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2007年7月25日水曜日

メルマガ編集後記【No.0011】

メルマがでは「泣けば心は安心になる」というような書き方をしました。

(バックナンバー:メルマガ「読むカウンセリング」(No.0011) 「あの頃の自分」に戻りたい )

しかし、いきなり「泣け」と言われても、多分、ほとんどの場合泣くことなどできないと思います。

では、実際の場面では、どのように対処すれば良いのでしょうか?

それは、「正しく相談」するということを意識すれば良いのです。


ここで相談と愚痴の違いについて説明しておきます。


普通、相談と思われている行為は、出来事や状況の説明し終始することがとても多いように感じています。

この場合、相手の反応と自分の達成感という2つのポイントがありますので、その2つについて説明します。

1.相手の反応

本人は、一生懸命説明しているのですが、それを説明された方は、どのように対処したら良いのか困ってしまいます。


そして、それなりに精一杯考えて
  • 問題の解決方法を考えて教えてあげたり
  • 自分の経験談を話したり
  • 自分の考えを話したり
  • 一般論を引き合いに出しながら励ましたり
大体、そんな対応になりがちになってしまいます。


しかし、そのようなやりとりで、相談した側が満足できるのは、相手が自分とおなじように評価していると感じられたときに限られます。

たとえば、誰かの悪口を言ったとき、相手が同じようにその誰かのことを悪く言ってくれて、初めて、何となく心が満たされたように錯覚することができるような感じです。

しかし、実際は、ものごとには、いろいろな側面があり、また、それを評価する人にもさまざまな価値観があり、自分と同じように評価することを相手に強いるのはかなり難しいことです。

ですから、自分の好ましい反応をしてくれた人にこだわり、その人にこだわってしまうようになってしまうこともあります。

2.自分の達成感

誰かに嫌なことについての説明をしても、言いたいことが話せていないような、未達成感を感じることがあります。

そして、その未達成感があるから、また、別の人にも同じような話をしてしまったり、別の機会に同じ人に同じ話を繰り返してしまったりします。

たとえば、自分のコンプレックスをのようなものを、新しく出会ったこれから友達になるかもしれない人すべてに話さないといられないような感じがするのも同じようなことかもしれません。

しかし、実際問題、すべての人に自分の悩みを打ち明けることなどできませんし、それで、何かが解決するとも思えないのは、その人自身が知っていることだと思います。

これは、肝心なことを話せていないことから陥る感覚だと考えています。

ではどうすれば良いのか?

あえて難しい表現をすると、客観を話すのではなく主観を話さなければ相談にはなりません。

そして、きちんと相談できれば、気持ちは楽になるのです。


これが、今回のメールマガジンのポイントです。

・あいつは、こんなことするなんて、本当に嫌なやつだ

ではいけません。


・あいつに、こんなことをされて、自分は嫌な気持ちになった

という感じです。


もっと省略してもいいかもしれません。


・自分は嫌な気持ちになっている

このことを相手に理解してもらうことが大切なのです。


「自分が・・・な気持ちだ」と言えば、相手は、「そうか、そういう気持ちなんだな」と受けるしかなくなります。


相手の価値観に左右されるところは排除されるのです。


そして、相手は、それだけでは理解できないので、「ところで、どうしてそんな気持ちになったの?」と、自然な流れでもっと理解しようとしてくれることは多いと思います。


苦しかったりつらかったりするときは、そんな会話をしていると、自然に涙が出てきることも多いと思いますし、泣かなくても、気持ちは次第に楽になっていくはずです。



■事実関係ではなく、気持ちを話す。


事実関係のことは、そんな気持ちになった事情を理解してもらうための補足説明程度の位置づけでしかないのです。

気持ちをきちんと話す。

それが、愚痴を繰り返すことから脱し、きちんと相談し気持ちを楽にすることにつながるのです。

気持ちをきちんと話す。

私たちは、自分がどう感じているのかを、きちんと分かってほしいだけなのです。

だから、気持ちを話さなければ、何も始まらないし、そして、何も終わらないのです。

そして、ひとりの人にきちんと話すことができれば、他の人に話す必要はなくなります。


しかも、話した相手にすがるような囚われからも回避できるのです。


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