新しい記事は新ブログに投稿しています。



2009年12月15日火曜日

これは不思議! > ノルウエー上空に巨大発光体現る

夜空の怪現象!?

ミサイルによって生じた現象らしいです。


次の動画は、この現象(?)の説明のようです。


【関連記事】

2009年12月9日水曜日

本当に泣きたいと思っているのに、なぜか泣けないあなたに・・・

苦しい心を楽にするためには、泣くことが一番。

このことは、このブログなどでも繰り返し説明してきました。

でも、泣かないトレーニングを長い間積み重ねていると、「泣きたい」と心から願っても、それが結構難しかったりします。


心理療法の中に、催眠療法というものがあります。

みなさんは、催眠療法をどのように理解されていますか?

私は、催眠療法に詳しくなる前は、「催眠という魔法のような力を使って、心を作り変える」に近い印象を持っていました。

しかし、長く催眠療法に関わっている内に、その理解は大きく変わりました。

「どんなに心が苦しくなっても、泣けば(号泣すれば)楽になる」ということを理解したからです。

今は、催眠状態を次のように使っています。
  • 『泣くことを妨げようとするガード』を緩めるため
そして、催眠療法を行っているときは、「泣けるといいのになぁ~」と思いながら接しています。


ただ、この『泣くことを妨げようとするガード』を緩められるのは、何も、心理カウンセラーや催眠療法に限ったことではありません。
  • 音楽
  • ドラマ・映画
  • 小説・マンガ
  • 風景
  • 匂い
  • 季節の雰囲気
  • 風が顔を撫でる感じ
その他にも沢山あると思います。


ということで、今回は、私の泣きのアイテムをご紹介します。(人によって、泣きのツボは違うとは思いますが、きっと泣けると思います。)

【余談ですが…】
ドラマを見ながら「何でこんなに泣けるのだろうね?」って嫁さんに問うと、「心の柔らかい部分がくすぐられるからだよ」という答えが返ってきました。うまいこと言うと思いました。


【ラストプレゼント】

【世界の中心で愛をさけぶ】



私の心は、これらを見ると、いつでも号泣できるくらいにスタンバってしまいます。もしよろしければ、レンタルビデオ屋で借りて、心の柔らかい部分をくすぐられてみて下さい(^o^)丿



ついでに、私の心をくすぐる曲は・・・

このCDの中の、『僕が一番欲しかったもの』を聴くと、ウルウルしてしまいます。




あなたの心の柔らかい部分をくすぐるドラマや映画は、何ですか?

2009年12月8日火曜日

学校教育に関して、何となく思うこと

何となく思うことを書きます。

まだ、詳細を練れていないのですが、ご参考まで …


以前、『子供を誰かに謝らせるときに、意識しておいた方が良いと思うこと』という記事の中で、謝るときのポイントは、次の2つだということを説明しました。

  • 相手の許しを得ること
  • 「自分の中の申し訳ないことをしてしまった」という気持ちを相手に謝罪することによってスッキリさせること

また、関連して、次の記事を紹介しました。

この記事の要点は、子供の頃に「正直に謝ったら許される」という経験を重ねることが
  • 子供を自分に正直な人間
  • 苦しみを抱え込まない人間
に育てることにつながるといったことです。


ここからが本文です。


ふと、思ったのですが、現代の教育システムは、これに反するところがあるように思えます。

  • 苦手克服という考え方は、苦手なことを克服するまでは許されない
  • また、よりレベルの高い学校への進学を目指すといった考え方は、入学が確定するまでは現状に甘んじることが許されず、入学が決定してようやく許される(しかし、最悪の場合は、入学が確定して得られるものは、許しではなく諦めだったりすることもあります。)

このような状況は、謝っても謝っても許してもらえない状況に似ているような気がするのです。


ですから、せめて親だけでも、子供が「いつまでも許してもらえない」に似た環境の中で頑張っていることに気付き、その他の部分では、子供が多くの許しを感じられるように、寄り添ってあげることが大切かもしれません・・・。

2009年12月1日火曜日

楽に生きるためのイメージ・トレーニング

前回の投稿で紹介した『心に関わる問題の本質』の考えに基づいた「楽に生きるためのイメージ・トレーニング」を紹介します。


イメージ・トレーニング(1)

【自由な感覚を呼び起こす】

  1. 『自分』 と 『自分以外』 の境界があることをイメージします。

  2. その境界を、自分が見える範囲の向こう側に移動させたところをイメージします。

  3. そのとき、自分の中に生じる感覚を、じっくりと味わいます(感じます)。

【補足】

海で水平線を見たり、山頂から山並みを見たり、青空や夜空を見上げたり、雄大な風景を見たり、富士山を見たり… 

そうすると、清々しい気持ちになったりするのも、自分の境界を身近にしてしまうものを取り払って、無限に遠くに持っていく意味があるのかもしれません。


イメージ・トレーニング(2)

【孤独感や緊張感を緩和し、人とつながる感じを取り戻す】

  1. 自分の中に自分を守ろうとしている部分があることをイメージします。

  2. 次に、その部分が確かにあることを感じます。
    ※胸のあたりにその感覚を感じることが多いです。

  3. その部分は、綿菓子や粘土のように、好きな大きさにちぎり取れるものです。

  4. もし、そのイメージが石のように硬く、ちぎり取ることが難しそうなら、イメージの中で、その固まりをちぎり取れるイメージに変わるまでもみほぐします。

  5. その中には、自分の大切なものを守ってくれているものもあるし、本当はどっちでも良いことを守ってくれているものなどが混在しています。

  6. また、大きさや質感がマチマチなものが混ざり合っていることをもあります。

  7. 何から守ってくれているかを具体的にイメージする必要はありません。何となく「守ってくれているようだ」という漠然としたイメージのままにしておきます。

  8. 近くにいる人(電車で近くに座っている人や道ですれ違う人など…)に、「この人にはこの部分は渡しても大丈夫かな…」と感じる部分を、イメージの中でちぎり取って渡します。

  9. また、色々な知人を思い浮かべながら行うこともできます。

  10. 「自分にとって大して重要ではない部分から始めると良いでしょう。
    ※その部分が守ってくれることを具体的に考える必要はありませんが、参考のために書くと、例えば「自分が100円玉を落としたときに、それを拾ってくれる」とか「道に迷った時に、道を教えてくれる」といった感覚の部分から始めるとよいでしょう。そのくらいの感覚の部分であれば、誰に渡そうとしても、そんなには怖さは感じないのでやりやすいと思います。

  11. 渡そうとする相手によって、渡したい部分は違ってくるかもしれません。感じるままに行います。

  12. このイメージ・トレーニングでは、「大切だから、他人にはあまり渡したくない」と感じる部分を無理に渡そうとする必要はありません。むしろ、自分が大切と感じるうちは、渡すべきではありません。


【注意】
  • イメージ・トレーニングは、全てイメージの中で行います。実在の人物とのやり取りは行いません。
  • 効果を保証するものではありません。

2009年11月30日月曜日

たぶん、これが心に関わる様々な問題の本質です

ようやく、私が理解した『心に関わる問題の本質』を文章にまとめることが出来ました。

その内容はピュアハート・カウンセリングのホームページに掲載しています。


このブログでは、その結論部分だけをご紹介します。

(ちなみに、サブ・タイトルを付けるとしたら『群れる動物としての子育て、群れない動物としての子育て』という感じになります。)


心の苦しさには、次の2つの原因が関わっています。

  1. 根本原因
    人類がサルであることを忘れ、本能に反する行動を身につけてしまい、本能的な行動が出来なくなってしまったこと

  2. 二次的原因
    精神反応(精神症状・身体症状・反応・行動など)とその原因を誤って理解していること


""によって考え出される多くの解釈が、私たちに大きな混乱を引き起こし、心の苦しさなどを解決できない状況を作り出しています。


この詳しいことは、拙著『あなたにもある心を回復する機能』で詳しく説明しました。



今回ご紹介する『心に関わる問題の本質』では、心に関するそれら多くの解釈を排除したときに残る根本的な原因について説明しています。



その結論を短く説明すれば次のようになります。

  • 心に関わる様々な問題が生じるのは、『自分を守る機能』を他者に委ねられなくなってしまったことによる 
  • 現代の社会には、『自分を守る機能』を他者に委ねられなくなってしまう事情がある

つまり、 
  • そんな事情を理解して、みんなが『自分を守る機能』を他者に委ねられるようになれば、心に関する様々な問題は解決し始める
 ということになります。


詳細説明は、次のリンク先へ! --> 心を取り巻く問題の根本原因


近日中に、この解釈に基づいたイメージ・トレーニングを考えて、ご紹介したいと考えています。


2009年11月16日月曜日

しし座流星群が騒がしい!?

今年は、しし座流星群が騒がしいようです。

以前、私は「どうしても流星雨が見たい」と思って、1995年くらいからしし座流星群を毎年追いかけてきました。

好条件で流星を見るために、極大予想日の当日に天気図を見て行き先を決める。

雨の予報でも、晴れ間を探して、雲の切れ目を車で夜通し追いかけて走ったこともありました。

そのかいあって、2001年には見事な流星雨の中に身を置くことが出来ました。

それで私もすっかり満足したことと、それ以降は流星雨の可能性に関する予測も紹介されなかったために、今日まで特に気にせずに過ごしてきました。

しかし、今年は、ちょっと騒がしいので、2001年に参考にしていたアッシー博士のページを見てみました。そこからリンクされている次のページの図が、2001年の時と近いのではないかと感じて、ちょっとワクワクしています。

http://www.imcce.fr/en/ephemerides/phenomenes/meteor/DATABASE/Leonids/2009/ 


今年は、久々に、夜中に晴れ間を追いかけてみようかなぁ~


【参考】

Amazonにカスタマーレビューを投稿して頂きました。

Amazonの拙著『あなたにもある心を回復する機能』のページに、3件目のカスタマーレビューをご投稿頂きました。


例によって「文章が分かりにくい」的なことも書かれているのですが、それにも関わらず最後までお読み下さり本当にありがたかったです。

そして、私が本書を通して伝えたかったことを理解して頂けたと感じて、とても嬉しい気持ちになりました。


「私が理解していることを何としても皆さんに伝えたい。

そして、楽な気持ちを取り戻すきっかけにして欲しい」と必死で取り組みましたので、コメントを読みながら嬉しくて涙が出そうになりました。


Amazonへのコメントからも分かりますように難解な文章もあるようなのですが、内容は「心の苦しさの解決につながる」と自負しています。


もし、よろしければ、1冊いかがですか(^o^)丿


心の苦しみから抜け出せずに困っておられる方が、一人でも少なくなることを願っています。

2009年11月13日金曜日

子供を誰かに謝らせるときに、意識しておいた方が良いと思うこと

これから書く内容は大人にもあてはめて考えられますが、ここでは親と子供との関わりに焦点を当てて説明します。


 「謝る」ということには、2つの目的があります。

  • 相手を嫌な気持ちにしてしまったことを許してもらうために詫びること
  • 自分の中の嫌な気持ちを済ませる(浄化する)こと

一般的には(というか、「世間体的には」かな…)、この1番目の目的ばかりが重視されがちです。


「相手に詫び、そして、許してもらう」ことだけを考えれば、「子供がやったことを、親が子供の代わりに謝り、相手に許してもらう」という対処でも目的は達成できます。

また、子供にしつけのことを考えて、相手への謝罪の言葉を子供の口から言わせようとすることもあるでしょう。

そのあたりは、親の教育方針や事態の重要性や緊急性などによって色々なパターンがあるでしょうし、「こうすべきだ」というやり方を想定して、それにこだわる必要はないと思っています。



しかし、「自分の気持ちを済ませる」、つまり、「子供の気持ちを済ませる」という目的は、可能な限り、こだわってあげるべきことだと考えています。


子供が悪いことをしてしまったとき、「相手が嫌な気持ちになる」ということは誰もが想像できるのですが、「嫌なことをしてしまった子供自身も、自分がしてしまったことを後悔して嫌な気持ちになっている」ということは見逃されがちです。

    子供が悪いことをしたといっても、その行為に性悪的な悪意が含まれていることは、まずありません。

    その悪い結果に結びついてしまった行為は、

    • どうして良いか分からないけど一生懸命に考えてやったこと
    • 遊びの続きとしてやったこと
    • こちらの好意に反して、相手が重く受け止めてしまったこと

    といったような、ほんとうに些細なことなのです。


    それなのに、予想外の結果になってしまって驚いているし、そして、後悔して苦しい気持ちになっているのです。


    子供のこんな気持ちを解決させてあげるためには、親が、
    • 子供自身が苦しい気持ちになっていることに気付いてあげること
    • 子供がその気持ちを込めながら謝れるように手助けしてあげること
    • 気が済むまで謝らせてあげること
    • 謝って相手から許してもらえたとき、苦しい気持ちがどうなったかを確認してあげること(軽くなったことを自覚させるため)
    が大切です。


    また、このようにして、自分の気持ちを込めて謝り自分の気持ちを済まそうとすることは、自分の為であるばかりか、後悔している気持ちが相手に伝わって1番目の目的も達成されるはずです。


    そして、もし、相手が許してくれなかったとしても、
    • 許してもらえなくて悲しかったり苦しかったりする気持ちを、そうかそうかと聴いてあげること
    この保証があれば、子供の心に『相手に謝る勇気』も湧いてくるものだと思います。


    「謝られたら許すのが大人の行動」と形式ばかりこだわっていては、お互いに苦しさを蓄積させてしまい、やがて人間関係を保てなくなるのではないかと思うのです。


    仮に、子供が謝るチャンスに恵まれなかったとしても、せめて親だけは、「そんなつもりじゃなかったんだよね。でも、あんなことになってしまってつらかったね…」などと言いながら、子供に嫌な気持ちを吐き出すチャンスを与えてあげた方が良いと思います。


    今回説明したことを意識して子供と接することが、
    • 自分は悪い子だ
    • 自分はいけない子だ
    などと、子供が真剣に思い込んでしまうことを、防ぐことになると信じています。

    子供がどんなに悪いことをしたとしても、その気持ちをきちんと理解してあげれば、「やっぱり、悪意の無い天使のような存在だった」と、きっと、気付けるはずです。子供に、悪い子いけない子なんて、決していないのです。

    (実際の子育ての場面で、そんなことばかり言っていられませんが(苦笑)、頭の片隅にでも覚えておいて頂ければと思います。)



    【関連記事】

    2009年11月9日月曜日

    書籍紹介 : 『文章力の基本』 - 文章が苦手な私には、とても参考になりました!


    ブログ・ホームページ・メルマガなどに記事を書いたり、今年の初めには本を出版したりと、文章を書くことが多いのですが、分かりやすい文章がなかなか書けずに困っていました。

    そんなときに、この「文章力の基本」を本屋で見かけて、思わず買ってしまいました。

    私が、これまで文章を書きながら「こんな感じの文章が苦手だなぁ~」と漠然とさせたままにしていたことの多くが取り上げられていたので、分かりやすい文章のためのポイントを整理できたと思っていす。

    余談…



    拙著『あなたにもある心を回復する機能』を出版する前に読んでいたら、もっと、読みやすい文章になったかな…、と思ったりもします。(苦笑) 

    文章には多少の難があるかもしれませんが、心の苦しさに関する正しい理解を広めたいと願って、一生懸命に心を込めて書きました。

    こちらの方も、よろしくお願いします。

    2009年11月6日金曜日

    心が苦しさから回復する正しいイメージと、それが身に付く流れ

    心が楽な状態に回復する流れ

    苦しい気持ちになっているとき、心が楽な状態に回復する流れのイメージが間違っていると、なかなか苦しい状態から抜け出すことができません。


    私たちは、原因があるから結果があると考えがちです。

    その考え方に従えば、「心が苦しくなる前の状態に戻せれば、心を回復させられる」と思ってその方法を考えようとするのは、自然な流れです。

    逆に、もとに戻らないことが確定的なら、過去の出来事を忘れようとしたり、今感じている心の苦しさを感じなくしようとしたりするのも、また、自然な流れかもしれません。


    これを図にすると、下図【心の回復のイメージ】の左のようになります。

    これは当たり前のように思えるかもしれませんが、実は誤りです。この誤ったイメージが、心の苦しさの解決を妨げるだけでなく、様々な執着や新たな苦しさを引き起こしてしまいます。


    正しいイメージは右図です。


    左図と右図は
    • 左図 : 前に戻ることで心の苦しさを解決しようとする
    • 右図 : 先に進むことで心の苦しさを解決しようとする
    と理解することもできます。
    (右図は前に進んだ結果、心が苦しさを経験する前の状態に戻ることを表しています。)


    そして、前に進んで心の苦しさを解決できる具体的な方法が、ブログやホームページで何度も書いている「誰かに見守られながら 、安心な雰囲気の中で、スッキリして安心になるまで泣く」ということなのです。

    『心を回復するサイクル』を完成させる

    泣き始められたら、スッキリする前に、それを中断してはいけません。

    次に、その理由を説明します。

    実際には、ただ泣くだけでも、気持ちは随分と楽になるところがありますが、それだけでは足りません。

    それだけでは、上の左図的な思考からは解放されないのです。

    泣いた人は、『泣いて気持ちが楽になる』という経験をしているはずなのですが、心を楽にすることができた行動を、今後も活用しようとは思わないばかりか、逆に、「今回のように泣くという恥ずかしいことはしないで、自分だけの力で解決していきたい」と強く決意しがちです。


    その理由は、「泣いてはいけない」という暗示が、過去に心の奥底に植えつけられてしまっているからです。その根深い暗示から解放されるには、
    • スッキリとして安心な気持ちになるまでしっかりと泣き切ること 【浄化(カタルシス)作用】
    • 泣いている自分を、誰かに暖かく見守ってもらうこと 【泣く行動の肯定】
    が必要なのです。


    この2つを、一度でもいいからしっかりと体験すると、体験者の中に心を回復するサイクルのイメージが確立し、その後の人生でも活用できるようになります。

    『心を回復するサイクル』の基礎は、親との関係の中で身につける

    心を回復するサイクルの基礎は、普通は、幼少期に、親の関わりによって身につけていくものだと考えています。

    子供の頃に、
    • 泣いているときに、親に抱き上げられた
    • 泣いているときに、抱き上げられずに、一人で放置された
    という経験の比率が影響すると考えています。


    『泣いている子供が安心になって泣き止むまで、しっかりと抱き上げる』という習慣が、親にあるかどうかが、その子に、
    • 苦しみに耐え続ける人生
    • 苦しくなっても楽な状態を取り戻しながら生きていける人生
    のいずれを与えるかを左右するのです。


    精神的な苦しさだけでなく、身体的な痛さに耐えているようなときも同じです。

    痛がっていたら、痛さが治まるまでさすってもらったり、「ここが痛いのか?痛いね痛いね…」と一緒に痛がってもらったりする体験も大切です。

    軟膏は傷の薬、「チチンプイプイ、痛いの痛いの飛んでいけーっ!」は、心の薬です。人には、その両方が必要なのです。


    子供に負の感覚・感情を一人っきりで感じさせない 

    ※これは、相手が大人でも同じです。


    これが非常に大切です。

    ここを疎かにすると、子供に「つらい気持ちになればなるほど、一人になりたがる」という悲しい習慣を身につけさせてしまいます。

    その習慣は、子供の成長過程や成人後の人生において、やがて、人の心を苦しみへと追い込んでしまうのです。


    逆に、子供が「苦しいときはには、いつも誰かがそばに寄り添ってくれる」ということを繰り返し経験すれば、心を回復するサイクルのイメージを確かなもとのします。

    そして、心を回復するサイクルの確かなイメージが、心の内側から 安心感安定感一体感自信 を生じさせ、それを強化します。


    「子供を、強い人間に育てたい」、「困難を自分で乗り越えられる人に育てたい」と考えるのは親心かもしれません。

    しかし、子供が泣いても一人きりで放置し、自分で考えて行動するこの強要することを繰り返していては、子供は心が回復するサイクルのイメージを持つことができません。

    いくら「子供のためだ」という魔法の言葉を付け加えたところで、子供のためにならないことを子供のためになることには変えられません。

    子供は、不安な気持ちのまま、親の期待する「強い心を持つ人」を演じなければならなくなってしまいます。
    (やがて、子供の心の疲労が限界に達してしまうのは当たり前です。)


    「一人で対処できる人になって欲しい」と親が願っているときに、自分で考え行動することを子供に課すにしても、それは痛さやつらさが治まったあとにすれば良いことです。

    しかし、子供の心が回復した後は、もはや子供に自分で考え行動することを要求するには及びません。

    子供の心が回復すれば、親が強制しなくても、子供は勝手に自分で考え行動するのですから…。

    「心を回復するサイクル」はいつでも身に付けられる

    「子供の頃に泣いていても抱き上げてもらえなかったから、自分は心に苦しさを抱えることになってしまった。当然、子供の頃に戻ることはできない。だから、もう楽な人生を手に入れることなんてできないんだ…」と嘆く必要はありません。


    心を回復するサイクルは、その大切さに気付き、それを手に入れたいと願ったときには、いつでも手に入れることができます。


    初めの方にも書きましたが、そのためにすることはたったの2つです。
    • スッキリとして安心な気持ちになるまでしっかりと泣き切ること
    • 泣いている自分を、誰かに暖かく見守ってもらうこと

    これらを1度でだけ、しっかりやれば良いのです。

    それだけのことで、これまで人生を覆っていた呪いのような暗示から解放されて、心を回復するサイクルが正常に機能し始めます。

    心が苦しいと感じたときは、いつでもそのサイクルによって心を楽な状態に回復させることができるようになる、つまり、苦しみ続けなくても構わない人生を手に入れることができるのです。


    また、心が回復することを繰り返し体験することによって、心を回復するサイクルのイメージは更に強化されます。

    そのイメージが確かなものとして心に定着していくにつれて、安心感が増大し、やがて心の内側から自然な勇気を湧き出てきます。


    例えば、次のような感じです。

    私たちは、多少の切り傷を負っても、それが自然に治癒することを知っています。

    だから、ススキの生い茂る草むらに、小鳥の巣がある気配を感じてワクワクすれば、半袖半ズボンでも入っていくことが出来るのです。

    もし、「切り傷は絶対に治らない」と信じ込んでいれば、どんなにワクワクする気持ちがあったとしても、決して入っていくことはできません。


    心もそれと同じです。

    とても、簡単なことなのです。


    このようにして心の内側から自然に湧きだした勇気こそが、みんなが欲しがっている心の強さの正体です。


    そんな勇気を手に入れるために、まず、強がりを止めるところから始めてみませんか?

    マイブーム「そうではない。いや、むしろ、そうだ!」

    ドラマ東京DOGS(毎週月曜日21時から放送)を見ていないと分かりにくいかもしれませんが…。

    このドラマの中には、毎回、次のようなパターンが組み込まれています。


    大塚寧々が、部下(?)が言ったことを完全否定する。

    その後、彼女の上司(三浦友和)が部下が言ったことを肯定する。

    すると、大塚寧々は発言を一転させて、何の躊躇もなく部下を肯定することを言う。


    この否定を一転させ肯定するパターンを自分に取り入れることがマイブームです。


    『別に、どちらでも良いこと』に、自分が否定的な反応をしてしまったことに気付いた時に、このパターンを取り入れ、例えば次のような感じに発言を展開させます。


    【例1】

    雨が降って寒々しい日に、子供が「外に遊びに行きたい」と言ったとします。

    それに対して、私が「雨で寒いから、風邪をひかないように家で遊んだら・・・」と言ってしまったら、間髪いれずに「遊びに行ってもいいよ…、いや、むしろ遊びに行くべきだ!(笑)」


    【例2】

    嫁さんの「窓ガラス拭こうかなぁ~」という言葉に「まだ、綺麗だから大丈夫じゃない?」と返してしまったとき、「拭いたらいいかもねぇ~、いや、むしろ、拭くべきだ!(笑)」


    【例3】

    ドラマを見ていて「この場面で、このセリフはないよねぇ~」と言ってしまったとき、「いや、ある、むしろ、そう言うべきだ!(笑)」



    こんな感じです。

    このように言ってみると、どちらでも良いようなことへのこだわりを、軽いタッチで引きはがしてくれるように感じています。


    私は、結構楽しいですし、「相手の気持ちを大切にすることにもつながるかも!?」って思っています。
    (まっ、遊びなんですけどね(^_^;))


    ただ、それをやるとしたら、その前に、東京DOGSを見せておくか、そのパターンを説明しておく必要があります。

    もし、それを怠ると、ドラマ中の大塚寧々を、自分が現実の生活において演じることになってしまいますから!(苦笑)

    2009年10月30日金曜日

    子供に『友達』という言葉をあまり刷り込まない方が良いと思うのです…

    ここしばらく、自分の子供を通して、幼稚園や小学校の教育の一端を感じているのですが、その中で、「ちょっと、それはどうかな?」と思っていることが一つあるので、それを書きます。

    それは、『友達』という言葉を子供に刷り込み過ぎるのではないか? ということです。
    • 友達たくさん作ろうね!
    • 友達たくさん出来ると良いね!
    • 友達たくさん出来た?
    • 友達いるの?
    • 友達いないの?
    • 友達できた?
    • ○○ちゃんとは、友達なの?
    • 誰と友達かな?
    • ○○ちゃんと、友達になってはいけません。
    • ○○ちゃんの友達は誰?
    このようなことを、小さい頃にあまり刷り込み過ぎると、ボクシングでボディーブローが試合後半に効いてくるように、青年期以降の人間関係に大きく影響してしまうと考えています。

    存在しないものが実体化した亡霊

    例えば、次の問題を考えてみて下さい。

    【問題】
    1. あなたが友達と思っている人が、あなたの友達であることを証明しなさい。
    2. あなたが友達関係であると思っているAさんとBさんの関係において、AさんがBさんの友達であることを証明しなさい。また、BさんがAさんの友達であることを証明しなさい。
    実は、これらは決して証明できないことなのです。

    理由を簡単に説明すると、次のような感じです。

    ※この部分は、旨く説明出来ていないかもしれませんので、サラッと読み飛ばして頂ければと思います…。
    友達というものに実態はありません。作り出されたただの概念に過ぎません。
    例えば、私が『ことかぶろ』という概念を作り出したとします。そして、「あなたは『ことかぶろ』ですか?」と問うた時、その本当の意味は、私にしか分かりません。
    友達という言葉も同じで、その本当の意味は、その言葉を使うそれぞれの人の中にある、つまりその人の主観を表わす言葉なのですが、多くの人はそのことに気付いていません。(自分にとっての意味は、後述する『友達という言葉に棲みついた亡霊から離れる』をお読みになればご理解頂けると思います。最終的には、「自分が友達だと思えば友達だ」ということになります。)

    今の日本では、概念である友達という言葉が、あまりにも一般に浸透してしまったために、日本人のほとんどが、友達があたかも存在しているかのような感覚に陥っていますが、これは、実態のない概念が浸透し過ぎたことによって実体化してしまった亡霊でしかないのです。

    このような人の主観や言葉に宿った亡霊の存在を、客観的に証明することなど出来るはずはないのです。

    言葉に棲みつく亡霊が現実を覆い隠す

    さて、ここで、心が苦しくなった時のことを想像してみて下さい。

    心が苦しくなってしまったとき、次のようなことを考えることがあると思います。
    • 自分には友達はいるだろうか?
    • 自分には友達が少ない… 
    • 自分には、悩みを打ち明けられる友達がいない…

    しかし、これらはいかにも哲学的な問いかけであり、哲学者でもなければ答えを見つけることの出来ない問いかけです。

    それは、前の説明をお読み頂ければ何となく理解して頂けると思います。


    そして、哲学的なことを真剣に考えるのは苦しいことです。


    ですから、心が苦しいときに、友達について云々するような哲学的な思考に陥ってしまうと、もともとの心の苦しさに加えて、哲学的な命題に取り組む思考の苦しさが加わってしまいます。

    しかも、その哲学的な問いには答えは出てこないのです。


    つまり、自分の気持ちを打ち明けたかっただけなのに、友達ということを真剣に考えてしまうとそこで停滞が発生してしまい、その先にある本来の目的「打ち明ける」には進めなくなってしまうのです。


    『心が苦しいときに、自動的にこのような哲学的な悩みを付加してしてしまう心のシステム』を作ってしまうのが子供の頃の友達という言葉の過度な刷り込みだと考えています。

    友達という言葉に棲みついた亡霊から離れる


    心が苦しくて誰かに悩みを打ち明けたいときに必要なのは友達という亡霊ではなく、自分が望んでいる特徴を持つです。


    例えば、次のような感じです。
    • 話を聴いてくれる人
    • 話しやすいと感じる人
    • 叱咤激励しない人
    • 相槌が心地良い人
    • 大袈裟にリアクションをしてくれる人
    • 静かに聴いてくれる人
    • 活発な人
    • 物静かな人
    • 自分の類似する経験を話したがらない人
    • 自分の『悩み解決法』を押し付けたがらない人
    • 「強くなれ」、「ポジティブシンキングで頑張れ」などといい加減な励ましをしない人
    • 話を聴いてもらうと、なぜか、ほっとする人
    • 秘密を守ってくれる人
    • (知り合いには話しにくいので)日常生活で直接的な関わりの無い人
    • 男の人/女の人
    • 自分より若い人/自分と同世代の人/自分よりも年配の人
    • 自分の求める専門知識を持った人/逆に、その専門知識を持っていない人…
    • 隣に○○さん
    まだまだ、考え付くと思います。


    どうです?

    友達という言葉の呪縛から解放されるだけで、相談相手となり得る人は無限に広がり始めそうじゃありませんか?!

    子供の逆洗脳

    ブラジルだったでしょうか(スペイン語圏かな…)、アミーゴ(友達)って言葉を、「知り合い(目と目が合ったら知り合い)は、みんな友達」というように使っていると聞いたことがあるのですが、日本語の友達もそのような位置づけに変えていけば良いと思います。


    我が家では、うちの子供たちが使う友達という言葉に亡霊を宿さないように、子供たちが使う言葉に亡霊を感じた時は、次のような言葉で言い直し、逆洗脳で対処しようとしています。


    もう少し説明すると、誰にでも友達という言葉を付けて呼ぶようにしています。
    • よく話す友達
    • よく遊ぶ友達
    • たまに遊ぶ友達
    • まだ遊んだことのない友達
    • 今度遊んでみたい友達
    • あまり遊びたくない友達
    • あまり話したことのない友達
    • まだ話したことのない友達
    • 話しにくい友達
    • 話したくない友達
    • 聞きたくない話をする友達
    • 一緒に帰る友達
    • 放課後、家に遊びに行ったりすることのある友達
    • 顔を見たことあるけど、話したことはない友達
    • 意地悪な友達
    これもいくらでも浮かぶと思います。


    子供を逆洗脳する時は、例えば、友達とケンカして「もう、○○君は友達じゃない」と言ったら、「そうか、○○君は絶対に遊びたくない友達なんだね」って感じです。


    こうするとみんなが友達ですから、友達かどうかには意識が向かずに、その人との関係性・状態に意識が向きやすくなると考えています。


    この対処の結果、私の子供たちと周りの子供たちが使う友達という言葉のニュアンスが、日本人とブラジル人ほどのギャップが生じても良いと思っています。

    そうすれば、将来、悩みを打ち明けるとき、悩みを話すために特別な友達を探す必要はなくなると考えるからです。
    (悩みを相談する前段階での、無駄な停滞は発生しなくなります。)


    ということは、哲学的な余計な苦しさを負う必要もなくなります。

    その時の悩みを打ち明けるにふさわしい特徴を持っている人を効率的に探し出し、悩みを早い時期に相談できるようになると考えています。

    つまり、悩みを一人で抱え込む期間が短くなるのです。



    また、そこまで期待できるのかどうかは分かりませんが、ついでに書くと…

    このように認識すると、ある人物全体を漠然と否定したり、逆に、ある人物全体を漠然と肯定したりし難くなるのではないかと思います。

    例えば、ちょっと嫌なところがあるからといって、その人との関係を全く断ってしまう必要性は無くなります。

    その嫌なところは、その人の一つの側面であると認識し、それ以外の側面を肯定しながら、うまく付き合っていくことにつながるのではないかと想像しています。

    このように、友達という言葉に宿る亡霊を追い払うだけで、悩みを一人で抱え込んでしまう人は、きっと減っていくだろうと考えています。

    補足

    友達という人間関係を気付くための障壁への配慮の他に、子供に「つらい気持ちを話しにくい」という感覚を植えつけないための工夫も、合わせて施す必要があると考えています。

    そして、それは、そうかそうかムーブメントで排除出来ると考えています。

    余談

    余談ですが、いじめという言葉も、実際には存在しないただの亡霊だと考えることが出来ます。
    そこにあるのは、例えば、
    • 嫌なことをしてくる子供
    • 嫌なことに耐える時間
    • そのあとのつらい気持ちを孤独に耐える時間
    • 一人で過ごす孤独な時間
    • やりたいことをさせてもらえないつらさ
    • 好きでもないことをさせられるつらさ
    • 優しくしてくれる人がいないという事実
    • 人より劣ると感じるつらさ
    • 馬鹿にされるつらさ
    • 出来なかった悔しさ
    • 苦しい気持ちなのに、誰も助けてくれない時間
    • 「助けて!」と言いたいけど言えなくて困っている時間
    • 「助けて!」って言ったのに、助けてもらえなかったつらさ
    • 「やめて!」って言ってもやめてもらえなかったときのつらさ 
    • 嫌な出来事の後のつらさを、ひとり抱えて過ごす苦しい時間
    • 自分が悪いと自分を責めて苦しい時間
    • 自分が弱いと自分を責めて苦しい時間
    • 学校に行きたくないのに行かなければならないつらさ
    • つらい気持ちのまま学校まで歩いていく時間
    • 学校から帰っても、家の人につらい気持ちを聞いてもらえない事情
    • その気持ちを部屋で孤独に耐えるつらい時間
    • 夜寝るとき、明日になったらまた学校に行かなければならないと思うつらさ
    といった細かな事実、もしくはそれらの積み上げです。

    それをいじめという言葉で一括りにしてしまうから、その本質が分からずに、「いじめがあった」「いじめがなかった」といった不毛の議論に陥ってしまうのだと考えています。

    教育の現場とは違い、現場を管轄する上位の組織では、そんな個別の事情に意識が向き難い分、いじめという亡霊が強く見えてしまうのだろうと思います。

    しかし、一人ひとりを取り巻く個別の事情を見ずに、いじめという亡霊に対処しようとしても、何の解決にもならないと思います。



    その他にも、亡霊が棲みついている言葉は沢山あると思います。

    言葉が漠然と持つニュアンスに惑わされずに、本質を見誤らないようにすることが大切です。

    2009年10月27日火曜日

    酒井法子さんの裁判中の様子から感じたこと

    ワイドショーやニュースからの情報しかないのですが、そこから感じたことを少し書きます。
    (「罪を犯した(法律を破った)」ということに関することは裁判に任せるとして、それ以外のことを書きます。)


    テレビで、次のような情報が伝えられました。
    (何となく覚えている感じで書きますので、内容は正確ではありません。)
    酒井法子さんが所属していた事務所の社長が「芸能人としての契約は切れても、中学生のころから面倒をみている彼女との情を断つことは出来ません」と証言台で話したのを、酒井さんは、大粒の涙を洋服の胸の部分がベトベトになるほど流した。

    その涙の種類が、「反省の涙」ではなく、「愛を感じた涙」だったとしたら、酒井さんはもう大丈夫だろうなと思いました。


    そして、たぶん、それは後者の涙だったのだろうと想像しています。


    なぜ、大丈夫だろうと思うのかというと、裁判の中でのそんな出来事は、カウンセリングや催眠療法の中で、様々な依存症に苦しむ人が、依存症のである心の苦しみから解放されるときの様子や状況とほぼ同じだと感じたからです。


    酒井さんが社長のその言葉を聞いたとき、酒井さんが幼い頃からずっと追い求めてきたものを正に手に入れた瞬間だったのではないかと想像しています。


    できることなら、泣いている酒井さんに対して、「社長さん、あんな風に思ってくれていたんだね、良かったね、良かったね…。」といった声掛けをして背中をさすってくれる人がいれば完璧だったと思うのですが…。
    (目的が裁判なので仕方ありませんが…。)


    今後は、マスコミが好き勝手なことを言って彼女を追い詰めるようなことをせずに、また、周りの人が暖かい目で見守ってあげれば、きっと大丈夫だろうと思います。


    依存症に対する私の考え方は、次のページを参考にして下さい。


    【参考】 ピュアハート・カウンセリング:症状のもう一つの説明 > 依存症

    2009年10月25日日曜日

    子供を叱るときに、「何してるの!?」は、やめた方がいいかな…

    これから書くことは、あんまり深刻に考えずに、何となく知っておいて頂ければと思います。


    例えば、親が子供に「宿題をしなさい」と言ったのに、いつまでも遊び続けているようなとき、「何しているの!?」と質問形式で声高に叱りつけるのはやめた方が良いかな…。
    (そのような時に、叱ること是非はありますが、それは脇に置いておいて下さい。)


    このような時に親が言う「何をしているの!?」の裏には、「宿題をしなさい」という結論が隠されています。


    親のこの質問だか何だかわからない「何をしているの!?」という言葉に対して、子供はどのように対処するのがベストだと思いますか?

    子供は、下手に「遊んでいるの…」答えてしまっては、多くの場合「宿題しろっていったのに、何で宿題をしないで遊んでいるの!!」といった言葉で責め立てられることになってしまいます。

    ですから、このような時、子供は「本当のことは言ってはいけない…」という気持ちになってしまいます。


    では、嘘を言えば良いのでしょうか?


    まぁ、子供が、そんな時に親を丸めこむような適当な嘘は思いつけないでしょうし、そんないい加減なことを言ってしまっは、嘘がバレて親の感情を逆なでしてしまう確率が高まってしまいます。


    そのような事情によって、子供は黙り込むことしか道が無くなってしまいます。

    しかし、そこで子供が黙っていると、親から「何をしているのってきいているのよ!どうして答えないの!?」といった答えが返ってきます。

    これまた、事実を答えればひどい目に合うかもしれない質問です。

    子供は、やっぱり、黙るしか道は無くなってしまうのです。


    このような状況は、人が自分の本当の気持ちを言えなくなってしまう理由の一つだと考えています。

    ですから、子供がそのような経験をする頻度は、極力少なくした方が良いと考えます。

    そのためには、宿題をせずに遊んでいる子供に対しては、「何をしているの!?」ではなく、やっぱり、「宿題をしなさい!!」と叱る方が好ましいです。


    もし、間違えて「何をしているの!?」と言ってしまって、そのことに気付いたら、間違って質問をしてしてしまった責任をとる覚悟を決めて下さい。

    といっても、それは、そんなに難しいことではありません。

    子供から帰ってくる答えが「遊んでる」でも、「そうか、遊んでいるんだね」と冷静に受けとめ、その後の会話も冷静にこなし、決してキレないようにすることです。


    でも、そんな面倒な小芝居をするよりは、「宿題をしなさい!」と怒鳴る方が楽だと思います。


    もし、叱り過ぎて子供がションボリとしてしまった時は、夫婦の相方に「そうかそうか、怒られてつらかったね…」と気持ちを聴いてもらえるように段取れば、子供の心に傷を植えつけることになならないと考えています。

    【補足】 
    子供の『「何をしているの!?」という質問に黙ってしまう』という反応は、小学校入学前までには、親との関わりの中で習慣化してしまうと考えています。一度『黙ってしまう』という反応の習慣が身に付くと、それを取り除くことは、とても根気強い対応が必要になるだろうと想像しています。(親の気付きや変化は大前提です。)

    2009年10月22日木曜日

    「イジメがあったか、無かったか?」よりも重要なこと・・・

    2日ほど前だったでしょうか、夕方のテレビの報道ワイドショーで、生徒が試験中に校舎から飛び降りたことが報道されていました。


    その時、学校の関係者のインタビューが流れたのですが、その言葉に少し違和感を感じました。


    テレビ局の編集のせいかもしれないのですが、誰から聞かれたわけでもないのに、一番初めに口から出のが「イジメがあったという事実は確認できておりません」といった言葉だったと記憶しています。


    つまり、「いじめは無かった」ということを主張したのです。


    いじめが社会問題化されてしまっているので、学校関係者がこのような反応をしてしまうのは、仕方ないところもありますが、いじめがあったか無かったかということよりも、もっと重要なことがあると考えています。


    以降は、一般論として話を続けます。


    もっと重要なこととは、

    『心に苦しみを抱えている人を、そのままに放置してしまっている事実があったかどうか』

    ということです。


    特に、長期間に渡って心に苦しみを抱えてしまっているときは、その人を、
    • 暗いやつ
    • 変な奴
    • 変わったやつ
    • とっつきにくいやつ
    • おとなしいやつ
    • 面白くないやつ
    • いつも一人でいるやつ
    • 友達の居ないやつ
    など「自分たちとは異なる人」といったニュアンスをもつ修飾語を用いて、そのような雰囲気を持つ人を区別し、その人に近寄らなくなってしまいがちです。

    その結果、そんな子供は、苦しさの中に孤独なまま放置されてしまうのです。


    それは、その子と関わる同級生などの子供たちだけの問題ではありません。

    先生たち、両親をも含む、その子供に関わる全ての人、そして社会に対しても言えることだと考えています。


    いじめとか、成績が悪いとか、嫌な出来事があったとかいったことではなく、『孤独が人を死に追い詰めてしまうのです。


    いじめの発生状況を調査したり統計を取ったりしているようですが、そうではなく、孤独の発生状況を調査すると何かが見えてくるだろうと思います。
    (そんな調査をする前に、子供たちを孤独な状況しないようにする方が労力が少なくて済むような気がしますが…。)


    ニュースなどで同様の事件に触れるときは、

    「その子供は孤独な状況に陥っていたのではないだろうか?」
    (それは物理的な状況のこともありますし、心理的な状況のこともあります。 )

    そんな視点で見てみて欲しいと思います。そして、これは大人に対しても言えることなのです。

     「彼は(彼女は)、孤独な状況に陥っていたのではないだろうか?」


    『孤独』が人を死に追い詰めてしまいます。

    だからもう、「変なやつ」とか「暗いやつ」とか思わないであげて下さい。


    苦しみを抱えている人の心と触れ合うのは難しいところがあるかもしれませんが、少なくとも暖かい気持ちで見守っていてあげることは出来ると思うのです。

    行動をエスカレートさせてしまうことを防ぎ、本当の望みに気付く方法

    今回は、コア・トランスフォーメーションのまとめとして、その考え方の日常生活への応用について説明します。


    コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本でしたが、同様の手順を意識の世界で行っても大きな意味があると考えています。


    例えば、次のようなことを考えてしまうことがあるかもしれません。
    • 「もし、自分がお金持ちだったら、幸せだったのに…」
    • 「もっと、勉強が出来れば、学校が楽しいのに…」
    • 「もっと、顔立ちが整っていれば、人生は良いものになったのに…」
    • 「もし、学校がなかったら、自由に生きられるのに…」
    • 「あいつさえ居なくなれば、こんなに苦しまなくても済むのに…」

    これらはあたかも本当の解決と思えるのですが、感情や心の苦しさを抱えたままの思考で導き出されている場合は、誤りの解決(偽解決)である可能性が高いのです。

    偽解決の詳細は、『カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ:Lesson 8 なぜ、人は心の苦しさの原因を見誤るのか?』を参考にして下さい。


    例えば、「お金がないから幸せじゃないんだ」と考えているところを想像してみて下さい。

    そのように考えた人は、「お金持ちになったら幸せになれる」と思ってその考えに沿った行動するようになります。
    (人によっては、「お金持ちになんかなれない」と諦めて、それを求めるような行動をしないこともありますが、「お金持ちになったら幸せになれる」ということを意識していれば同じです。)


    しかし、そんな気持ちとは裏腹の「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」という言葉を、誰もが一度は聞いたことはあると思います。

    • お金持ちになったら、本当に幸せになれるのだろうか?
    • でも、それが本当に求めていた答えかどうかは、お金持ちになってみないと分からない…。

    人生の早い時期に、運良くお金持ちになれる人もいますが、多くの人は、その実現に人生の大部分を費やしてしまったり、人生の大部分を費やしたとしても実現できない人も多いはずです。


    そんな状況の中で、必死に頑張ってお金持ちになった時、自分の口から出る言葉が、先ほどの「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」だったとしたら、長い月日をそのために費やした意味は一体何だったのでしょう?


    そんな事態に陥らないように、コア・トランスフォーメーションの考え方を活用するのです。


    コア・トランスフォーメーションの手順の活用

    冒頭でも述べましたが、コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本ですが、同じようなことを意識的に行うのです。

    • 結果を得るためのプロセス(手段や経緯)を省略し、結果をイメージの中で体験する
      (例えばマラソンの選手が行うイメージトレーニングで、「自分が一位でゴールするシーンを何度もイメージする」ということと、似ているところがあります。)

    そして、イメージの中で結果を十分体験した後で
    • 別の望みが浮かぶようなら、それは本当の望みではない
    • 別の望みが浮かんだとき、その結果を十分に体験し、別の望みが浮かぶかどうかを確認する。
    • その確認を繰り返せば、やがて、別の望みが浮かばなくなる
    • 別の望みが浮かばなくなったとき、それが、本当の望みである

    前の例では、イメージの中で、お金持ちになり、「お金持ちになったらできるのに…」と思っていたことを十分にやって、やった結果の感覚を感じ取ろうとしてみます。


    そこで、満たされた気持ちになるなら、「お金持ちになる」というものが本当に望んでいたことだということになります。

    もし、そこで何か物足りないようなものを感じれば、「お金持ちになる」ということは本当の望みではなかったということになります。
    (このように突き詰めていけば、例えば、「誰かと仲良くしたい」ということが本当の望みだったりすることもあります。)

    【補足】
    このとき、「もっと、お金持ちになる」「もっともっとお金持ちになる」というようなことを考えるのは、本当の望みを感じようとすることからの逃げです。 
    偽解決は、それを実現できたとしても、満足することが出来ないので、その手段や目標をエスカレートさせてしまいます。 
    逆に、エスカレートしていくような望みや願望は偽解決だと言っても過言ではないと考えています。 
    また、そこで何をしたら良いか分からないような場合も、本当の望みではなかったと考えられます。

    このようにその手段や過程を省略し、イメージの中で結果を体験するということは、自分の心と真剣に向き合うことにつながり、その繰り返しの中で、「お金持ちになる」以外のこれで十分だと思える望みにたどり着きます。
    (その望みは、自分も他人も決して傷つけたり、何かを壊したりはしません。)


    本当の望みに気付けば、それ以上の望みは不要となり、「もっと、もっと!」という感覚("more more"の状態)から解放され、望みや願望をエスカレートさせる必要も無くなります。


    これは「何かに執着してしまった心が、その執着から解放され、本来の望みに向かうようになる」と表現することもできます。

    一般的な思考では、自分の執着に気付き、そこから解放されるのはかなり難しいところがあるのでずが、このやり方はその助けになると思います。


    そんな流れの中で、最終的に到達する本当の望みは、本来のコア・トランスフォーメーションによるものと近いニュアンスをもつところに納まるだろうと考えています。

    • ただ在ること
    • 内なる安らぎ
    • あるがままで大丈夫だという感覚
    • 宇宙との一体感 

    日常生活の中で、これらの言葉をどのように解釈すれば良いか分かりにくいかもしれませんが、大まかには、「人とつながっていたい」、「人の中で安心でいたい」といったことだと理解すれば良いと思います。


    「つながり」について、最近、ある結論を得ましたので、近々、ブログでご紹介するつもりです。

    【補足】 
    可愛がっていた飼い犬が死んだとき、「飼い犬が生き返る」ことが本当の望みだという気持ちはとてもよく理解できます。 
    しかし、この手法では、それは本当の望みとしては扱いません。 
    本当の望みは、『現実の世界で、実際に実現可能な事柄』でなければなりません。

    2009年10月20日火曜日

    コア・トランスフォーメーションについて

    前回に引き続き、コア・トランスフォーメーションのポイントについて説明します。

    前回の投稿『コア・トランスフォーメーションのことを説明する前に … 意識の構造と催眠療法』での説明も参考にしながら読んで下さい。


    まず、コア・トランスフォーメーションと似ている催眠療法の流れを挙げます。
    • 心の苦しさ(例えば、胸の苦しさ、言葉の言い難さ、気持ちの重さ・・・)に気付く
    • 気付いたそれらを、一人の人のように位置付ける ※以降、「擬人化した存在」と記述
    • イメージの中で、擬人化した存在とのコミュニケーションを試みる
    • 現在の自分擬人化した存在 と会話によって、過去に封じ込めてしまった感情を吐き出させる
    •  溜め込んでいた感情を吐き出すと、自己意識本当の自分 との間に作られていた障壁が取り除かれる
    • 障壁が取り除かれた結果、自己意識本当の自分 との間の結びつきが自然に強まり、自分らしい行動ができるようになる

    催眠療法を実際にやってみた人しか分からないと思いますが、催眠状態では擬人化した存在と本当に会話ができたりします。


    前置きが長くなりましたが、コア・トランスフォーメーションの説明に入ります。


    コア・トランスフォーメーション

    私は、前回の投稿で説明したように、「本当の自分というものがありそうだ」と何となく感じていたのですが、それを前面に出したアプローチはしてきませんでした。


    その理由は、本当の自分自己意識 の間にある障壁さえ取り除かれれば、本当の自分を特別に意識しなくても、本当の自分に沿った行動が自然に起こせるようになると考えているからです。


    一方、コア・トランスフォーメーションは、この本当の自分を意識するよう組み立てられています。


    ここでコア・トランスフォーメーションの特徴的な考え方を挙げてみます。

    ※冒頭の部分で説明した擬人化した存在という言葉で表現したニュアンスを、コア・トランスフォーメーションでは、パート(部分)と呼んでいます。

    • パートは、本当の自分の望みを感じ取り、自己意識に代わってそれを実現しようとしてくれている
    • 心の苦しさ、身体感覚、感情、体の動き(動作・行動)など人のあらゆる活動・反応・感覚は、パートとして扱うことができる
    • つまり、 心の苦しさ、身体感覚、感情、体の動き(動作・行動)など人のあらゆる活動・反応・感覚は、本当の自分の望みを実現するために生じている
    • そんなパートの中には、何らかの事情で、望みそのものではなく「望みを実現するための手段(プロセス)」にこだわってしまって、本当の自分の望んでいることを忘れてしまっているものがある
    • パートが本当の望みに気付けば、自己意識はパートのこだわりから解放され、本来の自分の望みに沿った行動を行うことが出来るようになる
    • プロセスを省略しても、パートは無意識の世界の中で、望みが叶ったときの状態を体験できる
    そんな感じです。


    次に、 実際にコア・トランスフォーメーションを行うときのポイントを挙げます。
    • 質問に対する答えを探す全てのプロセスは、自己意識とは関係なく、無意識の世界の中で自動的に行われると考える
    •  初めに確認する質問 : 「あなたは、それによって私に何を与えようとしてくれているのですか?」
    • 繰り返す基本の質問 : 「それによって得られた状態を十分に感じる体験をした後で、それよりも、もっと手に入れたい大切なものは何ですか?」
    • 質問の後、その状態のままに自己を放置して浮かび上がってくる答えを待つ(答えを思考によって導き出そうしない)
    • 浮かび上がってくる答えは言葉だけとは限らない(言葉、イメージ、感情、感覚、動作 …)
    • 「望みが叶った状態の体験」と「望みの再確認」を繰り返す
    • その作業を繰り返していると、やがて、他の望みが想起されない状態に至る(真の望みにたどり着く)
    • その結果、本当の自分の望みを自己意識が認識するに至る

    ほとんどの場合、たどり着く望みは、おおよそ次の5つのいずれかに当てはまると紹介されています。
    (この到達するものは、コア・ステートと呼ばれます。)
    • ただ在ること
    • 内なる安らぎ
    • あるがままで大丈夫だという感覚
    • 宇宙との一体感


    そして、コア・ステートにたどり着いたとき、
    • 既にそれを無意識の中で十分に感じているので、現実の世界の中で、必要以上に求める必要はなくなる
    • とても安心な気持ちの中で、自分らしく自然に生きていけるようになる
    らしいのです。


    これらのことは、催眠療法に長く関わっている人は、何となく納得できる部分は多いと思います。

    もし興味を持たれて、正確なことをもっと詳しくお知りになられたい場合は、今回ご紹介している本がお勧めです。


    コア・トランスフォーメーションでは一連の過程を無意識に委ねましたが、『プロセスを省略し、まず結果を体験する』という考え方は、意識の中でも活用できます。



    それは、次回の投稿で説明します。

    日常生活の中で、それに近い状態になる方法

    コア・トランスフォーメーションでなくても、普通の生活の中で普通に安心を感じる方法があります。
    それは、
    • 苦しい時は、安心な人に見守られながら、スッキリするまで泣く
    • 嬉しいときは、安心な誰かに共に喜んでもらう
    ということです。


    詳しいことは、ピュアハート・カウンセリング関連サイトや出版物を参考して下さい。


    余談:神秘体験・光体験・悟り…

    ここからは余談です。

    コア・ステートにたどり着いたとき(本当の自分の望みを自己意識が認識した時)に、非常に興味深い体験をするようなのです。

    私は、今のところ、それを体験するには至っていませんが、紹介した本の中には書かれていますし、実際にそれを体験した人も、そのようなことを言っていました。

    それは、俗に言われている神秘体験・光体験と言われているような体験のようなのです。

    また、座禅をしていて「悟りを得た」と感じるときの体験も、同じ体験であるようなのです。

    以前、実際に光体験や神秘体験をした人から話を聞いていたことがあったり、インターネット上でも様々な情報を検索することが出来るので、「そんな体験があるらしい」ということは何となく知っていました。

    ただ、選ばれた人(霊感があるとか、修行を積んだとか…)でないと体験出来ないのだろうと思っていました。

    しかし、コア・トランスフォーメーションの手順を踏めば、誰でもそれを体験できるらしいのです・・・。

    きっと、関心がある人には、非常に興味深い話だと思います。

    まっ、体験できなかったとしても、あまり神秘体験や悟りなどにはこだわり過ぎない方が良いかなって思います。

    興味本位でやる分には問題ないと思いますが・・・。


    求めているのは、悟りや神秘体験などではなく、自然で楽な自分な訳ですから…。

    2009年10月19日月曜日

    軽いタッチで、金魚のちょっとしたフンを、ちょっと吸いだす装置

    今回は、心理ではなく、ちょっと、趣味がらみのことを・・・。

    水槽を眺めながら、「あのフンを、ちょっと取り除きたいんだけど、水換えをするのは面倒だし・・・、まっ、いいか・・・」とスッキリしない気持ちのまま放置することってありませんか?

    そんなあなたに朗報です!

    っていうか、そんな私に朗報で、嬉しさのあまり、そんな皆さんにも教えてあげようとブログに投稿しています。(笑)

    画期的な装置が完成しました!

    装置といっても、手作りのとても簡単なものです。

    もしかしたら、同様のものが売られているかも知れませんが、自分で作ればかなり安くつくと思います。


    材料はペットボトルとビニールチューブだけ。


    作り方は、ペットボトルに、ビニールチューブよりも少し小さめの穴を2つあけます。

    次に、ビニールチューブを短いものと長いものを別々の穴に差し込みます。これだけ。


    「簡単じゃないかぁ~!?」


    チューブの長い方を水槽に入れ、短い方に口を付け息を吸いこむと、金魚のフンを口の中に吸い込むことなく、ペットボトルに吸いだすことができます。

    「軽い気持ちで、金魚のフンをちょっと吸い出したい!」、そんな気持ちを満足させてくれる一品です。

    心の苦しさとタバコ(特に、メンソール)

    コア・トランスフォーメーションの続きは、現在作成中ですのでもう少しお待ち下さい。


    今回は、心の苦しさとタバコの関係を少し書いてみたいと思います。


    一般的に、「タバコには常習性があり、ニコチン中毒(依存症)になることがある」といわれています。

    また、情報の出所は覚えていないのですが、「ニコチン依存症になると、心が苦しくなりやすい」という話もあるようです。


    タバコをやめようとすると、タバコをやめようとするとき、「タバコをやめる苦しさ」と闘わなければならないようなところがあります。

    そして、その原因は、一般的には、ニコチン中毒から離脱する際の禁断症状だと言われています。


    しかし、個人的には、ちょっと違う理解をしています。


    タバコ依存症を、私なりに説明すると、
    • 「心が苦しい」という感覚を「タバコが吸いたいと感じている」ということにして、心の苦しさをタバコを吸うことでやり過ごしている

    ですから、タバコを止められない人が、タバコを止められない本当の原因は、心の苦しさにあるのだと考えています。

    禁断症状を乗り越えた後でも、再度、依存行動を再発してしまう理由も、この心の苦しさが解消されていないことによるのです。

    この説明は、タバコ以外の依存症にも当てはまると考えています。

    (詳しいことは、心の苦しさに関する考え方 で説明していますので、参考にしてみて下さい。)


    メンソールタバコの吸い過ぎに注意!?

    ここからが、今回お伝えしたかったことになります。

    メンソールのタバコは、吸うとスッキリするところがあると思いますが、次に当てはまる人は、逆に、「心が苦しいという感覚」を強めてしまっているかもしれません。

    • メンソール系のタバコを吸っていて、一日に吸う本数が多めだと思っている人

    当てはまるときは、試しに1日、タバコを同じ強さの、メンソールではない銘柄に変えてみると、気持ちが少し楽になるかもしれません。


    その根拠は?

    すみません、私の経験則だけです(苦笑)

    2009年10月16日金曜日

    コア・トランスフォーメーションのことを説明する前に … 意識の構造と催眠療法

    最近、コア・トランスフォーメーションというちょっとユニークな心理療法に出合いました。


    コア・トランスフォーメーションのことを詳しく知ろうと思って本を探したのですが、私が見つけられたのは、この一冊だけでした。

    読んでいて、不規則に同じような内容が繰り返されるように感じて混乱するところもあったのですが、本全体としては、とても分かり易かったと思います。


    ただ、この本をいきなり読むと、胡散臭いと感じてしまう人は多いだろうと想像しています。

    でも、私は、結構すんなり受け入れられるものでした。

    それは、たぶん、これまで催眠療法に長く関わってきたことが影響しているのだと思います。


    そこで、今回は、コア・トランスフォーメーションの説明に先だって、まず、意識や催眠療法に関連したことを説明したいと思います。


    次の図は、私がこれまでカウンセリングや催眠療法を通してイメージしている心に関わる構造(意識と無意識など)を図にしたものです。

    詳しく掘り下げて書こうとすると少し違ってくる部分があるかもしれませんが、ザックリ書くとこんな感じです。)


    ポイント

    この図のポイントを説明します。

    まず、少し見づらいのですが、下部の赤い部分が本当の自分で、上部の赤い部分が自己意識です。

    どうして、自分がこのように2つに分かれるのかは不思議なのですが、どうもこのようになっているように思えるのです。

    次に、行動は次の4つに分類されるということもポイントとなります。
    • 本能的な行動
    • 自然な行動
    • 学習した行動
    • コントロールされた行動

    これらの行動は、次のような流れをたどると考えています。

    • 赤ちゃんの頃は、本能的な行動が中心となる
    • 幼児期に入り行動力が身に付くにつれて、自然な行動が増えてくる
    • 子供の自然な行動に対して、親のしつけや感情的な反応によって、その環境や状況で好ましい行動を条件反射として身につけ、学習した行動が加わる
    • 少年期や青年期にかけて、思考の発達や知識や社会常識の蓄積にともなって、コントロールされた行動が加わる

    ただ、全ての行動がこのような流れで変化するというわけではなく、成人後も、これらの行動は混在しています。

    ただ、その混在の具合(比率)は、人それぞれの生育環境によって違いが生じると考えています。


    図中の『黒いハートマーク』は、トラウマと呼ばれているものです。


    これには、悪いものだけでなく、良いものも含まれます。

    例えば、犬にかまれた経験が犬嫌いにつながるといったことだけでなく、テストで良い点をとると親が褒めてくれるから勉強が好きといったものも、図中の黒いハートマークが表わしていることです。

    (通常は、好ましい予感を伴うことは問題視しませんからトラウマとは表現せず、嫌な予感を伴うものに限ってトラウマと表現されるところがあります。)


    人は、これらの行動のうち学習された行動をしている時、自然な行動とのギャップに心の苦しさを感じます。

    また、この学習された行動自然な行動を、何らかの理由でコントロールされた行動に移行させなければならないと感じてそのように努力している時、やはり、心の苦しさを感じます。

    催眠療法

    暗示
    学習された行動には、多くの場合、その行動を妥当なものだと自分に信じ込ませる(自己に暗示をかける)ために、その人にとっては論理立っている価値観(こだわり)のようなものを併せ持っていることが多くあります。


    一般の人が催眠療法と聞くと、まず、思い浮かべるのは「この価値観という暗示を、別の暗示で覆い隠すことで、行動を変容させることができる」といったイメージではないでしょうか。


    例えば、「犬が怖い」と思っている人に「犬は安全だ」と暗示するような感じです。

    確かにそのような方法もありますし、実践されることも多いかもしれません。

    ただ、これでは、黒いハートを白く塗り替えるというよりは、もともとの黒いハートマークに白いカバーで覆うのと近いところがあり、時間経過に伴って、白いカバーが薄れて中の黒が浮き出てくることもあります。

    詳細の説明は省きますが、私は、この方法は、あまりお薦めしていません。

    感情処理
    次に、イメージするのは、たまにテレビとかで見かけることがあるのですが、トラウマの原因となっている感情を吐き出すということです。

    「犬が恐い」という人を例えば退行催眠によって当時の気持ちを蘇らせて、その時発散できなかった気持ちを「怖かったよーーっ!!」などと泣きじゃくりながら、気持ちをスッキリするまで吐き出すのです。


    他にも方法がありますが、そんな中で、この黒いハートマークを一人の人として対峙する方法があります。

    催眠状態の中で、現在の自分とその黒いハートマークの人と、会話できたりします。最終的には、当時吐き出せなかった感情を吐き出してスッキリするということで、一連の催眠療法が終わる流れになることが多いです。


    そして、この感情の吐き出しによって、黒いハートマークは消滅し、学習された行動からも解放され、自分で行動をコントロールできるようになります。


    それに伴って、心に居座っていた学習した行動を引き起こすための苦しさからも解放されます。


    ※黒いハートマークを人として扱うイメージは、ピュアハート・カウンセリングのサイトのボクと君の仲直り  ~ いつもボクを守ってくれている君 ~ が参考になると思います。



    ただ、社会の常識や思い込みなどには、相変わらず行動は左右されてしまうので、トラウマから解放された後の行動の全てが、自然な行動であるとは限りません。


    本当の自分自己意識の間にある障壁が外れて、自然な行動に一歩近づくのは確かです。

    この手法で行われていることは、本当の自分自己意識とを直接的につなごうとしていると考えることもできます。

    まとめ

    • 自分のある部分(感情や感覚や行動・・・)を一人の人的な扱いをする
    • 『本当の自分』と『自己意識』をつなぐ

    この2つを何となく知っておくと、コア・トランスフォーメーションを理解しようとする助けになると思います。


    次回、コア・トランスフォーメーションに関することを説明します。


    【補足】

    ちなみに、本当の問題は、「なぜ、苦しい経験をトラウマにしてしまったのか?」ということです。

    それを予防したり解決したりできるのが、そうかそうかムーブメントです。

    当方のホームページ(http://www.pureheart-counseling.com/)や、拙著『あなたにもある心を回復する機能』をお読み頂けると、心の苦しさの本当の原因と解決策をご理解頂けると思います。

    2009年10月14日水曜日

    茂木健一郎 脳科学

    ヨタ話ですので、適当な感じで読んで下さい。

    ブログのタイトルに興味をそそられてしまった人は、多いのではないでしょうか?

    私の中にもこのキーワードはインプットされていて、
    • 茂木健一郎氏が実際にどのような主張をされているのか?
    • 脳科学とは具体的には何なのか?
    を詳しく知りたいと常々思っています。

    (その1) 「脳にいいこと」だけをやりなさい!

    そんな時、書店で、茂木健一郎氏の名前を見かけて、つい買ってしまったのが、初めに紹介する『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』です。

    本を読み進めていくうちにようやく気付いたのですが、茂木健一郎氏や脳科学とは一切関係ないと言って良い内容でした。

    ただ、別の得ることがあり、この本を読んで良かったとは思っています。

    詳しいことは、このブログの読むカウンセリング: 書籍『脳にいいことだけをやりなさい!』の紹介:で述べていますのでそちらを参考にして下さい。

    (その2) 目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!

    その後、しばらくして、また、本屋で茂木健一郎氏の名前と写真、更に、『脳科学』という言葉が前面に押し出された本があったので、懲りずに、また、つい買ってしまったのが、次に紹介する『目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!』です。

    結果から書くと、この本も茂木健一郎氏が書いたものではなく、富永裕久氏(サイエンスライター)が書いた本でした。

    内容は、脳の各部位の機能やそれらと障害や状態などとの関わりが分かりやすく説明されていて、読んで良かったと思っています。


    ただ、「『脳科学』というインパクトのある言葉が表現する世界を垣間見ることができた」という感覚は得られませんでした。

    もしかしたら、『脳科学』という言葉は、『脳科学』という幻想を抱かせ、ブームを巻き起こすために作られた無意味な言葉なのかもしれないと、ちょっと思いはじめています。


    まぁ、それはともかく、私には、第一章『脳と意識』がとても面白かったです。

    理系(数学や物理的)の表現が連発なので、理解しようとするとくじけてしまう恐れが大ですが、何となく読んでその進歩的は雰囲気を味わうには、とても良かったです。
    (たぶん、私は、書かれていることの半分も理解できていないと思います。。。ただ、難しいのは第一章だけで、第二章以降はとても分かりやすく書かれています。)


    著者は、この第一章では、 思考意識自己意識(自分を自分と認識する自己) を混乱して説明されているように感じましたが、自己意識について説明されているのだろうと認識して読み進めました。


    その中でも刺激的だったのは、ゲーテルの2つの不完全性定理が紹介されている部分です。
    • 第一不完全性定理:いかなる算術の公理系にも証明できない定理がある
    • 第二不完全性定理:数学には矛盾がなければ数学はその矛盾を証明することはできない

    つまり「正しい数学の体系を作ることはできず、しかも、数学に矛盾がないことを証明するのは無理だと証明された」と説明されています。


    「数学者って難しいことを考えているのだな」と感心しながら読み進めているうちに、不完全性定理の説明が、『「意識を理解しようとする人類の試み」は最後には避けられない矛盾を持っている』という理解に私を導いてくれました。


    私が考えたことを少し紹介します。


    仮に、将来のどこかで自己意識のメカニズムが解明されたとします。

    解明されたということは、
    • 人が科学を駆使して自己意識というものを発生させることができ、
    • しかも、このとき発生する自己意識をコントロールできるようになる
    と理解して先を読み進めて下さい。


    例えば、「アインシュタイン」の自己意識をそこに発生させることも可能だということになるという感じです。

    他人の自己意識を発生させることを考えているうちは問題ないのですが、次のような場合、大きな矛盾が生じます。

    自分自身の自己意識をそこに発生させようとした場合です。

    もし、自分自身の自己意識を発生させることができてしまったとします。

    すると、次の2人の自分が存在することになってしまいます。

    • 自己意識を発生させようとした自分
    • そんな自分によって自己意識を生じさせられた自分

    さて、このとき、どちらの自分が、本当の自分なのでしょうか?

    これは、論理的には証明できないのですが、直観的にはもう一人の自分という自己意識を作ることは不可能だと思えます。

    つまり、仮に人類の科学が進歩して自己意識を芽生えさせることができるようになったとしても、人の力ではコントロールできないところで自己意識は発生するということになるのだろうと想像できるのです。


    以前、私は、心の動きをコンピュータ処理に置き換えることができないかと考えたことがありました。


    【参考】ピュアハート・カウンセリング:心のコンピュータ処理的な理解


    この時も、自己意識というものが心の中に取り込むことができずに困ってしまいました。

    結局、今のところ、私の中では『心と自己意識は別物だ』という結論になっています。



    ついでに、他にも気になることを大雑把に書いておきます。
    • なぜ、自分は自分であり続けるのか?
      どうして、途中で、他人と入れ替わってしまうことがないのか?
    • 医学が進歩して、脳を他人と入れ替えることができたとき、自己意識も入れ替わるのか?
      もし、記憶だけが入れ替わって、自己意識は入れ替わらなかったとしたら、本人も含めてその事実を認知することができるのか?
    • クローン人間ができたとき、そこに生じる自己意識は誰か?クローンに遺伝子を提供した人と異なるとしたら、そこに生じる自己意識はどこからやってきたのか?(一卵性双生児のことを考えると、それは、クローンに遺伝子を提供した人ではないと想像できる)
    • 今はそのような認知は無いが、人の想像力の限界は、人は自分が存在するということから類推して、「生物には自己意識がある」というところまで。将来、人と同様の学習が可能なロボットが作られたとき、仮に、そのロボットに自己意識があったとしても、そのロボットに自己意識があるかどうかを本当に知ることができるのはロボットだけ。しかし、人類は、そのロボットが伝えるその認識を信頼して良いかを判断することはできない。

    スピリチュアルなことは良く分からないのですが、自己意識の方は、いくら科学が進歩したとしても人類の力ではどうしようもなく、宿るか宿らないかというところに任せるしかないのだろうという気がします。




    紹介した『目からウロコの脳科学』を読んで、以前買ったけど途中でくじけて読めなかった本に再チャレンジしてみようかという気持ちになりかけてのですが、この投稿を書いていて、どうでもよくなってしまいました。


    自己意識への空想はこれでとりあえず終りにして、私の意識を普通の心の働きへと戻したいと思います。


    以上、ヨタ話でした。


    まっ、最後にまとめると、茂木健一郎氏が執筆した本は、細心の注意を払わないと買えないということですね!(苦笑)

    2009年10月4日日曜日

    近々のブログ記事投稿予定

    ブログ記事、投稿しようしようと思うのですが、

    ちょっと、書きたいことが頭の中でごちゃごちゃになってしまっているので、

    整理の意味で、予定の一覧を書いてみます・・・

    (自分用のメモです。)

    1. 薬物依存症と依存症について
    2. 人は「心と心のつながり」に関係することに感動する
    3. 「つながり」感を得るための偽解決が、認められること、受け入れられること、受け入れること・・・
      「つながり」感を得たいと思うことの正体は?
    4. コア・トランスフォーメーションに関連して
    5. NHK番組 ハートをつなごう 「今夜はもっとつながりたい(1)(2)」を見て
      出演者:内藤大助 サンプラザ中野くん 安倍なつみ 精神科医
    6. 脳科学関連の本を読んだ感想(意識の話題をピックアップ)
    7. 心の苦しさを簡単に説明すると・・・(感覚・感情->思考->行動->回復 のサイクルが滞っている)
    8. リストカット・過食嘔吐その他、子供の悩みに対処できなくて困っている親御さんへ
    9. クローズアップ現代「希望を科学する」を見て
    他にもありそうな気がするけどとりあえずこんなものかなぁ・・・。


    4番目の「コア・トランスフォーメーションに関連して」は、

    Mさんと約束した内容なので、最優先で対応したいのですが、

    書きたいと思った時の気分に合わせて投稿していきたいので、

    遅くなるかも・・・

    (Mさん、気長に待ってて下さいね)


    また、全部書けるかどうか分かりませんので悪しからず・・・(^_^;)

    2009年10月1日木曜日

    自殺対策 ・・・ ネーミングに工夫を!

    もし、商売をしていて、死に筋商品の不良在庫を大量に抱えてしまって、それを処分したいとき、どのような文言でアピールするでしょうか?


    恐らく、死に筋商品不良在庫一掃セールとはしないはずです。

    例えば、商品入れ替えセールとか在庫一掃セールとか新旧商品交代セールとかいうように、消費者に対して悪い印象をあまり与えず、そして、嘘をつくこともなく、うまく購買意欲を駆り立たせるような言葉を真剣に考えるのではないでしょうか?

    そして、その考え抜いたキャッチフレーズを使用して広告やPOPなどで消費者にアピールするだろうと思います。


    つまり、商売人が期待する行動を、消費者に引き起こす効果が高いと思われる言葉を使ってアピールするということです。



    ここからが本題になります。


    最近、自殺対策自殺防止という言葉をよく耳にするようになりました。

    10年以上も自殺者が3万人を超え続ける現在、これらの言葉は「当たり前のこと」「必要なこと」として受け入れられています。


    しかし、冒頭の説明と照らし合わせると、「自殺対策」「自殺防止」といった言葉を使って社会に訴えかけることには違和感を感じます。


    これらの言葉が期待していることは、社会問題の解決という立場で「自殺しない」「自殺させない」ということになるのかもしれません。

    しかし、それは追い詰められてそうせざるを得なくなってしまった人にとっては、何の救いも感じることのできない言葉だと思うのです。


    「生きろ!」「(本当は)生きたい!」という気持ちに訴えかける力が弱いと感じるのです。


    ですから、そんな気持ちを伝えたり、呼び起こしたりすることができるネーミングに変える方が良いと思います。


    例えばですが、
    • 心の苦しさを楽にする手段の周知徹底対策
    • 一人で抱え込み追い詰められることを防止する対策

    とかいうようなネーミングに・・・。
    (センスのある人が真剣に考えれば、もっと良い名称を付けられると思います。)


    そうすると、「心を楽にする方法ってあるんだな・・・」、「一人で抱え込むから追い詰められるのか・・・」というように心の苦しみへの正しい対処があることを連想することにつながり、その具体的な対策と相まって、やがて、追い詰められる人、自殺しようとする人は減っていくのだと思います。


    ところが現在のように、自殺対策・自殺防止といった言葉を何度も繰り返していると、「心の苦しさの解決には自殺という手段がある」と暗示しているのと同じ意味を持ってしまうところがあるのです。


    次に、そう考える理由を簡単に説明します。


    苦しい気持ちに追い詰められてしまった人は、その解決策を渇望しています。

    心の苦しさから抜け出したくてワラにもすがりたい心境です。

    そんな時に、その心境に近い雰囲気を持つ解決方法が意識の中に飛び込んでくると、それを自分にとっての唯一の解決策だと思い込んでしまいやすいところがあるのです。


    そのあたりの詳しい説明は、次のページを参考にして下さい。

      【参考】 罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか?


    そして、メディアなどから「自殺」という言葉を繰り返し繰り返し聞かされていると、「苦しさに耐えられなくなった人は自殺するしかないんだ」と認識してしまい、それを解決策に執着してしまうと、そう行動しなければならない心理に追い込まれていってしまうのです。

    (自殺に限らず、最近多発する様々な犯罪なども、出口の見えない苦しさの中で、誤った解決策に巡り合ってしまい、それに執着してしまうことによって起こるのだと考えています。)


    しかし、真実は違います。

    現実に直面している様々な事情によって心が苦しい状態に追い込まれていても、心の苦しさを解消する方法はあります

    そして、心の苦しさの解消は、さまざまな事情の解決とは関係の無いところで実現できるのです。


    その考え方については、次のブログで順を追って紹介していますのでご参照ください。

      【参考】 カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ



    メディアが、そのような性質を持つ言葉を、無自覚に何度も繰り返し伝えることは、それらの流れを強化してしまうのです。



    現在は、インターネットの普及に伴って、能動的な姿勢になれば、その具体的な手段を容易に知ることができる環境が整ってしまっています。


    世の中からそういった類の情報を抹消する以外に、能動的に情報を探す人がそれにたどり着くことを食い止める方法はありませんが、受動的な人に、能動的な行動を起こすきっかけとなるような情報を知らせるのは極力避けるべきだと考えます。



    次のような情報が自殺対策支援センターライフリンクのサイトに掲載されていますが、これも同様の考えによるのだと思います。参考のため引用しておきます。
    「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)

    ※昨年9月10日にライフリンクが主催した「『世界自殺予防デー』緊急フォーラム」配布資料から抜粋

    1)やるべきこと
    ・自殺に代わる手段(alternative)を強調する。
    ・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
    ・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について記述する。

    2)避けるべきこと
    ・写真や遺書を公表しない。
    ・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
    ・自殺の理由を単純化して報道しない。
    ・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
    ・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。

    ○日本における自殺報道の現状
    ・個々の自殺の手段を詳細に報じる傾向
     例:X-Japanヒデ氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺についての報道
    →新しい自殺手段が入手可能であることを大々的に宣伝してないか?
    →模倣自殺(ウェルテル効果)
    ・自殺を考慮中の人が読者に多数いることを前提とした報道がなされていない。
    →そのような人々をサポートするメッセージ等がセットで紹介されていない。
       (例:相談機関連絡先)

    《 中 略 》

    ※以上、反町吉秀氏(現・青森県東地方健康福祉こどもセンター保健部東地方保健所 保健医長)による



    少し話がそれますが、2008年は硫化水素を用いる方法で、1000人以上が命を絶ちました。

    通常、死に結びつくような行為をする時は、もの凄い恐怖を感じるだろうと想像します。

    普通、恐怖は、その行為を思いとどまらせるように働きます。

    しかし、「硫化水素を発生させる」方法は、その行為が「薬品を混ぜる」という恐怖を生じさせ難いものだったので、多くの人が行為を遂行してしまったのだろうと想像しています。

    結果、本当なら、生きるところに踏みとどまれたかもしれない多くの人まで、死に追いやってしまったのだと思います。


    これは、「硫化水素自殺」という言葉を知ってしまったが故の悲劇だと思います。

    そして、そんな言葉を、テレビや新聞やインターネットのWebサイトなど手段を用いて、ニュースとして大衆に知らせてしまったのがマスコミのしたことなのです。

    また、一昨日だったと思うのですが、夕食時のテレビの報道番組で、「富士山樹海における自殺」の特集をしていました。

    これは度々繰り返される企画です。

    今回の番組は、一応、自殺を食い止めようと頑張っておられる団体の活動の紹介で締め括られていましたが、これも、「富士山樹海で自殺する」という方法を世に知らしめているという意味合いを含んでしまっているのです。


    詳細は省きますが、
    • 無差別殺人、猟奇殺人、人間関係のもつれなどによる殺人などの報道
    • 凶悪シーン・暴力シーンを含むサスペンスドラマ

    といったものも、解決を求めて苦しんでいる人に、誤った解決方法を示し、彼らをその解決策に執着させてしまう恐れがあります。



    ちょっと、話が広がり過ぎてしまいましたが、最後にまとめます。


    【まとめ】

    世の中に何らかの言葉を広めようとする場合、又は、広めてしまうような行為をしようとしている時は、これらのことを踏まえて、言葉の選択には細心の注意を払うことが大切だと考えます。



    【心の苦しさを根本的に解決できる唯一の方法】


    最後に繰り返しますが、心の苦しさを解決する方法は、次の2つです。

    • 誰かにつらい気持ちを話すこと
    • 誰かに見守られながら、スッキリするまで泣くこと

    これは、催眠療法を繰り返し実施することによって辿り着いた結論です。

    催眠療法など受けなくても、ただ、この2つをするだけで、催眠療法の後に得られるスッキリとした楽な気持ちを取り戻すことができるのです。


    直面している問題の解決は、そのあとでもできるのです。

    そして、心をスッキリさせてから考えれば、それまでは思いつかなかったような、もっと良い解決策も考え付くものなのです。

    2009年9月30日水曜日

    「しがみつかない生き方」を読みましたが・・・




    この本を買った主な理由は次の3点です。
    • 「売れているらしい」と知った
    • タイトルに引きつけられた
    • 各章の見出しが、私の考えに近いものが多かった
    私は、「心の苦しさの本質を伝えることで、心の苦しさに押しつぶされてしまう人や追い詰められて異常な行動をしてしまう人を減らしたい」と願い、今年(2009年)の1月に本を出版しました。


    残念ながら、有名ではない私の本は大して売れてはいませんが、それでも「『心に関する正しい理解』を世の中に広めたい」思いながら過ごしていました。


    そんなとき、この本のタイトルや章見出しを目にして、「やっと、出るべき本が出て、そして、売れているようだ。良かった!」と思い、書店で手に取りました。


    ところが内容は期待とは随分と掛け離れたものでした。


    まず、全体的な印象ですが、「この著者は、きっと悩んでいるんだろうな・・・」という雰囲気を感じました。

    私は、この本を読んでいて心がスッキリするというよりは、むしろ苦しくなってしまい、読み進めるのが嫌になってしまったのですが、仕事だと思い直して、なんとか最後まで読み終えたというのが正直なところです。


    各章には、素晴らしい標語を掲げてはいるのですが、それを実現するための具体的な方策は示されておらず、あたかも「標語を示したので、あとは各自が精神論で実現しなさい」と各章を締め括っておられるかのような感じを受けました。


    人によっては、『今まで意識していなかったことを新たに問題だと指摘され、しかも、「あとは勝手にしなさい」と放り出される』という感じを受けて、解決しようとして本を読んで、逆に、悩みごとを増やしてしまうのではないかと少し心配になりました。

    ですから、心に苦しさを抱えている人には、お勧めしません。

    しばらく読んで、気持ちが苦しくなったとしたら、それ以上は我慢して読み進めない方が良いだろうと思います。

    「本を読み進めていく内に、どこかで話が転換して、目からウロコがとれて心がスッキリする」という場面に遭遇することはたぶん無いと思います。


    ただ、私が書いたこれらのことは、あくまでも私の個人的な感想ですから、この本によって心が救われる人もいるのかもしれないとは思います。

    Amazonのカスタマーレビューも参考にされるとよいと思います。


      【参考】 Amazonのカスタマーレビュー


    次に、カウンセラーとして、ちょっとショックだった章のことを書きます。

    「第5章 すぐに水に流さない」という章なのです。

    詳しくは書きませんが、この章の内容を読んで、この著者は心理療法のことをあまり知らないか、あまり重視していないかのどちらかなのだろうと感じたことです。


    昔の大学のカリキュラムや個人的な志向によってそのような理解になるのか、現在のカリキュラムでもそのような理解が主流になっているのかは不明なのですが、個人的な志向ではないとしたら、精神医療の世界は薬物療法中心になっているのだろうと想像してしまいます。

    また、心の健康を扱う分野が、臨床心理は心理学、精神医療は医学というように分断されてしまっているとしたら、それはとても奇妙なことだと、改めて思いました。




    この本を読んで、「じゃぁ、どうしたら良いの?」という気持ちになった時は、手前味噌で申し訳ないのですが、拙著「あなたにもある心を回復する機能」を読んでみて下さい。


    きっと、その答えがあります。


    別のブログで紹介している次の記事も、参考にして頂けると思います。


      【参考】 Lesson 1 病名・症状名から離れる

    2009年9月23日水曜日

    「無意味な映像」を意味ありげにする方法と「悩み」の類似点

    「無意味な映像」を意味ありげにする方法があります。

    • 一連の映像の最後に、「ストーリーとは一切関係のない映像」を付け加える

    例えば、「マグロの生涯」という映像が15分程流れた後、その最後に「トンボが竹ざおにとまっている映像」が5秒程流れ終了したとします。


    それを見終えて、どう感じるでしょう?ちょっと想像してみて下さい。


    たぶん、「あのトンボには、どんな意味があったのだろう?」、「この映画を通して伝えようとしていることは何だろう?」などと考え始め、しばらく止められなくなるのではないかと想像しています。


    そして、この「自分が考えている」という事実から、その映像にそれ以上の意味があるように錯覚したり、趣深さを感じ取ったりしてしまうのです。



    人が考え始めるときには、何かのきっかけがあります。


    特に、自分がこれまでの経験の中で作り上げてきた理解体系に当てはまらないこととの出合いが、きっかけになりやすいところがあります。


    例では、そのきっかけは「トンボの映像」ですが、実際は、「トンボの映像」は考えるに値しません。

    • 「トンボの映像」は、「マグロの生涯」という全体の体系から外れる
    • そこで映像が終わってしまうため、それ以上の情報が期待できない

    そんな状況によって、「自分自身の思考によって体系づけよ」と考えさせられてしまうのです。



    私たちが悩んでいるとき、この「あのトンボの意味はなんだろう?」と考えるのと近い状態のときがあります。
    • この悩みのきっかけは、考えるに値するのだろうか?
    • これは理解する必要があるのだろうか?
    悩み込みそうになった時、ちょっと、自分に問いかけてみると良いかもしれません。

    2009年8月21日金曜日

    モンスターになりかけた!?

    我が家では2匹の金魚を飼っていました。

    「飼っていました」というのは2匹にかかっていて、現在は、夏祭りの金魚すくいの結果、現在は4匹増えて、6匹になっています。

    我が家では、赤くて丸い金魚を『赤金(あかきん)』、白い方を『白金(しろきん)』と呼んでいます。



    まだ、金魚が2匹だった約2カ月前のことです。

    赤金が尾腐され病という病気にかかってしまい、弱り切って瀕死の状態となってしまいました。

    金魚が尾腐され病になった時は、薬を入れた別の水槽でしばらく薬浴させて原因となる細菌を死滅させるのが治療手順です。

    4~5日の治療の後、赤金を元の水槽に戻した時に、事件は起こりました!

    病気で弱り切った赤金を白金が追いかけまわすのです。

    治療が済んだとはいえ、赤金の様子は、まだ、弱り切って瀕死の状態のように感じられました。

    直ぐに、頭を水面の方に向け、腹ビレを水草の枝に引っ掛けて、動かなくなってしまいます。

    今にも死にそうな感じです。

    そんな赤金を、白金は追い回すのです。

    相性が悪いと言われている丸金(まるきん)と和金(わきん)だったのですが、2年ほど前に金魚屋で買ってきて以来、2匹はいつも仲良く寄り添っていました。

    しかし、赤金の病気を境に、そのような状態になってしまったのです。

    白金は、赤金を追い回し、赤金のボロボロになった尾ヒレや背ビレを食いちぎります。

    赤金は必死に逃げ回り、スキを見つけては、水草に尾びれを引っ掛けて動かなくなる、そんな状態が続くのです。

    それを見ていた私は、「赤金を何とかして助けなければならない。このままでは、弱って死んでしまう」そう考え、しばらく、ヤキモキしながら、そんな様子を眺めていました。

    赤金が隠れて休むことが出来るようにと、赤金は入れるけど白金は入れないような管を水槽に入れても、赤金は見向きもしません。

    「もう、これは、白金を川に放すしかない」

    白金は、小1の長男が、赤金は年中の次男が金魚屋で選んだものです。

    どちらも大切な金魚です。

    「困った。」

    家族会議の結果、「白金を川に放そう」という結論になりました。


    そこで、ふと、思ったのです。

    「それが本当の解決になるのだろうか・・・?」

    「もしかしたら、しばらくすれば調和が訪れるのではないか?」

    そこで、見ているのはとてもつらかったのですが、もうしばらく、そのままにして様子を見ることにしました。


    そして、2日後、朝起きて水槽を見てみると、もう、白金は赤金を追い回さなくなっていました。

    以前のように、仲良しの状態に戻っていたのです。

    「良かった!」

    長男も次男も悲しい思いをさせずに済みました。

    これまでずっと世話をしてきたので、私も、赤金にも白金にも愛着があったので、ほんとに良かったと思いました。


    この一連の流れの中で一時期、私は赤金を弱いもの白金を強いものと決め付け、弱いものを守るために強いものを排除しようとしていたのです。

    しかも一刻も早く赤金を死に瀕する状態から救いたいと、そんな思いに駆られてしまっていたのです。


    そして、思いました。

    「これが、俗に『モンスター・ペアレント』と呼ばれている状態の人の心境なのかもしれない・・・」

    まとめ


    • 自分が大切に思っている人の能力を信じていないこと

    これが、モンスター化する一つの要因だと思われます。


    金魚と人は違います。


    人であれば、ただ放置するだけでなく、心を支えてあげることが出来ます。


    支えてあげることが出来ず、大切に思っている人の能力も信じていなければ、「取り巻く障害を自分が取り除いてあげなければならない」という衝動に駆られてしまいます。

    • 自分の大切な人の能力を信じること
    • 「自分の大切な人の心をどのようにしたら支えることが出来るのか」を知ること

    この2つが、自分がモンスター化してしまうことを防ぎ、また、自分を取り巻く様々な人(自分が守りたい大切な人も含めて)を苦しめてしまうことを回避することを手伝ってくれるはずです。


    参考 : ピュアハート・カウンセリングのコンテンツ紹介
    【子供の心との関わり方】
    【そうかそうかムーブメント】 --- 心の支え方・癒し方

    2009年8月19日水曜日

    Google検索ペナルティ 復活ならず

    数日前、別ブログ(今回廃止しました)に、次のような投稿をして、Google検索ペナルティから復活したと喜んでいたのですが、2日程して確認したら、やっぱり、ペナルティ状態に舞い戻ってしまっていました。
    5月末から、ピュアハート・カウンセリングのサイトへのGoogle検索経由のアクセスが一切無くなってしまっていました。 
    当サイトがGoogleによって、『不正なアクセス・アップ対策が施されているサイトである。』と判断されて、Googleの検索結果から排除されてしまったようなのです。 
    その後、「不正アクセス・アップ対策って何?」と、その辺のことがサッパリ分からない中で、自分のサイトの何が『過剰SEO対策』と呼ばれることに当たるのかをあれこれと妄想しながら、四苦八苦しながらチマチマと対処を続けてきました。 
    途中、7月中旬 には、一時的に検索結果に表示されるようになり、Google検索のペナルティから解放されたと喜んでいたのですが、それもつかの間、3日位でまた元に戻ってしまいました。

    それが、昨日を境にして、ようやく復活したようなのです。 
    5月末にGoogle検索の結果に表示されなくなってから、8月中旬までの約2ヶ月半。 
    いやぁ~、長かったなぁ~。 
    苦しかったなぁ~。今度こそ、『Googleのいじめ』からの完全復活のような気がしています。 
    今後、皆さんが心に関わる何かを検索したときに、ピュアハート・カウンセリングのサイトのページが表示されることがあるかもしれません。 
    もし、見かけたら、「おぉー、ホントだ、復活したんだぁ~」と暖かい気持ちで眺めてやって下さい。

    では、これからもピュアハート・カウンセリングをよろしくお願いします。
    2009/8/16

    もう、参ってしまいます。


    Google性ストレス症候群なんて病名を作ろうとする権威団体が登場すれば、そんな名称も受け入れられてしまうような状況が世の中にはあるのかもしれないと思えます。


    で、『複数の似たテーマのサイトを持っているとGoogle検索ペナルティになることがある』という情報を見つけたので、7月にGoogle検索ペナルティ対策の一環として作成した4つのブログの内、本日2サイトをこのブログに統合して削除しました。


    しばらく、次の2つのブログとピュアハート・カウンセリング本体サイトの合計3サイトで運用してみることにします。


    出来ればこの2サイトは存続させたいと思っているので、今回の対応で、ペナルティから復活することを切に願っています。


    Googleの検索結果の中で、皆さんとお目にかかることが出来る日は、やってくるのでしょうか・・・

    2009年8月13日木曜日

    カウンセリングルームも仮想空間の時代に!?

    「アメリカ心理学会、仮想カウンセリング用の仮想空間を構築」という記事を見つけました。
    アメリカ心理学会、仮想カウンセリング用の仮想空間を構築

    アメリカ心理学会(American Psychological Association、以下APA)が、Forterra Systemsの「OLIVE」(On-Line Interactive Virtual Environment)をプラットフォームに使用したカウンセリング用ツール「InWorld」を構築した。
    「InWorld」は臨床医と患者がアバターでログインし、認知療法やカウンセリング、トレーニングなどを仮想環境で行うことのできるツール。医師と患者 が離れたところに住んでいても簡単に会うことができ、またアバターを介することで実際に対面して話す時よりも気楽になれるので、現実よりもむしろ患者の本 音を引き出しやすいのだという。
    現在はまだ実験段階だが、正式運用は2009年10月を予定しているとのこと。

    THE SECOND TIMES : アメリカ心理学会、仮想カウンセリング用の仮想空間を構築:


    確かに、試みとしては面白いのだけど・・・・。

    現在、テレビ電話を使ったカウンセリングもありますし、電話でもカウンセリングは行えます。

    そして、個人的には、テレビ電話よりもただの電話の方が、心に響きやすいし、催眠効果も得られやすいので、優れていると考えています。


    電話など音声による相手とのコミュニケーションをすると、自分の頭の中に様々なイメージが作られます。

    そんな自分の中に作られるイメージを、この試みのように、わざわざ他人が作り出した仮想空間のイメージに置き換えるのは、無理があるんじゃないかと思うし、必要ないと思うのです。

    お互いにパソコンの中に表示されるアバターを操作しながら、カウンセリングをしたり、カウンセリングを受けたりしているところを想像してみて下さい。

    もの凄い違和感を感じるのは私だけでしょうか?

    必要なのは、仮想ではなく、現実の触れ合いなのに・・・。



    心理に限ったことではないのですが、そこに権威・権力という背景にあると、実験が始まってしまうところがあります。(ちなみに、権威・権力の背景がないと、どんなに優れたことでも妄想とされがちです。)

    この試みによって、仮想空間・仮想現実への執着(例えば、アバターに恋したり・・・)を強めてしまうなど、変な影響を及ぼさなければいいのですが・・・・。

    私個人としては、この手法が世の中に広まらないことを祈ります。

    2009年8月12日水曜日

    学校教育に取り入れて欲しいと願うこと

    取り入れて欲しいこと

    次の2点を子供たちに理解させるような指導も加えて頂きたいと考えています。
    • ネガティブな感情を誰にも話さずに一人抱え込むと、心がもっと苦しくなってしまうということ
    • 心の苦しさを解決する正しい方法があること

    その結果、子供たちが、主人公が苦しむような物語に接したとき、「この人も、安心できる相手に気持ちを話せればこんなに苦しまなくても済むのに・・・と、当たり前のように考える下地を身につけるを期待しています。

    理由

    子供は成長すると、小説やテレビドラマ、映画、マンガなど、多くの物語と触れ合うようになります。
    それらの物語の中には、感動を演出するために、主人公が
    • 一人で困難に立ち向かう
    • 一人で苦しみに耐え乗り越える
    • 一人で苦しみに耐える
    といった姿が描かれていることは、割合に多いと感じています。


    心の苦しさを解決する方法を意識せずに、そのような物語ばかりに接していると、「苦しさは自分の問題だから、自分ひとりで乗り越えるしかない」ということを当たり前の考えとして錯覚して、自分が困難に直面した時にも、同様の対処をしようとする傾向を強めてしまう可能性が高いと考えています。


    しかし、何らかの課題に直面して苦しい気持ちになった時、イメージすべき正しい解決の流れは、次のようなものです。


    【正しい解決のイメージ】
    • 誰かに素直な気持ちを話して感情を排出すれば、スッキリした気持ちになる
    • 気持ちがスッキリすれば、自分ひとりでも、目の前の課題に楽な気持ちで取り組み解決することが出来る
    • 気持ちがスッキリすれば、「一人きりで解決すること」へのとらわれから解放され、必要に応じて他人に助けを求めることが出来る

    ですから、多くの物語に接する前の子供たちに、悲劇や感動の物語が発する暗示(正しいイメージとは正反対の対処を「選択すべき対処」と錯覚させるような暗示)を無条件で受け入れてしまわないような免疫を作り、また、正しい対処方法を知らせておく必要があると考えています。

    補足

    心の苦しさを解消できる方法
    何度も説明していますが、心の苦しさを解決する最も効率的な方法は、次の2つです。

    • 誰かに心の苦しさをしっかりと話し、しっかりと聴いてもらうこと
    • 泣きたいときには、誰かに見守られながらしっかり泣くこと

    「苦しさ」に限らず、「つらさ」、「悲しさ」、「つまらなさ」、「悔しさ」、「さびしさ」 ・・・ など、ネガティブな感情は、誰かに見守られながら吐き出すことが、心を苦しい状態から安心な状態へと回復させ、悩み込まない日常へと導いてくれます。


    それをしないで、感情を一人で抱え込んでしまうと心が苦しくなり、その結果、さまざまな悩み事を考え出してしまうようになるのです。


    この対処の基礎的な部分は、子供の頃の親子関係の中で身につけていくと考えています。


    それをベースとして、その後の人生の中で、どのような人と出会いどのような体験をするかによって、強化されたり修正されたりしていきます。


    【ピュアハート・カウンセリングのコンテンツ紹介
    子供の心との関わり方
    メルマガ「読むカウンセリング」 バックナンバー
    ポジティブな感情の対処も忘れずに!
    ネガティブな感情に限らず、喜びなどのポジティブな感情も、誰かに話し分かち合わなければ、心にモヤモヤとした苦しさを抱える原因になるのではないかと考えています。


    私は、キリスト教徒ではないのですが、結婚式に神父さんを介して行う「喜びも悲しみも苦しみも分かち合うことを誓いますか?」という誓いは、そういうことを言っているのだろうと思います。

    脚本家、小説家、その他物語に関わる方々へのお願い
    出来れば、もう少し、次のような場面も、描くようにして欲しいと願っています。
    • 一人で抱え込むことが、苦しさの本当の原因だった
    • 知り合いに気持ちを打ち明け、しっかり泣いたら気持ちがスッキリした
    • スッキリしたら、問題と思っていたことが、別に気にならなくなった
    • スッキリしたら、目の前に合った課題を楽に(苦しまずに)解決することが出来た

    2009年8月11日火曜日

    化けの皮!?

    いつものことですが、マスコミは「化けの皮」がはがれたと言わんばかりに騒ぎ立てています。
    (のりぴー(酒井法子さん)のことです。)

    しかし、人には、はがれるような「化けの皮」など無いと信じています。


    そして、
    • そこにいるのは、化けの皮が剥がれた性悪の人ではなく性善の人で、
    • その背景には、性善の人をそこに追い詰めた事情(生まれたところまでさかのぼる)

    があると考えています。


    ですから、理解すべきことはあっても、責め立てられなければならないことなど何もないのだと信じています。


    罪は罪です。


    それは、犯してはなりませんし、もし犯してしまえば償わなければなりません。



    しかし、その人のそんな事情を理解してあげなければ、その人の心は、その後も決して救われません。


    人の助けがなくては、人の心は救われないのです。


    もし、責め立てるだけのことを続けているのなら、その人がいくら善であり続けようと頑張ったとしても、やがて心の苦しさは限界に達し、また同じ罪を繰り返すかもしれないのです。


    或いは、また、別の人が、同じような罪を犯してしまうかもしれません。


    ただ責めるだけでは、この世の中は、そんな堂々巡りから、決して抜け出すことは出来ないのです。


    そして、現代の社会は、そんな堂々巡りに陥っています。


    今、社会に必要なのは、排除ではなく、理解なのです。



    【参考:ピュアハート・カウンセリングのコンテンツ紹介

    心の話題 : 罪と罰
    症状のもう一つの説明
    カウンセラー理解した心

    2009年8月6日木曜日

    あの涙です!

    日テレで放映されているテレビドラマ『赤鼻のセンセイ』の第三話。

    幼い少女が流したあの涙が、うつをはじめ、心の苦しさから解放される時に流れる涙です。

    ざっと、ポイントだけ書くと次のような感じになります。
    (注:セリフなどは正確ではありません)

    小児糖尿病の少女と母親。 
    母一人子一人。 
    母親は、娘(小学校低学年くらいであろうか)に、自分のことは自分で出来るようにと、強くしつけていた。 
    そんな母親が、「母一人子一人、これまで支え合って生きてきた。 
    そして、これからも、支え合って生きていく」というようなことを、娘、院内学級の先生、生徒たちの前で宣言します。

    これに対して小林聡美が演じる先生が、「お母さん、甘えないでください。 
    こんな小さな子供が、あなたのような大人を支えることが出来ると、本当に思っているのですか?!」と言い、娘に対しては、「子供に戻って良いからね。甘えていいからね」と言う。

    その言葉を聞いた娘は、今までの「堪えなければならない」という彼女に覆いかぶさっていた呪縛からようやく解放され、子供らしさを取り戻し、子供らしく涙を流すことができた。


    そんな内容でした。


    その時の涙、子役の女の子は名演技だったと思います。

    催眠療法などおこなっていて、心の苦しさから解放される時に流す涙は、まさに、あのような感じです。

    あの涙をしっかり流せば、そのあとに心は晴れ晴れとした状態になります。

    日常の生活でもあのような涙を流すことが出来れば、心の苦しさから解放されます。

    まずは、イメージできるようになるために、再放送などがあれば、是非、見ておくと良いと思います。

    DVDも販売されるようなので、同じような時期にレンタルも開始されると思います。


    赤鼻のセンセイ 第3話 予告 の詳細 (第2日本テレビ )

    2009年7月25日土曜日

    マニュフェスト

    最近よく聞くマニュフェストという言葉。


    その言葉から、季節がらなのか、なぜか小学校6年の夏休み前に先生に作るように言われた『夏休みのスケジュール表』のことを、ふと思い出しました。


    「曜日別のタイムスケジュールを書いて提出すること」


    当時、お利口さんをやっていた私は、起床時間以降ご飯の時間以外は勉強の予定をみっちり書いて、学校に持って行きました。

    私は、なぜか勉強のスケジュールを書かないといけないと思い込んでいたのです。

    ところが、学校で、岡田君のスケジュールを見せてもらうと、いつにどんなテレビを見るとか、いつ遊ぶとか、そんな内容ばかりが書かれていました。
    (定かな記憶ではないのですが、宿題をする時間も、少しは書かれていたように思います。)


    岡田君のスケジュール表は、私には「目からウロコ」的なものでした。

    私は周囲(特に、親や担任)から期待されているだろうと想像したことばかりでスケジュールを埋めてしまいましたが、岡田君は普段の生活をベースにスケジュールを作っていました。


    私は、一日中勉強ばかり出来るはずもなく、でも、自分の書いたスケジュールが発する力に縛られながら、すがすがしくない雰囲気の中で夏休みを過ごしたような気がします。


    夏休みの宿題も、夏休みの終わり間際に必死に片付けました。


    これは、自分の自然体をベースにしなかったから

    • 餅を絵に描き

    • 絵に描いた餅を食べようと努力する

    という状態になってしまったということですね(>_<)


    【参考】

    【補足】 09-02. 誤った解決努力によって陥りがちな状態の中の『9-2-1.新しいことを初めても続かない』も参考にして下さい。

    2009年7月22日水曜日

    日食が終わって・・・。

    みなさん、日食は見れましたか?

    色々なところで色々なドラマがあったようですね・・・。

    私は残念ながら、空が曇っていて見ることができませんでした。

    来年2010年1月15日に、中部~西日本で部分日食、

    そして、2012年5月21日には、日本の多くの地域(主に太平洋側)で金環食

    更に、2035年9月2日には、北陸~関東北部で皆既日食

    が起こるとのこと。


    【参考サイト】:日食情報データベース


    皆既日食を見るとしたら、2035年はちょっと遠いので、元気なうちに海外に行くことを考えた方がいいかも・・・・。

    まずは、2012年の金環食を楽しみに (^o^)丿

    2009年7月18日土曜日

    イライラする理由

    人は、なぜ、イライラするのでしょう?


    人が何かにイライラしているとき、恐らく

    • 『目の前のこと』に対してイライラしている

    と認識することが多いと思います。


    でも、実際のところは、次のような状態に陥っています。

    • 『目の前のこと』以外の何かに執着している


    もし、何かにイライラしていることに気づいたときは、「何に執着しているのだろう?」と考え、それに気付くことが出来れば、目の前の状況や人の振る舞いなどは、

    • 自分をイライラさせること

    ではなく、

    • ただ、そういうことが行われているだけのこと

    というように変化して、客観的に眺めるきっかけになります。



    詳しく説明しようとすると浅い話になりそうな気がするので、このくらいの説明で留めておきます。


    あとは、ヒマな時にでも、考えてみて下さい。




    《余談》

    これは、禅で言うところの『悟り』と似ているのではないかと思うところがありますので、最後に、禅で用いられる公案を一つ紹介しておきます。



    この書籍より引用


    婆子焼庵

    ある老婆が一人の修行僧を世話して20年が過ぎた。 
    いつも少女に食事を届けさせていたのだが、あるとき、少女が修行僧に抱きついて誘惑するようにいった。 
    「さあ、私をどうなさいます」 
    少女は艶然とほほえんだ。 
    だが、僧はまったく動揺せずにいった。 
    「枯れた木が冬の岩に立つように、私の心は全く熱くならない」 
    あっさりと断ったのである。 
    この言葉を聞いた老婆は、この僧を賛えるどころか本気で怒りだした。 
    「自分は、こんな俗物を20年も世話していたのか!」 
    そして、僧を追い出し、庵も汚らわしいと焼いてしまったのである。 

    (『道樹録』 第十二則 『折中録』 第五則 )


    何かを感じて頂けましたでしょうか?

    • 「なぜ、執着するの?」
      ということにも理由や事情があるのですが、今回は省略します。

      次のページは参考にして頂けると思います。
      ピュアハート・カウンセリング : 罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか?
    • 禅の話に興味がある方は、
      ピュアハート・カウンセリング : カウンセラーの座禅体験記
      をご覧下さい。


    2009年7月15日水曜日

    NHKクローズアップ現代 村上春樹

    昨日、NHKのクローズアップ現代という番組で、村上春樹の特集をしていました。

    村上春樹の著書のファンの多くが持っているある共通の感想が紹介されていました。

    村上春樹の小説に登場する主人公は、逆境にぶつかっても、それと地道に向き合って生きていく。その姿に、癒され、自分も「やっていこう」という思いにさせられる

    正確には覚えていないのですが、そんな内容だったかと思います。

    私は、本を読んでそんな気持ちになったことは、今のところないのですが、これが本当の読むカウンセリングだなと思いました。

    あと、『1Q84』の中の1文が紹介されていました。


    現代の人々は、人格の一部を社会のシステムに預けて生きている


    そんな文章だったように思います。


    私の感じていたことを適切な言葉で表現してもらったような気持ちになりました。


    そんなことから、彼の小説を是非読んでみたいと思い、遅ればせながら、話題の最新刊『1Q84』を早速Amazonに発注しました。



     


    また、感想も書いてみたいと思います。


    クローズアップ現代 NHK:

    病み本

    病み本 10代編病み本 10代編
    (2009/07/17)
    アフターダーク委員会

    商品詳細を見る


    この本の紹介記事がライブドア・ニュースで紹介されていました。


    livedoor ニュース - 椿姫彩菜、時東ぁみらが10代の“病み”を赤裸々告白:


    読んでいないので、内容のことは書けません。


    記事を読んで、商業ベースに乗っかると、ライブドア・ニュースだけに留まらず、きっと他にも大々的に告知がされるんだろうなと、羨ましく思いました。


    私の書いた本もついでに宣伝してもらえないかなぁ~、なんて・・・(苦笑)


    文章には自信はないのですが、内容には自信があります。


    一生懸命に書きました。


    あなたにもある心を回復する機能あなたにもある心を回復する機能
    (2009/01)
    田中 順平

    商品詳細を見る


    日本の心の闇を晴らすために、多くの方にお読み頂ける事を願っています。


    心の苦しみについての、本当のことが分かります!

    2009年7月13日月曜日

    「必要なら自分で言う」=カウンセリング継続断る-父親殺害、補導の次男・島根

    時事ドットコム:「必要なら自分で言う」=カウンセリング継続断る-父親殺害、補導の次男・島根:

    島根県出雲市の市営住宅で、会社員男性(43)が殺害された事件で、補導された中学2年の次男(13)が昨年11月、スクールカウンセラーに悩みを伝えた面会後、学校側からカウンセリング継続を勧められたのに「必要なら自分で言う」と断っていたことが9日、市教委への取材で分かった。
     市教委によると、次男は昨年11月4日、「父親から厳しくしかられた」などとスクールカウンセラーに相談。中学校教員からは、翌週と翌々週も面会するよう勧められたが、次男は「本当に必要なら自分で言う。放課後は部活に出たい」などと言って断わったという。
     次男はその後、スクールカウンセラーと面会しなかった。中学校の校長は父親に対し、専門家と面会するよう求めたが、父親は「気が向いたら連絡する」と言って断っていたという。(2009/07/09-21:34)

    この記事は「少年がカウンセリングを受けていたら事件を防げた」というニュアンスを漂わせてしまっています。
    • カウンセリングを継続しなかった少年に問題があると言っているのか?
    • それとも、カウンセリングを断った父親に問題があると言っているのか?
    • カウンセリングを継続することが出来たら、本当の事件は防げたのだろうか?
    • カウンセリング以外にこの少年を救う方法や環境はなかったのか?
    それらの検証を全て放棄してしまって、何が言いたいのか分かりませんし、事実を確認しようと自ら何のアクションも起こしていないことが疑われます。

    一般的に、このような少年には、苦しい状況に陥った時に、自ら助けを求めにくい傾向があります。

    そのような傾向があることが予測される少年が、少なくとも1回はカウンセラーに救いを求めていたことが、この記事には記されています。
    • 少年が自ら助けを求めたのか?
    • 周りが少年を問題視し、カウンセリングを受けさせたのか?
    • 仮に、自らカウンセリングを望んだとしたら、自ら助けを求めながら、なぜ、カウンセリングを継続することを望まなかったのか?
    • 更に、なぜ、担任ではなくスクールカウンセラーに相談することになったのか?
    • 少年を取り巻く多くの大人たちは、それまでの少年をどのように見て、どのように感じ、そして、何をしていたのか?
    カウンセリングは魔法ではありません。

    本人が楽になりたいと思えば、カウンセリングは大いに活用できるます。

    しかし、現代の人たちは、どうもカウンセリングを、「周りの人が問題があると感じる人を、周りの人が扱いやすい状態に変える魔法」と勘違いしてしまっているのかもしれないと感じてしまいます。
    • この少年の苦しみに、なぜ、周りの大人が気付かなかったのか?
    • どうして、この少年の苦しみを楽にしてあげられなかったのか?
    これらのことを周りの人が理解してようとし、何らかのアクションを起こせば、カウンセリングを受けなくても、その人の心は次第に楽になっていくところがあります。

    しかし、自分が、他の誰かにカウンセリングを受けさせようとしているときは、他人に自分にとって都合のよい魔法をかけようとしていると考えて間違いないように思います。

    カウンセリングは、本人が望んで受けるときだけ、本人の助けになる可能性になるのです。

    ですから、
    • 他人の心の苦しさをや闇を解決しようとするときは、カウンセリング以外の方法で、自分たちが出来ることを考え、行動する
    ということが重要だと考えます。


    繰り返しますが、カウンセリングは、本人が望むときに限って、効果が期待できるのです。

    自分にとっての問題を、カウンセラーという他人に解決させるために、カウンセリングを使っては、事態は悪くなることの方が多いと考えています。

    最後にもう一度。

    カウンセリングを『自分にとって不都合のある他人を、自分にとって都合のよい状態に変える魔法』だとは決して考えないようにして下さい。

    2009年7月11日土曜日

    ブログを移転しました。

    【お知らせ】
    ピュアハート・カウンセリングのサイトに併設していましたブログにテクニカルな問題が生じたため、ブログを当URL(http://yomu-counseling.blogspot.com/)移転しました。

    2009年7月6日月曜日

    書籍紹介:『Wうつ ~うつが、ふたりを本当の夫婦にした。』




    俳優の萩原流行 夫妻が2ともうつ病になった。
    初めは、夫人のまゆ美さんが、そして、流行氏が・・・。

    自分がなって初めて、まゆ美さんの苦しみが理解できた。

    何気ない自分の言葉が、まゆ美さんの心を気づ付けていたということを、身を持って理解した。

    そして、お互いに助け合い、そして、お互いを理解し合えるようになっていった。

    そう、あるテレビ番組で、流行氏が語っていました。

    2009年7月5日日曜日

    メルマガ編集後記【No.0019】

    メルマガを【『我慢すること』と『話すこと』】発行しました。
    ■バックナンバー:『我慢すること』と『話すこと』

    メルマガを配信した後で、メルマガの導入の説明がちょっと変だったことに気がつきました。

    あんまり重要なことではないのですが、一応訂正させて下さい。

    【訂正前】

    今回のメルマガでは、この『我慢すること』と『話すこと』に関連したことを考えてみたいと思います。

    【訂正後】

    今回のメルマガでは、このことに関連して、「 『我慢すること』と『話すこと』 」というテーマで考えてみたいと思います。


    本当は、ここに
    • 話しをする基本姿勢
    • 話しをする目的
    ということを絡めて、一つのまとまった話にしたいと考えていましたが、イマイチ整理できなかったので、見送りました。


    大雑把に書くと次のようなことです。


    【話をする目的】
    • 自分の気を済ませるため
    • 伝えたいことを相手に伝えるため

    【話をする基本姿勢】
    • 話を終わらせて、一人に戻ろうとする
    • 話を続かせて、時間を共有しようとする

    整理できれば、別途、メルマガかホームページでご紹介したいと思います・・・。


    最後に、『陽の言葉』とは・・・。
    • 自分の感覚を素直に話した言葉
    • 自分の感情を素直に話した言葉
    • 自分の望みを素直に話した言葉

    相手の気持ちを自分の思い通りに変えようとせず、自分の言葉を聞いた相手の気持ちが動くことを信じていれば、それらの言葉は『陽の言葉』となるのだろうと思います。


    それでは、次回のメルマガ配信をお楽しみに!

    (半年以内に発行します!(苦笑))