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2005年3月7日月曜日

禅(座禅)の価値

座禅の価値について、少し書いてみようと思います。

何かの参考になればと思います。


私たち人間は、『いつも、何かを求めて、何かをしている』ようなところがあるように思います。

だから、目的や目標が無い状態がとても苦手です


空いた時間が出来れば、その時間をどのように過ごそうかと考え、『自分にとって価値があることをした』と思えないと、無駄に過ごしてしまったような感じがしてしまうところがあります。


また、この感覚は、人生についても同じようなところがあると思います。


これまでの自分の人生を振り返って、「価値があった」とか「価値が無かった」とか、考えてしまいがちです。


でも、その基準になる『価値』って、そもそも何なのでしょうか?


人生の終わりは、何の前ぶれもなく突然にやってきます。


だから、『何かを成し遂げる』ということに人生の価値を求めていると、恐らく、『やり残した』という思いを持ったまま人生を終えてしまうでしょう。


仮に、何かを成し遂げたとしても、何かを成し遂げた時点で、その先を生きていくことを正当化するための目標や目的を、新しく見つけ出さなければならない状況に陥ってしまうような気がします。


文章が飛んでしまうかもしれませんが、一般的に『価値』がありそうに思いがちなことは、実は、家族や社会など、色々な人間関係の中での評価に関わることがほとんどのような気がします。


そのような価値にとらわれて過ごすことは、他人を思うことに気をとられて、本当の自分を見つめることがとても疎かになってしまっている状態ということが出来ると思います。


『自分にとっての自分の価値』に気付くことが出来れば、もう、生きる為に理由を探す必要なくなるのです。


そして、意味不明な文章かもしれませんが、『自分を大いに生きられる』ようになるのだと思います。


人は、何かをしているとき、俗にいう『価値』に縛られているので、なかなか本当の自分を見つめることが出来ません。


でも、最初に述べたように、人は何もしないでいるということがとても苦手な動物です。


禅(座禅)の価値は、この矛盾を解決できるところにあるのです。


つまり、「何もしないこと」を「座禅をしている」と思うことで、「何かをしている」とうまく錯覚させてくれるのです。


そして、座禅をしている自分が、座禅から離れて、何もしていない自分になれたとき、『座禅と一つになれた』ということになるのだろうと思います。


座禅をするということは、そういうことだと思います。


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