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2005年4月5日火曜日

記憶について(寝言につき注意!)

『記憶』というものについて、私の今までの知識を総動員して、考えてみたいと思います。

半分以上、私の寝言のような内容です。興味がありそうだったら、学問的な裏づけはない事を了解した上で、適当に流し読みしてみて下さい。

普通に『記憶』というと、覚えている経験や知識のことを指していると思います。

そして、時にそれは、思い出せなくなったりすることもあります。

そういう類のものを『記憶』と呼んでいます。


そして、『記憶』はそれぞれの人に固有のものという考えも、当たり前のように受け入れられているように思います。


そう考えることによって、私たちは、次のようなことを暗黙のうちに受け入れてしまっているところがあります。


(1)記憶は、世代をまたがない

(2)記憶は、個体をまたがない


人間にとっては、当たり前と考えられていることなので、まず、人間以外について考えてみる方が分かり易いかもしれません。


(1)世代をまたぐ記憶

1つの細胞が、細胞分裂を繰り返して、動物や植物の形になることも、その種(しゅ)を保存する為の記憶、つまり、世代をまたぐ記憶の一つのような気がしますが、ここで注目したいのは、行動など、『普通は、文化として継承するもの』と人間が考えていることに関わる記憶です。


一般的に良く知られている例では、『ミツバチの8の字ダンス』があげられると思います。


言語を用いて説明するわけではないのに、ミツバチたちはそのダンスを見て、花がどこに咲いているかを、伝え、そして、理解することが出来ます。


「鳥がたまごを温める」、「蚊が水たまりにたまごを生む」など、他にも色々な行動が、文化としてではなく伝えられている事実を、たくさん知っていると思います。


これは、記憶が世代個体をまたがって伝わっていると認識しても良いのだろうと思います。

この類の記憶を、人間は、『本能』と呼んでいるのだと思いますが、表現を変えれば、『世代をまたぐ記憶』と呼ぶことも出来ると思います。


(2)個体をまたぐ記憶

15年ほど前に、当時暮らしていたアパートの自分の部屋に、アリの行列が出来てしまったことがありました。

排除することが忍びなくて放置した結果、1週間にわたってアリの行列を観察することになってしまいました(苦笑)。

その間、アリの行列に対して色々な働きかけなどしながら観察を続け、「アリは記憶を共有しているのではないか」という認識に至りました。

詳しいこと はここでは述べませんが、●認知、●誤認(思い違い/勘違い)、●忘却、と思われる現象が、アリの行列全体の動きとして観察されたと私は考えています。

当時、私が調べたところによると、「行動フェロモンによってアリがコントロールされている」という見方が一般的だったようですが、私個人としては、記憶を共有する機能を持っていると考えた方が理解し易い感じがしています。

(現在の最新の学問はどのような認識になっているかは、興味はあるのですが確かめるには至っていません・・・)


(1)(2)の記憶の前に、(0)『種が種である為の記憶』というものもあります。


これは、卵子と精子が出会って、1つの細胞が分裂して脳や色々な臓器や手足を形成して、人間や犬などの個体としての形を再現したりするような記憶です。


そして、最後に、一般的に『記憶』として認識されている後天的な経験や学習によって得られる(4)いわゆる記憶が加わえたものが、記憶の全体象だと理解できるのではないかと思っています。


我々人類の生活に最も影響するのは、「(4)いわゆる記憶」であることは経験的に明らかなことだと思います。


しかし、これらの記憶が複雑に絡み合って、自分の住む世界を認識すると考えたることも出来るかもしれないとも思います。


また、「前世の記憶を持つ人がいる」ということは、

先祖の記憶が、DNAなどを媒体として伝わる部分があるかもしれないと考えた時、自分の前世と錯誤してしまうような、自分の祖先が体験によって得た記憶も持ち合わせている

と説明できる部分もあるのかもしれないと想像しています。


集合無意識と呼ばれるものも、この種の記憶に属するのではないかもしれません。


※ここでの話には、『魂(たましい)』の領域のことには一切触れていません。


そちらの方は、「私の人生の終わりまでに、ヒントくらいはつかめればよいのに・・」と願っているのですが・・・。

もし、『魂の領域』があるとしたら、これらの記憶とは切り離されたところにあるのだろうと想像しています。

魂の世界にアクセスすることが出来る人もいるようなので、地球外の生命についてのお話や、その人の世界観/宇宙観など、いろいろな事を教えてもらえる機会が持てればよいのにと願っています。


【ご注意:ここから先は、もっと、寝言です!^_^;】

クローン人間という存在も、近い将来実現させてしまいそうな勢いがありますが、このように考えると、クローンとして生み出された人間の脳に、その種(タネ)となる細胞を提供した人の記憶のある部分が展開されてしまうことがあるかもしれません。

そして、その記憶をうまく扱えずに、行き詰まってしまう事になるかもしれないと想像しています。

人間が、いろいろな事を分かったように錯覚して、自然の中で傲慢な振る舞いを続けていくと、この複雑な宇宙のしくみと辻褄を合わせることが出来なくなって、とんでもないことになるのではないかと、とても心配です。


うまくまとまったかどうかは不明ですが、今回は、ここで終わりにさせて頂きます。


【最後まで、読んで下さった方へ】


私の寝言にここまで付き合ってくださって、ありがとうございました。!


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