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2005年10月14日金曜日

何から逃げる?

今回は、『逃げる』『立ち向かう』という言葉に関係する部分について、

少し考えてみたいと思います。


例え話を少し書きます。


例えば、あなたに、とても苦手と感じてしまう相手が居たとします。

あなたは、道を歩いていました。

すると、その苦手な相手が、遥か前方からあなたの 方に向かってくることに、あなたは気付きました。

しかし、相手は、まだ、あなたには気付いていません。

その人との距離が近づくにつれて、『イヤ』という感 覚が、だんだんと大きくなって、見付けた脇道へ逃げ込み、少しホッとしました。


■さて、この時、あなたは、一体何から逃げたのだと思いますか?

映像としては、『苦手な相手』、つまり、『苦手な対象』から逃げた、というように理解できるかもしれません。

また、『苦手な相手と出会うことによって起こる状況から逃げた』と理解する事も出来るかもしれません。

でも、本当のところは、そうではないのだと思います。


■「苦手と感じている相手を見ることによって引き起こされた『自分自身の中のイヤな感じ』から逃げようとした」

ということが、正しい表現ではないかと考えています。

つまり、自分自身の気持ちから逃げようとしていると いうことです。

でも、自分が自分である限り、当然ながら、自分自身から逃げることができるはずはありません。

ですから、その対象から逃げても逃げても、気 持ちが晴れないのは当然のことなのかもしれません。

もし、いくら苦手な対象から逃げ回ってみても、スッキリしない感覚が残ってしまうところがあるとした ら、このような状況に陥ってしまっている事を疑ってみる必要があるかもしれません。


■では、逃げない為には、どうしたら良いと思いますか?

脇道にそれずに、苦手な相手の方へ歩いて行けば良いのでしょうか?

それは、慣れや新しい気づきのチャンスになるという面があるので、一つの方法です。

ただ、「その前の前提」に気付いていなければ、自分の気持ちにフタをしているだけになってしまう恐れがあると思います。


「その前の前提」、それは、で、自分の気持ちとは向き合うとすることだと考えています。

向き合うというと、ネガティブな感情に叱咤激励してしまうことがあるかもしれませんが、この場合は、そうではなく、自分の気持ちを否定せずに受け入れること事を言っています。

「歩いていきたくない」と感じているのだから、歩いていきたくないのです。

「歩いていけない自分は、心が弱い」などという考えは、一旦、脇において、自分の自然な感情を、それがネガティブなものであっても肯定することで、ようやく、自然な自分を取り戻す為のスタートラインに立てるのだと思います。

ネガティブな感情の裏には、必ず、あなたの本当の希望が隠されています。

だから、ネガティブな感情を肯定しなければ、本当の希望に気づくことが出来ないのです。

その希望は、無意識のところで諦めてしまっていることがとても多いので、気付く事は少し難しいかもしれません。

でも、それを見つけることが出来た時、その希望を実現する為の具体的な方法を考え、そして、それを叶える事につながっていくのだと思います。

自分の心の中の色々な気持ち(『逃げたい自分』と『希望を持った自分』・・・)が、自分の心の中でお互いを理解し合って、それぞれの気持ちを大切にする答えを探そうと協力し合う、それが、正しい悩み方のイメージなのかもしれません。

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