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2006年8月6日日曜日

自殺予防教育

自殺防止教育を本格化させるという記事を読みました。

 ■自殺予防教育を本格化 文科省、月内にも研究会

簡単に書くと、

自殺対策基本法 (平成18年 6月21日 公布)を受けて、文部科学省が、本格的に動き出す

という内容です。


この記事を読んで、少し違和感を覚えました。

死にたいほど苦しい気持ちにさせた挙句に、

『死なないことを強要する環境を整えようとしている』ように思えたからです。


どうも、『自殺はいけない』ということに意識が向きすぎているように思います。


「自殺は良い」と言っているのではありません。


「自殺を考えるほど、苦しい気持ちにさせない」というように、

『心の苦しみ』を主とした対策を考えた方が良いのではないか

と思っているということです。


この心の苦しみを、社会的な問題意識に基づいて切り出して、

個別に対策しようとしてしまうと、心の苦しみという ものが分からなくなってしまうように思います。

(ニート対策、少子化対策、児童虐待対策、ドメスティックバイオレンス対策、不登校対策、社会的引きこもり 対策、いじめ対策、うつ病対策・・・、これら先も、学者・評論家・役人が問題と認識したことに対し、次から次へと新しい対策をしていかなければならなくな るように思えるのです。)


この『その時々に気になる事を切り出して、

問題化していく傾向』は、人が悩みの渦に巻き込まれてしまった状態に酷似しています。


日本は、今、「人の心が理解できない」という大きな悩みの中にあるということなのかもしれません。



【自殺予防関連の政府系ページ】

「自殺予防に向けての提言」(平成14年12月 厚生労働省 自殺防止対策有識者懇談会)

自殺対策基本法案 議案審議情報 (平成18年 6月21日 公布)

自殺予防対策支援ページ(国立精神・神経センター 精神保健研究所)

2006年7月26日水曜日

メルマガ編集後記【No.0008】

自分の考えや感情ばかりを強く主張する人と

時間や空間をともにする割合が多いとき、

距離感をもって関わろうとしても、

その状況に現実として巻き込まれているわけですから、

やっぱり、心は疲れます。


心が疲れたと感じたら、安心できると思える相手と、

ゆっくり関わってもらって、

疲れた心を大丈夫にしてもらおうとする事を、

忘れないようにして下さい。

2006年7月14日金曜日

きちんと挨拶してたら危ない!?

未成年による理解し難い事件が起きた時、

ニュースの報道などで、その子を知る人たちの口から『きちんと挨拶をする子だったのに・・・』というコメントがなされることがとても多いと感じています。


これは、昔から、事件が起こるたびに繰り返されてきたコメントです。

このことについて、少し考えてみたいと思います。


【後記】

書いているうちに、少し大げさになってしまった感があります。^_^;


挨拶のことだけで、子供たちの状態の全てをいうことは出来ません。

しかし、この文章が、子供たちの心を考えるきっかけになればと思います。


これは、私の勝手な想像なのですが、

始めの頃は、恐らく、『きちんと挨拶する』ということは、明るい印象を与える事が多いため、その印象と事件とのギャップを表した言葉だったのだろうと思います。


しかし、未成年が事件を起こす度に、この言葉を聞かされていると、

■『きちんと挨拶する』と『犯罪を起こさない』ということは、結びつかない

ということに、みなさんは薄々は気付いているのではないかと思います。


しかし、それでも、事件が起こるたびに、

今でも、マスコミは、同様のコメントの報道が繰り返されています。


これは、マスコミの報道を繰り返し聞かされているうちに、みんなが次のような状態に陥ってしまったのではないかと考える事も出来ます。

・本当に、『きちんと挨拶する子は犯罪を起こさない』と認識してしまった


しかし、そう考えると現実と認識が乖離してしまいます。


だから、どちらかというと、

・そのようなインタビューでは、とりあえず、そのように答えるもの


という感じに、特に自分の気持ちの無いところで答えている、

つまり、建て前しか話していないと考えた方が、私には理解できるような感じがしています。


そん な言葉なのに、マスコミは、それを本音として取り上げ、

そして議論を持ちかけているような気がします。

(また、別の見方として、マスコミが、人々に、心に もない言葉を言わせているといえる側面もあるかもしれません。)


これらのことから、それを本音として議論したところで何も解明されないのは、

当然のことと理解できるような気がしています。

(事態は、より深刻化しているような感じさえします。)


きちんと挨拶する』と『犯罪を起こさない』ということは、結びつかない

この現実を受けとめて、そのようなコメントはもうしない、

そのようなコメントはもう報道しないということが、

まず、必要な気がします。
 
 
で、ようやく、本題に入ります。


■ きちんと挨拶できる

■ 自然に挨拶できる


この違いを感じることが大切だと思っています。

きちんと』というところは、

しつけや教育で何とでもなるところです。


そして、『きちんと挨拶する』には、

『人はきちんと挨拶するもの』という決まりごとに、その子は縛られている雰囲気があり、

そして、それは、その子ががその他の決まりごとにも縛られてしまっていることを窺わせているような気がします。


自分の気持ちを大切にするよりも、

それらの決まりごとを守らなければならない世界の中で生きているかもしれないということです。


自然に』とは、
  • 元気な時は元気に挨拶をし、
  • 弱っている時は力なく挨拶し、
  • 挨拶したくない時は挨拶しない
というような感じで、本人の気持ちと一致した雰囲気の中で行われる感じです。

詳しい説明は省きますが、

これは、人間に対して親近感信頼感を感じていなければできない事だろうと思います。
 
 
 
いつもいつも、きちんと元気良く挨拶するなんて、とても不自然なことなのです。
 
 
 
  • 親が「きちんと元気良く挨拶しなさい」としつけるから、落ち込んでいる時も無理をして元気に挨拶をしなければならず、
  • 近所の人が「あの子は挨拶ができる/出来ない」と評価する雰囲気を作るから、落ち込んでいる時も無理をして元気に挨拶をしなければならない

そんな雰囲気の中では、子供たちは「落ち込んではいけない」という気持ちにさせられてしまうのではないかと思います。

そして、落ち込む時には 一人っきりになるしか道が無くなり、一人ぼっちで耐え、自分自身を責め、そして、犯罪を犯したり、自殺をしたりするような状態にまで追い込んでしまうので はないかと思います。


また、このように身に付けた『一人で悩みを抱えてしまう雰囲気』は、

社会に出た後でも、いつまでも、心の爆弾として、

その人を苦しめるようになる恐れさえ あるのかもしれないと思っています。


毎年3万人を上回る自殺者がでるという現実も、

そんな事が影響しているのかもしれないと感じたりもします・・・。

  • この子は無理をしているのではないのだろうか?
  • この子は無理をしていたのではないのだろうか?
今の時代は、子供たちをそんな視点で見守ってあげることが、

一番必要なのではないかと感じています。


2006年7月10日月曜日

心のマニュアルを公開しました

心や悩みに関する現時点の私の理解を「心のマニュアル」という形で体系立ててまとめてみました。

ピュアハートカウンセリングのホームページでご紹介していますので、興味のある方はご覧下さい。

■ 心のマニュアル



【概要】

■悩み解決マニュアル(1)

1.原因を求める方向性
2.幸せの方程式
3.悩みから必ず解放される
4.「悩みの構造」と「悩み」
5.悩みの解決を妨げるもの
6.解決の方向性の違い
7.自分自身について知る
8.コミュニケーションの回路
9.本当の解決について
10.これからの過ごし方
11.最後の壁


■悩み解決マニュアル(2)

悩み解決マニュアル(1)の補足説明です

■子育てマニュアル(1)

1.人間観のベース
2.コミュニケーション
3.感情や感覚と向き合う能力
4.様々な状態
5.最後に


■子育てマニュアル(2)

子育てマニュアル(1)の補足説明ですく

2006年6月19日月曜日

トイレット・トレーニング

「トイレット・トレーニング」という言葉から伝わってくるニュアンスから、

■トイレができるようになるためには、それ相当の訓練が必要

と思っていたが、

実際にその場面に立ち会ってみると、

そんなに難しいものではなかった。


オムツが取れたのは、3歳6ヶ月くらいの頃。


もともと、

■できるようになったらできるのだから、焦ってトイレのしつけはしない

というスタンスで眺めていたので、

標準よりは遅いのではないかと思うが、

標準を調べる事もしていないので良く分からない。


で、色々な話が理解できるようになってきたし、

また、行動能力も上がってきたように思ったので、


『お前も、もう、トイレでおしっこやウンチをしようと思ったら、お父ちゃんやお母ちゃんと同じようにできるんやで。だから、もし、やる気になったら、やるようにしたらいい』

という話をするようにした。


そして、トイレでしなくても、別にそれも当たり前という感じの関わりを続けていると、

ある日突然、トイレでするといって、トイレでおしっこをする事が出来た。


できるようになった喜びを、お父ちゃんもお母ちゃんも一緒に大喜びした。


ストレスの無いままにオムツが外れた感じ。


それは、突然訪れた


慌てて3年保育の幼稚園に行かせなかったのも、

トレーニングを焦らずに済んだ要因かもしれない。


弟は、たぶん、兄の様子を見ているから、

そのうち、勝手にできるようになるだろうと思うので、これまた、気楽に対処できそうだ(^o^)丿


そうそう、それ以来、約3ヶ月、未だに1度も寝しょん便ををしていない。


お父ちゃんの記憶では、

自分の小さい頃は、マメに、寝しょん便をしていたような感触があるのに・・・。


その記憶は、寝しょん便の頻度は小さくても、

その時 のショックがとても大きかったので、

そんな記憶になって残ったのかもしれないなぁ~、

なんて、ちょっと想像してみた。(^_^;)