時事ドットコム:「必要なら自分で言う」=カウンセリング継続断る-父親殺害、補導の次男・島根:
島根県出雲市の市営住宅で、会社員男性(43)が殺害された事件で、補導された中学2年の次男(13)が昨年11月、スクールカウンセラーに悩みを伝えた面会後、学校側からカウンセリング継続を勧められたのに「必要なら自分で言う」と断っていたことが9日、市教委への取材で分かった。
市教委によると、次男は昨年11月4日、「父親から厳しくしかられた」などとスクールカウンセラーに相談。中学校教員からは、翌週と翌々週も面会するよう勧められたが、次男は「本当に必要なら自分で言う。放課後は部活に出たい」などと言って断わったという。
次男はその後、スクールカウンセラーと面会しなかった。中学校の校長は父親に対し、専門家と面会するよう求めたが、父親は「気が向いたら連絡する」と言って断っていたという。(2009/07/09-21:34)
この記事は「少年がカウンセリングを受けていたら事件を防げた」というニュアンスを漂わせてしまっています。
- カウンセリングを継続しなかった少年に問題があると言っているのか?
- それとも、カウンセリングを断った父親に問題があると言っているのか?
- カウンセリングを継続することが出来たら、本当の事件は防げたのだろうか?
- カウンセリング以外にこの少年を救う方法や環境はなかったのか?
一般的に、このような少年には、苦しい状況に陥った時に、自ら助けを求めにくい傾向があります。
そのような傾向があることが予測される少年が、少なくとも1回はカウンセラーに救いを求めていたことが、この記事には記されています。
- 少年が自ら助けを求めたのか?
- 周りが少年を問題視し、カウンセリングを受けさせたのか?
- 仮に、自らカウンセリングを望んだとしたら、自ら助けを求めながら、なぜ、カウンセリングを継続することを望まなかったのか?
- 更に、なぜ、担任ではなくスクールカウンセラーに相談することになったのか?
- 少年を取り巻く多くの大人たちは、それまでの少年をどのように見て、どのように感じ、そして、何をしていたのか?
本人が楽になりたいと思えば、カウンセリングは大いに活用できるます。
しかし、現代の人たちは、どうもカウンセリングを、「周りの人が問題があると感じる人を、周りの人が扱いやすい状態に変える魔法」と勘違いしてしまっているのかもしれないと感じてしまいます。
- この少年の苦しみに、なぜ、周りの大人が気付かなかったのか?
- どうして、この少年の苦しみを楽にしてあげられなかったのか?
しかし、自分が、他の誰かにカウンセリングを受けさせようとしているときは、他人に自分にとって都合のよい魔法をかけようとしていると考えて間違いないように思います。
カウンセリングは、本人が望んで受けるときだけ、本人の助けになる可能性になるのです。
ですから、
- 他人の心の苦しさをや闇を解決しようとするときは、カウンセリング以外の方法で、自分たちが出来ることを考え、行動する
繰り返しますが、カウンセリングは、本人が望むときに限って、効果が期待できるのです。
自分にとっての問題を、カウンセラーという他人に解決させるために、カウンセリングを使っては、事態は悪くなることの方が多いと考えています。
最後にもう一度。
カウンセリングを『自分にとって不都合のある他人を、自分にとって都合のよい状態に変える魔法』だとは決して考えないようにして下さい。
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