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2006年10月25日水曜日

マスコミの「福岡のいじめ自殺」報道について

この件に関するマスコミの報道の仕方に、

マスコミの問題点が如実に現れているような気がします。


「教師がいじめのきっかけを作った」という仮説が原因分析の結論のように報じられ、

それが自殺の「真の原因」であるかのごとく印象付けられているよ うに思います。


そして、その説に、キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちが喰らいつき、

その教師を批判するコメントを沢山耳にしました。


しか し、彼らのコメントは、個々の出来事などの真実を追求することなく、

また、深く考えることなく、雰囲気や一般論だけで語っているに過ぎません。


しかし、 キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちの同じようなコメントを繰り返し聞いていると、それが真実であるような錯覚に陥りかけてしまいます。


今回お伝えしたい事は、「その真実は何か?」ということではありません。


マスコミは、「いじめ、いじめ」と「いじめ」が根本原因だと主張し、

また、そのきっかけを作ったとされてしまった教師を責め立てます。


しかし、マスコミがやっている事は、いじめ以外の何ものでもありません。


彼らは、この矛盾に気付いていないのです。


彼らは、もし、自殺の原因を作ったとされる教師が自殺をしてしまったら、

どのように責任をとるつもりで言葉を発しているのでしょう?


まず、キャスターやコメンテーターや評論家のような人たちは、

その自らの責任を明言してから、コメントするべきだと思います。


今回の出来事に限らず、何かの問題が起これば、

その当事者同士がとことん本音で話し合い、お互いを理解し合えれば、

真実へ近づき、そして、問題のある部分は解決していくのではないかと思います。


しかし、現代においては、このことが軽視され、

当事者よりも当事者以外が騒ぎすぎる為、

当事者以外が納得することに重きが置かれがちです。


そして、当事者 以外を納得させる為に、

次々と規則を作り、解決したかのごとく体裁を整えて、

『対策を施した』という念仏を唱えるのです。


その結果、タブーが出来てしまい、

本当のことが言えない雰囲気だけが次々に残って、

本音は封印されてしまいます。


関係ないかも知れませんが、

次の記事は、報道の自由を声高に叫ぶマスコミが、

自らを不自由にしていく今の状況も反映しているのかもしれません・・・。

【抜粋】
日本については、記者クラブの存在とナショナリズムの高揚を順位低下の理由として指摘した。
【詳細記事】
報道の自由…北朝鮮5年連続最下位、日本は51位

本音が言えなくなっていく社会、

これが日本社会の現状ではないかと思います。


我々が直面しているこの事態は、

悩みを抱え込んだり神経症やうつに陥ってしまう人々が、

子供の頃に親元で経験することと非常に似ているような気がします。



【関連するかどうか分からないけど、ちょっと気になっている本】
電通の正体―マスコミ最大のタブー

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