(のりぴー(酒井法子さん)のことです。)
しかし、人には、はがれるような「化けの皮」など無いと信じています。
そして、
- そこにいるのは、化けの皮が剥がれた性悪の人ではなく性善の人で、
- その背景には、性善の人をそこに追い詰めた事情(生まれたところまでさかのぼる)
があると考えています。
ですから、理解すべきことはあっても、責め立てられなければならないことなど何もないのだと信じています。
罪は罪です。
それは、犯してはなりませんし、もし犯してしまえば償わなければなりません。
しかし、その人のそんな事情を理解してあげなければ、その人の心は、その後も決して救われません。
人の助けがなくては、人の心は救われないのです。
もし、責め立てるだけのことを続けているのなら、その人がいくら善であり続けようと頑張ったとしても、やがて心の苦しさは限界に達し、また同じ罪を繰り返すかもしれないのです。
或いは、また、別の人が、同じような罪を犯してしまうかもしれません。
ただ責めるだけでは、この世の中は、そんな堂々巡りから、決して抜け出すことは出来ないのです。
そして、現代の社会は、そんな堂々巡りに陥っています。
今、社会に必要なのは、排除ではなく、理解なのです。
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