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2009年3月26日木曜日

罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか?

色々と考えたのですが、人を理解するときには、性善説を前提にしても良いのかなと思っています。

これは、カウンセリングを通して皆さんと触れ合う中で、至った結論です。

「性善なのにどうして罪を犯してしまう人がいるの?」

その辺を、図を用いながらご説明したいと思います。



人の心を左右する力

① 境界に追い詰める力

心が苦しくなっても、その苦しさを楽にすることが出来れば、人は穏やかで楽な生活を送ることが出来ます。

一般的には、社会の常識の中で「それは心の苦しみにつながるだろう」と受け入れられている事象を、人の心を苦しみへと追い詰める力と認識することが多いと思います。

例えば、人から嫌なことをされるとか、不幸な出来事が起こるなどといったことです。

しかし、そこに他人の悪意が働いていなかった場合は、確かに苦しいことではあるかもしれませんが、苦しみのどん底へと追い詰められる必然性はないと考えています。

ところが、苦しさを楽に出来ずにいると、その苦しさは慢性的な苦しさとなってしまいます。

そして、この慢性的な心の苦しさが、①境界に追い詰める力として働くようになるのです。

悪意が働いていれば、それは「苦しみに追い詰めようとしている」ということなので、追い詰められても仕方ない部分があります。

しかし、『心を回復する機能』を活用すれば、それでも、追い詰められる確率は、随分低くなるのではないかと考えています。

② 戻す力

「② 戻す力」は、『心を回復する機能』を活用したときに働きます。

具体的には、苦しい気持ちを誰かに話したり、誰かに見守られながら泣くことによって、心の苦しさは解消し、楽な状態に戻ることができます。

この力が上手く働いているときは、楽で穏やかな気持ちに戻ることができるので、解決や諦めに執着することにはつながりません。

③ 善であり続けようとする力

心の苦しさを解決できずに、解決策を模索する中でも、人は、本来持っている 『 より良く生きたい 』 という方向性によって、その解決策を、『善』と分類される方法の中に見出そうとします。

また、道を踏み外そうとするくらいに追い詰められたときには、倫理や道徳によって、『善』であり続けようとします。

それでも、一線を越えてしまいそうになった時に、最後の力として働くのが『 恐怖 』です。

例えば、次のようなものが挙げられます。
  • 善人でなくなってしまうという恐怖
  • 死への恐怖
  • 刑法によるところの『罪人』になってしまうという恐怖

それらが、善であろうとする人の、最後の砦として力を貸してくれます。

最後にたどり着くのは『悪』ではなく『執着』

根本的な心の苦しさを解決できない解決策は、エスカレートする

心の苦しさは、『心を回復する機能』を活用しなければ、他にどんなことをしても解消できないと言っても過言ではないと考えています。

それ以外の何をやっても、心の苦しさの解決にはつながらないのですが、それでも視野狭窄になって、これまでの方法にこだわり続けると、それをエスカレートさせざるを得なくなります。

例えば、人に対する仕返しは、エスカレートし易いところがあります。

嫌がらせをしたときは、ちょっと、スッキリしたような気持ちになるだろうと思います。

しかし、心に抱えた慢性的な苦しさは、相変わらず、そのままになって残っています。

ですから、時間が経つと、また、その苦しさに直面しなければならなくなります。

そして、「もっと、酷いことをすれば、きっとスッキリするに違いない!」という思考と行動が繰り返されることによって、その行動がエスカレートしていくのです。

ネットの掲示板に犯罪予告を書き込んで逮捕される人が続出していますが、恐らく、彼らは、ギリギリのところで、心の苦しさと戦ってもがいているのだろうと感じています。

その後、苦しさを誰かに話して楽になることが出来ていれば良いのですが、ただ、罰を与えられただけなら、行動をエスカレートさせはしないかと心配になります。

原理的には、依存症的行動と似ているところがあると思います。



関連ページ
心理百科事典: 依存症
http://www.pureheart-counseling.com/%E5%BF%83%E7%90%86%E7%99%BE%E7%A7%91...

原因や解決策が見当たらなくなる

人は、心が苦しいとき、楽な気持ちになりたいと思うのは当然のことです。

ですから、それを解決する為には、どうしても、その原因や解決策が必要になります。

しかし、『心を回復する機能』を活用すること以外のところで、色々悩んだり原因や解決策を考えても、根本的な心の苦しさの解決につながることは、まず、ありません。

やがて、「何をしても心を楽にすることが出来ない」と行き詰ってしまいます。

そして、執着を生み出す

この行き詰ったとき、「わらをもつかむ」心境になっています。

そんな中で「原因や解決策だと思えること」をやっとの思いで見つければ、それらを容易には手放せない気持ちは理解できると思います。

このような流れで、慢性的な心の苦しさを放置すると、解決策や原因への執着とへとつながっていくのです。

「執着」が人を苦しめる

たとえ、それが『善』に分類されるような行為でも、そこに執着があれば、それは他人や自分を苦しめることにつながります。

例えば、「人に優しくしたい」ということも、それを漠然とした方向性として思っている場合は問題ないのですが、「人に優しくしなければならない」というようにこだわっている場合は問題が生じます。

「優しさ」の為に、自分や他人に「やりたくもないこと」をするように強いることにつながり、自分や他人を苦しめます。

そして、やりたくもないことをやってあげているのに、相手がありがたがらないと、その相手を責めることにもつながるのです。

「執着」が行動を引き起こす

例えば、「自殺したい」という気持ちは、「苦しい、楽になりたい」という気持ちと「自殺すれば楽になるかもしれない」という解決策(案)が合わさったものです。

「何かを破壊したい」という気持ちも、「苦しい、楽になりたい」という気持ちと「破壊すれば楽になるかもしれない」という解決策(案)が合わさったものです。

この解決策(案)への執着が、やがて、その行動を引き起こすことにつながるのです。

一線を越える

この執着には、善悪の境を飛び越える可能性が秘められていますが、それでも、人は③の力で踏ん張ろうとします。

そして、その踏ん張りが限界を超えたとき、人は、一線を越えてしまうのだろうと思います。

また、そんな踏ん張りの中で、その踏ん張りを緩めるような刺激を受けたとき(これは、恐怖心を弱めるような刺激だと思います)、一線を越えてしまうことにつながったりするのだろうと思います。

硫化水素による自殺は、その行為自体には、何の恐怖も伴わない「薬品を混ぜる」という行動なので、恐怖心を伴わない為に、去年1年間で1000人を超える事態につながったのだろうと思います。

また、誰かが自分が考えていたことと同じ行動をしたということを知ることも、善人ではなくなる恐怖心を緩めることにつながるのではないかと思います。

テレビなどで流されるニュースは、そんな刺激でいっぱいです。

結論

  • 心の苦しさを放置すると慢性的な心の苦しさを抱え込むことにつながる
  • 慢性的な心の苦しさを長期間抱え込んだままにしていると、原因や解決方法や解決のイメージに執着するようになる
  • 原因や解決方法や解決のイメージへの執着が、更に自分や他人を苦しめ追い詰める
  • 原因や解決方法や解決のイメージへの執着がエスカレートし、やがて、犯罪や自殺を引き起こす

これらの流れは、心を楽になる方法が分かっていたら断ち切ることが出来ます。

その方法はとても簡単なことです。

誰かに苦しい気持ちを話してじっくりと聴いてもらったり、誰かに見守られながら泣けば、スッキリするのです。

それだけのことなのです。『それ以外の方法』ばかりを考えるから、ややこしくなってしまうのです。

誰かに苦しい気持ちを話してじっくりと聴いてもらったり、誰かに見守られながら泣けば、スッキリして、余計な解決策(案)を考える必要はなくなるのです。


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