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2007年12月19日水曜日

それでも子供は母親を愛していた

小さな兄弟が、母親に1ヶ月以上置き去りにされていたという事件のニュースを読んで、何とも言えない気持になりました。
幼い長男(5)と三男(当時1)を自宅に1か月以上置き去りにし、三男を死亡させて死体を遺棄したとして、母親に懲役15年の判決が下された。生き延びた 長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズで飢えを凌いでいた。2人とも「死んでいる」と思って自宅に帰った母親に、長男はそれでも、「ママ遅い よ」と駆け寄った。
J-CASTニュース : 生ゴミ、生米くらって餓死免れた! 鬼母に遺棄された5歳の「地獄絵」
2人とも「死んでいる」と思って自宅に帰った母親に、長男はそれでも、「ママ遅いよ」と駆け寄った。

「ママ遅いよ」

悲惨な状況の中でも、信じて母親を待っていたというその子の気持ちを感じ、何とも言えない気持ちになりました。

その子を抱きしめてあげたいと思いました。

詳しいことは何も調べていませんので確かではないのですが少し想像できる事を書いておこうと思います。

たぶん、社会的には、「子供を置き去りにした母親が問題のある人物だったために、そのような行動をした」といったの認識をすると思います。

でも、たぶん、本質はそうではないと思っています。

この母親がどのような家庭環境で、どのような思いをしながら子供時代を過ごしたかということをきちんと調べると、たぶん、かなりの確率で、「つらい とき、悲しい時、苦しい時に、誰にも抱きしめてもらえずに、ひとりぼっちで我慢していた」という状態だったということが分かるのではないかと思います。

「そんな子に育てた覚えはない!」

これは、私が子供の時によく耳にした言葉です。

当時は、「『そんな子』と呼ばれるような人になってしまったんだ」」と本気で思っていたような気がします。

しかし、親以外、その子を育てた人はいないのです。

子供の友達や学校の先生ののせいにすると、親の気持ちが楽になることはあるかもしれません。

でも、冷静に考えてみると、『自分がその子を育てた』という事実からは、逃れることはできません。

本当の問題は、その子が『そんな子に育った』ということではなく、親に『自分がそんな子供に育てたのだという自覚が無い』ということだと思うのです。

この事件の場合、その母親だけを責めるのは、社会という親が、子供に「お前をそんな人間に育てた覚えは無い」と言っているのと同じ構図になっているような気がします。

犯罪に対してただ罰を与えるだけの対応をしていると、人の気持ちにますます目が向かない社会になり、犯罪は減るどころか、今後も増え続けていくのではないかと思うのです。

人を傷つけたり犯罪を犯すことは、許されるべきことではありません。

でも、その人の人生の全てをきちんと理解したとき、きっとその人に対しても涙を流してあげられるだけの事情があるだろうことも、何となくでも良いので思ってあげて欲しいと思うのです。

そして、今の社会に、そんな互いに理解し合おうとするような暖かい雰囲気が広がっていくことが、きっと、このような悲しい事件を防ぐことにつながるのではないかと思うのです。


最後に・・・、


この事件の記事を読んで、子供は親を愛しているということは、確信して良いことだろうと思いました。

だから、子供にどう対処して良いか分からなくても、親はただ抱きしめてあげようとすれば良いのだろうと思います。

子供が大人になって、反抗的な態度をとったり、小難しいことを言ったりしていても、本当は、ただ、親に抱きしめてもらいたいだけなのだろうと思います。

それ以外は、何も要らないと言っても過言では無いように感じています。

あなたは、子供を抱きしめてあげていますか?

あなたは、親に抱きしめてもらってますか?

もし、抱きしめてもらうことが難しいとしたら、ちゃんと抱きしめてくれる誰かを探しませんか!


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