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2005年7月1日金曜日

雨の日の動物

ブログの引越しにうつつを抜かしていたら、

本来の目的としている投稿が疎かになってしまいました(^_^;)


今回は、梅雨時なので、

「お天気と気分の関係」について、

考えてみたいと思います。


自然の中で過ごしている動物たちが、

雨の中を活発に活動しているところは、あまり見かけないような気がします。


これを人間が説明すると、「雨を避け て木陰にでも居るのだろう・・・」という具合になるのだろうと思いますが、言葉を持たない動物たちが、「雨だから、雨宿りをしよう」なんて考えて行動して いるとは思えません。

だから、恐らく、「言葉や考え以外」のところで、「雨を避ける」という行動をとっているのだろうと想像できます。


このとき、重要な役割を果たしているのが、

『気分』のような感覚なのだろうと想像しています。


もっと言うと、雨の日は動物たちは『うつ』になるのではないかということです。


気分が沈んで動く気がしないから、結果として、木陰で雨をしのいでいる。


そして、間違っても、「この雨の中でも、外に出て行って、何かをしなければならない」と考えることはないと思います。


雨の日に、平気で雨にうたられていると、きっと、風邪を引き、それを悪化させ、最悪、死に至る恐れまであると思います。


そう考えると、『気分』が、安全に生きることが出来るよう行動をコントロールしてくれているというこが出来るような気がします。


そして、天気に限らず、気分が沈んだ時には無理に動かないということは、当たり前のことのようなのかもしれません。


本来、人間も、この行動パターンを持ち合わせているのではないかという感じがします。


ところが、現代の人間社会(社会、地域、家庭・・・)は、それを否定する傾向があります。


その証拠に、気分が沈んだ人は、「気分が沈む事は良くない事だ」とか、「自分は弱い人間かもしれない・・・」などと、休んではいけないような錯覚を抱かされてしまっています。


体や心を休まなければならないところを、それに逆らって無理に動いてしまうと、もっと休まなければならない状態になってしまい、「何としても休ませ無ければならない」という働きのためにようと、気分はもっと沈んでいくのかもしれません。


「落ち込んでいてはダメ」「何もしないとダメ」「やる気が無いのはダメ」・・・、そんな今の社会の雰囲気が、うつを生み出し、うつを深めていくと いっても過言ではないような気がします。

うつを「うつ病」という病気として認識している事自体が、それを物語っているのかもしれません。


いつの日か、「疲れたり、気分が沈んだら、体と心が癒えるまで、堂々と休むことが出来る社会」になれば良いのにと思います。

しかし、社会の大きな流れを急に変えることは難しいのが現実なのかもしれません。


だったら、社会が悪いと考える前に、

まず、その第一歩として、

一番小さな社会の単位である家庭の意識を変えようとする事から、始めてみませんか?

疲れた家族、傷ついた家族を、堂々と休めるように、大きな社会から守ってあげようとしてみませんか?