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2005年5月6日金曜日

途中!?

このタイトルについて、

どのカテゴリーに書こうか迷ったのですが、

とりあえず、ここに書いてみます。


『途中』



これから書くことは、人生と向き合うに当たって、

とても大切なことを気付く為のきっかけになるような気がしています。


『人生の意味』を考えようとした時に、

「何を成し遂げたのか?」ということに目が向いてしまいがちなように感じています。


○事業を成し遂げる

○子供を一人前に育て上げる

○地位や名誉を得る

○何かの理論や原因を突き止める

○社会を良くする


等など、人それぞれ、思いつくことは、色々あると思います。


これは、「人生の目標を立てて、それに向かって努力する」ということで、

日本の文化においては、当然と思われる生き方のような気がします。


それはそれで、とても大切な事なのですが、『人生の目標』『主』とした生き方をすると、恐らく、ほとんどの人は、今回のタイトルである『途中』というものに遭遇することになってしまうのであろうと思います。


『途中』、それは、『死』に直面するときに起こります。


何かを達成しようとやっていたことを、

『途中』にしたまま、人生を終えなければならなくなるのです。


そして、『途中』だと思うと、きっと、悔いが残るだろうと思います。


【例】

食事をしていて、食事の最中に死を迎えた場合、

・食事を終えることに目が向いていると、「食事の途中で(やり残して)死んでしまった」ということになると思います。

・食事中のあらゆる瞬間に、その瞬間瞬間の動作や感覚や気持ちと、しっかり向き合っていると、「食事の最中に死んでしまった」という表現になるのだろうと思います。


何かが伝わればと思います。


少し、話が逸れるかもしれませんが、


『目標』を立てて、それを実現する為に生きていると、もし、せかっく見つかった目標が、人生の早いうちに実現されてしまった時、新しい目標を探さなければならなくなってしまいます。


言葉で『目標』と書くのは簡単なのですが、「人生の目標としうよう!」と自分自身が思える目標を見つけるのは、結構、苦しいものではないかと思います。

そ して、やっとの思いで目標が見つかったとしても、達成してしまうと、また、次の目標が必要になってしまうのです。

そして、やっぱり、『途中』と遭遇するこ とになるのです。


『人生の目標』は、人生を豊かにしてくれるのは、間違いないことだと思います。


でも、人生そのものを『途中』という言葉を使って表現しない為の、大切なものがあるような気がします。


つまり、『人生の目標』は、人生において『副』なのだろうと思います。


そのためには、今まで目が向いてしまいがちだった、「始まり」「終わり」ということから少し離れて、今まで『途中』だと思ってきたことを大切にしようとすると、人生においての本当の『主』となる何かに気付くきっかけになるかもしれません。


●家に帰る途中

●ごはんが始めるのを待っている間

●社会に出たら・・・

●子供が大きくなったら・・・

●出世したら・・・

あなたには、このような言葉で、

『途中』扱いしてしまっている時間はありませんか?


『途中』に目を向けることが、

人生を『途中』で終わらせない為に大切な事なのかもしれません!?


禅問答的に言えば次のようになるのではないでしょうか・・。


『途中のあなたは誰なのですか?』

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