そして、「何かを受け入れる」ということを前提に説明した方が理解しやすいと思ったので、「受け入れるべきものは自分の感覚や感情である」という流れの説明をしました。
しかし、もう少し正確に説明しようとすると、少しニュアンスが変わってきます。
次の例で少し考えてみたいと思います。
【例】
例えば、小便がしたくなったら、特に深くは考えることなく当たり前のようにトイレに行って、用を足すことができると思います。
ところが、トイレに行くと100人以上の行列ができていました。
このとき、どのように考えるでしょうか?
恐らく、次のような対立する言葉が、脳裏を横切るだろうと思います。例えば、小便がしたくなったら、特に深くは考えることなく当たり前のようにトイレに行って、用を足すことができると思います。
ところが、トイレに行くと100人以上の行列ができていました。
このとき、どのように考えるでしょうか?
・用を足せる/用を足せない
・我慢できる/我慢できない
・ついていない/ついている
ここから考えると、「私たちの自然な営みが妨げられた時このような対立する言葉が浮かぶ」というように考える事ができると思います。
そして、自然な営みを完結できたとき、その考えから解放されます。
逆に考えると、私たちがこのような対立する言葉を意識してしまっている時、「私たちの自然な営みの某かが妨げられている状態」と考えることもできるのではないかと思います。
私たちは、過去の経験によって、対立するどちらかの言葉を、解決策、または、問題点として認識するような傾向性を身につけてしまっているところがあります。
しかし、それらの言葉のどちらの側に立ってみても、それを深く掘り下げてみたとしても、大して意味のあることとは思えません。
なぜなら、放尿したいだけなのですから。
対立する言葉のどちらかについて深く掘り下げる事ではなく、どうやって放尿するのかを考えることが大切なのです。
直ぐ近くに空いているトイレがあることに気付いたり、さっきまでの行列がもうなくなっていることに気付いたりするだけで、それは済ませることができるかもしれません。
この例のように、生理現象であれば、割り合い理解しやすいところがあると思います。
そして、生理現象以外にも私たちにとっての自然な営みはあるということを認識する事が大切です。
- 嬉しいときには喜ぶ
- 悲しい時には泣く
- 寒ければ暖かくなるようにする
- 苦しい時には泣く
- 疲れたら休む
- やる気の出ないときは、無理にやろうとしない
- いじめられたら悲しい
- 褒められたら嬉しい
- 失敗したら悲しい
挙げればキリが無いのでこのくらいにしておきます。
最後にメルマガの内容をトイレの例で表現しておきます。
あなたは、放尿したかったということを忘れてませんか?
そのことを思い出して、さっさと用を足してしまいましょう
ちなみに、何をすれば放尿したことになるのかというと、そのことを思い出して、さっさと用を足してしまいましょう
「理解してくれる人に、感情や感覚を話し、聴いてもらうこと」です。
(事実や評価を話すだけでは、放尿できません!)
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