【続き】
「自分の子供」という言葉には、「子供は親の所有物」的なニュアンスも含まれているように思います。そんな感覚になるのは、ある意味、普通のことのように思います。でも、最近、違う意味合いがあることに気づきました。
それを文章で上手く表現できるか分かりませんが頑張ってみます。
ある期間一緒に過ごしてくれる人
母親は「自分のお腹を痛めた」という確かな実感を持っていると思いまし、父親も、母親からその実感を分けてもらって、それぞれに、『自分の子供』と感じていると思います。そして、それは、ごく普通の感覚だと思います。
でも、前回に書いた「奇跡について」みたいなイメージから考えると、子供は、父親・母親というレベルよりも、もっと大きなところから、この世に生ま れてきているような気がします。(もしかしたら、「自分の子供」なんていうことは、恐れ多くて言えないことなのかもしれません)
そして、たまたま「その親の子」として生まれてきた「子供」と呼ばれる1人の人が、親の人生のある期間、他の人間関係では得られないほどの親密さで、関わってくれているような気がします。
ただ、その人は、あまりにも未熟な為に、なかなか1人の人として見ることは難しいと思います。
そんなときに、「これからの自分の人生のしばらくの期間、とても親密に関わってくれる人が、そこに居てくれている」と思うと、そんなに親が思う通りにコントロール(支配)しようとしなくても良いのかもしれないと思えて、少し肩の荷が下りたような気がしました。
「親がして欲しくないこと」を何回も繰り返すとき、「言うことを聞かない!」とイライラするよりは、「言葉の通じない外人に、親切に教えてあげる」ような心境になることも、少し多くなったような気がしています。
といっても、いつもいつも、そんな「きれい事」のような心境で、子供と接することは、出来ていませんが(^_^;)、そんなことを思い浮かべると、気持ちが楽になることも多いです。
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