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2010年2月26日金曜日

「褒めて育てる」、「叱って育てる」よりも大切な視点

子供はみんな催眠状態』では、人は生まれてから社会に一人立ちするまでの間、社会で生きていくために必要な知識を暗示として蓄積していくと説明しました。

それに関連して、今回は、「褒めて育てる/叱って育てる」ということを説明します。


人が、その人の人生で活用するための暗示(知識)を蓄積する方法として、次のようなものが挙げられます。
  • 他人から与えられたものを受け入れる ( しつけ教育、情報、社会の常識・慣習 … )
  • 自分で体験したことを蓄える
  • 理解できないことを自分なりに解釈して作り出す
  • 蓄積されたものを、自分の中で体系立て、それらを包括する上位の解釈を作り出す
  • 既に蓄積したものを、経験に応じて修正する
インプットがあるのは、はじめの2つです。
(残りの3つは、自分の中で起こることです。)


さて、今投稿のテーマの説明に入ります。


褒めると『叱るは、対極の位置にあると感じる言葉です。

ですから、「褒めて育てる」と「叱って育てる」は、子育ての大きな方針(或いは、方法)の違いとして受けとめられやすいところがあります。


しかし、褒めて育てても叱って育てても、親の価値観を子供に受け入れさせようとしている(暗示を入れようとしている/洗脳しようとしている)」ということでは、大した違いはありません。


「どのようにして暗示を身につけるのか?」というところに焦点を当てると、もっと大切な対極となるものが浮かび上がってきます。

それは、「暗示(知識)を他人から得る」のか「暗示(知識)を自分の体験から得る」のかということなのです。


■「叱って育てる」/「褒めて育てる」について

子育てにおいて、ある程度は、子供が親の思う通りに動いてくれなければ、親の負担が大きくなってしまいます。

ですから、親の価値観を植えつけて思う通りに操ろうとするのはやむを得ないことだと思います。

(少なくとも、これで、思春期(第二次反抗期)までは、家庭の中は安泰になることが期待できます。)

叱って育てる

「叱って育てる」を広い範囲に渡って強烈に行った場合、子供の主体的に感じ・考え・行動しようとする力が奪ってしまう恐れがあります。

すると、主体的な経験による暗示の蓄積が不足してしまうので、思春期という世界観の再構築が起こらない心配が生じます。


叱るときは、
  • 母親が叱ったら父親があやす
  • 父親が叱ったら母親があやす
※あやす:「子供の気持ちを親身になって聴いてあげる」という意味

というように役割分担して対処すると、子供の心に大きなダメージを与えないようにできると考えています。

褒めて育てる

「褒めて育てる」は、
  • 親が望んでいるように子供が行動したときに、「良くできた!」「よくやった!」などと、意識して褒めること
を言っているのだと思います。

「叱って育てる」とは異なる方法論であるように感じられますが、『親の価値観によって評価する』ということですので、褒めることで親の価値観を子供に暗示することになります。

『叱る』と比較すると、子供が受けるダメージは少ないと想像できますが、それ以外は、あまり違いはありません。

また、親の価値観に一致したときは『褒めて育てる』を意識して過剰に褒めがちですが、不一致のときは、結局は『叱る』ことになりがちです。


【補足】

ちなみに『叱る』というのは「怒ったふりをする」ことで、感情的になって怒ることとは違います。


■体験させて育てる

これを実践するために、親は、どのようにすれば良いのでしょうか?

それは、子供の感情に合わせた反応をすることです。
  • 子供が喜んでいたら、一緒になって喜ぶ
    (親は、自分の価値観と合致したことが嬉しいから喜ぶのではなく、子供が喜んでいるという目の前の事実を喜びます)

  • 子供が泣いていたら(つらそうにしていたら)、子供が安心な気持ちを取り戻すまで抱きしめてあげる
これだけです。

「自分で感じ考え行動した結果、嬉しいことが起こり、親もそれを喜んでくれたからもっと嬉しくなった」という経験の繰り返しは、自分で感じ考え行動する原動力となります。

つらい気持ちのときも、親に抱きしめられれば心はつらさから回復します。

そして、つらい体験の記憶がトラウマになること防ぎます

また、「つらい気持ちが回復する」ということを繰り返し経験すれば、多少つらくなりそうなことでも、安心してチャレンジすることができるのです。


これらの体験を繰り返すことによって、心の無意識のところに入り込む暗示
  • 自分の嬉しいことを他人も喜んでくれる
  • つらくなっても、抱きしめてもらえたら楽になれる
が、自信安心感の正体だと考えています。


ただ、これは、「放任主義という名のもとに、子供をに好き勝手にさせる」ということではありません。

親が、事前に教えることが出来ることは、情報として与えてあげれば良いのです。

「ああしろ!」「こうしろ!」と行動を制限するのではなく、「こんなことになる心配があるよ」とか「こんな良いことがあるかもしれないよ」とかいう感じで、情報を与えれば良いのです。


あとのことは子供に任せて、子供が外で何かを体験して帰ってきたら、一緒に喜んだり抱きしめたりするだけです。

これによって、子供は、自分の体験に合った暗示(知識)を蓄積していくことが出来ると考えています。


【補足】

このように対応できる割合が大きければ、親は、反抗期(第一次反抗期、第二次反抗期)と呼ばれている時期を「反抗している」とはあまり思わなくなるでしょう。

また、思春期(第二次反抗期)に起こる世界観の再構成において、子供が感じる衝撃も小さくて済むのではないかと想像しています。

最後に

今回の投稿では、しつけ教育によって育てる」は悪い、「体験させて育てる」良いと言っているのではありません
  • しつけや教育によって育てるのは、子供の為ではなく、社会や親を安定させるために大切なことです。
  • 体験させて育てるのは、社会は混乱しますが、子供が直面している現実を生るための知識(暗示)を獲得するために大切なことです。
要は、バランスが大切だということです。

そして、「褒めて育てる」「叱って育てる」よりも大切なこと、それは、「支えて育てること」だと言えると思います。



【余談ですが…】

受験の為だと勉強ばかりを優先させていたら、子供に必要な体験は不足してしまうのではないかと思います。

また、テレビゲームばかりしていても同じです。

読書は、どうだろう?

擬似体験だからまぁOKなのかなぁ?


体験が少なくなれば、「共に喜んでもらい、苦しい気持ちに寄り添ってもらう」という機会は減っていきます。

また、親の「子供の体験を支える」という視点が薄れれば、やはり、そんな機会は減ってしまいます。

そんな感じです … 

2010年2月25日木曜日

心の苦しさの解決 と イモ洗い

畑からサツマイモを掘り出した

掘り出したてのイモは泥まみれだ

さて、イモを洗って、きれいにしよう

何で洗えば綺麗になるのだろう?

水道水?

井戸水?

湧水?

清流の水?

きっと、清流の水だなぁ~

どこの清流の水がいいかなぁ~

A川の水は、硬度が高すぎないかなぁ~

B側の水は、綺麗と言われているが、見た目がちょっと・・・


・・・・


そうやって、水については、だんだんと詳しくなっていく

水の知識では、誰にも負けないくらいに詳しくなっていく


でも、実際にイモを洗わなければ、いつまで経ってもイモの泥は洗い流せない



拙著『あなたにもある心を回復する機能』で、

  • 心理関係の知識や情報に触れる上で一番大切なことは、そこに書かれていることを理解することではなく、そこから何を理解するかなのです。

と書いたのは、そういう意味です。


心に関する情報には、毒水も含まれることがありますが、多くの場合は、同じことをそれぞれの解釈によって説明していると言えるところがあります。


深く理解しようとしたら、やがて、同じところにたどり着くでしょう。

だから、誰かの言っていることを、深く理解しようとし過ぎるのは、あまり意味は無いのではないかと思います。


やっぱり、実際に、イモを洗うことが大事なのです。

ただ、同じような水でも、自分についた泥が流れやすい水もあれば、流れにくいもある。

自分にとって、イモを洗いやすい水はどの水なの?

水について詳しくなるのではなく、洗いやすいかどうかを試してみる。

そういうことだと思います。



また、泥ばかりにとらわれて、中のイモを見ようとしないと、それは泥の塊にしか見えません。

泥の塊だと思っていたら、その泥の塊を水で洗うことはできません。

中にイモがあるとを信じると、イモは洗えるようになります。


私のブログの投稿も含め「心に関する情報や知識」、つまり、「イモを洗う水」を理解しようとすることに力を入れ過ぎず、イモの泥が流れ落ちるかどうかに意識を向けて下さい。


そうしていたら、やがて、泥の中から綺麗な紅色のサツマイモが顔を出すはずです。

今はただ、綺麗な紅色のサツマイモが、泥に隠れてしまっているだけなのです …

2010年2月24日水曜日

「子供の引きこもり」 と 「成人の引きこもり」について

前回の投稿で説明したグラフから、「子供の引きこもり」 と 「成人の引きこもり」について、一つの解釈をご紹介します。

【注意】
1つのことでも、様々な視点から見ることが出来ます。

ですから、これは、一つの解釈に過ぎません。

全てがこの解釈で説明できるとは思いませんが、参考にして頂けるところはあると思います。

子供の引きこもり

家庭は、子供が世界観を身につけていくときの基本となります。

子供は、人間関係(人とのコミュニケーション、人とはどういうものか)をはじめて学びます。

はじめて学んだことは、その後の人生において、基本として生きていきます。


やがて、家庭以外でも、様々な経験をするようになります。


また、子供が、外の世界でつらい気持ちになったとき、元気を取り戻せる場所も家庭です。

家庭の中で安心な気持ちになって勇気を取り戻すことができれば、子供は、また、外に元気に飛び出していきます。


このような環境で、子供は、自分が生きていく世界がどのようなものかを理解し、世界観として身につけていきます。


これらを踏まえて、子供が引きこもった場合、その原因の可能性として考えられることを挙げます。


1.家の中に引きこもっているとき

親との関わりは、子供にとって安心なものである可能性は高いと思われます。

家庭外の世界に、相当につらい状況があることが予測されます。

家の壁という物理的な壁と家族によって、守られている状態といえます。

2.自室に引きこもっているとき

2-1.家庭と同じようなつらい状況が外の世界にもあると感じている

家庭が、子供にとって安心できる状態にないとき、子供は、同じような状況が家庭外にもあると感じてしまう恐れがあります。

家庭の中で頻繁に責められるような状況があれば、家庭外の人も、自分に同じように関わるのだろと、ビクビクした感じになってしまうと想像されます。

家庭外で優しくされる経験が積み重ねられないと、やがて、怖くて外に出られなくなってしまいます。


2-2.つらい経験をしたとき安心な気持ちになれない

「外でつらいことがあっても、家庭の中では安心な気持ちになれない」という状況がある可能性があります。

もっと言うと、親との関わりが、子供にとって安心な気持ちになることを妨げ、より苦しい気持ちに追い詰めてしまっている恐れもあります。

外の世界と家族から、自室に立てこもることで、『部屋の壁』という物理的な壁を利用して、自分を守ろうとしていると推測されます。

成人の引きこもり

大人の引きこもりの理由としては、まず、子供の引きこもりと同じ理由が考えられます。

そこに、更にもう一つの理由の可能性が加わります。


親の子供として生まれ、そこから独立して生きていくために、私たちは「世界観を作っては修正する」ということを繰り返しながら、世界観を構築していきます。

子供の頃は、親からの押し付けによる世界観がメインですが、第二次反抗期(思春期)の時期からは、自分の経験や解釈によって、自分独自の世界観へと発展させていきます。


この世界観をもって社会に出たとき、もし、大きなギャップがあった場合、どうなるでしょう?

これまで構築した世界観は、自分が社会で生きていくためには役に立たないということになります。


ここで選択できる道は2つです。
  • 自分の世界観を再構築する
  • 自分が構築した世界観が通用する世界で生きていく

「再構築する」と書くのは簡単なのですが、成人後にそれまでの人生を掛けて身につけてきた世界観捨てて再構築するなど、容易なことではありません。

俗に『価値観の崩壊』と呼ばれるような状態で、大きな苦しみを感じることになります。たぶん、一人きりでこれをするのは、苦し過ぎると思います。

でも、そんな時期に苦しんでいると、「もう社会人なんだからしっかりしろ」、「いい年して何を甘えているんだ」などと責められるので、自分を責めてつらい気持ちになることはあっても、安心した雰囲気の中で再構築をすることができません。

そこで、「過去に構築した世界観」が通用する世界に留まるしか道が無くなってしまうのです。


【補足1】
子供の頃から構築が始めまり、人生において連続的に修正されていくべき世界観が、なぜ、社会で通用しないものになってしまうのでしょう?

これも可能性の話しですが、挙げておきます。
  • 家庭(親)の世界観(価値観)が、社会のそれとはかけ離れている
  • 第二次反抗期に、これまでの世界観を修正して自立しようとしている子供を、親が抑えつけてしまう
  • 今の社会では、正しく世界観を構築させるために必要な情報が、多くの余計な情報の中に埋没してしまい、どれが大切でどれが大切ではないかが分からなくなっている。
  • 勉強やゲームばかりしていると実体験が不足してしまい、自分が経験し、その経験によって学んで世界観を修正するということが起こりにくくなる
  • 現代の日本社会が、成人するまで心の自立が難しい状況を作り出している
  • 教育社会という特殊な環境が割り込んでしまっているため、世界観の構築の継続性が断絶させられてしまう

【補足2】
また、『適応障害』と呼ばれる状態になる可能性もあります。

ただ、社会に適応した状態であっても、身を置いた世界の価値観が特殊な場合も、同じような状態に陥ることも考えられます。

こんな解釈もあることを知っておいて下さい。

2010年2月22日月曜日

子供はみんな催眠状態

私が心の苦しさについて理解したことを、暗示という側面から説明します。

序論

本題の前に、極論的ですが、『私たちの知識は、突き詰めれば、ただの暗示に過ぎない』といえるということを説明します。


【例1】

天動説と地動説のことを考えてみて下さい。

中世のヨーロッパでは、「太陽が地球の周りを回っている」という天動説が信じられており、コペルニクスが唱えた「地球が太陽の周りをまわっている」という地動説は異端だとされましたが、今ではそれが受け入れられ、逆に、もし、天動説を唱えれば馬鹿扱いされてしまいます。

この中世のヨーロッパの状況は、「人々は、世の中に受け入れられているつじつまが合っていると感じる解釈を真実だと思い込んでしまう」、つまり、暗示に掛ってしまうということを示す良い例です。


ただ、これは科学が進歩していない昔だから起ったことではありません。現代においても同じです。

現在の最新科学であっても、それは「現時点において最もつじつまの合う説明」というだけのことなのです。

我々は、中世の人々のように、それを真実として受け入れているのです。


【例2】

暗示を受け入れるもう一つの流れを説明します。

私たちが理解できないことに出合うと、それを理解したいという心理が働きます。

そして、既に情報があれば知識として拾い上げます。

もし、既出の情報が見つからなければ、それらしい解釈をひねり出して、「それが自分にとっての真実だ」という暗示を受け入れます。

このように、「理解したいと思う」ということは、「自分から『暗示を受け入れたい』と望んでいる」ともいえるのです。
(未知の分野で騙されやすいのは、人間のこのような性質によると考えられます。)


【例3】

例えば、世の中の人は、パソコンのことをパソコンだと信じています。

しかし、「実は、それはポコペンだった」という考えが広まれば、もう、それはパソコンではなくポコペンになってしまいます。

もともとそれがパソコンなのではなく、私たちがそれをパソコンだと信じているから、それはパソコンなのです。


序論まとめ

例1~3で説明したように、私たちは暗示を受け入れ、自分の行動や存在のよりどころ、つまり、知識と認識して生きています。


うまく伝えられたか少し不安ですが、これらが『私たちの知識は、突き詰めれば、ただの暗示に過ぎない』と書いた理由です。


【補足】
たぶん、いくら科学が進歩しても、「つじつまの合った解釈」ができる範囲が広がったりその解釈がより科学っぽくなったりするだけで、人類が真実には辿り着くことが出来ないでしょう。

つまり「その時点で最もつじつまの合った解釈」という域を超えることはないのだと思っています。

本論

  • 心を苦しめる暗示とは、どのようなものか?
  • 心を苦しめる暗示は、どのように働くのか?
最近の投稿では、ここに焦点を当てて説明してきました。
    【関連する最近の投稿】
  • 気付かないうちに心が受けているもう一つのダメージ
  • これが依存症の原点のような気がします
  • 親が自分の感情を子供にぶつけてばかりいると、子供の心に与えるかもしれない影響
  • 「自分の感情」と「他人の感情」の混乱
  • 「幻の感情による攻撃」が心を苦しめる
  • 心が「幻の声」を聞くとき、苦しさが生じる

そんな暗示が、私たちの心に入り込んでくる様子をグラフに表してみました。


【注意】

この図は、私が理解したイメージをグラフ化したもので、調査や統計などによるものではありません。

また、作図技術の問題でグラフは直線的に表していますが、もう少し曲線的に変化すると考えています。




【グラフの説明】

■青線の説明

人が暗示を蓄積していく流れは、大まかには次のようになります。
  • 幼い頃は、まだ固定的な暗示にとらわれておらず、暗示に対して解放された心理状態です。親の命令には従順で、親の教えはそのまま受け入れる傾向があります。
  • 日々の経験を通して様々な暗示を身につけるに従って、既に暗示が入った部分に対しては、新しい暗示に対して閉ざされた心理状態に変化していきます。
この子供の暗示を受け入れやすい心理状態は、催眠療法で催眠誘導した後の心理状態によく似ています。

そこで、年齢に応じた暗示の受け入れやすさをライフサイクル催眠深度(今回の説明のために適当に考えた造語)としてグラフに表してみることにしました。

新生児のライフサイクル催眠深度を100%として、成長につれてそれが変化するイメージが青い線です。

ライフサイクルの中で、第一次反抗期以前が、最も暗示を受け入れやすい時期だと考えています。

■赤線の説明
  • グラフの赤線は、蓄積された暗示の量を示しています。
  • ここでの暗示は、学問や労働に関する専門知識よりも、人との関わり方や起こった出来事への対処、世界観に関する暗示です。
  • 生後からしばらくの間は、親のしつけや教えをそのまま暗示として受け入れて、急速に暗示を蓄積していきます。
  • 幼児期に差し掛かると、自分で考え行動できるようになってくるため、親からの暗示を受け入れる勢いが減速します。(この受け入れ速度の減速を、親の目には「子供が親に反抗している」と映るのです。) 【第一次反抗期】
  • 第一次反抗期に、子供は、「親からのしつけ」という暗示を受け入れると観念することで、家庭の中で安心に暮らせるようになります。
  • 暗示は、家庭内だけでなく、家庭外での体験からも得ていきます。
  • 知識や思考能力や行動能力が高まると、蓄積された暗示と、自分が直面する現実との食い違いに気付き始めます。そして、これまで蓄積された暗示の一部が崩壊して再構築が始まるので、苦しい気持ちになりやすい時期です。【第二次反抗期(思春期)】
  • 第二次反抗期では、親の持っている暗示や教育社会の特殊な価値観などとの間に摩擦が生じます。(食い違いが生じる原因としては、親の価値観の偏り、学校教育の偏り、幼い頃の乏しい思考による幼稚な解釈などが挙げられます。)
  • 第二次反抗期の子供を、親が『ひとりの人』として尊重する態度で接していると、再構築が穏やかに進行し、それにつれて子供の心は落ち着きを取り戻します。
  • 様々な人たちとの出会いや様々な体験によって、新しい暗示を得たり、過去に得た暗示が修正されたりして、暗示は少しずつ自分が生きていく環境により適合したものに調整されていきます。ただ、様々な人との関わりや新しい体験が少ない環境では、この変化が起こりにくいと考えられます。
  • しかしながら、子供の頃に得た暗示には、いつまでも心の中に残ってしまうものもあります。


人生に影響を与える暗示

『三つ子の魂百まで』という言葉があります。

私は、「人の性格の主要な部分は、3歳までに形成される」と理解していましたが、その根拠は分からないままでした。

しかし、今回想定したライフスタイル催眠深度と照らし合わせてみると、
  • 3歳くらいまでが最も暗示の入りやすい時期で、その頃に入った暗示が人生に大きな影響を与え続ける
ということが、経験的に導き出されたのだと思えます。

私の理解では、この時期は3歳ではなく5~6歳くらいだと想定していますが、この時期に人生に大きく影響を及ぼす何かを身につけるという点では、共通しています。

そして、身につけるものは、得体の知れないものではなく、ただの暗示だと想定しています。

暗示には様々なものがありますが、人の心の成長を考えたとき、「心を楽に保つための暗示」と「心の苦しさの原因となる暗示」を特に重視しなければならないと考えています。


暗示が入りやすい理由

この時期にライフサイクル催眠深度が大きくなる理由は次の2つです。
  • 蓄積されている暗示が少ないので、新しい暗示が入りやすい
  • 人間関係の大部分が、家族(特に親)に限定されてきるので、同じようなコミュニケーション、同じような反応、同じようなしつけなど、ある傾向性を持った経験が日々繰り返される


この時期に受け入れた暗示が人生を左右してしまう理由

日常の繰り返しによって身につける暗示は、意識の深い部分(無意識)に刻み込まれてしまいます。

それは、気付こうとして真剣に向き合わなければ、まず気付くことはできません。

気付かないのですから、変わろうと思うこともなく、変われるはずもありません。

この人に定着して変わりにくい性質のことを、性格と呼んでいるのだと考えています。


ただ、性格が変わらない理由は、『暗示に気付かない』ということだけですから、気付くことができれば、変わりたければ変われるものなのです。


自分に根づいた暗示に気付き、それを言葉で表現できれば、現実とのギャップが意識できるようになります。

また、暗示を受け入れた背景が理解できれば、これまでの自分の頑張りをねぎらうことにもなります。

そんな中で、自分を苦しめた暗示は次第に薄れて目の前の現実に近づき、それに伴って心の苦しさは解消されていくのだと考えます。


【暗示を受け入れてしまいやすくなる状況の例】


1.言語
  • 同じことを繰り返し言われる
    ・「お前は、何をやらせてもダメだな」
    ・「お前は、ダメなやつだ」
    ・「お父さんに言って怒ってもらうよ!」
    ・「泣くな!」
    ・「男の子なんだから、泣くものじゃない!」
  • 子供にとって衝撃的なことを言われる
    ・「お前は橋の下で拾った子供だ。」
    ・「死ね」

2.経験のパターン
  • 同じようなことを繰り返し経験する
    ・泣くと無視される
    ・怒ると家から締め出される
    ・自分が何かを望むと否定される
    ・自分が望まないことをすると褒められる
    ・いつも機嫌が悪い
    ・感情をぶつけられる
    ・暴力を振るわれる
    ・無視される
    ・冷たくされる
    ・裏面交流的なコミュニケーションをされる
    ・失敗すると怒られる
    ・親の考えている通りにしないと怒られる
  • 子供にとって衝撃的なことを経験する
  • ダブルバインド的な状況を作られる
    ・「幼稚園に行きたくない」と泣いていると、「幼稚園に行け!」と言って怒られ、無理矢理行かそうとされる。
    ・「怒らないから本当のことを話しなさい」と言わないことを酷く怒られたから話したのに、本当のことを話すと酷く怒られる。

3.自己の解釈による暗示
  • 1、2のような理解が難しい状況を、自分なりの解釈によって受け入れる
    ・「僕が無視されるのは、僕が嫌なやつだからだ」
    ・「僕が悪い子だから、親は僕を殴るんだ」
これらのことは、ピュアハート・カウンセリングのサイトの『子供の心との関わり方』の『気を付けたい言葉』のページなどに、追々、整理していこうと思います。




子育てに関連して


子供の心を回復させるために


催眠療法の一番の効能は、催眠状態になると、過去に獲得した暗示から距離をとれるようになるということだと考えています。

「泣くな!」「泣いたら怒られてもっとつらくなる」「泣いても何も変わらない」といった暗示からも距離がとれるので、泣きたい気持ちのときには自然に泣けるようになるのです。

一人きりで泣く時とは違い、誰か人に見守られながらオイオイと泣けば心はスッキリとして安心な気持ちを取り戻すことが出来ます。

これが、催眠療法の主要な原理です。


「子供は、何もしなくても深い催眠状態と同じ状態にある」と解釈できると考えています。

もし、その解釈が正しいとすると、子供には「暗示が入りやすい」というだけではなく、「気持ちを回復させやすい」という面もあると考えられます。

ですから、催眠療法を応用すれば、子供がつらそうな時は、ただ抱きしめてスッキリとするまで泣かせてあげれば、子供の気持ちは回復するという仮説が立ちます。

どんな良いカウンセリングよりも効果があるはずです。
(現在、自分の子供で検証中ですが、この理解は正しそうです。)




【補足】


小さいうちに「つらい気持ちのときに抱きしめられること」が習慣になっていないと、子供は成長に伴って、親が抱きしめようとしても抱きしめさせてくれなくなっていきます。

その時、親が考えるべきことは、子供に抱きしめさせてもらえるように、それまでに失い続けた子供からの信頼を、いかにして取り戻していくかということです。


子育ての最低限のポイント


  • 子供に、「心が苦しくなったとき、抱きしめられながら泣けば、スッキリとして楽な状態になる」という経験を積み重ねさせてあげること
  • 子供が、自分で感じ考え行動するための気力を奪わないようにすること
    (参考:子供との関わり方の基本方針


解いておきたい誤解


子供の心に苦しさを抱えさせてしまう親の多くは、『自立』という言葉を誤解しているのではないかと感じるところがあります。
  • 自立とは、「人の群れから離れて、一人きりで生きていけるようになること」ではなく、「社会という人の群れの中で、一人でも、うまく人間関係作りながら、生きていけるようになること」
一匹狼として育てれば、子供の人生を、孤独で苦しいものにしてしまうでしょう。

多くの人は、ここを大きく誤解しています。


これらのベースの上に、しつけがあるのだと考えています。

つまり、子供が自立した人生を送れるようになるためには、しつけは最優先事項ではないのです。

そして、これらのベースさえあれば、多少、子育ての手を抜いたり間違ったことを教えたりしたとしても、子供が成長する中で遭遇する出来事や人との出会いの中で、自分の力で修正していけるのだと思います。


子育ては他人任せにする方がお互いの為かも!?


人は、どんなに頑張っても、人それぞれが持っている偏りパターン的な反応の全てを消せないでしょうし、逆に、それらがその人らしさにもなるのだと思います。

ということは、親が子供に偏った暗示を入れてしまうことは避けられないということでもあります。

にも拘らず、子供の親や養育者だけが、子供を育てる責任の全てを負ってしまうと、子供に偏った暗示を与えてしまう危険度はアップしてしまいます。


パターン的な反応の繰り返しによる洗脳効果を和らげるためには、子育ての多くの部分を、家族以外の人たちに任せてしまう方が良いのかもしれないと感じます。

仮にそれが正しいとしたとき、親が、子供にそんな環境を与えるために何が出来るでしょうか?


習い事をさせたり、親と一緒にいろいろな場所を連れまわすということも考えられますが、それよりも親の負担が少ないことがあります。

それは、子供が人間不信に陥らないように育てることです。

人間関係の基本は、親子関係(養育者との関係)です。

そこで、信頼関係さえ気付くことが出来れば良いのです。

そうすれば、子供が家庭外でも勝手に人間関係を作っていけるようになるので、家族だけを支配する特殊な暗示だけを受け入れてしまう危険性が下がるのだと思います。


極論すれば、「子供は、親以外の全ての人間が育てれば良い」!?

それが、親のためであり、子供のためであるのかもしれません。

半分冗談ですが、でも、結構、イイところをついているのかもしれないと思います(^_^;)


(ちなみに、親の叱り役あやし役という役割分担によっても、インパクトを和らげることができます。)


次回、今回の説明をベースに、「子供の引きこもり」と「成人の引きこもり」ということについて説明したいと考えています。

2010年2月19日金曜日

心が「幻の声」を聞くとき、苦しさが生じる

前投稿(「幻の感情による攻撃」が心を苦しめる)では、コントロールが難しい感情的な反応の正体と、そのような反応が起きてしまう理由について考えてみました。

【前回のポイント】

特に感情的になる必要がないのに感情的に反応してしまう理由
  • 子供の頃に親から感情的に責められることが多かった状況に似た雰囲気を感じ取ったとき、想定される相手からの感情的な攻撃を防御するために、自分の方が先に感情的に攻撃を仕掛ける
【補足】

前回の説明では、子供の頃の家庭での親子関係に焦点を当てて説明を試みました。

もちろん、子供の頃に、長期間に渡って逃れられないような状態の中で、親以外からの感情的な攻撃を繰り返し経験していた場合、それが影響している可能性もあります。

ただ、子供にとって「長期間に渡って逃れられないような状況」が起こることは稀ですし、そのような体験があったとしても、親が子供の『心を回復する機能』が機能するように対処していれば、後々にまで、影響が残ってしまうことを防げると考えています。

ですから、もし、前回の説明のようなやりとりが、家庭の中でなかったとしたら、心の苦しさの原因の焦点は、子供の『心を回復する機能』が旨く機能しない状況が家庭にあったためだと推測しても良いのだろうと考えています。


『心を回復する機能』を活性化させるためのポイントは、次の カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ の Lesson 1 ~ Lesson 8 を参考にして下さい。


ということで、前回の投稿では感情的な反応の意味を説明しましたが、今回は、感情的な反応のトリガー(引き金)についての一つの解釈を説明したいと思います。


タイトルには幻の声と書きましたが幻聴とは少し違います。

例で説明します。

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【例 : 親切にされると腹が立つ 】

前回の投稿で、私は「お先にどうぞ!」と先を譲ってもらうと、「自分のしたいようにするから、構わないで欲しい!」と腹が立つことがあったと説明しました。

普通の考え方では、このような自分の反応をうまく説明できません。

「お先にどうぞ!」という相手の言葉や口調、相手の表情には、自分に対する優しさがあふれていることは、客観的には認識できています。

また、「普通ならこれは、腹を立てるような状況ではない」と頭でも理解できています。

このように状況を正しく理解できているからこそ、逆に、「自分は原因不明の反応をしている」と理解するしかなくなってしまうのです。

原因不明だと理解すれば、「優しくされたときに腹を立てたくない」と望んでも、そのような自分に変わることはできません。

昔の私には、「自分は、親切にしてもらっても、それに感謝できない変な人間なんだ」と結論付けることが思考の限界でした。

そして、自分を変な人間だと責め、自分の心を自分自身が痛めつけていたのです。

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ここで、次のように考えてみると、理解が変わってきます。
  • 耳に聞こえている言葉頭で理解している言葉 と、心が受け取る言葉 が違う
この 心が受け取るの言葉 を 幻の声 と表現してみました。

これらの言葉は、普通は一致しているものなのですが、食い違いが生じていることがあるのです。


この例では、具体的には次のような感じになります。
  • 耳に聞こえ、頭で理解していた言葉 :
    「お先にどうぞ」
  • 幻の声(心が受け取る別の言葉) :
    「自分では何も出来ないのだから、何も考えずに、言った通りにしろ!」
このように考えれば、腹が立ってしまう訳も理解できるようになります。

無意識のところで「相手から責められている」と感じ、そして、心はダメージを受けていたのです。


また、そんな自分の反応を変えようとすると、その理由が分からないので、先に説明したように、自分を責めて苦しい気持ちになりがちです。

しかも、他人から優しくされなければされないで、「自分は大切にされていない」と心はダメージを受けてしまいます。

つまり、どちらに転んでも、心にダメージを受けてしまう心理状態になっていたのです。


このように、「耳に聞こえている言葉 や 頭で理解している言葉」 と 「心が受け取っている言葉」 の間にギャップ(食い違い)があるときに心は苦しくなってしまうと考えることができます。


このとき、一番厄介なことが、
  • 自分の心で起こっていることを理解しようと、言葉のやり取りをじっくり振り返ってみても、客観的な事実を自分に分からせようと頑張ってみても、多くの場合、幻の声(心が受け取っている別の言葉)には気付くことができない
ということです。

幻の声のことを知らなければ、
  • まさか自分が、自分の耳にはっきりと聞こえた言葉を、その言葉の意味を考えたときに自分の頭に浮かぶ意味とは異なる意味として、自分の心が受け取っている
などとは夢にも思わないのです。


自分が反応している本当の言葉に気付いていなければ、心を楽にするための道筋が見えてこないのは当然のことです。


しかし、逆に、幻の声に気付きさえすれば、自分の反応の理由が理解できるようになります。

そして、「自分は正常ではない性格なんだ」といった風に、自分自身を切り捨てることから解放され、自分の心を楽にする方法を探して進めるようになるのです。


また、心は、幻の声を、言葉以外のことからも受け取ってしまいます。

前回投稿の例で説明した「相手の言っていることが聞こえないと腹が立つ」というのは、『聞こえない』という状況が幻の声を生みだします。
  • 相手の話が聞こえない。(相手の言っていることが理解できない)
  • 人の話しちゃんと聞いてるのかぁっ!!

普通、幻の声は具体的な言葉ではなく漠然とした感覚として感じますので、それを言語化するのは難しいところがあります。

そんなときは、子供の頃の同じような場面を思い出してみると、現在の自分が感じていることを言語化する助けになります。


最後に、いくつか例を挙げておきます。

これは、私の体験に基づいていますので、読まれた方にピッタリあてはまることはないと思いますが、参考にはして頂けると思います。

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【例】

[文字色の説明]

青字:トリガーとなる状況・言葉

赤字:幻の声
(幻の声の背景となる子供の頃の状況を、軽く想像しながら読んでみて下さい。)

緑字:陥りがちな状況


  • ○○するの?
  • ○○するな!
  • このように指摘されると、やりたいと思っていたことでも、それをやりたくなくなる。逆に、やりたくなかったことでも、相手に逆らうためにやってしまう。

  • ○○しないの?
  • ○○しなさい!
  • このように指摘されると、やりたくないと思っていたことでも、ついそれをやってしまう。逆に、やりたかったことでも、相手に逆らうために止めてしまう。
※『あまのじゃく』と呼ばれる反応の正体は、このようなことだと思います。


  • 何もしていない状態
  • ボーっとするな!しないといけないことがあるだろ!
  • ゆっくり休めばいいのに、何かしなければならないことを探して出してやろうとしてしまう。また、やらなければならないことが見つからないと、それを見つけられない自分を責めてしまう。

  • 自分のしたいことをしている
  • そんなことしてるんじゃない!他にしないといけない、もっと大事なことがあるだろ!
  • 自分にとって楽しいことを楽しめない。直ぐに実現できることでもお預けにして、夢に仲間入りさせてしまう。

  • 何かをしようとする。
  • そんなことをして何の意味があるのか!
  • 何かをしなければならないと思うわりに、何も始められないので、「何かをしなければならない」という気持ちだけが空回りすることから抜け出せない。

  • 何かを人に手伝って欲しいと思う
  • やっぱり、お前は、自分ひとりでは何も出来ないんだ!
  • 他人に協力してもらうことが出来ない。実際に「手伝ってあげる」と言ってくれる人が目の前に居ても、手伝ってもらうことが出来ず、色々なことを自分一人で抱え込んでしまう。

  • 何かに失敗する
  • やっぱりお前は自分では何もできない。失敗をお前に解決できるはずないんだから、引っこんでろ!
  • 何か失敗したとき、そのリカバリーに自分が手を出してはいけないように感じてしまう。自分で考えて行動したことを、「やっぱり、やらなければ良かった…」などと反省してしまう。

  • 一緒に居る相手がつまらないことで笑っている
  • お前はこれが面白くないのか!
  • 自分が面白いと思っていなくても、とりあえず笑ってしまう。そして、それを面白いと思わない自分を責めてしまう。

  • 目の前でつらそうにしている
  • 私が(お前の為に)こんなに頑張ってるのに、お前は楽でいいな!
  • 相手に申し訳ない気持ちになる。自分が相手を楽にしなければならないと感じてしまう。「何かしろ!」と責められているように感じてイライラする。

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まだまだ、ありそうなのですが、このくらいにしておきます。
(このように洗い出してみると、私の場合は、言葉よりも、状況に結びついていることが多いようです。)


子供の頃、これらの例の赤字のように日常的に責められたため、それが残像となって、現在も尚、幻の声を生みだし続けていたのです。


今から振り返れば、こんな日常があった子供時代は、とても苦しかったと理解できます。また、成長した後も、こんな幻の声を日常的に感じていたら、苦しい気持ちになるのも無理はないと思えます。

しかし、それは永遠に続く苦しみではありません。

その幻の声に気付き、その背景を理解できれば、幻の声は現在から分離しはじめ、やがて目の前の現実から消えていくのです。


そんな作業の中で、もし、つらい気持ちが蘇ってきたら、みなさんも持っている『心を回復する機能』を活用して、心を回復させてあげることをお忘れなく!(^_-)



【お願い】

「幻の声(心が受け取る別の言葉)のトリガーとなる言葉や状況」、「幻の声が語る具体的な言葉」、「幻の声に対する反応」は、生まれ育った家庭環境や経験の違いによって様々です。


もし、ご自身が受け取っていた幻の声に気付かれたら、みなさんと共有して頂けませんか?

コメントをお待ちしています。

次回は、催眠ということに関連付けて説明してみたいと思っています。

2010年2月15日月曜日

「幻の感情による攻撃」が心を苦しめる

子供が、自分の気持ちや考えを素直に話したり、自分の気持ちに正直に行動したりしたときに、親から感情的な反応(感情的に責める、感情的に命令する、感情的に否定する、無視する…)が返ってくることは、子供にはとてもつらいことです。

そこで、子供は、次のような対処で、そのような状況から自分を守ろうとします。


[予防]

(1)相手が感情的にならないように、自分をコントロールする
(2)相手が感情的にならないように、相手をコントロールする


[対処]

(3)自分の気持ちを出さないようにつらさに黙って耐え、相手の命令に従う
(4)自分の気持ちを出さないようにつらさに黙って耐え、相手の命令に従わない
(5)相手の気が済むまで好きに言わせておく(聞き流す)
(6)感情で対抗する


[事後の手当<]

(7)自分の気持ちを、別の誰かに知ってもらい、その気持ちのままに時間を共有してもらう
(8)自分のつらい気持ちに耐えながら、自分の気持ちが納まるのを待つ
※現代社会では、心を回復させることができる(7)の対処は環境的に封じられていることが多く、(8)の対処に陥りやすいところがあります。



予防に失敗したときの対処に関連して

【補足1】

(5)の対処は、子供が自分の感情を親に受けとめられながら身に付けていく対処で、親が感情的になる頻度が高かったり、家庭の中に逃げ場となってくれる大人が居ないとなかなか身に付かないだろうと考えています。

よって、子供は、(3)(4)(6)の対処になりやすいところがあると考えています。


【補足2】

幼稚園くらいの小さい子供は、初めは(6)感情で対抗しようとしますが、親の感情には太刀打ちできません。

小さい子供は、知識量も表現力も理解力も体の大きさも体力もほとんどが親に劣っています。

感情的になって自分を責めている親に、子供が感情をぶつければ、火に油を注ぐことになってしまいます。

子供の対処は、そんな力関係の中で、やがて(3)(4)黙って耐えるという方法に定着していくだろうと考えています。

この「感情で表現し、感情で表現しなくなる」という一連の経過を第一次反抗期と呼んでいるのだと理解しています。

前々回、前回と説明してきたのは、主に(1)(2)の予防的な対処です。


前置きが長くなりましたが、ここからが、今回の本題となります。


これから先の説明は、自分の親に「子供に感情をぶつける傾向」がなかった人には、ピンとこないかもしれません。

でも、身近な人が、良く分からない場面で感情的になってしまったり想定外の反応をしてしまったりすることがあるとき、その人の心を理解する助けになるのではないかと思います。


以前の投稿(気付かないうちに心が受けているもう一つのダメージ)で、同じような状況が繰り返されると、もともと状況との関連で意味を理解されていた言葉が、状況とは無関係の一定の意味を持ってしまうようになる(言葉の形式 に  がついてしまう)ということを説明しました。


それと同じようなことが、この感情による攻撃によっても起こります。

感情による攻撃が、言葉状況特定の意味を持たせてしまうのです。


これが、私の心の苦しさに大きな影響を与えていました。

私は、この言葉や状況に現実とは無関係な感情(過去の親の感情)が影響しているということに気付くのに、とてもとても長い時間を必要としたのでした。


2つほど、私の例を挙げて説明します。

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【例1 : 相手の声が聞こえないとイライラする 】
  • 相手が言っていることが聞こえないと腹が立つ
という状態にしばしば陥りました。

普通に考えれば、「もう一回言ってもらえる?」とか言って聞き直せば済むことなのですが、不機嫌に「なにぃ!?」と反応してしまうのです。

初めは、自分がそんな反応をしていることに気付きませんでしたし、気付いた後も自分自身のことなのに意味が分からずコントロールもできませんでした。


しかし、「相手の感情から自分を守るのは、感情で対抗するか、黙って耐えるのが一番」ということをもとに、自分の現在と過去を振り返ったとき、ようやく自分の中で何が起こっているのかを理解することが出来ました。


「相手の声が聞こえない」ということだけでは、普通は、そんな状況に相手の感情など入り込んでいません。

しかし、子供の頃の経験を振り返ると、母親の言うことが聞こえなかった(或いは、理解できなかった)ときには、
  • また、知らない振りして!
  • ちゃんと、話し聞いてるの!?
  • 言われたとおりにやりなさい!
  • 分かったの!
  • ほんまにこの子は頑固なんやから!
というように感情的に責められることが多かったのです。


つまり、現在においては、本当は起こりもしないその後の相手の感情的な攻撃から自分を守るために、感情な反応で防御していたのです。

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【例2 : 親切にされると腹が立つ】

他人から親切にされたときにも、腹が立つという傾向がありました。

例えば、せっかく、誰かに先を譲ってもらえたとしても、それを断ってしまうのです。

人から優しくしてもらいたくても、そうしてもらえると腹が立って拒絶してしまうので、いつまで経っても人から優しくしてもらうことなどできません。

これは致命的です。

自分の心がどうなっているのか、全く理解できませんでした。

そこで、「感情で反応している」ということから、どのような過去の親の感情から自分を守ろうとしているのかを考えてみました。


そして、理解できました。

それは、私の母親が、私のために良かれと思ってすることを、私が断ると、「お前のためを思ってしているのに、なぜ、それに従わないんだ!!」と従わない自分は責められたのです。

私は、自分がしていることを中断してでも、それに従わざるを得ませんでした。

そして、母は言うのです、「お前は、私が居ないと何も出来ないなぁ~」。

その母親の攻撃から自分を守るために、まず、自分が感情的になって、先に相手に仕掛けることで、自分を曲げてまで相手の思い通りにならなくても良いように、そして、あの言葉を聞かなくても済むように、自分を守っていたということだったのです。

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これから先は、例2を使って説明を続けます。


これらの自分を苦しめる事柄を解決しようとするとき、初めは、頭で「相手は、優しくしてくれているのだから、腹を立てなくてもいいんだ」と理解しようとしました。

確かに、頭ではそのように理解できるのですが、どうしても心が反応してしまうのは止められませんでした。

そして、「腹を立てなくても良いことに、どうして腹を立ててしまうのだ?」と自分を責めて出口が見えない状態になったりもしました。


でも、
  • 「相手が何かを言うと、それに従わないといけない気持ちに追い込まれる」って感じるとしたら、やっぱり嫌な気持ちになるし、腹も立つよなぁ~
というように、自分の感情を理解するステップを1つかませることによって、自分の心で起きていることも理解できるし、出口への道も見えてきました。


あとは、自分の感情に気付いた時に、
  • そうそう、相手の言った通りにしなくても、自分のしたいことを伝えても、普通の人はあんな風に自分を責めて追い詰めたりはしないんだよねぇ~
といった感じに、自分に繰り返し語りかけていると、目の前の現実過去の場面が分離していき、やがて、感情による守りが薄れていきます。簡単に言うと目の前の現実に慣れれば良いのです。


「黙り込んでしまう」、「何も言えなくなってしまう」という状態になって困ってしまう人も、同じように自分の子供の頃を振り返ってみると、そこから、抜け出すためのヒントが見つかると思います。


そして、
  • 「つらい気持ちになったこと」を素直に相手に告げたとき、自分がつらくなったことを「どうしてつらくなるんだ!おまえが悪いんだろ!」と責める人ばかりではなく、「つらくさせてごめんね」と謝ってくれる人も沢山いるのかもしれない
  • 「○○さんとは違って、私は×××のように考えているんですよ」と言っても、「自分と同じように考えろ!」と責める人ばかりではなく、「そうか、君は、そう考えるんだね」と反応してくれる人も沢山いるのかもしれない
と感じ始めると、無理に話そうとしなくても、「自分の考えていること・感じていることを話してみようか」という気持ちが自然に芽生え、それが実際の行動を引き起こすのだと思います。


この投稿が、そんな理解のお役に立てることを願っています。


【ポイント】

自分の何かを変えようとする前にまず、その感情や行動の事情や背景を理解する

また、前回の投稿『「自分の感情」と「他人の感情」の混乱』の最後に記述している【自他の感情を扱うポイント】も参考にして頂けると思います。


次回は、同じことを、少し別の角度から説明したいと思います。

2010年2月12日金曜日

「自分の感情」と「他人の感情」の混乱

前回からの続きです。

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【前回のおさらい】

親が子供に感情的に接してばかりいると、次のような心配が生じます。
  • 子供は、自分の感情と他人の感情の区別がわからなくなる
  • 将来、人の顔色を伺ってばかりいるようになる可能性がある

感情というものは、元来、その感情を抱いた人の責任において感じるものです。

例えば、「君の考え方はおかしい」と言ったとき、「君の方がおかしい!」と怒る人もいれば、「どうして、そう思うの?」と冷静に応答してくる人もいることを考えれば、何となく理解して頂けると思います。

「なぜ、それに腹を立てたのか?」ということは、腹を立てた本人が考え、解決したければ解決すれば良いですし、特に問題がないと思えば、本人の責任で放置すれば良いことなのです。


ところが、次のようなことを習慣的に繰り返していると、感情の責任が曖昧になって、相手の感情を自分の責任だと感じたり、相手の感情を自分が解決しようとしたりするようになってしまいます。

  • 親の怒りを静めるために、子供が親の命令に従わせられる
  • 親の不安を解消するために、子供が自分の行動・態度・考え方を改めさせられる
  • 親に心配を掛けないようにさせられる
  • 怒ったり泣いたり落ち込んだりしている親をなだめるために、子供が自分の感情・考え・行動や態度などを詫びさせられる
  • 親が喜びそうなこと(過去に、親が喜んだようなこと)をするように仕向けられる

すると、『相手の感情を修復しなければならない』という超難題を抱え込まなくても良いように、相手の気持ちを敏感に察知しながら、相手が感情的にならないように自分をコントロールするようになるのです。
(相手がつまらなそうにしているときに、「自分がつまらないから、相手がつまらないと思っているんだ」と自分を責めてしまうのも一例です。)


これがTA(交流分析)でいうところの共生関係であり、共依存と呼ばれる状態につながる原因の本質です。

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親の感情を子供が解決することが習慣になってしまうと、成長して親から離れた後でも、次のような状態に陥りやすくなります。
  • 相手が何らかの感情を持ったとき、「自分がそれを解決してあげないといけない」という気持ちが必要以上に大きくなる

    例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)の一番の問題は、「相手が暴力をふるう」ということではなく、暴力を振るうと分かっている相手から離れることが出来ないというところにあります。

    これは、自分の感情と相手の感情の区別が付いていないために、「自分が変われば、相手は暴力を振るわなくなって、あの優しい人に戻ってくれるはずだ」というように考えてしまい、相手から離れる方法を考えるよりも、自分を変えようとするところに意識が集中してしまうためだと考えています。

  •  また、何かに悩んでいる人と出会うと、放っておけなくなり、また、相手の責任や能力を無視して必要以上に世話をやくので、相手を依存させてしまいやすいところがあります。

  • 自分の感情の責任を相手に取らせようとする
    (自分の考えに従わせるために、自分の感情道具として使う


    「相手の感情を、相手の代わりに自分が解決する」という習慣があると、逆に、「自分の感情の責任も、他人が取ってくれる」と考えてしまいます。

    DVで相手を責めて暴力を振るってしまうのは、そんな感覚に近いと思います。

    また、自分が親からされたように、相手を思い通りに操作するための道具として、自分の感情を利用するようになります。

    しかし、普通の人(親の感情を解決させられてこなかった人)は、感情的に訴えかけてもなかなか自分の思い通りにコントロールすることはできません。

    そこで、自分の感情を、更に、エスカレートさせてしまうことになります。


    【余談】
    また、DVのところでも説明しましたが、普通の人は、感情的になって従わせようとする人からは自然に離れていきます。

    その結果、その方法で操作することのできる相手、つまり、同じような心の傾向を抱えた人と結びつきだけが残っていくことになります。

また、次のような状況も発生させてしまいます。


「相手が感情的になるのを防ぐ為に、自分をコントロールする」というのは、逆に、「自分を変化させることで、相手をコントロールして感情的にさせないようにしていると理解することもできます。

そんなところから、相手の顔色を気にする人は、本人はそんなつもりはないのですが、無意識に相手をコントロールしようとする雰囲気を発してしまうところがあるのです。



「相手の状態に合わせて、自分を変化させる」という方法は、もともとは、感情的になり易い自分の親に対してのみ有効だった手法です。

しかし、それが習慣になると、誰に対しても顔色をうかがってしまうところがあります。

自分は「相手のことを考えている」、「相手に気を使っている」と思っているのですが、そのやり取りに内在する「相手を操作しようとする雰囲気」によって、相手に
  • 操作されているような感覚
  • 支配しようとされているような感覚
  • 何かを要求されているような感覚
などを感じさせてしまいます。


また、次のようなことも引き起こす可能性があります。
  • 相手の中にない架空の気持ちを勝手にくみとるので、相手の本当の気持ちを理解していない
  • 相手は、架空の気持ちに繰り返し応答されるうちに、混乱して自分が何を考えていたのか分からなくなる
  • 架空の気持ちに反応してコロコロと主張を変えてしまうので、自分も相手も、自分の本当の気持ちが分からなくなる
【参考】

このようなとき、どのようなコミュニケーションになっているのかは、次のページで詳しく説明しています。

今回の締めくくりとして、共依存関係に陥らないためのポイントをいくつか挙げておきます。

【自他の感情を扱うポイント】
  • 相手の感情の責任は相手にあり、自分の感情の責任は自分にある
  • 相手から依頼されなければ、自分が主体的に動かなくても良い
  • 自分から依頼しなければ、相手は動いてくれない
  • 相手から依頼されても、断ることも出来るし、協力することもできる。また、協力するにしても自分のできる範囲内でやれば良い
  • 自分が依頼しても、断られることもあるし、協力してもらえる事もある。協力してもらえるときは、相手のできる範囲で協力してくれる

キリがいいので、今回は、このくらいにします。

書きたいことがあって、前回・今回と投稿してきましたが、今回もそれを書くところまでたどり着けませんでした。

それは、私が長年抜け出すことができなかった苦しみの直接的で根本的な原因です。

次回は、たぶん、お伝えできると思います… (苦笑)


【参考】

2010年2月9日火曜日

親が自分の感情を子供にぶつけてばかりいると、子供の心に与えるかもしれない影響

今回は、「親が自分の感情を子供にぶつけてばかりいると、子供の心に与えるかもしれない影響」について説明します。

まず、結論を書くことにします。

【結論】
  • 人の目がやたらと気にするようになる
  • 「自分がない」と感じるようになる
といった傾向を身につけさせてしまう恐れがある。

以降、その理由を説明していきます。

【ご注意】

以下、母親と子供との関係を例に説明をしていますが、母親だけが子供の心に悪い影響を与えると言っているのではありません。

母親の影響は大きいのは確かなことですが、父親も影響を与えますし、それ以外にも様々なことが複雑に関わっています。

それら全てを関連付けると複雑になり過ぎますので、母親と子供の関係に限定して説明しています。


人は、自分の安全安心を脅かすことに出合うと、まず、それを回避しようとします。

回避が困難なら、それを自分にとって都合の良い状態に変えようとします。

回避することも変化させることも困難なら、自分自身をそれに適応させようとします。


その対象が、であっても同じです。

もし、ある人が自分の安心や安全を脅かすと認識していれば、その人との接触を回避して、危険を感じる状況から自分を守ることができます。
(これは恐怖症的な反応です。これには、動物に備わっている学習機能による条件反射が関係しているのですが、その詳細は、後日、説明することにして、ここでの詳細の説明は省略します。)


しかし、自分に脅威を感じさせる人間関係の全てが回避できるかというと、そうもいきません。

人間関係の中には、どうしても、避けられないものが存在します。

では、避けることのできない人間関係とは、どのようなものなのでしょうか?

学校や会社での人間関係も避けにくいものではありますが、その気になれば避けられないものでもありません。

絶対に逃げることのできない人間関係、それは子供にとっての、父親や母親(或いは、養育者)との関係です。

生まれてから一人立ちして家を出るまでの間、特に、思春期以前においては、親は、避けることが出来ない人間関係として、子供の前に立ちはだかります。

特に、小学校入学前の子供にとっては、親は絶対的な存在です。


現代の日本では、「サラリーマンとして仕事に出かける父親」と「家庭を守る母親」という形が一般的です。

ですから、家庭に不在がちな父親は、恐怖症的に避けることが可能な相手という位置づけになりやすいところはありますが、母親(母親的役割の人)を、避けることはできません。

まず、子供は、母親にご飯を食べさせてもらわなければなりません。

また、母親は、右も左も分からない子供に色々と世話もやいてくれます。

24時間のうち、幼稚園や学校に行ったり友達と外で遊んだりしているとき以外は、母親と何らかの関わりを持っていると言っても過言ではない状態です。

ですから、子供は母親と向き合わざるを得ないのです。


母親との関係の全てが、子供にとって心地良いものであれば何の問題もありませんが、そういう訳にもいきません。

小さな子供は自由に行動するので、母親の感情を逆なですることしばしばやってしまいます。

最後は、親の感情がカミナリとなって飛んでくることになります。


【補足】

子供をしつけるには、感情的になる必要はありません。怒ったフリをすることと、感情的になることは違います。

感情的になるのは、実は、親が子供の頃の、親自身の親子関係が影響しています。

転移・投影という考え方が関係してきます。(参考:精神分析的な解説


子供は、そんな感情を持った母親を、恐怖の対象として避けることはできません。

しかし、何かをしなければ、親の感情を受けて苦しい状態に陥ることを繰り返してしまいます。

子供が安心に生きていくためには、日常の大部分を占める『母親と過ごす時間』を安心なものに変える必要があります。

そこで、母親が感情的にならないように振舞うことを覚えていきます。


親が感情的になることを避けるには、次の2つが重要なポイントとなります。
  • 親が「どのような時に感情的になるのか」を理解すること
  • 親が感情的になりそうな行動をしないように細心の注意を払うこと

そして、次のように行動すれば良いのです。
  • 危険な雰囲気を感じる行動は起こさない
  • 親が気持ちの変化を敏感に察知する
  • 危険な兆候を察知したら、軌道修正する

この精度を高めていけば、あのわずらわしい状況(親が感情的になる)に陥ることを防ぐことができます。


これは、「相手の気持ちを読んで、自分を相手の気持ちに沿うように変化させる」ことを意味します。

それが習慣化して当たり前のことになると、親が感情的になったとき、親がそのような状態になるのは「自分に責任がある」、「自分に原因があるからだ」、「自分が変われば親はそうはならない。

親がそうなるのは自分が悪いからだ」と錯覚するようになるのです。
(別の表現をすると、「自分の方を変えた」という事実が、「自分が悪いから自分を変えた」という暗示を含んでおり、その暗示を受け入れた結果、自分自身も「自分が悪いから変えなければならないんだ」と思い込むようになると言うこともできます。)



このようにして、相手の心の動きを読み、相手の気持ちに合わせて自分を変えるようになっていきます。

そして、「自分の感情の責任は自分にあり、相手の感情の責任は相手にある」ということが分からなくなり、相手に負の感情が生じるとそれは自分の責任だと感じてしまい、自分が相手の感情を修復しなければならないと感じるようになるのです。


また、「相手の気持ちを読んで自分の行動をコントロールする」ということを繰り返しているうちに、やがて、子供の考え方も、親の考え方と一致していきます。

子供にとって「親と同じことを言う」ということは、親から自分を守る、最も効率の良い方法なのです。

そして、思考を親に合わせようとするとうちに、みせかけの感情が生じ、それが自分の感情から離れて、親の感情と合っていくようになっていきます。このようにして、子供考え方感じ方は、考え方感じ方に乗っ取られてしまうのです。


【補足】

親が、子供以外のことに対してでも、頻繁に、悲しそうにしたり、苦しそうにしたり、怒っていたり、不機嫌にしていたりしても、子供は不安な気持ちになります。

そして、子供は、自分にとっての安全で安心な状態を取り戻すために、親の感情を回復させようと振舞ってしまうのです。


この「相手の感覚を早期に察知して、それを修復しよう」とする感覚は、少なくとも自分の生まれ育った家庭の中では、安全で安心な状態を維持するためにとても役に立ちます。

役に立つのですが、次のような傾向を身につけてしまうことにつながります。

  • 他人の心の状態に敏感に反応する
  • 他人も同じ感じ方をすると考え、自分もそう感じようとする
  • 他人も同じ考え方をすると考え、自分もそう考えようとする
  • 他人も同じように行動すると考え、自分もそう行動しようとする

これらの傾向性、家庭を離れたとき、どうにも厄介な事態を引き起こします。


「相手の気持ちを読む」という手段、或いは、そのロジックは、自分の家庭以外の他人にも有効であるとは限らないからです。
(特に、ロジックは使い物にはならないことの方が多いと想像できます。)


社会の中で生きる多くの人は、各々が自由に感じ考え行動します。

相手の気持ちを読もうとする傾向を持つ人が、そんな自由な人たちの中に、自分の身を置いたとき、次の2つの理由から、とても混乱した状態になってしまいます。

  • 気持ちを読まなければならない対象多数になる
  • その感じ方・考え方・行動の様式千差万別である

そんな中で、自分の気持ちをどこに定めれば良いのか分からなくなってしまいます。

また、人によっては、次のような状態に陥ってしまうこともあります。

  • 他人と同じように感じない自分を責める
  • 他人と同じように考えられない自分を責める
  • 他人と同じように行動できない自分を責める

つまり、自分の中に「他人と同じではない部分」を感じると戸惑ってしまうようになるのです。


「自分が同じではない」ということに意識が向けば、自分を変えようとして自分を責めることになります。

逆に、「他人が同じでない」ということに意識が向けば、他人を変えようと他人を責めたることになります。


今回の投稿でまず知って頂きたいことは、
  • このような状態になるのは、心に問題があるからではなく過去の習慣によって陥る
  • その習慣さえ変えることが出来れば、このような状態から抜け出すことが出来る
ということです。


少し長くなりましたので、今回はこの辺で終わります。

次回は、相手の感情自分の感情を混乱してしまったときに陥る状態を、もう少し具体的に説明する予定にしています。

2010年2月8日月曜日

これが依存症の原点のような気がします

『依存症』という言葉の印象と、その言葉の社会への浸透度から、現代社会では『依存症』という病気があたかも存在しているように感じてしまいます。


それを病気とする立場の説明は、『依存症』について調べようとすればいくらでも見つけることができるので、ここでは、「病気ではない」という立場で説明します。


依存症と呼ばれている状態の原点は、子供の頃の習慣的な体験にあると考えています。

次のような状況を想像してみて下さい。


【状況】

4~5才くらいの子供が、親と一緒に、ファストフード店で食事をしています。

その子供は、前から飲みたいと思っていた大好きな特性オレンジジュースを買ってもらってご機嫌です。

口は、『おいしい口』になっています。

その子供が、これからそれを飲もうとしたとき、手が滑って、ジュースの容器を床に落としてしまい、ジュースを床にぶちまけてしまいました。

その子は、悲しくて大泣きしてしまいました。


さて、このような状況になったとき、どのように対応すればよいでしょうか?


【対応】

1.ジュースを落とした自分が悪いと我慢させる。
2.新しいジュースを買い与える
3.泣いている子を抱き上げ、あやしながら我慢させる
4.泣いている子を抱き上げ、あやして泣き止ませたあと、ジュースを買い与える


この中に、1つ、『依存症』と言われている状態に似た対応があります。


まず、最も、望ましいと考えている対応は、『3』『4』です。『3』『4』のどちらが望ましいかは状況にもよるので何とも言えませんが、『泣いている子供は一人きりにしない』ということが大切です。

ですから、抱き上げなくても、背中をさすったり、頭を撫ぜたりしながら、泣いている子供に寄り添ってあげても構いません。


次に、依存症の状態に似た対応です。


それは『2』になります。


子供は、口では「ジュースを買って!!」と泣き叫んだりするので、それを一番望んでいると思ってしまいやすいところがありますが、実はそうではないのです。


ジュースをこぼして泣いている子供の気持ちを想像してみて下さい。

せっかく、楽しみにしていたジュースをこぼしてしまったことが悲しいのだろうと想像できます。

つまり、ジュースを買って欲しくて泣いているのではなく、ジュースをこぼして悲しくて泣いているのです。

そして、子供は、悲しくなった自分に優しくしてもらいたいのです。


ですから、親は、その悲しさに直接的に働きかけることが大切です。

では、どうすれば、子供の悲しい気持ちに直接的に働きかけることができるのでしょう?

それが『3』『4』の対応なのです。


『2』の対応では、子供が本当に望んでいることとは別のことで子供の気持ちを収めてしまいます。親がそのように対処すると、子供は泣く理由を失ってしまいます。

また、子供は、新しいジュースが買ってもらえれば嬉しいので、最初の「あれほどまでに悲しかった気持ち」は棚上げして、泣き止みます。

しかし、これは、「まだ泣いていたい子供を、泣き止むしかない状態に置くことで泣き止ませた」と理解することもできるのです。


これは、自分の気持ちを満たすために本当に求めているものを、それ以外の代用物で満たすという体験です。

この「代用物で自分の気持ちを満たそうとする」ということが、依存症の状態と類似しているのです。

ただ、代用物を用いる全ての対処がダメだと言っている訳ではありません。

手っ取り早く収めたいときには、代用物を用いる方法は、結構効果的です。

しかし、いつもいつも、何から何まで、親が代用物で済まそうとしていると、子供は「本当に望むものではなく代用物を求める習慣」を身につけてしまいます。

このような習慣が、おそらく、将来の依存症という状態の種(タネ)になるのだと考えています。


(この代用物による対処ばかりをしていると、せっかく我々人間に備わっている「泣いてスッキリとする」という行動を封じてしまいます。また、代用物を得るための手段に「泣く」という行動をするようにさえなると考えています。)


このような『代用物による対処』では、気持ちを誤魔化せても、満たすことはできません。

そこで、満たされない気持ちを、また、代用物を求めようと同じ行動を繰り返してしまうのです。

これが、依存症から、なかなか抜け出せなくなるカラクリです。



ですから、依存症から抜け出すために最も大切なことは、『本当の望みに気付くこと』なのです。

そして、私がカウンセリングを通して理解したことですが、その本当の望みは、多くの場合、「誰かに温かく見守られながら泣く」ということなのです。



逆に、子供に、「褒美だ」といって、直ぐに、お金を渡したり、物を買ってあげたりすることがあります。

これも、「ご褒美」を子供の望みの代用物にしないように注意することが大切です。

そのために、どのように対処すれば良いのでしょうか?

それは、親が、子供の気持ちがスッキリするまで、子供と同じようなテンションで、子供の喜びに付き合ってあげるということです。

そうしていれば、そのうち子供の喜びは落ち着いてきます。

褒美をあげるのは、その後のことなのです。



まとめると、

『何かを感じている子供を一人で放置せずに、子供の気持ちが落ち着くまで、寄り添ってあげることが大切』

ということです。


【余談と冗談ですが…】

ファストフード店で、子供がジュースをひっくり返したようなとき、それを店員さんが見つけると、直ぐに、新しいジュースを持ってきてくれることがあります。

親としては、子供が直ぐ泣き止むので非常に助かりますし、子供にとっても嬉しい経験です。

でも、今回の話を、このファストフード店の対応に反映させると、次のようになります。


店員: どうなさいました?

  : 子供がジュースをこぼしてしまったんです。

店員: 代わりのジュースをお持ちしましょうか?それとも、代わりにあやしましょうか?

  : じゃぁ~、申し訳ないですけど、代わりにあやして下さい。

店員: かしこまりました。 ジュースこぼしちゃったんだね…。悲しいね、そうかそうか…(ヨシヨシ)

(親の教育方針もあると思うので、親に選択権を与えてみました。)


【補足1】

『4』の対応をしようと思っていても、「買ってあげる」と言うことを口にしない方が良いでしょう。

なぜなら、子供が嬉しくなって泣き止んでしまうからです。

子供が十分に泣いて、気持ちが落ち着いてくるまでは、悲しさを我慢しているような様子を感じたら、「楽しみにしてたのに、飲めなくなっちゃね…、悲しいね、そうかそうか…」と、逆にあおってみるとよいかもしれません。

子供が「ジュース買って!」と言ったら、「そうだよね、ジュース買って欲しいね」(ヨシヨシ)という感じで対処します。

結構時間がかかることもあるので、時間ないときはこんなことやってられませんし、また、毎回毎回これを実践する必要もないと思います。

バランスの問題です。

そして、こんな対応もあるということを知っておくだけで、きっと、何かが変わると思います。


【補足2】

『1』は「甘やかさない」ということにこだわっていると取りがちな対応です。

これは、執着しやすい性格を形成することにつながると考えています。

2010年2月2日火曜日

「心の苦しさ」について 数学っぽく 説明してみました。

以前(2007年頃)、心をコンピュータ処理的なものとして理解しようと試みたことがありました。

自分にとっての新しい方法で理解しようとしたことは、新しい発見や理解を深めることに役だったと感じています。


また、心の苦しさを「心の問題」として捉えてしまうと、心の苦しさが増すばかりで、心の苦しさから抜け出せることは少ないと思います。


そこで、心の苦しさを、心の問題としてではなく、数学っぽい問題として説明するコンテンツを、ピュアハート・カウンセリングのサイトに公開しました。

新しい発見や理解を深めるきっかけにして頂ければと思います。


コンテンツで用いている図を一つ紹介します。

次の図が基本となるグラフです。



この数式は、もしかしたら統計によって裏付けたり、心理テストのように仕立て上げることもできるかもしれません。

しかし、人の心を数式のように単純に表せるはずはありません。

また、そんなことをしても、あまり意味はないと思っています。

数学っぽい説明では、次の2つを何となく感じて頂ければ十分だと考えています。

  • 自分の心の状態(位置づけ) と 進むと良い方向
  • 社会の状態(位置づけ) と 進むと良い方向

以前、日本TA協会(交流分析の普及をしている団体)のセミナーで、講師の方が次のようなことを言っておられました。

本来のエゴグラムは、自分の直感で数値化し表現するものです。心理テストのような設問によって割り出すものではありません。

その意味が、この数学っぽい説明をまとめていて、ようやく理解できたように感じています。



説明が分かりにくいと感じるときは、はじめの部分最後の「まとめ」だけを読んで、途中は何となく眺めて頂くだけで構いません。

これまで「心の苦しさは解決することが出来ないんだ…」といように悲観的な気持ちだったとしても、この数学っぽい説明によって、きっと「詳しいことは分からないけど、の値を活性化させるだけで良いんだ!」 と楽観的な気分を感じて頂けると信じています。


の値って何だ?」


それは、本編で確かめて下さい!(^o^)丿



【補足】

ちなみに、コンピュータ処理的に考えたことは、次のページにPDFファイルを貼り付けてあります。


作成して3年近く経っているので、私の現在の理解とは相違があるところもありますが、興味のある方はご参照下さい。