(このようなことに対処するとは、『気持ちが治まらない事態に、何とか気持ちを治めようと対処する』ということです。)
しかし、仮に、加害者が極刑になったとしても、被害者や遺族の気持ちは、たぶん、救われることは少ないのかもしれないと想像するのです。
もしかしたら、憎む相手がいなくなることで、気持ちのやり場が無くなってしまい、対処できなくなるかもしれないという心配もあるような気もします。
で、いきなりですが、こうすれば良いのではないかと考えた結論を書きます。
ポイントは『許す』ということではないかと思うのです。
ただ、一方的に許すということではありません。
- 被害者や被害者家族の気持ちが、加害者に伝わる
- 被害者や被害者家族が、自分達の悲しみや苦しみなどの気持ちを、加害者が受け止めたと感じることができる
- 加害者が心から悔い改め、被害者や被害者家族に心から詫びる気持ちを伝える
- 加害者が自分の罪を認めて心から後悔し詫びていると、被害者や被害者家族が感じることができる
- その後、刑法に従って、罪を償う
罰だけでは誰も救われず、お互いの気持ちをぶつけ合って初めて、お互いの気持ちが救われる可能性が生まれるのではないかと思うのです。
その上で、その後の事件や事故を防止する為に、更なる抑止力が必要となれば、罰の内容を厳しくすることを検討すれば良いのだと思います。
これを実際に運用することは容易な事ではないかもしれませんが、このようなことを意識しておくことは大事だと思います。
以前、劇場版「HIRO」という木村拓也が主演の映画を観ました。
HERO 特別編 [DVD]
その中の裁判のシーンで、木村拓也が演じる久利生公平のセリフがとても印象的でした。印象的だった割には、その言葉を正確には覚えてませんが・・・。(汗)
大体、次のような事だったと思います。
- 裁判での検事の役割は、被告人に、被告人が行なった罪の重さを理解させること
実際の裁判がどのように行なわれているのかは、傍聴したことが無いので分からないのですが、大切なことだと思いました。
繰り返しますが、刑罰を重くするのは、抑止力の強化にはなると思いますが、それだけでは、誰も救われないのではないかと思うのです。
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