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2007年1月29日月曜日

マスコミ報道の理解にクレーム対応のノウハウを活かす

マスコミのニュース報道やワイドショーの内容を理解する上で注意した方が良いと感じていることを少し書きます。

言葉の使い方については、以前、「修飾語はあなたのもの」というところで説明しました。

今回は、インタビュー映像の危うさについて説明したいと思います。

マスコミは、事件などが起こると、その直後に、被害者などにインタビューをして、その映像を放送することで、その様子や言葉を視聴者に伝えることが多いと思います。

また、それを見たコメンテーター・キャスターは、その言葉を文字通りに受け取り、あれこれとコメントをして、その結果、視聴者たちは、それを真実として受けとめてしまうところがあるように感じています。


さて、ここでクレーム対応について少し書きます。

クレームを言われる方は、たとえ冷静な口調であったとしても、本当のところは怒りの状態であることが多いと思います。

ですから、「どう責任をとるつもりだ!」などといった言葉については、「こう責任をとります」などと直ぐに解決へ向けての提案をするのではなく、まず、「言われていることはもっともで、そのような気持ちになられるのは良く分かります」というように、しばらくの間、十分に気持ちを受けとめる事が大切だ といわれています。

そして、そんなやり取りをしばらく続けていると、次第に怒りは落ち着いて、お互いにとっての解決の為の話し合いができる状態になっていくことが多いからです。

ここで何が書きたかったかというと、心が落ち着くまでは、感情を表現する為に、様々な言葉が用いられているということです。

つまり、言葉自体の意味よりも、それによって表現される感情に意味がある段階があるということです。


話を戻します。

報道でも、同じことが言えるのではないかと思うのです。

事件直後の被害者は、問題点や非難・批判を口にしますが、その言葉をそのまま聞き入れるのではなく、その言葉を使いながら表現している『怒り、悲しみ、つらさ、苦しみ...etc』などの気持ちを、まず、受けとめるように意識した方が良いと思います。

映像の中の人たちは、怒っているのです。

悲しいのです。

悲しみに耐えているのです。

つらいのです。

苦しいのです。

・・・・

それが、初期のインタビュー映像が伝えることの出来る唯一の真実ではないかと思います。

私たちがその気持ちの受けとめを疎かにして、その時に発せられた言葉の意味にばかりに意識を向けてしまうと、後になって被害者の方の気持ちが落ち着 いて、本当の解決に向けての話をしようとしたときに、感情を吐き出す為に使った言葉が社会的に独り歩きしてしまっていて、それ以外の事は話せない状態に追 い詰めてしまうかもしれないと思うのです。


2007年1月17日水曜日

メルマガ編集後記【No.0010】

約半年振りに、メルマガ「読むカウンセリング」を発行しました。

直接のきっかけは、メルマガを発行しているmag2の方から、「半年以上メルマガを発行しないと廃刊する」という警告のメールを受け取ったことです。

長期に渡ってメルマガの発行をサボってしまったのは、前回のメルマガ【No.0009】の内容は、『答えそのもの』と思えてしまっ て、それ以上何を書いて良いのか分からなくなってしまったからなのですが、最近、ニュースで報道されている兄妹の悲しい事件や、カウンセリングで兄弟に悪 い印象を持つ人があまりにも多いことから、今回のメルマガの内容を書いてみようと思い、半年振りにメルマガを発行するに至りました。


メルマガ『読むカウンセリング【No.0010】 兄弟姉妹が仲が悪くなる事情』では、一例として、第一子・第二子とに区別して説明させて頂きましたが、現実はそんなことで単純に切り分けできるものではないと思います。

もしかしたら、次の切り口で説明した方が分かりやすかったかもしれないと思ったりもしています。

■親の矛先が誰に向いていたか?

(「誰にどんな矛先を向けていたか?」という表現の方が正確かもしれませんが・・・)

矛先を向けられた子供は、反発しながら我慢しているような状態に陥り、矛先を向けられていない子供は、その様子から学び取り、行動する前に我慢する状態に陥るということなのだろうと思います。

親の矛先はどこに向くのでしょうか?


・同性の子供と異性の子供

・男女の違い

・年上・年下の違い

・親の好み

など、他にもさまざまな要因があると思います。


それらに

・親の心配・不安

・親の期待

・親自身のの失敗体験・成功体験

・親の世界観・価値観

などが絡み合って、一人の子供に矛先が向く場合もあれば、切り口の違いによって、あっちこっちに矛先が向く場合もあるだろうと思います。


しかし、様々な矛先が様々な人を巡っていても、『矛先を向けられた時は反発しながら我慢し、矛先を向けられていない時はそれを見て学び取り我慢する』、つまり、『結局、我慢する』というところに納まらざるを得ないのだろうという気がしています。

そこに、メルマガで書きましたが、親の愛情という評価が偏ると、兄弟姉妹の仲がこじれ出すのだろうと思います。

ここで重要な事は、子供が感じ取る親の愛情の兄弟に対する割り合いによるということです。

親の愛情が実際に偏っていたのかもしれません。

また、親は同じように接しているつもりでも、子供が受け取る感じが違っていたのかもしれません。


そんな状況で、同じように愛されるべき兄弟姉妹のみんなが、

■それぞれが、同じような事を、それぞれの方法で我慢してきた

ということを理解し合うことが出来れば、きっと、これまでとは違う関係になれるのではないかと想像するのです。


【子育て中の親御さんにアドバイスするとしたら・・・】

兄弟姉妹の仲を改善しようと思うときは、兄弟姉妹を仲良くさせるという考えは脇に置いても良いのかもしれません。

そして、親の「子供たちに同じように接している」という主観も脇に置いておいて、子供の主観を確認し、「子供が足りない」と言えば、どうして欲しいのかを子供に確認し、そのことで補ってあげることを意識して実践すると良いのかもしれません。


【余談ですが・・・】

子供にとっては、兄弟みんな同じ子供という認識だと思うのですが、親は、「みんな同じようにただの子供だ」ということを忘れて、第一子に対して、第 二子以降の子供たちよりも色々な事ができるはず、いわゆる『お兄ちゃんだからちゃんとしなさい』・『お姉ちゃんだから我慢しなさい』というような感覚に 陥ってしまいやすいような気がします。

たかだか数才の違いなのに、お兄ちゃんやお姉ちゃんという役割を、幼い頃から一生背負わされるのは理不尽なことのような気がして、わが家では、『お兄ちゃん』という言葉は使わないということを試しています。