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2009年8月11日火曜日

化けの皮!?

いつものことですが、マスコミは「化けの皮」がはがれたと言わんばかりに騒ぎ立てています。
(のりぴー(酒井法子さん)のことです。)

しかし、人には、はがれるような「化けの皮」など無いと信じています。


そして、
  • そこにいるのは、化けの皮が剥がれた性悪の人ではなく性善の人で、
  • その背景には、性善の人をそこに追い詰めた事情(生まれたところまでさかのぼる)

があると考えています。


ですから、理解すべきことはあっても、責め立てられなければならないことなど何もないのだと信じています。


罪は罪です。


それは、犯してはなりませんし、もし犯してしまえば償わなければなりません。



しかし、その人のそんな事情を理解してあげなければ、その人の心は、その後も決して救われません。


人の助けがなくては、人の心は救われないのです。


もし、責め立てるだけのことを続けているのなら、その人がいくら善であり続けようと頑張ったとしても、やがて心の苦しさは限界に達し、また同じ罪を繰り返すかもしれないのです。


或いは、また、別の人が、同じような罪を犯してしまうかもしれません。


ただ責めるだけでは、この世の中は、そんな堂々巡りから、決して抜け出すことは出来ないのです。


そして、現代の社会は、そんな堂々巡りに陥っています。


今、社会に必要なのは、排除ではなく、理解なのです。



【参考:ピュアハート・カウンセリングのコンテンツ紹介

心の話題 : 罪と罰
症状のもう一つの説明
カウンセラー理解した心

2009年7月13日月曜日

「必要なら自分で言う」=カウンセリング継続断る-父親殺害、補導の次男・島根

時事ドットコム:「必要なら自分で言う」=カウンセリング継続断る-父親殺害、補導の次男・島根:

島根県出雲市の市営住宅で、会社員男性(43)が殺害された事件で、補導された中学2年の次男(13)が昨年11月、スクールカウンセラーに悩みを伝えた面会後、学校側からカウンセリング継続を勧められたのに「必要なら自分で言う」と断っていたことが9日、市教委への取材で分かった。
 市教委によると、次男は昨年11月4日、「父親から厳しくしかられた」などとスクールカウンセラーに相談。中学校教員からは、翌週と翌々週も面会するよう勧められたが、次男は「本当に必要なら自分で言う。放課後は部活に出たい」などと言って断わったという。
 次男はその後、スクールカウンセラーと面会しなかった。中学校の校長は父親に対し、専門家と面会するよう求めたが、父親は「気が向いたら連絡する」と言って断っていたという。(2009/07/09-21:34)

この記事は「少年がカウンセリングを受けていたら事件を防げた」というニュアンスを漂わせてしまっています。
  • カウンセリングを継続しなかった少年に問題があると言っているのか?
  • それとも、カウンセリングを断った父親に問題があると言っているのか?
  • カウンセリングを継続することが出来たら、本当の事件は防げたのだろうか?
  • カウンセリング以外にこの少年を救う方法や環境はなかったのか?
それらの検証を全て放棄してしまって、何が言いたいのか分かりませんし、事実を確認しようと自ら何のアクションも起こしていないことが疑われます。

一般的に、このような少年には、苦しい状況に陥った時に、自ら助けを求めにくい傾向があります。

そのような傾向があることが予測される少年が、少なくとも1回はカウンセラーに救いを求めていたことが、この記事には記されています。
  • 少年が自ら助けを求めたのか?
  • 周りが少年を問題視し、カウンセリングを受けさせたのか?
  • 仮に、自らカウンセリングを望んだとしたら、自ら助けを求めながら、なぜ、カウンセリングを継続することを望まなかったのか?
  • 更に、なぜ、担任ではなくスクールカウンセラーに相談することになったのか?
  • 少年を取り巻く多くの大人たちは、それまでの少年をどのように見て、どのように感じ、そして、何をしていたのか?
カウンセリングは魔法ではありません。

本人が楽になりたいと思えば、カウンセリングは大いに活用できるます。

しかし、現代の人たちは、どうもカウンセリングを、「周りの人が問題があると感じる人を、周りの人が扱いやすい状態に変える魔法」と勘違いしてしまっているのかもしれないと感じてしまいます。
  • この少年の苦しみに、なぜ、周りの大人が気付かなかったのか?
  • どうして、この少年の苦しみを楽にしてあげられなかったのか?
これらのことを周りの人が理解してようとし、何らかのアクションを起こせば、カウンセリングを受けなくても、その人の心は次第に楽になっていくところがあります。

しかし、自分が、他の誰かにカウンセリングを受けさせようとしているときは、他人に自分にとって都合のよい魔法をかけようとしていると考えて間違いないように思います。

カウンセリングは、本人が望んで受けるときだけ、本人の助けになる可能性になるのです。

ですから、
  • 他人の心の苦しさをや闇を解決しようとするときは、カウンセリング以外の方法で、自分たちが出来ることを考え、行動する
ということが重要だと考えます。


繰り返しますが、カウンセリングは、本人が望むときに限って、効果が期待できるのです。

自分にとっての問題を、カウンセラーという他人に解決させるために、カウンセリングを使っては、事態は悪くなることの方が多いと考えています。

最後にもう一度。

カウンセリングを『自分にとって不都合のある他人を、自分にとって都合のよい状態に変える魔法』だとは決して考えないようにして下さい。

2009年4月20日月曜日

久々に大阪のテレビを見て感じたこと

先月用事があって、久々に大阪に行って来ました。

そして、テレビで、大阪の情報番組を見て、関東の情報番組に感じていた違和感の理由を、認識できたような気がしました。

簡単に書くと、大阪の番組では
  • 食べてまずいものは、「まずい」と言う
  • つまらないものは、「おもしろくない」と言う
  • 食べておいしいものには、「うまい」と言う
  • おもしろいものには、「おもろい」と言う

感じ方は人それぞれですから、それに賛同する人もいれば、異なる感覚を述べる人もいます。

そんな感じで、いわゆる「好き勝手なことを言っている」という状況です。

これは、当たり前のことだと思います。

ですが、関東の番組を見ていると、出演者がコメントを言う前に、見ている側は、大体、何を言うかが想像できてしまいます。

そして、予想通り「おいしい」とか「おもしろい」といった言葉がコメントをする人の口から出てきます。

そして、それを、日々、聞かされていると、たぶん、次のいずれかの心理状態になるのだろうと思うのです。

  • テレビで流れる情報を、本当のことだと信じ込む
  • テレビで流れる情報は、何が本当で何がウソなのか(何がおもしろくて何がおもしろくないのか、何がおいしくて何がおいしくないのか・・・などなど)が分からなくなってしまう

結局、それによって何が引き起こされるのかというと、

自分の考えや感覚が、正のか正しくないのかが分からなくなる

ということではないかと思います。


そして、それが酷くなると
  • 自分の感覚か分からなくなる
  • 自分の考えが分からなくなる
といった状態につながる恐れがあると思うのです。
(おわり)


参考になる動画

最後に、テレビに隠された本当のことを知るための参考に出来そうな動画を見つけましたので、リンクを付けておきます。
報道のこと
  1. http://www.youtube.com/watch?v=pXawmt2xLAY&feature=player_embedded
  2. http://www.youtube.com/watch?v=UD96okUWb4o&feature=player_embedded
  3. http://www.youtube.com/watch?v=ANblZdRZXrg&feature=player_embedded
  4. http://www.youtube.com/watch?v=jDUuMcrjMKs&feature=player_embedded
  5. http://www.youtube.com/watch?v=2PjzxH5Zhnk&feature=player_embedded
  6. http://www.youtube.com/watch?v=-KdXTBp7rGM&feature=player_embedded
  7. http://www.youtube.com/watch?v=Hbz7BICKSfo&feature=player_embedded
芸能界のこと
  1. http://www.youtube.com/watch?v=GQ7_pKPya90&feature=player_embedded
  2. http://www.youtube.com/watch?v=mvl5nOPifco&feature=player_embedded
  3. http://www.youtube.com/watch?v=1FrMSbYb078&feature=player_embedded
  4. http://www.youtube.com/watch?v=TdIdrH5Z9mU&feature=player_embedded
  5. http://www.youtube.com/watch?v=CTB0SuuWTfs&feature=player_embedded
  6. http://www.youtube.com/watch?v=3xTJ9JZvDTw&feature=player_embedded
  7. http://www.youtube.com/watch?v=1V6PZxw4lD8&feature=player_embedded
  8. http://www.youtube.com/watch?v=0MqmhL2rAQI&feature=player_embedded
  9. http://www.youtube.com/watch?v=fozDansR6fA&feature=player_embedded

2009年3月31日火曜日

報道の中立性

asahi.com(朝日新聞社)に投稿されている記事から刺激を受けて今回の投稿をすることにした。

具体的な記事を示すと、記者以外に対する支障があるとまずいので、それは伏せさせて頂き、例え話として指摘したい。


ある日、あるお母さんは、上の子供に「お買い物に行ってきて」と頼んだ。

それに対して、上の子供は、「今日は友達と遊ぶから無理」って答え、遊びに行ってしまった。

それを見ていた下の子供じゃ、「良いよ、行ってきてあげるよ」と、手伝ってくれた。

このことを、近所のお母さん友達に愚痴った。

「下の子は良い子なのに、どうして上の子は、こんな子供になってしまったんだろう!

それを見ていた新聞記者は記事を書いた。

【タイトル:長男であるにもかかわらず、お母さんのお願いを断る事件が発生。】
■記事内容:
お母さんは毎日子供の為に尽くしていたにも関わらず、長男は、友達と約束しているということを理由に母の懇願を振り切って遊びに行ってしまった。
なお、それを見ていた下の子供が、代わりにお買い物に行き事なきを得た。
近隣の住人は、「明るく挨拶ができる子だったのに・・・」と驚きを隠せないでいる。

長男の血液型は、××型。身長は170センチ。体重は65キロ。

これも、書き方を変えると、次のようになる。

【タイトル:次男が、お母さんの買い物を手伝う】
記事内容:
次男は、お母さんの願いを受けて、お買い物を手伝った。
尚、この時、長男は、やむを得ない事情があり、お買い物を手伝うことが出来なかったらしい。

書き方によって、随分印象が変る。

そして、これでは、記事としては、ちょっと成り立たない。

だから、前者のような書き方をするのかもしれない。

また、もとの記事が出来上がる過程を見ていた、別の記者が書いた。


【タイトル:お母さんが記者と結託して騒ぐ】
記事内容:
ある母親と記者が結託して騒いで、長男を責めている。
きっかけは、長男が母親の依頼を断ったことで、母親が気分を損ねたことが原因だ。
長男が断るときに正直に話した「友達と遊びにいく約束をしている」という理由が気に障ったようだ。
長男には、長男の理由がある。
それを尊重しようとしない記事を、偏った情報と認識できずに流した記者の責任は重い。
長男の心の傷が心配だ。
そして、母親の依頼を断ったときに、そんな仕打ちをされるといったことを目の当たりにしてしまった次男の心の傷も計り知れない。
また、この記事によって、日本中の子供たちが、
本当の気持ちを言う自由を、
そして、自分の望みを大切にする自由を
奪われ、自己犠牲ばかりを強いられることにならないことを祈る。

同じことでも、様々な見方があるということだ。

記者のある意味悪意のある記事を真に受けないようにしないと、

日本はますます、建前だけが前面に出た鬱々とした国になってしまいそうな気がしてならない。


報道の中立性。

それは、現代においては報道する側に期待できないと感じている。

報道を見て聞いて読む側が、その中立性を、掘り起こしていかなければ、特定の価値観に縛られた偏見に洗脳されるだけで、真実に近づくことは出来ないのだろうと思う。


2008年9月23日火曜日

ニュースに対する違和感

ニュースや報道番組を見ていて、

「なぜ、報道番組やニュースは、あたり障りのないことばかりを、大そうがって話すのだろう?」

「なぜ、政治家のインタビューで、意味不明な発言に、突っ込まないのだろう?」

いつも不思議に思っていました。


日本の様々な報道での、報道内容への理解の深まりのなさは、私たちが日頃行う『井戸端会議』の域をでないものだと思います。

「なぜ、そのような本質から遠いことを、ジャーナリズムだといって真顔で話すのだろう?」

ずっと、違和感を感じていました。


マスコミの、本当のことを語らない(語れない?)雰囲気が、それを見る人たちに伝染してしまい、また、本質でないことを、本質であるかのように錯覚させられてしまうことが、現代の日本の心の苦しさの原因の一つとなっているようにも感じていました。


そんなとき、「ジャーナリズム崩壊」という本を読んで、私の違和感の理由が理解できたような気がしました。





マスコミの風潮に巻き込まれて、自分の正しい考えと感覚を手放してしまうことにならないように、一読することをお奨めします。