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2009年9月23日水曜日

「無意味な映像」を意味ありげにする方法と「悩み」の類似点

「無意味な映像」を意味ありげにする方法があります。

  • 一連の映像の最後に、「ストーリーとは一切関係のない映像」を付け加える

例えば、「マグロの生涯」という映像が15分程流れた後、その最後に「トンボが竹ざおにとまっている映像」が5秒程流れ終了したとします。


それを見終えて、どう感じるでしょう?ちょっと想像してみて下さい。


たぶん、「あのトンボには、どんな意味があったのだろう?」、「この映画を通して伝えようとしていることは何だろう?」などと考え始め、しばらく止められなくなるのではないかと想像しています。


そして、この「自分が考えている」という事実から、その映像にそれ以上の意味があるように錯覚したり、趣深さを感じ取ったりしてしまうのです。



人が考え始めるときには、何かのきっかけがあります。


特に、自分がこれまでの経験の中で作り上げてきた理解体系に当てはまらないこととの出合いが、きっかけになりやすいところがあります。


例では、そのきっかけは「トンボの映像」ですが、実際は、「トンボの映像」は考えるに値しません。

  • 「トンボの映像」は、「マグロの生涯」という全体の体系から外れる
  • そこで映像が終わってしまうため、それ以上の情報が期待できない

そんな状況によって、「自分自身の思考によって体系づけよ」と考えさせられてしまうのです。



私たちが悩んでいるとき、この「あのトンボの意味はなんだろう?」と考えるのと近い状態のときがあります。
  • この悩みのきっかけは、考えるに値するのだろうか?
  • これは理解する必要があるのだろうか?
悩み込みそうになった時、ちょっと、自分に問いかけてみると良いかもしれません。

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