったこと」あたりのことを、交流分析(TA)では、幼児決断と呼んでいるような気がします。でも、私の中では、決断と呼ぶのはあまりにも酷な気がしています。それよりは、家庭での父親と母親の演出によって「そう思わさせられてしまった」といった方がシックリくるような気がしています。表現を変えれば、「暗示にかかってしまった」といえるのではないかと思います。(家庭で出来てしまった「こころの傷」に催眠療法が有効なのも、理解できるような気がします)

【補足】
仮に、「決断」していたとしても、それは、そこに生きたコミュニケーションが無かった為に、「そう決断せざるを得なかった」という表現の方が正しいような気がします。

今の自分が、【自分にとって普通だったこと】に気づくことは、今の自分には、そこから抜け出す能力があるということに気づくきっかけになるかもしれないと思います。

【つづく】

健忘録:そのうち書いて見たいと思うタイトル
『魔法の言葉』、『思春期について』、『家庭のはじまり』、『生きたコミュニケーションとは』

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