今回は、『手に入れるための方法』ということについて、考えてみたいと思います。
前回の内容の振返り【前回の補足】
○自分の本当の願いを諦め、
○実現できる程度に抑えた願いをかなえる経験を繰り返すと、
○妥協せざるを得なかった環境から離れた後でさえ、本当の願いを棚上げしたままにして「妥協したた願い」を無意識のうちに求めてしまう
という状況に陥ってしまっていることがある
特に、小さい頃に、大きな影響を受けざるを得なかった人(お父さん、お母さん、養育者など)からの愛情に関わる部分が重要ではなかと考えています。
そして、「本当の願い」が「妥協してしまった願い」に落ち着いてしまうのは、本人の責任というよりは、その愛情を与える側の人たちの能力が関係していると思っています。
親と子、或いは、人間と人間の心のせめぎ合いの中で、与える側の人がギリギリまで頑張って与えることが出来た愛情が「妥協してしまった願い」なのだろうと思います。
それ以上のものを与えることが出来ず、そして、それ以上のものを得ることが出来なかったから、妥協せざるを得なかったのだろうと思います。
ここでは、親や養育者などの能力が関係していると言っているだけで、親や養育者などに問題があると言っているのではありません。
親や養育者も、子供の頃に、本当の願いを我慢せざるを得なかった状況がきっとあっただろうと思います。
そして、その親も、そのまた親も・・・・。
(「我慢は、世代をまたいで伝染する」と表現できるかもしれません。)
だから、誰かの責任かというと、誰の責任でもないのだと思います。
子供の心が傷ついていたら、きっと、その親や養育者の心も傷ついているのだろうと思います。
だから、自分の「心の傷」の原因を探して責めようとするのではなく、その心の傷を自分の子供に伝えないようにすることが大切だと思います。
その為には、自分の立場が「親」や「子供」であるということとは関係なく、まず、自分自身が「我慢してしまっている本当の願い」に気付こうとし、そして、癒されようとすることが、とても大切なことだと思います。
前回の補足が長くなってしまいました。
それでは、今回のテーマに移ろうと思います。
●手に入れるための方法
「欲しいものは、手っ取り早く手に入れたい」と思うのは、当然のことだと思います。
だから、「自分の願い」を繰り返し求めるうちに、それを効率的に手に入 れる方法を見つけ、身につけていくことも、普通にあることだと思います。
そして、その行動を繰り返しているうちに、「その行動は、『自分の願い』を叶えて くれるだろう」と、行動と予測される結果との結びつきが強くなって、その行動をすると、何となく「良いことが起こるような気がする」という予感を感じるようになっていきます。
だから、「満たされない」と感じたときは、気付かないうちに、「満たされるかもしれない」と感じさせてくれる馴染み深い行動をすることは、多いと思います。
ここで、大切な事は、その結果として、「本当の願い」が叶えられるのか、それとも、「妥協した願い」が叶うことになるのかということだと思います。
【例】
本当は、「自分が話したいときに、じっくりとその話を聴いてもらうことで愛情を感じたい」と願っていたのに、それが叶えられなかった場合、次のような状況になってしまうことがあるかもしれません。
○自分が他人から評価されたときだけ、親に褒めてもらえた
→ 良い評価をされると褒めてもらえそうな予感がして、いろいろな場面で手が抜けない
○自分に対して無関心な親が、悪いことをした時だけ、叱り付けるという関わりをしてもらえた
→ 自分の気持ちが満たされないと感じたときに、相手を怒らせるような事をしてしまう
この例の場合は、本当に叶って欲しい願いは、成果を評価してもらうことでも、怒られることでもないと思います。
あまり、上手い例ではなかったかもしれませんが、雰囲気を感じてもらえたらと思います。
【補足】
そのような行動によって「妥協してしまった願い」しか実現出来なかったのは、実は、過去の環境に限られたことだと気付くことは、小さい頃には難しかったけれど、今は、「もっと、自由に望んでも大丈夫」と思うことを手伝ってくれるかもしれません。
心に「何となく満たされないような感じ」を感じているとしたら、もしかしたら、「妥協した願い」を求めてしまう傾向があるのかもしれません。
そんな場合 は、「自分には『パターン化された行動』はあるだろうか?』と、ちょっとチェックしてみることは、何かの役に立つかもしれません。
もし、パターン化された 行動に気付いたら、「その行動によって、今まで得てきたことは何だろう?」と少し振返ってみると、共通点のようなものが見えてくるかもしれません。
そし て、その共通点を、じっくりと眺めようとすることは、「妥協した願い」や「本当の願い」に気付くことを手伝ってくれるかもしれないと思います。
「本当の願い」に気付いた時、今までの行動パターンを変える必要性に迫られることがあるかもしれません。
でも、今までの行動を変えるということ は、とても勇気が必要なことだと思います。
なぜなら、今までの行動パターンを繰り返していると、「自分の願いが、きっと叶うだろう」と感じていることが出 来るからです。
そんな、ある意味自分の気持ちを安定させてくれる大切な行動を手放そうとすることは、とても苦しく感じてしまうこともあるかもしれないので す。
ですから、無理に手放そうとしない方が良いかもしれません。
その気持ちや行動を大切にしながら、
○「気付くことが出来た『本当の気持ち』」を大切する為の新しい方法を、たまに、つまみ食いしてみる
誰かに心の支えになってもらいながら、
そんなつまみ食いを、少しずつ繰り返しているうちに、
新しい方法が、だんだんと心に馴染んでいくのだろうと思います。
そして、それは、『叶いそうで叶わない予感』の呪縛から抜け出し、
『叶える喜び』を手に入れることにつながるのかもしれません。
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