コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本でしたが、同様の手順を意識の世界で行っても大きな意味があると考えています。
例えば、次のようなことを考えてしまうことがあるかもしれません。
- 「もし、自分がお金持ちだったら、幸せだったのに…」
- 「もっと、勉強が出来れば、学校が楽しいのに…」
- 「もっと、顔立ちが整っていれば、人生は良いものになったのに…」
- 「もし、学校がなかったら、自由に生きられるのに…」
- 「あいつさえ居なくなれば、こんなに苦しまなくても済むのに…」
これらはあたかも本当の解決と思えるのですが、感情や心の苦しさを抱えたままの思考で導き出されている場合は、誤りの解決(偽解決)である可能性が高いのです。
※偽解決の詳細は、『カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ:Lesson 8 なぜ、人は心の苦しさの原因を見誤るのか?』を参考にして下さい。
例えば、「お金がないから幸せじゃないんだ」と考えているところを想像してみて下さい。
そのように考えた人は、「お金持ちになったら幸せになれる」と思ってその考えに沿った行動するようになります。
(人によっては、「お金持ちになんかなれない」と諦めて、それを求めるような行動をしないこともありますが、「お金持ちになったら幸せになれる」ということを意識していれば同じです。)
しかし、そんな気持ちとは裏腹の「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」という言葉を、誰もが一度は聞いたことはあると思います。
- お金持ちになったら、本当に幸せになれるのだろうか?
- でも、それが本当に求めていた答えかどうかは、お金持ちになってみないと分からない…。
人生の早い時期に、運良くお金持ちになれる人もいますが、多くの人は、その実現に人生の大部分を費やしてしまったり、人生の大部分を費やしたとしても実現できない人も多いはずです。
そんな状況の中で、必死に頑張ってお金持ちになった時、自分の口から出る言葉が、先ほどの「一生懸命に頑張って働いてお金持ちになったけど、幸せにはなれなかった…」だったとしたら、長い月日をそのために費やした意味は一体何だったのでしょう?
そんな事態に陥らないように、コア・トランスフォーメーションの考え方を活用するのです。
コア・トランスフォーメーションの手順の活用
冒頭でも述べましたが、コア・トランスフォーメーションでは、そのプロセスを無意識の世界に委ねるのが基本ですが、同じようなことを意識的に行うのです。- 結果を得るためのプロセス(手段や経緯)を省略し、結果をイメージの中で体験する
(例えばマラソンの選手が行うイメージトレーニングで、「自分が一位でゴールするシーンを何度もイメージする」ということと、似ているところがあります。)
そして、イメージの中で結果を十分体験した後で
- 別の望みが浮かぶようなら、それは本当の望みではない
- 別の望みが浮かんだとき、その結果を十分に体験し、別の望みが浮かぶかどうかを確認する。
- その確認を繰り返せば、やがて、別の望みが浮かばなくなる
- 別の望みが浮かばなくなったとき、それが、本当の望みである
前の例では、イメージの中で、お金持ちになり、「お金持ちになったらできるのに…」と思っていたことを十分にやって、やった結果の感覚を感じ取ろうとしてみます。
そこで、満たされた気持ちになるなら、「お金持ちになる」というものが本当に望んでいたことだということになります。
もし、そこで何か物足りないようなものを感じれば、「お金持ちになる」ということは本当の望みではなかったということになります。
(このように突き詰めていけば、例えば、「誰かと仲良くしたい」ということが本当の望みだったりすることもあります。)
【補足】
このとき、「もっと、お金持ちになる」「もっともっとお金持ちになる」というようなことを考えるのは、本当の望みを感じようとすることからの逃げです。
偽解決は、それを実現できたとしても、満足することが出来ないので、その手段や目標をエスカレートさせてしまいます。
逆に、エスカレートしていくような望みや願望は偽解決だと言っても過言ではないと考えています。
また、そこで何をしたら良いか分からないような場合も、本当の望みではなかったと考えられます。
このようにその手段や過程を省略し、イメージの中で結果を体験するということは、自分の心と真剣に向き合うことにつながり、その繰り返しの中で、「お金持ちになる」以外のこれで十分だと思える望みにたどり着きます。
(その望みは、自分も他人も決して傷つけたり、何かを壊したりはしません。)
本当の望みに気付けば、それ以上の望みは不要となり、「もっと、もっと!」という感覚("more more"の状態)から解放され、望みや願望をエスカレートさせる必要も無くなります。
これは「何かに執着してしまった心が、その執着から解放され、本来の望みに向かうようになる」と表現することもできます。
一般的な思考では、自分の執着に気付き、そこから解放されるのはかなり難しいところがあるのでずが、このやり方はその助けになると思います。
そんな流れの中で、最終的に到達する本当の望みは、本来のコア・トランスフォーメーションによるものと近いニュアンスをもつところに納まるだろうと考えています。
- ただ在ること
- 内なる安らぎ
- 愛
- あるがままで大丈夫だという感覚
- 宇宙との一体感
日常生活の中で、これらの言葉をどのように解釈すれば良いか分かりにくいかもしれませんが、大まかには、「人とつながっていたい」、「人の中で安心でいたい」といったことだと理解すれば良いと思います。
「つながり」について、最近、ある結論を得ましたので、近々、ブログでご紹介するつもりです。
【補足】
可愛がっていた飼い犬が死んだとき、「飼い犬が生き返る」ことが本当の望みだという気持ちはとてもよく理解できます。
しかし、この手法では、それは本当の望みとしては扱いません。
本当の望みは、『現実の世界で、実際に実現可能な事柄』でなければなりません。
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