新しい記事は新ブログに投稿しています。



2009年10月14日水曜日

茂木健一郎 脳科学

ヨタ話ですので、適当な感じで読んで下さい。

ブログのタイトルに興味をそそられてしまった人は、多いのではないでしょうか?

私の中にもこのキーワードはインプットされていて、
  • 茂木健一郎氏が実際にどのような主張をされているのか?
  • 脳科学とは具体的には何なのか?
を詳しく知りたいと常々思っています。

(その1) 「脳にいいこと」だけをやりなさい!

そんな時、書店で、茂木健一郎氏の名前を見かけて、つい買ってしまったのが、初めに紹介する『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』です。

本を読み進めていくうちにようやく気付いたのですが、茂木健一郎氏や脳科学とは一切関係ないと言って良い内容でした。

ただ、別の得ることがあり、この本を読んで良かったとは思っています。

詳しいことは、このブログの読むカウンセリング: 書籍『脳にいいことだけをやりなさい!』の紹介:で述べていますのでそちらを参考にして下さい。

(その2) 目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!

その後、しばらくして、また、本屋で茂木健一郎氏の名前と写真、更に、『脳科学』という言葉が前面に押し出された本があったので、懲りずに、また、つい買ってしまったのが、次に紹介する『目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!』です。

結果から書くと、この本も茂木健一郎氏が書いたものではなく、富永裕久氏(サイエンスライター)が書いた本でした。

内容は、脳の各部位の機能やそれらと障害や状態などとの関わりが分かりやすく説明されていて、読んで良かったと思っています。


ただ、「『脳科学』というインパクトのある言葉が表現する世界を垣間見ることができた」という感覚は得られませんでした。

もしかしたら、『脳科学』という言葉は、『脳科学』という幻想を抱かせ、ブームを巻き起こすために作られた無意味な言葉なのかもしれないと、ちょっと思いはじめています。


まぁ、それはともかく、私には、第一章『脳と意識』がとても面白かったです。

理系(数学や物理的)の表現が連発なので、理解しようとするとくじけてしまう恐れが大ですが、何となく読んでその進歩的は雰囲気を味わうには、とても良かったです。
(たぶん、私は、書かれていることの半分も理解できていないと思います。。。ただ、難しいのは第一章だけで、第二章以降はとても分かりやすく書かれています。)


著者は、この第一章では、 思考意識自己意識(自分を自分と認識する自己) を混乱して説明されているように感じましたが、自己意識について説明されているのだろうと認識して読み進めました。


その中でも刺激的だったのは、ゲーテルの2つの不完全性定理が紹介されている部分です。
  • 第一不完全性定理:いかなる算術の公理系にも証明できない定理がある
  • 第二不完全性定理:数学には矛盾がなければ数学はその矛盾を証明することはできない

つまり「正しい数学の体系を作ることはできず、しかも、数学に矛盾がないことを証明するのは無理だと証明された」と説明されています。


「数学者って難しいことを考えているのだな」と感心しながら読み進めているうちに、不完全性定理の説明が、『「意識を理解しようとする人類の試み」は最後には避けられない矛盾を持っている』という理解に私を導いてくれました。


私が考えたことを少し紹介します。


仮に、将来のどこかで自己意識のメカニズムが解明されたとします。

解明されたということは、
  • 人が科学を駆使して自己意識というものを発生させることができ、
  • しかも、このとき発生する自己意識をコントロールできるようになる
と理解して先を読み進めて下さい。


例えば、「アインシュタイン」の自己意識をそこに発生させることも可能だということになるという感じです。

他人の自己意識を発生させることを考えているうちは問題ないのですが、次のような場合、大きな矛盾が生じます。

自分自身の自己意識をそこに発生させようとした場合です。

もし、自分自身の自己意識を発生させることができてしまったとします。

すると、次の2人の自分が存在することになってしまいます。

  • 自己意識を発生させようとした自分
  • そんな自分によって自己意識を生じさせられた自分

さて、このとき、どちらの自分が、本当の自分なのでしょうか?

これは、論理的には証明できないのですが、直観的にはもう一人の自分という自己意識を作ることは不可能だと思えます。

つまり、仮に人類の科学が進歩して自己意識を芽生えさせることができるようになったとしても、人の力ではコントロールできないところで自己意識は発生するということになるのだろうと想像できるのです。


以前、私は、心の動きをコンピュータ処理に置き換えることができないかと考えたことがありました。


【参考】ピュアハート・カウンセリング:心のコンピュータ処理的な理解


この時も、自己意識というものが心の中に取り込むことができずに困ってしまいました。

結局、今のところ、私の中では『心と自己意識は別物だ』という結論になっています。



ついでに、他にも気になることを大雑把に書いておきます。
  • なぜ、自分は自分であり続けるのか?
    どうして、途中で、他人と入れ替わってしまうことがないのか?
  • 医学が進歩して、脳を他人と入れ替えることができたとき、自己意識も入れ替わるのか?
    もし、記憶だけが入れ替わって、自己意識は入れ替わらなかったとしたら、本人も含めてその事実を認知することができるのか?
  • クローン人間ができたとき、そこに生じる自己意識は誰か?クローンに遺伝子を提供した人と異なるとしたら、そこに生じる自己意識はどこからやってきたのか?(一卵性双生児のことを考えると、それは、クローンに遺伝子を提供した人ではないと想像できる)
  • 今はそのような認知は無いが、人の想像力の限界は、人は自分が存在するということから類推して、「生物には自己意識がある」というところまで。将来、人と同様の学習が可能なロボットが作られたとき、仮に、そのロボットに自己意識があったとしても、そのロボットに自己意識があるかどうかを本当に知ることができるのはロボットだけ。しかし、人類は、そのロボットが伝えるその認識を信頼して良いかを判断することはできない。

スピリチュアルなことは良く分からないのですが、自己意識の方は、いくら科学が進歩したとしても人類の力ではどうしようもなく、宿るか宿らないかというところに任せるしかないのだろうという気がします。




紹介した『目からウロコの脳科学』を読んで、以前買ったけど途中でくじけて読めなかった本に再チャレンジしてみようかという気持ちになりかけてのですが、この投稿を書いていて、どうでもよくなってしまいました。


自己意識への空想はこれでとりあえず終りにして、私の意識を普通の心の働きへと戻したいと思います。


以上、ヨタ話でした。


まっ、最後にまとめると、茂木健一郎氏が執筆した本は、細心の注意を払わないと買えないということですね!(苦笑)

2009年10月4日日曜日

近々のブログ記事投稿予定

ブログ記事、投稿しようしようと思うのですが、

ちょっと、書きたいことが頭の中でごちゃごちゃになってしまっているので、

整理の意味で、予定の一覧を書いてみます・・・

(自分用のメモです。)

  1. 薬物依存症と依存症について
  2. 人は「心と心のつながり」に関係することに感動する
  3. 「つながり」感を得るための偽解決が、認められること、受け入れられること、受け入れること・・・
    「つながり」感を得たいと思うことの正体は?
  4. コア・トランスフォーメーションに関連して
  5. NHK番組 ハートをつなごう 「今夜はもっとつながりたい(1)(2)」を見て
    出演者:内藤大助 サンプラザ中野くん 安倍なつみ 精神科医
  6. 脳科学関連の本を読んだ感想(意識の話題をピックアップ)
  7. 心の苦しさを簡単に説明すると・・・(感覚・感情->思考->行動->回復 のサイクルが滞っている)
  8. リストカット・過食嘔吐その他、子供の悩みに対処できなくて困っている親御さんへ
  9. クローズアップ現代「希望を科学する」を見て
他にもありそうな気がするけどとりあえずこんなものかなぁ・・・。


4番目の「コア・トランスフォーメーションに関連して」は、

Mさんと約束した内容なので、最優先で対応したいのですが、

書きたいと思った時の気分に合わせて投稿していきたいので、

遅くなるかも・・・

(Mさん、気長に待ってて下さいね)


また、全部書けるかどうか分かりませんので悪しからず・・・(^_^;)

2009年10月1日木曜日

自殺対策 ・・・ ネーミングに工夫を!

もし、商売をしていて、死に筋商品の不良在庫を大量に抱えてしまって、それを処分したいとき、どのような文言でアピールするでしょうか?


恐らく、死に筋商品不良在庫一掃セールとはしないはずです。

例えば、商品入れ替えセールとか在庫一掃セールとか新旧商品交代セールとかいうように、消費者に対して悪い印象をあまり与えず、そして、嘘をつくこともなく、うまく購買意欲を駆り立たせるような言葉を真剣に考えるのではないでしょうか?

そして、その考え抜いたキャッチフレーズを使用して広告やPOPなどで消費者にアピールするだろうと思います。


つまり、商売人が期待する行動を、消費者に引き起こす効果が高いと思われる言葉を使ってアピールするということです。



ここからが本題になります。


最近、自殺対策自殺防止という言葉をよく耳にするようになりました。

10年以上も自殺者が3万人を超え続ける現在、これらの言葉は「当たり前のこと」「必要なこと」として受け入れられています。


しかし、冒頭の説明と照らし合わせると、「自殺対策」「自殺防止」といった言葉を使って社会に訴えかけることには違和感を感じます。


これらの言葉が期待していることは、社会問題の解決という立場で「自殺しない」「自殺させない」ということになるのかもしれません。

しかし、それは追い詰められてそうせざるを得なくなってしまった人にとっては、何の救いも感じることのできない言葉だと思うのです。


「生きろ!」「(本当は)生きたい!」という気持ちに訴えかける力が弱いと感じるのです。


ですから、そんな気持ちを伝えたり、呼び起こしたりすることができるネーミングに変える方が良いと思います。


例えばですが、
  • 心の苦しさを楽にする手段の周知徹底対策
  • 一人で抱え込み追い詰められることを防止する対策

とかいうようなネーミングに・・・。
(センスのある人が真剣に考えれば、もっと良い名称を付けられると思います。)


そうすると、「心を楽にする方法ってあるんだな・・・」、「一人で抱え込むから追い詰められるのか・・・」というように心の苦しみへの正しい対処があることを連想することにつながり、その具体的な対策と相まって、やがて、追い詰められる人、自殺しようとする人は減っていくのだと思います。


ところが現在のように、自殺対策・自殺防止といった言葉を何度も繰り返していると、「心の苦しさの解決には自殺という手段がある」と暗示しているのと同じ意味を持ってしまうところがあるのです。


次に、そう考える理由を簡単に説明します。


苦しい気持ちに追い詰められてしまった人は、その解決策を渇望しています。

心の苦しさから抜け出したくてワラにもすがりたい心境です。

そんな時に、その心境に近い雰囲気を持つ解決方法が意識の中に飛び込んでくると、それを自分にとっての唯一の解決策だと思い込んでしまいやすいところがあるのです。


そのあたりの詳しい説明は、次のページを参考にして下さい。

  【参考】 罪と罰(5) 人はなぜ罪を犯すのか?


そして、メディアなどから「自殺」という言葉を繰り返し繰り返し聞かされていると、「苦しさに耐えられなくなった人は自殺するしかないんだ」と認識してしまい、それを解決策に執着してしまうと、そう行動しなければならない心理に追い込まれていってしまうのです。

(自殺に限らず、最近多発する様々な犯罪なども、出口の見えない苦しさの中で、誤った解決策に巡り合ってしまい、それに執着してしまうことによって起こるのだと考えています。)


しかし、真実は違います。

現実に直面している様々な事情によって心が苦しい状態に追い込まれていても、心の苦しさを解消する方法はあります

そして、心の苦しさの解消は、さまざまな事情の解決とは関係の無いところで実現できるのです。


その考え方については、次のブログで順を追って紹介していますのでご参照ください。

  【参考】 カウンセラーじゅんさんのコンテンツ紹介ブログ



メディアが、そのような性質を持つ言葉を、無自覚に何度も繰り返し伝えることは、それらの流れを強化してしまうのです。



現在は、インターネットの普及に伴って、能動的な姿勢になれば、その具体的な手段を容易に知ることができる環境が整ってしまっています。


世の中からそういった類の情報を抹消する以外に、能動的に情報を探す人がそれにたどり着くことを食い止める方法はありませんが、受動的な人に、能動的な行動を起こすきっかけとなるような情報を知らせるのは極力避けるべきだと考えます。



次のような情報が自殺対策支援センターライフリンクのサイトに掲載されていますが、これも同様の考えによるのだと思います。参考のため引用しておきます。
「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)

※昨年9月10日にライフリンクが主催した「『世界自殺予防デー』緊急フォーラム」配布資料から抜粋

1)やるべきこと
・自殺に代わる手段(alternative)を強調する。
・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について記述する。

2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。

○日本における自殺報道の現状
・個々の自殺の手段を詳細に報じる傾向
 例:X-Japanヒデ氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺についての報道
→新しい自殺手段が入手可能であることを大々的に宣伝してないか?
→模倣自殺(ウェルテル効果)
・自殺を考慮中の人が読者に多数いることを前提とした報道がなされていない。
→そのような人々をサポートするメッセージ等がセットで紹介されていない。
   (例:相談機関連絡先)

《 中 略 》

※以上、反町吉秀氏(現・青森県東地方健康福祉こどもセンター保健部東地方保健所 保健医長)による



少し話がそれますが、2008年は硫化水素を用いる方法で、1000人以上が命を絶ちました。

通常、死に結びつくような行為をする時は、もの凄い恐怖を感じるだろうと想像します。

普通、恐怖は、その行為を思いとどまらせるように働きます。

しかし、「硫化水素を発生させる」方法は、その行為が「薬品を混ぜる」という恐怖を生じさせ難いものだったので、多くの人が行為を遂行してしまったのだろうと想像しています。

結果、本当なら、生きるところに踏みとどまれたかもしれない多くの人まで、死に追いやってしまったのだと思います。


これは、「硫化水素自殺」という言葉を知ってしまったが故の悲劇だと思います。

そして、そんな言葉を、テレビや新聞やインターネットのWebサイトなど手段を用いて、ニュースとして大衆に知らせてしまったのがマスコミのしたことなのです。

また、一昨日だったと思うのですが、夕食時のテレビの報道番組で、「富士山樹海における自殺」の特集をしていました。

これは度々繰り返される企画です。

今回の番組は、一応、自殺を食い止めようと頑張っておられる団体の活動の紹介で締め括られていましたが、これも、「富士山樹海で自殺する」という方法を世に知らしめているという意味合いを含んでしまっているのです。


詳細は省きますが、
  • 無差別殺人、猟奇殺人、人間関係のもつれなどによる殺人などの報道
  • 凶悪シーン・暴力シーンを含むサスペンスドラマ

といったものも、解決を求めて苦しんでいる人に、誤った解決方法を示し、彼らをその解決策に執着させてしまう恐れがあります。



ちょっと、話が広がり過ぎてしまいましたが、最後にまとめます。


【まとめ】

世の中に何らかの言葉を広めようとする場合、又は、広めてしまうような行為をしようとしている時は、これらのことを踏まえて、言葉の選択には細心の注意を払うことが大切だと考えます。



【心の苦しさを根本的に解決できる唯一の方法】


最後に繰り返しますが、心の苦しさを解決する方法は、次の2つです。

  • 誰かにつらい気持ちを話すこと
  • 誰かに見守られながら、スッキリするまで泣くこと

これは、催眠療法を繰り返し実施することによって辿り着いた結論です。

催眠療法など受けなくても、ただ、この2つをするだけで、催眠療法の後に得られるスッキリとした楽な気持ちを取り戻すことができるのです。


直面している問題の解決は、そのあとでもできるのです。

そして、心をスッキリさせてから考えれば、それまでは思いつかなかったような、もっと良い解決策も考え付くものなのです。

2009年9月30日水曜日

「しがみつかない生き方」を読みましたが・・・




この本を買った主な理由は次の3点です。
  • 「売れているらしい」と知った
  • タイトルに引きつけられた
  • 各章の見出しが、私の考えに近いものが多かった
私は、「心の苦しさの本質を伝えることで、心の苦しさに押しつぶされてしまう人や追い詰められて異常な行動をしてしまう人を減らしたい」と願い、今年(2009年)の1月に本を出版しました。


残念ながら、有名ではない私の本は大して売れてはいませんが、それでも「『心に関する正しい理解』を世の中に広めたい」思いながら過ごしていました。


そんなとき、この本のタイトルや章見出しを目にして、「やっと、出るべき本が出て、そして、売れているようだ。良かった!」と思い、書店で手に取りました。


ところが内容は期待とは随分と掛け離れたものでした。


まず、全体的な印象ですが、「この著者は、きっと悩んでいるんだろうな・・・」という雰囲気を感じました。

私は、この本を読んでいて心がスッキリするというよりは、むしろ苦しくなってしまい、読み進めるのが嫌になってしまったのですが、仕事だと思い直して、なんとか最後まで読み終えたというのが正直なところです。


各章には、素晴らしい標語を掲げてはいるのですが、それを実現するための具体的な方策は示されておらず、あたかも「標語を示したので、あとは各自が精神論で実現しなさい」と各章を締め括っておられるかのような感じを受けました。


人によっては、『今まで意識していなかったことを新たに問題だと指摘され、しかも、「あとは勝手にしなさい」と放り出される』という感じを受けて、解決しようとして本を読んで、逆に、悩みごとを増やしてしまうのではないかと少し心配になりました。

ですから、心に苦しさを抱えている人には、お勧めしません。

しばらく読んで、気持ちが苦しくなったとしたら、それ以上は我慢して読み進めない方が良いだろうと思います。

「本を読み進めていく内に、どこかで話が転換して、目からウロコがとれて心がスッキリする」という場面に遭遇することはたぶん無いと思います。


ただ、私が書いたこれらのことは、あくまでも私の個人的な感想ですから、この本によって心が救われる人もいるのかもしれないとは思います。

Amazonのカスタマーレビューも参考にされるとよいと思います。


  【参考】 Amazonのカスタマーレビュー


次に、カウンセラーとして、ちょっとショックだった章のことを書きます。

「第5章 すぐに水に流さない」という章なのです。

詳しくは書きませんが、この章の内容を読んで、この著者は心理療法のことをあまり知らないか、あまり重視していないかのどちらかなのだろうと感じたことです。


昔の大学のカリキュラムや個人的な志向によってそのような理解になるのか、現在のカリキュラムでもそのような理解が主流になっているのかは不明なのですが、個人的な志向ではないとしたら、精神医療の世界は薬物療法中心になっているのだろうと想像してしまいます。

また、心の健康を扱う分野が、臨床心理は心理学、精神医療は医学というように分断されてしまっているとしたら、それはとても奇妙なことだと、改めて思いました。




この本を読んで、「じゃぁ、どうしたら良いの?」という気持ちになった時は、手前味噌で申し訳ないのですが、拙著「あなたにもある心を回復する機能」を読んでみて下さい。


きっと、その答えがあります。


別のブログで紹介している次の記事も、参考にして頂けると思います。


  【参考】 Lesson 1 病名・症状名から離れる

2009年9月23日水曜日

「無意味な映像」を意味ありげにする方法と「悩み」の類似点

「無意味な映像」を意味ありげにする方法があります。

  • 一連の映像の最後に、「ストーリーとは一切関係のない映像」を付け加える

例えば、「マグロの生涯」という映像が15分程流れた後、その最後に「トンボが竹ざおにとまっている映像」が5秒程流れ終了したとします。


それを見終えて、どう感じるでしょう?ちょっと想像してみて下さい。


たぶん、「あのトンボには、どんな意味があったのだろう?」、「この映画を通して伝えようとしていることは何だろう?」などと考え始め、しばらく止められなくなるのではないかと想像しています。


そして、この「自分が考えている」という事実から、その映像にそれ以上の意味があるように錯覚したり、趣深さを感じ取ったりしてしまうのです。



人が考え始めるときには、何かのきっかけがあります。


特に、自分がこれまでの経験の中で作り上げてきた理解体系に当てはまらないこととの出合いが、きっかけになりやすいところがあります。


例では、そのきっかけは「トンボの映像」ですが、実際は、「トンボの映像」は考えるに値しません。

  • 「トンボの映像」は、「マグロの生涯」という全体の体系から外れる
  • そこで映像が終わってしまうため、それ以上の情報が期待できない

そんな状況によって、「自分自身の思考によって体系づけよ」と考えさせられてしまうのです。



私たちが悩んでいるとき、この「あのトンボの意味はなんだろう?」と考えるのと近い状態のときがあります。
  • この悩みのきっかけは、考えるに値するのだろうか?
  • これは理解する必要があるのだろうか?
悩み込みそうになった時、ちょっと、自分に問いかけてみると良いかもしれません。