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2008年9月26日金曜日

化学物質過敏症という言葉から考えたこと

『化学物質過敏症』という言葉からは、それが病気であるような印象が伝わってきます。

しかし、本当に、そうなのでしょうか?

話は、少し、それますが・・・・。

前にも書いたと思いますが、インフルエンザにかかると『高熱が出るという症状』に苦しめられるのではなく、インフルエンザ・ウイルスを死滅させる為に、人の体が主体的に熱を出しています。


つまり、インフルエンザにかかって最も避けるべきことは、ウイルスに人の細胞が攻撃されて破壊されることで、それから身を守る為に、人の体はウイルスを死滅させるために自分の体を破壊しないギリギリのラインの熱を発生させているということのようなのです。


また、同じ、38度の熱があっても、人体の反応は違います。


・熱の出始めは寒気を感じて厚着をしたりふとんをかぶったりという行動を起こします。

・熱のピークを過ぎると、暑さを感じて涼しい状態になろうとします。


これも、熱の出始めには、高熱を実現できるように体温を逃さないような行動を起こさせる為に寒気を感じ、逆に、ウイルスが死滅て高熱が不要になれ ば、体温を元に戻すための行動を起こさせる為に暑さを感じるようにするという、人体の主体的な働きによって生じる感覚と認識できるのだろうと思います。


で、話を戻すと、『化学物質過敏症』は何を実現しようとしているのかというと

■化学物質から体を守る必要があるときに、それを避けるような行動を起こさせる為に症状を起こしている

と考えることができます。


ですから、何が問題かというと、化学物質が溢れている社会の方が問題なのです。

今の社会ではそれが病気のように言われていますが、100年後のことを考えると、化学物質過敏症でない人の子孫は遺伝子的な問題を抱えてしまって、化学物質過敏症の人の子孫の方が健康に生存している可能性が高いのではないかと思うのです。

本当に問題なのは社会の方なのに、社会によって病気として扱われてしまう『社会病』の典型的な例だと思います。

で、何が言いたいのかというと・・・・。

現在、『心の病気』とされていることの多くは、先の例と同じように、何かを実現する為の主体的な人体の反応という面があります。

でも、社会から病気として扱われてしまうことによって、その主体的な意味を考えられなくさせられてしまうから、そこから抜け出すことを困難にしてしまっているところがあると思います。

症状や心の苦しさは、きっと、何かから自分を守ってくれています。

それが何なのかに、自分自身が気付いて、自分の意思で守ろうとすることが大切なのだと思います。

2008年9月23日火曜日

ニュースに対する違和感

ニュースや報道番組を見ていて、

「なぜ、報道番組やニュースは、あたり障りのないことばかりを、大そうがって話すのだろう?」

「なぜ、政治家のインタビューで、意味不明な発言に、突っ込まないのだろう?」

いつも不思議に思っていました。


日本の様々な報道での、報道内容への理解の深まりのなさは、私たちが日頃行う『井戸端会議』の域をでないものだと思います。

「なぜ、そのような本質から遠いことを、ジャーナリズムだといって真顔で話すのだろう?」

ずっと、違和感を感じていました。


マスコミの、本当のことを語らない(語れない?)雰囲気が、それを見る人たちに伝染してしまい、また、本質でないことを、本質であるかのように錯覚させられてしまうことが、現代の日本の心の苦しさの原因の一つとなっているようにも感じていました。


そんなとき、「ジャーナリズム崩壊」という本を読んで、私の違和感の理由が理解できたような気がしました。





マスコミの風潮に巻き込まれて、自分の正しい考えと感覚を手放してしまうことにならないように、一読することをお奨めします。