ブログのタイトルに興味をそそられてしまった人は、多いのではないでしょうか?
私の中にもこのキーワードはインプットされていて、
- 茂木健一郎氏が実際にどのような主張をされているのか?
- 脳科学とは具体的には何なのか?
(その1) 「脳にいいこと」だけをやりなさい!
本を読み進めていくうちにようやく気付いたのですが、茂木健一郎氏や脳科学とは一切関係ないと言って良い内容でした。
ただ、別の得ることがあり、この本を読んで良かったとは思っています。
詳しいことは、このブログの読むカウンセリング: 書籍『脳にいいことだけをやりなさい!』の紹介:で述べていますのでそちらを参考にして下さい。
(その2) 目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!
結果から書くと、この本も茂木健一郎氏が書いたものではなく、富永裕久氏(サイエンスライター)が書いた本でした。
内容は、脳の各部位の機能やそれらと障害や状態などとの関わりが分かりやすく説明されていて、読んで良かったと思っています。
ただ、「『脳科学』というインパクトのある言葉が表現する世界を垣間見ることができた」という感覚は得られませんでした。
もしかしたら、『脳科学』という言葉は、『脳科学』という幻想を抱かせ、ブームを巻き起こすために作られた無意味な言葉なのかもしれないと、ちょっと思いはじめています。
まぁ、それはともかく、私には、第一章『脳と意識』がとても面白かったです。
理系(数学や物理的)の表現が連発なので、理解しようとするとくじけてしまう恐れが大ですが、何となく読んでその進歩的は雰囲気を味わうには、とても良かったです。
(たぶん、私は、書かれていることの半分も理解できていないと思います。。。ただ、難しいのは第一章だけで、第二章以降はとても分かりやすく書かれています。)
著者は、この第一章では、 思考 と 意識 と 自己意識(自分を自分と認識する自己) を混乱して説明されているように感じましたが、自己意識について説明されているのだろうと認識して読み進めました。
その中でも刺激的だったのは、ゲーテルの2つの不完全性定理が紹介されている部分です。
- 第一不完全性定理:いかなる算術の公理系にも証明できない定理がある
- 第二不完全性定理:数学には矛盾がなければ数学はその矛盾を証明することはできない
つまり「正しい数学の体系を作ることはできず、しかも、数学に矛盾がないことを証明するのは無理だと証明された」と説明されています。
「数学者って難しいことを考えているのだな」と感心しながら読み進めているうちに、不完全性定理の説明が、『「意識を理解しようとする人類の試み」は最後には避けられない矛盾を持っている』という理解に私を導いてくれました。
私が考えたことを少し紹介します。
仮に、将来のどこかで自己意識のメカニズムが解明されたとします。
解明されたということは、
- 人が科学を駆使して自己意識というものを発生させることができ、
- しかも、このとき発生する自己意識をコントロールできるようになる
例えば、「アインシュタイン」の自己意識をそこに発生させることも可能だということになるという感じです。
他人の自己意識を発生させることを考えているうちは問題ないのですが、次のような場合、大きな矛盾が生じます。
自分自身の自己意識をそこに発生させようとした場合です。
もし、自分自身の自己意識を発生させることができてしまったとします。
すると、次の2人の自分が存在することになってしまいます。
- 自己意識を発生させようとした自分
- そんな自分によって自己意識を生じさせられた自分
さて、このとき、どちらの自分が、本当の自分なのでしょうか?
これは、論理的には証明できないのですが、直観的にはもう一人の自分という自己意識を作ることは不可能だと思えます。
つまり、仮に人類の科学が進歩して自己意識を芽生えさせることができるようになったとしても、人の力ではコントロールできないところで自己意識は発生するということになるのだろうと想像できるのです。
以前、私は、心の動きをコンピュータ処理に置き換えることができないかと考えたことがありました。
【参考】ピュアハート・カウンセリング:心のコンピュータ処理的な理解
この時も、自己意識というものが心の中に取り込むことができずに困ってしまいました。
結局、今のところ、私の中では『心と自己意識は別物だ』という結論になっています。
ついでに、他にも気になることを大雑把に書いておきます。
- なぜ、自分は自分であり続けるのか?
どうして、途中で、他人と入れ替わってしまうことがないのか? - 医学が進歩して、脳を他人と入れ替えることができたとき、自己意識も入れ替わるのか?
もし、記憶だけが入れ替わって、自己意識は入れ替わらなかったとしたら、本人も含めてその事実を認知することができるのか? - クローン人間ができたとき、そこに生じる自己意識は誰か?クローンに遺伝子を提供した人と異なるとしたら、そこに生じる自己意識はどこからやってきたのか?(一卵性双生児のことを考えると、それは、クローンに遺伝子を提供した人ではないと想像できる)
- 今はそのような認知は無いが、人の想像力の限界は、人は自分が存在するということから類推して、「生物には自己意識がある」というところまで。将来、人と同様の学習が可能なロボットが作られたとき、仮に、そのロボットに自己意識があったとしても、そのロボットに自己意識があるかどうかを本当に知ることができるのはロボットだけ。しかし、人類は、そのロボットが伝えるその認識を信頼して良いかを判断することはできない。
スピリチュアルなことは良く分からないのですが、自己意識の方は、いくら科学が進歩したとしても人類の力ではどうしようもなく、宿るか宿らないかというところに任せるしかないのだろうという気がします。
紹介した『目からウロコの脳科学』を読んで、以前買ったけど途中でくじけて読めなかった本に再チャレンジしてみようかという気持ちになりかけてのですが、この投稿を書いていて、どうでもよくなってしまいました。
自己意識への空想はこれでとりあえず終りにして、私の意識を普通の心の働きへと戻したいと思います。
以上、ヨタ話でした。
まっ、最後にまとめると、茂木健一郎氏が執筆した本は、細心の注意を払わないと買えないということですね!(苦笑)
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