人が何かにイライラしているとき、恐らく
- 『目の前のこと』に対してイライラしている
と認識することが多いと思います。
でも、実際のところは、次のような状態に陥っています。
- 『目の前のこと』以外の何かに執着している
もし、何かにイライラしていることに気づいたときは、「何に執着しているのだろう?」と考え、それに気付くことが出来れば、目の前の状況や人の振る舞いなどは、
- 自分をイライラさせること
- ただ、そういうことが行われているだけのこと
詳しく説明しようとすると浅い話になりそうな気がするので、このくらいの説明で留めておきます。
あとは、ヒマな時にでも、考えてみて下さい。
《余談》
これは、禅で言うところの『悟り』と似ているのではないかと思うところがありますので、最後に、禅で用いられる公案を一つ紹介しておきます。
この書籍より引用
婆子焼庵
ある老婆が一人の修行僧を世話して20年が過ぎた。
いつも少女に食事を届けさせていたのだが、あるとき、少女が修行僧に抱きついて誘惑するようにいった。
「さあ、私をどうなさいます」
少女は艶然とほほえんだ。
だが、僧はまったく動揺せずにいった。
「枯れた木が冬の岩に立つように、私の心は全く熱くならない」
あっさりと断ったのである。
この言葉を聞いた老婆は、この僧を賛えるどころか本気で怒りだした。
「自分は、こんな俗物を20年も世話していたのか!」
そして、僧を追い出し、庵も汚らわしいと焼いてしまったのである。
(『道樹録』 第十二則 『折中録』 第五則 )
何かを感じて頂けましたでしょうか?
- 「なぜ、執着するの?」
ということにも理由や事情があるのですが、今回は省略します。
次のページは参考にして頂けると思います。
ピュアハート・カウンセリング : 罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか? - 禅の話に興味がある方は、
ピュアハート・カウンセリング : カウンセラーの座禅体験記
をご覧下さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿