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2005年8月9日火曜日

家庭にあるかもしれない深刻な問題

人は、『社会』というものを形成して生活しているところから考えると、

サルや馬たちと同じように、生まれながらにして『群れ』を作りたいという習性(気持ち)を持っている動物なのだろうと思います。


そして、他者が「自分と同じ空間」と感じる領域に存在すると、

無意識にその心理が本能として働いて、

何らかのコミュニケーションを通して関係性を築きたくなるのが、

『人の性(さが)』なのではないかと考えています。


そんな事を踏まえて、今回は親子関係を中心に、

私なりに考えてみたい思います。


現代の日本では、サラリーマンの父親は、

どうしても、家庭において不在になってしまいがちなところがあります。


それは、父親の問題というよりは、

今 の日本社会のシステムによって引き起こされているという見方も出来るかもしれません。


そんな状況の中で、父親と家族(特に父親と子供)とのコミュニケー ションに何らかの問題が発生しまっても、そんなに不思議ではないように感じます。

また、その問題が、社会の仕組みにより引き起こされているとしたら、父親 だけの努力で解決しようとするのは、とても困難なことかもしれません。

ですから、まず、家族の全員が、今の日本社会、或いは、近代社会においては、家庭問題が発生しやすい基盤が、家庭以外の要因によって、既に出来上がってしまっているということを理解し、次に、それを回避するために、お互いがどのようなことで協力し合えるのかという意識を持とうとすることが大切なのです。


■現代の日本で、『家族の全員にとって居心地の良い家庭』を作っていくために


現代社会では、子供にとって、父親とのコミュニケーションは、日常ではなく、非日常のことになってしまっています。

(朝と夜や休日といった限られた時間、すなわち、子供とっての非日常にしか、父親は存在しないということです。)


ですから、極論すると、父親と子供の関係は、親子になった時点で、既に、社会のシステムによって破壊されているといえ、喧嘩しているのと同じような状態になっているのではないかと感じています。

(もちろん、そんな中で、良好な関係を築き上げておられる家庭が沢山あるのということも事実です。)


ですから、家庭において最優先されるべき課題は、『父親と子供のコミュニケーションの修復』であると私は考えています。

家族の間には、家という空間を共有することから、前に説明した「コミュニケーションを持ちたい」という気持ちは常に働いているだろうと考えています。

ですから、コミュニケーションが壊れている状態においては、本人たちが意識できていなくとも、壊れたコミュニケーションを修復したい、つまり、仲直りしたいと願っているのだと思います。


そこで重要な役割を果たすのが母親の存在なのです。

多くの子供たちにとって、母親は、非日常ではなく、日常の存在です。

母親は、子供たちの気持ちの中では、一番身近で信用できる存在です。

その子の母親であるという事実は、子供にとって、何者にも勝る偉大な存在であるこということを意味するのです。

そんな位置づけである母親だからこそ、仲直りをしたがっている父親と子供に対して、協力してあげられることは、沢山あるだろうと思います。


■愚痴

母親が話す「母親の父親に対する感情」は、良いものであれ悪いものであれ、多くの場合、子供は正しい事として受け止めてしまいがちです。

ですから、母親は、ただの愚痴のつもりでも、仲直りの手伝いをしないままに、子供に父親に対する不満を繰り返し話していると、それが、父親の真実として子供の心に刻まれてしまうこ とがあります。

そして、子供は、自分の「本当はお父さんと仲良くなりたい」という気持ちに気付けないままに、お母さんと同じように、お父さんの悪口を言う ようになってしまいます。

お父さんの悪口を言って、お父さんを悪者にすることによって、「自分が苦しいのは、お父さんのせいだ」とさえ思わせてしまい、自 分の本当の気持ちが、ますます分からなくなってしまうのです。


母親の不満や父親の不満はどうであれ、子供は、「両親が大好きなお父さんと大好きなお母さんでいて欲しい」と願っているということを、父親も母親も肝に銘じておく必要があると思います。


愚痴を言うと、少しはストレスの解消が出来るかもしれませんが、現実が望ましく変化することは、ほとんどありません。

ですから、

○母親は愚痴るよりも、実際に満足する為の方法を考えようとすることが、自分の為にも、子供の為にも大切なことなのです。

○父親は、母親が家庭において満足を感じられるようなコミュニケーションにつとめること、そして、もし、不満 を感じていることを知ったら、その不満を解消する為に協力しようとすることが大切だと思います。それは、「母親のため、子供のため」ということだけではな く、自分にとって、家庭がより心地の良い場所になっていくことに、きっと、つながるだろうと思います。



■協力という名の非協力

父親の存在が非日常であることから、父親と空間を共にする時に、子供が居心地の悪さを感じ、父親と距離をとりたがることがあるかもしれませません。

ですが、そこで、母親が、子供が父親を避けようとすることに加担してしまうと、子供は意識できていないけれど、心の中に確かに存在する『仲直りしたい』と いう気持ちを、無視してしまうことになってしまいます。

また、父親との間に感じる居心地の悪さと向き合わないで放置する事も、正当化してしまいます。


その時は、母親の協力で、父親との距離が取れたとしても、「父親との間に感じる居心地の悪さ」という子供の気持ちが、根本的に解決される事はありません。

居心地の悪さを解消する為には、自分の本当の気持ちに向き合い、それを実現する方法を考えるしかないのです。

しかし、その本当の気持ちと向き合わせてもらえなかったことその居心地の悪さが正当化されてしまったことによって、いつしか、本人が意識しないところで、『自分の人生には、モヤモヤした解決することができない苦しみがある』と信じてしまうことにつながる恐れがあるのです。


これは、とても深刻なことです。


その後の子供の人生において、自分の気持ちを大切にすることで解決できそうな、ちょっとした問題によるストレスでも、そのモヤモヤした感覚に組み込まれてしまうので、自分の本当の気持ちと向き合うことが出来なくなってしまい、自分の本当の気持ちが分からない自分の願いが叶うことは無いと いうことを感じるようになる心配があります。


そして、問題と感じる事に直面するたびに、モヤモヤとした感覚が勝手に増幅してしまう心のパターンが出来てし まいます。

また、何も問題が無い時でさえ、そのモヤモヤは、心に重くのしかかるようになり、いつも、それに押しつぶされないように踏ん張っていなければな らないような状態につながってしまうかもしれません。

そんな苦しい人生の種を、子供に与えてしまう恐れがあるのです。


また、本当の気持ちは、「仲直りしたい」、「仲直りできない苦しみから助けて欲しい」と願っているのに、逆の方向に協力されることは、それが親の善 意の気持ちからであったとしても、苦しみという心の傷に塩を擦り込むようなことになってしまう恐れがあるのです。

そして、子供のそんな経験は、自分が苦しい時に、そこから抜け出すために協力してくれる人は居ないというような、孤独感人間不信感にもつながってしまうのではないかとも考えています。


■結論

唐突かもしれませんが、子供の幸せな人生を思うのなら、何はともあれ、夫婦仲睦まじくなのだろうと思います。

もし、あなたの中に、「子供は私の味方」に近い感覚があるとしたら、黄色信号です。家族のコミュニケーションについて、もう一度、ゆっくりと見つめ直そうとすることは大切かもしれません。

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